3-9 ツウェリツーチェのあごひげ
文字数 3,990文字
アスラトルの港に着いてから出した言づては、確かに家主の所へ届いていた。
船に乗っているため、シャインがこの部屋を利用する事は滅多にない。
けれど建物の一階に住んでいる家主、齡七十才の老婦人セシリアは、シャインの部屋に風を入れ、灯りまでつけていてくれた。
半年ぶりに顔を見せた彼を、セシリアはうれしそうに出迎えた。
そして銀の盆にのった心づくしの料理を部屋の鍵と共に渡してくれた。
階段の手すりには白いほこりひとつついておらず、きれいに磨きこまれている。
二階に上がると扉が三つ並んでいて、シャインは一番奥へ歩いて行った。
料理の盆をヴィズルに暫し持ってもらい、シャインは扉の鍵を外した。
「さ、どうぞ」
銀の盆を持ったまま、ヴィズルは辺りを見渡しながら部屋の中に入った。
「随分殺風景だな」
ぽつりと呟くヴィズルに、シャインは苦笑しつつ扉を閉めた。
「今は寝る為に借りている部屋なんで……必要最小限のものしか置いてないんです」
部屋の奥には出窓があり、そこに蜂蜜色をした机が置いてある。その上には家主が用意してくれたランプが、部屋をやさしく照らしていた。
机の左側には天井にとどかんばかりの背の高い本棚があった。そして部屋の足元には深い紺色のじゅうたんが敷かれている。
その毛足の柔らかさといい、質といい、東方連国産の高級品だろう。多分エルシーアでもとめれば、五十万リュールはする品だ。
ヴィズルはじゅうたんの値踏みをしつつ、机の右側に置かれた寝台を見た。
碧色と淡い白色の糸で織られた上掛けがかかっている。ほとんど新品のそれは、確かに使われていないらしい。
「椅子がないのでこの机をずらして持って来て、寝台に腰掛けてもらわなくてはならないんですが……」
きまり悪そうにシャインは頭をかいた。
「いや、気にするな。そんなことは無用だぜ。こんな上等なじゅうたんがあるじゃないか。俺は別に、床に座って食うのには慣れてる」
ヴィズルはどっかと腰を下ろすと、あぐらをかいて寝台の縁に背中を預けた。
料理の盆も下ろす。
シャインはヴィズルの隣へ腰を下ろし足を投げ出すと、同じように寝台の縁へもたれた。
「すみません……」
「飲むかい?」
自分の持っていた紙袋から、ヴィズルは酒ビンを手にしていた。
濃紺色のビンの色からして、シシリー酒のような果実酒の類いのようだ。
断ろうかと口を開こうとしていた時に、ヴィズルはシャインに酒ビンを手渡していた。
「あの……」
「まだ三本あるから、遠慮するなって。こっちはメシと寝る所まで提供してもらってるんだ、なっ」
ヴィズルは酒ビンのコルクをくわえると、ポンという威勢のいい音を立ててそれを引き抜いた。
「さ、楽しくやろうぜ」
ヴィズルは一度渡した酒ビンを、今コルクを抜いたそれに代えると、今度は自分の分のために、新たに栓を引き抜いた。
「乾杯!」
じっとこちらを見つめ、無邪気に笑うヴィズルにつられて、シャインは小さくうなずいた。
「……乾杯」
ビンとビンを軽く合わせ、ふたりは酒を喉に流し込んだ。
セシリアの料理はゆうに二人分あった。
玉ねぎの甘味たっぷりなじゃがいものスープに、香草とともに焼きこんだメインの鳥料理、厚切りのパン。新鮮な季節野菜をふんだんに使ったサラダ。ヴィズルはよく食べて、よく飲んだ。
「なあ……聞いてもいいか?」
料理をたいらげ、ようやく満足したヴィズルは三本目の酒ビンのコルクを抜いた。
「何をです?」
シャインは酒ビンをあおった。
シシリー酒よりアルコールは高いが、口当たりは悪くない。
「なんで襲われたんだ?」
「………心当たりはありますけどね……ま、当分はおとなしくしていると思いますよ。これを取っておきましたから」
酒のせいで幾分顔色の良くなったシャインは、服のポケットから金属片を出してヴィズルに見せた。
きらりとランプの光に反射したそれは、金色のプレートのようなものだった。
「海軍の陸上勤務者がつけている襟章です。名前と階級が明記されています」
シャインは右手でそれを弄ぶと、再びポケットの中へしまいこんだ。
脳裏に人事主任アルバールの赤ら顔が浮かんだ。
普段から後ろ暗い事をやっている男だ。ひとりで外を歩くような人間ではない。その行動は予想を裏切って、素早いものだったが。
「馬鹿な刺客だな。自分の正体がわかるものをつけたまま、凶行に及ぶか?」
「よっぽど自信があったんじゃないのかな。それより……今度は俺が聞いてもいいですか?」
ヴィズルは興味深げにシャインの顔を見た。
どうぞ、といわんばかりの笑顔だった。
「何だい?」
「……アスラトルへは観光ですか? いや、仕事かな。流暢なエルシーア語ですし」
「はは、俺の容姿はここらじゃ……目立つもんな。ま、仕事って言っとこうか。シャイン……あんたは、海軍の士官なんだな。随分若いのにたいしたもんだ」
そんなことを褒められても(お世辞でも)、シャインは少しもうれしいと感じなかった。むしろ、酒のせいでやっと上がった気分が下がった。
「……軍人なんて、つまらないさ」
吐き捨てるようにつぶやくと、シャインは酒ビンを再びあおった。
大きく息をついて、視線を宙にさまよわせる。
「だが、仕事に見合うだけの収入はあるようだし、根無し草の俺にとっては、実にうらやましい限りだぜ?」
シャインの機嫌をうかがうように、ヴィズルが優しく話しかける。
「うらやましい? それは俺の方ですよ。あなたは……好きな時に好きな所へ行ける……」
「そりゃ、そうともいうけどな」
「俺は……ずっとあの人に縛られている」
「シャイン」
今まで微笑を絶やす事なく、笑顔だったヴィズルの表情が曇った。
それに気がついたシャインは、慌てて彼の方を向いて取り繕った。
「ああ気にしないで下さい。ただの独り言なので。だから……酒を飲むのは好きじゃあないんです。つまらない事を言うクセがあるので」
手にしていた酒ビンをじゅうたんの上に置き、シャインは軽く両手で顔をはたいた。ヴィズルの人当たりのよさそうな雰囲気のせいで、警戒心が薄れてしまった事を悔やみながら。
命の恩人とはいえ、まだ胸の内をひけらかす話など、到底する気はない。
シャインのそんな心境を、ヴィズルは察したようだった。
「そういうクセはよくないな。俺だったら、知られたくない事は、鋼鉄の箱の中にしっかとしまい込んで、ツェイツリプスト=ツウェリツーチェのあごひげから作った鎖で、ぎっちぎちに縛って、海神・青の女王に頼んで、果ての海の海底へ沈めといてもらうぜ」
にやりと白い歯を見せながら、ヴィズルは笑った。
「ツェイツリプス……痛っ……何だって?」
訳の分からない単語が出てきて、シャインは苦笑しながらヴィズルに聞いた。
「知らないのか? まあ……東方連国の昔話だからな。平たく言えば巨大な大長虫 さ。世界を半周はするっていう図体をしたな。そのツェイツリプスト=ツウェリツーチェのあごひげは、どんな高熱にも溶けないし、切れる事もない。ま、強度がある、っていうもののたとえさ」
シャインは大長虫の名前を、すらすらと言うヴィズルに感嘆していた。
「確かに、そんなもので縛られたら切断は不可能だな。でも、万一解けるかもしれない」
シャインの指摘に、ヴィズルはうーんとうなって、両腕を組んだ。
「……あんたならどうする? シャイン」
反対に尋ねられて、シャインは考え込んだ。
そして、思い付いた。
シャインはとっておきの冷酷な表情を浮かべながら、酒ビンを手にして、再びそれを喉に流し込んだ。
「――その箱を手にした者は、一切の記憶を失い、死ぬまで果ての海をさすらい続けるよう、呪いをかける。二度と、自分の世界に戻る事はない」
ヴィズルはシャインの冷たい微笑にぞっとしたようだ。答えた彼の口調は心なしかうわずっていた。
「は、はは……死人に口なしかよ――まったく、虫一匹殺せないような顔をして、恐ろしい事言うじゃないか」
シャインは怖じ気付いたヴィズルが可笑しくて口元を歪めた。
「そうかい。じゃあ……いきなり呪われるのが可哀想なら、いちど警告をしてやった方がいいかな?」
「そうさ、せめて思いとどまるチャンスを与えるべきだろう」
シャインは小首をかしげて、目を閉じた。
「うーん、それなら、果ての海へ来たら嵐を起こして、船を沈めてしまおう。呪いがかかっているわけじゃないから、運がよければ、自力でどこかへ泳ぎ着くだろう」
ヴィズルは飲みかけた酒を、吹き出しそうになった。
「おいおい! 果ての海だぞ! 泳いでたどり着ける陸地はないんだぜ? それに、船なしでどうやって帰るんだ。結局、死んじまうじゃねーか!」
シャインは目を閉じたまま、独り言を言うようにつぶやいた。
とても、気怠げに……。
「当然だ。果ての海へ来た事を、悔やんでもらわなくては困る。でないと二、三度としつこく来るやつが、出てくるんでね……」
ヴィズルは身震いした。
「あんたを敵に回したら、どうなるか分かったような気がするぜ」
「……」
シャインにはヴィズルの言葉が聞こえなかった。
一度閉じたまぶたは、再び開けるのが億劫なほど重かったから。
ヴィズルはうつむいたシャインの顔をのぞきこんだ。
「おーい、どうした?」
さらに声をかけてみるが返事はない。
「これからってときに眠っちまうなんて……付き合い悪いぞ」
ヴィズルはシャインの手から、まだ半分程中身が残っている酒ビンを取り上げると、料理ののっていた盆の上に置いた。
そしてため息をつきながら、シャインの体を軽々と抱えて彼の寝台へ寝かせてやると、再び酒ビンを手にした。
「ま、夢を見ない眠りもいいもんだ。俺はもう少しひとりで、飲ませてもらうがな……」
ヴィズルは寝台の縁にもたれ、出窓から見える<兄弟>の月をじっとながめた。
船に乗っているため、シャインがこの部屋を利用する事は滅多にない。
けれど建物の一階に住んでいる家主、齡七十才の老婦人セシリアは、シャインの部屋に風を入れ、灯りまでつけていてくれた。
半年ぶりに顔を見せた彼を、セシリアはうれしそうに出迎えた。
そして銀の盆にのった心づくしの料理を部屋の鍵と共に渡してくれた。
階段の手すりには白いほこりひとつついておらず、きれいに磨きこまれている。
二階に上がると扉が三つ並んでいて、シャインは一番奥へ歩いて行った。
料理の盆をヴィズルに暫し持ってもらい、シャインは扉の鍵を外した。
「さ、どうぞ」
銀の盆を持ったまま、ヴィズルは辺りを見渡しながら部屋の中に入った。
「随分殺風景だな」
ぽつりと呟くヴィズルに、シャインは苦笑しつつ扉を閉めた。
「今は寝る為に借りている部屋なんで……必要最小限のものしか置いてないんです」
部屋の奥には出窓があり、そこに蜂蜜色をした机が置いてある。その上には家主が用意してくれたランプが、部屋をやさしく照らしていた。
机の左側には天井にとどかんばかりの背の高い本棚があった。そして部屋の足元には深い紺色のじゅうたんが敷かれている。
その毛足の柔らかさといい、質といい、東方連国産の高級品だろう。多分エルシーアでもとめれば、五十万リュールはする品だ。
ヴィズルはじゅうたんの値踏みをしつつ、机の右側に置かれた寝台を見た。
碧色と淡い白色の糸で織られた上掛けがかかっている。ほとんど新品のそれは、確かに使われていないらしい。
「椅子がないのでこの机をずらして持って来て、寝台に腰掛けてもらわなくてはならないんですが……」
きまり悪そうにシャインは頭をかいた。
「いや、気にするな。そんなことは無用だぜ。こんな上等なじゅうたんがあるじゃないか。俺は別に、床に座って食うのには慣れてる」
ヴィズルはどっかと腰を下ろすと、あぐらをかいて寝台の縁に背中を預けた。
料理の盆も下ろす。
シャインはヴィズルの隣へ腰を下ろし足を投げ出すと、同じように寝台の縁へもたれた。
「すみません……」
「飲むかい?」
自分の持っていた紙袋から、ヴィズルは酒ビンを手にしていた。
濃紺色のビンの色からして、シシリー酒のような果実酒の類いのようだ。
断ろうかと口を開こうとしていた時に、ヴィズルはシャインに酒ビンを手渡していた。
「あの……」
「まだ三本あるから、遠慮するなって。こっちはメシと寝る所まで提供してもらってるんだ、なっ」
ヴィズルは酒ビンのコルクをくわえると、ポンという威勢のいい音を立ててそれを引き抜いた。
「さ、楽しくやろうぜ」
ヴィズルは一度渡した酒ビンを、今コルクを抜いたそれに代えると、今度は自分の分のために、新たに栓を引き抜いた。
「乾杯!」
じっとこちらを見つめ、無邪気に笑うヴィズルにつられて、シャインは小さくうなずいた。
「……乾杯」
ビンとビンを軽く合わせ、ふたりは酒を喉に流し込んだ。
セシリアの料理はゆうに二人分あった。
玉ねぎの甘味たっぷりなじゃがいものスープに、香草とともに焼きこんだメインの鳥料理、厚切りのパン。新鮮な季節野菜をふんだんに使ったサラダ。ヴィズルはよく食べて、よく飲んだ。
「なあ……聞いてもいいか?」
料理をたいらげ、ようやく満足したヴィズルは三本目の酒ビンのコルクを抜いた。
「何をです?」
シャインは酒ビンをあおった。
シシリー酒よりアルコールは高いが、口当たりは悪くない。
「なんで襲われたんだ?」
「………心当たりはありますけどね……ま、当分はおとなしくしていると思いますよ。これを取っておきましたから」
酒のせいで幾分顔色の良くなったシャインは、服のポケットから金属片を出してヴィズルに見せた。
きらりとランプの光に反射したそれは、金色のプレートのようなものだった。
「海軍の陸上勤務者がつけている襟章です。名前と階級が明記されています」
シャインは右手でそれを弄ぶと、再びポケットの中へしまいこんだ。
脳裏に人事主任アルバールの赤ら顔が浮かんだ。
普段から後ろ暗い事をやっている男だ。ひとりで外を歩くような人間ではない。その行動は予想を裏切って、素早いものだったが。
「馬鹿な刺客だな。自分の正体がわかるものをつけたまま、凶行に及ぶか?」
「よっぽど自信があったんじゃないのかな。それより……今度は俺が聞いてもいいですか?」
ヴィズルは興味深げにシャインの顔を見た。
どうぞ、といわんばかりの笑顔だった。
「何だい?」
「……アスラトルへは観光ですか? いや、仕事かな。流暢なエルシーア語ですし」
「はは、俺の容姿はここらじゃ……目立つもんな。ま、仕事って言っとこうか。シャイン……あんたは、海軍の士官なんだな。随分若いのにたいしたもんだ」
そんなことを褒められても(お世辞でも)、シャインは少しもうれしいと感じなかった。むしろ、酒のせいでやっと上がった気分が下がった。
「……軍人なんて、つまらないさ」
吐き捨てるようにつぶやくと、シャインは酒ビンを再びあおった。
大きく息をついて、視線を宙にさまよわせる。
「だが、仕事に見合うだけの収入はあるようだし、根無し草の俺にとっては、実にうらやましい限りだぜ?」
シャインの機嫌をうかがうように、ヴィズルが優しく話しかける。
「うらやましい? それは俺の方ですよ。あなたは……好きな時に好きな所へ行ける……」
「そりゃ、そうともいうけどな」
「俺は……ずっとあの人に縛られている」
「シャイン」
今まで微笑を絶やす事なく、笑顔だったヴィズルの表情が曇った。
それに気がついたシャインは、慌てて彼の方を向いて取り繕った。
「ああ気にしないで下さい。ただの独り言なので。だから……酒を飲むのは好きじゃあないんです。つまらない事を言うクセがあるので」
手にしていた酒ビンをじゅうたんの上に置き、シャインは軽く両手で顔をはたいた。ヴィズルの人当たりのよさそうな雰囲気のせいで、警戒心が薄れてしまった事を悔やみながら。
命の恩人とはいえ、まだ胸の内をひけらかす話など、到底する気はない。
シャインのそんな心境を、ヴィズルは察したようだった。
「そういうクセはよくないな。俺だったら、知られたくない事は、鋼鉄の箱の中にしっかとしまい込んで、ツェイツリプスト=ツウェリツーチェのあごひげから作った鎖で、ぎっちぎちに縛って、海神・青の女王に頼んで、果ての海の海底へ沈めといてもらうぜ」
にやりと白い歯を見せながら、ヴィズルは笑った。
「ツェイツリプス……痛っ……何だって?」
訳の分からない単語が出てきて、シャインは苦笑しながらヴィズルに聞いた。
「知らないのか? まあ……東方連国の昔話だからな。平たく言えば巨大な
シャインは大長虫の名前を、すらすらと言うヴィズルに感嘆していた。
「確かに、そんなもので縛られたら切断は不可能だな。でも、万一解けるかもしれない」
シャインの指摘に、ヴィズルはうーんとうなって、両腕を組んだ。
「……あんたならどうする? シャイン」
反対に尋ねられて、シャインは考え込んだ。
そして、思い付いた。
シャインはとっておきの冷酷な表情を浮かべながら、酒ビンを手にして、再びそれを喉に流し込んだ。
「――その箱を手にした者は、一切の記憶を失い、死ぬまで果ての海をさすらい続けるよう、呪いをかける。二度と、自分の世界に戻る事はない」
ヴィズルはシャインの冷たい微笑にぞっとしたようだ。答えた彼の口調は心なしかうわずっていた。
「は、はは……死人に口なしかよ――まったく、虫一匹殺せないような顔をして、恐ろしい事言うじゃないか」
シャインは怖じ気付いたヴィズルが可笑しくて口元を歪めた。
「そうかい。じゃあ……いきなり呪われるのが可哀想なら、いちど警告をしてやった方がいいかな?」
「そうさ、せめて思いとどまるチャンスを与えるべきだろう」
シャインは小首をかしげて、目を閉じた。
「うーん、それなら、果ての海へ来たら嵐を起こして、船を沈めてしまおう。呪いがかかっているわけじゃないから、運がよければ、自力でどこかへ泳ぎ着くだろう」
ヴィズルは飲みかけた酒を、吹き出しそうになった。
「おいおい! 果ての海だぞ! 泳いでたどり着ける陸地はないんだぜ? それに、船なしでどうやって帰るんだ。結局、死んじまうじゃねーか!」
シャインは目を閉じたまま、独り言を言うようにつぶやいた。
とても、気怠げに……。
「当然だ。果ての海へ来た事を、悔やんでもらわなくては困る。でないと二、三度としつこく来るやつが、出てくるんでね……」
ヴィズルは身震いした。
「あんたを敵に回したら、どうなるか分かったような気がするぜ」
「……」
シャインにはヴィズルの言葉が聞こえなかった。
一度閉じたまぶたは、再び開けるのが億劫なほど重かったから。
ヴィズルはうつむいたシャインの顔をのぞきこんだ。
「おーい、どうした?」
さらに声をかけてみるが返事はない。
「これからってときに眠っちまうなんて……付き合い悪いぞ」
ヴィズルはシャインの手から、まだ半分程中身が残っている酒ビンを取り上げると、料理ののっていた盆の上に置いた。
そしてため息をつきながら、シャインの体を軽々と抱えて彼の寝台へ寝かせてやると、再び酒ビンを手にした。
「ま、夢を見ない眠りもいいもんだ。俺はもう少しひとりで、飲ませてもらうがな……」
ヴィズルは寝台の縁にもたれ、出窓から見える<兄弟>の月をじっとながめた。