3-32 選択(2)

文字数 3,165文字

 エルガード号との戦闘でファスガード号を失い、雑用艇で海を漂流していた所をノーブルブルー最後の船・ウインガード号に拾い上げられて三日が過ぎた。

 ファスガード号の生存者を乗せた雑用艇は全部で八隻。
 残り七隻の雑用艇をすべて回収するため、ウインガード号での見張りは昼夜問わず休みなく続けられた。

 勿論シャインも、ファスガード号副長のイストリアもずっと甲板に詰め、水平線の彼方を望遠鏡でくまなく監視する日々が続いた。

 ただ、流石にイストリアは何度か仮眠をとっていたし、シャインにも休むよう声をかけてくれた。けれどシャインはすべての雑用艇が見つかるまで、甲板を離れる気にはなれなかった。離れるわけにはいかなかった。

 ――他にも手立てはあったはずなのに。
 こうなることを選んだのは『俺』だから。


 シャインは強ばった両手で顔を覆った。


 『俺』が選んだから? 
 なんて安っぽい義務感だ。
 義務だって?
 俺はただ、自分の選択を後ろめたく思っているだけじゃないか。


 不休で探し続けた甲斐もあり、雑用艇の最後の一隻が見つかったのは、今日の日没三十分前のことだった。ファスガード号の生存者をすべて救助したウインガード号は、現在エルシーアへ向かい帰国の途についている。

 自分を庇って背中を負傷したジャーヴィスも、軍医に適切な処置をしてもらうことができたので命に別状はない。

 ただ一つの心残りは、行方不明となったロワールハイネス号とその乗組員の安否だが、彼等は取りあえずヴィズルの所にいることだけがわかっている。

 すでに終わった事をあれこれ悔やんだ所で、結果は何も変わらない。
 今まで何度となくそういう経験をした。
 けれど、考えずにはいられない。

 例えば――。

 シャインは再び顔を上げ、暗い角灯の灯に照らされているジャーヴィスの方を見た。

 もしも、彼が俺を庇わなければ。
 俺が、ラフェール提督やルウム艦長と同じように、砲撃で死んでいたら。
 もしも君が負傷していなくて、俺の側にあの時いてくれたら――。

「……」

 シャインはジャーヴィスの寝顔から思わず視線を逸らせた。


『君ならどんな選択をした?』
 

  ◆


 シャインはゆっくりと立ち上がった。頭上から小さくウインガード号の船鐘の音が聞こえてくる。
 夜の深い闇に溶けるように消えていったその音は一回だけ。
 シャインはため息をついた。
 まだ深夜0時。今夜も長い時間を過ごす事になりそうだ。

 せめてウインガード号の深夜当直になっていれば、船の航行や風向きに気を配っているうちに、何時の間にか夜が明ける。だが、救助されて今日の日没まで甲板にいたので、ウインガード号艦長のウェルツ大佐が、流石にシャインを当直から外したのだ。ウェルツの配慮は当然のことだろう。

『怪我をしたお前の部下より酷い顔をしている』

 ウェルツにそう言われたら、ここは大人しく引き下がるしかない。

 人間は何日まで眠らずにいられるのだろうか。
 いっそ、何もかも不意に途切れてしまえば――良いのに。

 シャインはジャーヴィスの療養のために、当てがわれていた士官部屋から外に出た。ウインガード号の第三甲板にあるこの士官部屋は、左右両舷、船壁に沿って三つずつ、計六つの部屋に区分けされている。

 掌帆長や主計長、海兵隊長や料理長、船医といった下士官達が、それらを自分の部屋として割り当てられているのだ。

 部屋を出ると目の前には、太いミズンマストが床から最上部の甲板まで縦に貫いている。ミズンマストを通すために作られた四角い穴には、人が一人通ることができる手すりがついた階段が取り付けられており、これが各甲板を行き来する昇降口をも兼ねている。

 ウインガード号はノーブルブルーの旗艦だったアストリッド号の妹艦にあたる。アストリッド号の半年後に就航したので、彼女もまた船齢二十年を迎える旧い船だ。

 この二十年。どれだけ多くの軍人が彼女に乗り込んで海賊と戦い、そして、血を流していったのだろう。船の外側は綺麗に紺碧色に塗装されているが、内側は砲弾で穴が開いた箇所を塞いだ、色の違う木材がそこここに打ち付けられている。

 シャインはそれを一瞥して、多くの人間が触れたせいで黒光りする滑らかな階段の手すりに手をかけた。

「……?」

 ふと足を止め、振り返る。
 誰かに見られている気配を感じたが、気のせいだろうか。

 けれどそこは士官部屋と砲列甲板を区切っている、帆布のカーテンしか見えない。
 シャインは目をこすった。

 三日間不休で水平線を見つめ続けていたせいか、目蓋が腫れぼったくなっていて、天井にぶら下がった薄暗い角灯の明かりでは、窓のない砲列甲板の通路がよく見えない。

「気のせい、だろうな」

 人の気配はする。しかも大勢の。
 ゆらゆらと揺れる帆布のカーテンの向こう側は、ずらりと並んだ大砲の上にハンモックを隙間なく吊り、ウインガード号の非番の水兵達が眠っている。

 ファスガード号の生存者たちもここと、さらに下の甲板に収容されているから、それこそ寝返りなどできないくらい多くの人間でひしめきあっている。

 そういえば、夕食時だっただろうか。
 痩せぎすで背の高いウインガード号の副長ウインスレッドが、ウェルツ艦長に不満を漏らしていた。

『水と食料をどこかで一度補給せねばなりません。ファスガード号の生存者を乗せたせいで、一週間分の備蓄が三日でなくなります!』

 ファスガード号には約三百人が乗っていた。
 エルガード号の砲撃を受けてラフェール提督、ルウム艦長を始め約三十名が死傷した。
 けれど、ウインガード号に収容されたファスガード号の生存者たちは、最終的に二百人をきっていた。傷が重く雑用艇で死んだ者もいるが、それ以前にファスガード号から脱出できず、船と共に海に飲まれた多くの行方不明者がいた。

 その大半はファスガード号の最下層部で、船底にたまった水を汲み上げる昇降機についていた者たちと、エルガード号に収容できなかったアストリッド号の二十名の負傷者達だと、イストリアがウェルツ艦長に報告していた。

 シャインはその時受けた心の衝撃を思い出し、階段の手すりを強く握りしめた。心臓の鼓動が早くなる。天井で揺れる角灯の光がどんどん弱くなっていき、辺りを夜の闇へと染めていく。


『ファスガード号に乗っていた者が全員脱出できたわけではなかった? イストリア大尉。俺は、あなたに命じたはずだ。急いで全員を退艦させるようにと』

『船は右舷側に傾き浸水していた。グラヴェール艦長、あなたがエルガード号への砲撃をさせたことで浸水する早さは倍増し、第三層の下甲板の大砲についていた水兵十五名は逃げ遅れた。もっとも、甲板で指揮を執っていたあなたにはわかるまいが、船に乗っていた者が全員逃げられる時間など、最初からなかったんですよ!』

『しかし……ファスガード号はかなりの時間浮いていたはずだ』

『船は浮いていたかもしれないが、船倉は海水で一杯だった。私は甲板にいた者を、片っ端から雑用艇に乗せるのに必死だったんです!』
 
 イストリアは辛辣な口調でそう言うと、充血した目でシャインを睨みつけていた。
 彼もまた、生きる者と死ぬべき運命の者を選んだのだ。
 ウェルツ艦長への報告を終えて部屋を出た時、イストリアがひっそりと口を開いた。

『グラヴェール艦長。あなたが下甲板に降りていった時、正直もうだめだと思いました。けれど、あなたは船が沈む寸前で甲板に姿を現した。それを見た私は心の底から喜びましたよ。何故だかわかります?』

『……』

 喜んだといいながら、シャインを見下ろすイストリアの微笑は固く強ばり、唇が斜めに引きつっている。言葉とは真逆の冷たさだった。

『よくぞ生きて下さった。あなたが出した多くの犠牲の責任をとって下さるために!』
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