3-26 反撃

文字数 3,428文字

「この剣……ラフェール提督の物だな。あんた、提督からこれを奪ったんだな!」

 声を震わせてイストリアが睨んでくる。
 シャインは、口の中に苦い物が広がってゆくのを感じながらつぶやいた。

「俺は正当な手順を踏んでいるだけだ。君は……一尉官にすぎない」

 イストリアが信じられないという表情を浮かべ、やがてそれは嘲笑へと変わっていった。彼は一見人当たりのよさそうな顔を、破顔させてからからと笑った。

「あんたは所詮“使い走り”の艦長様だよ! 俺と階級だって一つしか違わない。それに海戦なんて経験した事がないくせに!」

「経験なんてないさ。したくもない! だが、君は何か手を打っているのか? 逃げるなんてことは、誰にでも思い付く安易な考えだ!」

 今までのいら立ちをその一瞥と言葉にこめて、シャインはイストリアにぶつけた。
 シャインはイストリアに失望していた。

 逃げることは無理だ。
 風が弱まっていて、小型船のロワールハイネス号ならまだしも、こんな大型の、重い軍艦の向きを変えるには、全然力が足りない。

 しかもエルガード号はこちらへ左舷の砲門を向けている。
 逃げるにしても一斉射撃を背後からくらうことになり、こちらは反撃する暇もなく沈められる。海戦の経験がなくってもそれぐらいはわかる。

「何をするつもりだ?」

 シャインの剣幕に幾分萎縮してイストリアが尋ねた。しかし相変わらず憮然とした顔つきだ。シャインは青緑の瞳を月光にきらめかせながら答えた。
 迷いはなかった。

「エルガ-ド号を沈める。だがその結果、このファスガード号も沈む」

 シャインはイストリアの喉元に突き付けていたラフェールの剣を下ろした。
 イストリアがはっと息を飲み、そして、茶色の丸い瞳の中に、理解の色が浮かぶのをシャインは見た。

「それしか方法がないのか……」

 イストリアの声色には迷いが感じられた。

「時間がない。ぐずぐずしていると、エルガード号がまた砲撃してくるぞ」
「わ、わかりました。じゃ、何をするんです?」

 シャインは周囲を見回した。
 はや士官候補生と思しき少年が自分の姿を見つけてこちらへ来る。

「イストリア副長。砲手長に伝令を飛ばして、右舷砲門をできるだけ多く撃てるように準備させてくれ。最下層の第三甲板の砲もだ。それから、左舷側でボートを下ろして退艦の準備もしてくれ。負傷者を先に乗せて!」

「了解しました」

 イストリアは航海服のポケットから金色の小さな笛を取り出した。
 鋭く吹き鳴らす。

 ミズンマストの根元に、散らばっていた士官候補生とおぼしき小さな姿と、海兵隊を指揮する隊長、水兵達をまとめる甲板長が集まってきた。


 ◇◇◇


 ファスガード号の上甲板は、二度のエルガード号の砲撃により深刻な被害が出ていた。三本の天に向かいそびえるマストはまだ立っているが、弱い風をわずかに受けて、はためく大きな帆には、砲弾を受けたせいでいくつもの穴が開いている。

 船の右舷後方――サロンがあった所だが、被弾した箇所がえぐり取られたような傷跡となって、無残な姿を月光の下にさらしている。

 砲声は止んでいた。けれどエルガード号からは、長銃から発射される弾丸が、闇を切り裂き飛んでくる。

 それに応戦するように、水色の制服をまとった海兵隊達も撃ち返すが、エルガ-ド号の甲板は暗い影に覆われていて、海賊を倒したという手ごたえがまったく感じられない。

 ヒュッ! と耳元をかすめるそれをものともせず、シャインは抜き身の細剣を右手に持ち、甲板で叫んでいた。

「急げ! 手の空いている者はすべて右舷砲門につけ!」

 かすかな月明かりの中で、水兵達は四、五名の組になって一つの大砲につく。
 手元の弾を撃ち尽くした海兵を見つけると、シャインは片っ端から彼等を砲撃の手伝いに行かせた。

 一方、イストリアは反対の左舷側で、着々と負傷者をボートへ乗せる準備をすすめていた。

 このファスガード号には約三百人が乗り込んでいる。四十人が乗れる雑用艇が八隻と、艦長専用艇が一隻あるので、乗る船にあぶれる者は出ないはずだ。

 それを確認したシャインは、メインマスト付近の右舷側で、大砲を点検している大柄の男へ声をかけた。

「グレン砲手長、エルガード号のマストを壊したい。それから、船尾の火薬庫を吹き飛ばす事はできますか?」

 頭に青い布を巻き付け、がっしりとした体躯の砲手長は、手を休める事なく口を開いた。

「要求がルウム艦長並みに高くて参りますな。マストはともかく、船尾の火薬庫だなんて、こう暗くちゃ狙いをつけるのも一苦労だ」

「でも場所はわかっているはずだ。エルガード号はファスガード号の姉妹艦だ。砲門数を除いてその構造は殆ど同じ」

 ふっとグレンがシャインへ皮肉めいた笑みを向けた。
 彼の気持ちはわからなくもない。
 ルウム艦長亡き今、指揮を執っているのがイストリアではなく、シャインであることに不安なのだろう。

「まるで見たようなことを仰いますな」
「海軍工廠で彼女達の図面を見せてもらったから知っている。左舷船尾。舵の近く。喫水線のすぐ下」
「ほう――よくご存じで。グラヴェール家の名前は伊達じゃなさそうだ」

 シャインは真顔になったグレンに頷いて見せた。

「マストはどれでもいい。それから火薬庫だ。やってくれるね?」
 
 タバコのヤニで黄色くなった乱杭歯を見せて、グレンは笑みを浮かべた。

「わかりました。それしか方法はないってことで」

 砲手長は前で大砲の弾込めをしようとしていた水兵二人を呼んだ。

「お前ら、下へ行って例の弾を持ってこい。マストをへし折る棒状の奴だ。それから、熱してあった鉄の弾があったら、それも持ってくるんだ。急げ!」

 水兵達の背中を押しやり、額に汗を浮かべた砲手長は、再び視線をシャインへ向けた。

「そろそろエルガードも一斉砲撃を仕掛けてくる頃合だ。その前にこっちが撃たなければ終わりだぜ、グラヴェール艦長」

 シャインは大砲の準備をする水兵達を見つめながら、鋭く言った。

「下の二層の砲を先に撃って出鼻を挫く。その間に上甲板の砲でマストを壊してくれ」

 ふっ、とグレンの目元が凄みを帯びて光った。

「第二甲板の大砲が撃てるようになったら、メインマストのハッチの下で、士官候補生が来る事になってます。彼に発砲を命じて下さい」

 シャインはうなずいた。
 さすがノーブルブルーを率いていたルウムの部下である。
 その手際の良さに頭が下がる思いだった。

「上甲板の大砲を撃つタイミングは、グレン砲手長、あなたに任せます」
「わかりました。海賊共の度胆を抜いてやりますぜ!」

 グレンは歯を見せて再びにやりと笑った。


 撃てて、二回だ。
 シャインは火薬や弾を運ぶ水兵達の間を擦り抜けて、メインマストの前の開口部へ向かった。

 波はうねりがあるためか、ファスガ-ド号は大きく左右に揺らぎ、片時もじっとしていない。シャインは船が右舷側に傾いている事に気が付いていた。
 自分の予想を遥かに超える早さで浸水しているのだ。

 下手をすると砲撃の振動のせいで、一度撃ったらもう撃てないかもしれない。
 ――その時は、その時だ。
 シャインはメインマストのハッチの下をのぞきこんだ。
 階段の下に、不安げな表情をした青白い顔の士官候補生がひとり立っている。

「グラヴェールだ。下の準備はできたか?」

 呼びかけたシャインの声に、士官候補生は、はっと顔を上げた。

「いつでもいけます! ですが第三層の砲門は5門ほどしか開けられません。うねりがひどくて!」

 たった5門でも撃たないよりましだ。
 シャインはうなずいて、士官候補生に命じた。

「よし、狙いがつき次第各自撃て! 早く!」

 息を詰めた士官候補生の姿が闇の中に消えた。
 と、背後から大きな炸裂音が響いた。

 咄嗟にシャインは太いメインマストに身を寄せ、音の激しさに顔をしかめた。
 バラバラと頭の上にメインマストの上に渡されていた帆桁(ヤード)の破片や、滑車、上げ綱が落ちてくる。

 先にエルガードの砲撃を食らったのだ。しかし、幸い直撃したのは数発のようだ。
 破片を手で払いながら、シャインはファスガード号の船首付近で薄い煙が上がっているのを見た。


 一呼吸おいて、ファスガード号の甲板に次々と重い振動が走る。
 第二甲板の右舷側・砲20門が、白煙を吐き出しながら次々に反撃する。
 濃い火薬の臭いがしたかとおもうと、次の瞬間、黒い影のようなエルガード号の船腹から、ぱっと木片が舞うのが見えた。
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