3-3 休暇
文字数 3,558文字
「うう……君に俺の心が筒抜けっていうのも、困ったもんだね」
ホープは興味深げにシャインを見つめた。その視線に気付いたシャインが、ばつの悪い顔をして肩を竦める。
「船のレイディに隠し事はできんぞ、シャイン。観念して白状したらどうだ」
「酷い言いようですねホープさん。何もやましいことはないです。週末が『船霊祭 』だったな、って思っただけで」
「そうそう。あの銀髪のお姫様と約束してたわよね。『船霊祭』は一緒に過ごしてあげるって」
「ロワール……」
ホープは絶句するシャインを面白いものを見るような目で――いや、好奇心を抑えるように見ていた。
こういっては何だが、シャインの外見はどちらかといえば人目を惹く方だ。
グラヴェール家は貴族ではないが、アドビス・グラヴェールの存在感は大きく、各界でも影響力を持っている。シャインはまさにそれを嫌って人付き合いを避けている所があるのだが。
「ホープさん、あの、誤解しないで欲しいんですけど」
ホープが下世話な想像をしていると思ったのか、徐にシャインが口を開いた。
『銀髪のお姫様』――ホープの脳裏にはディアナ・アリスティド公爵令嬢の姿しか想像できない。
母親がエルシーアの北方に位置する大国シルダリアの出身で、その容姿を色濃く受け継いだ彼女の事を、アスラトルの領民達もそう呼んでいる。
「いや、わしは気にしてはおらんぞ。
ホープがはっきりとその名を口にしたが、シャインは敢えて知らないふりをしている。
「ねえシャイン。気になってたんだけど『船霊祭』ってなんなの?」
幸か不幸か。ロワールの関心事は公爵令嬢ではなく『船霊祭』の方が強いらしい。
ホープはシャインと一緒に顔を見合わせた。
「君が知らないのは当然か」
「そうじゃな。『船霊祭』っていうのは、今は単なる祭りにすぎないが、元々は海で沈んだ船や、役目を全うして廃船処分になった『船の魂』を鎮めるための儀式じゃった」
「船の魂――」
「そう。金の月「ドゥリン」と銀の月「ソリン」。双子の月が一年に一回、一つに重なる日があって、この日の夜、海で亡くなった人々の魂がアスラトルに帰ってくると信じられているんだ」
「彼らと共に沈んだ船に乗って――な」
ホープはしみじみとシャインの言葉の後を引き継いだ。
「……」
ロワールは黙っていた。
「まあ、それが元々の『船霊祭』のいわれなんだけど、『船霊祭』の夜は港の夜景がとてもきれいなんだ。王都ミレンディルアから去年はミュリン王女も視察に来たくらい、街は観光客で溢れる。アスラトルの街は三日月を象ったランタンを家の軒下に飾って、海で亡くなった人が帰ってくる目印にする。そして今は無き、名のある船の模型が飾られて、その歴史と雄姿に思いを馳せる。港で停泊している船もこの日の夜はずっと明かりを灯すんだ」
「そう――お祭りっていうのが、なんとなくわかったような気がするわ」
ロワールはシャインから顔を背け小さく呟いた。
「じゃ、楽しんできて。きっとあの人、喜ぶわよ」
「ロワール」
鮮やかな紅の髪を揺らしながらロワールがふわりとその身を中空に躍らせた。
彼女の肩を掴もうとしたシャインの右手は誰もいない空間を掻く。
「約束したんでしょ。ちゃんと守らなくちゃだめよ?」
ロワールの声が甲板に響いた。シャインはメインマストをその青緑の瞳を見開いて見上げていた。
ホープにはロワールの姿がそこには見えなかった。けれどシャインは目が痛くなるほどマストを見上げ続けていた。
「シャイン」
たまりかねてホープはシャインに呼びかけた。
船の精霊に心を寄せるシャインのことは以前からよく知っていた。
複雑な家庭環境も一因だろうが、造船所を遊び場にしていたシャインはどの船に『船の精霊 』がいて、こんな話をした。もしくは誰も気づいていないが、あの船のどこそこには破損個所があって、修理する必要があると精霊が教えてくれた、とホープに語ったことがあったからだ。
だからこそ危惧していることがある。
もしもロワールハイネス号に危険が迫った時――嵐でも砲撃でも事故でも――彼女が沈むようなことになったら。シャインはきっと船に残り、彼女を置いてはいかないだろう。
『船の精霊 』の魂は「船鐘」に宿るが、体――船体を失えば精霊は存在し続けることができなくなり、消失してしまうからだ。
「……すみません」
ホープの呼びかけに気付いたシャインが気まずげに瞳を伏せている。
ホープは脳裏を過った不吉な考えを振り払った。
シャインは命名式の前の日に、ロワールハイネス号への想いを口にした。
『俺は彼女に命を救われました。だから、今度は俺が『彼女』を守ります。いえ、何があっても守ってみせます』
こんなことを考えてしまうのは、やはり『船霊祭』のせいかもしれない。
形あるものは生きとし生けるものは――いつか終わりが来る。
けれどシャインのような若者にはまだ未来がある。
「何じゃそのしけた顔は。永遠の別れじゃなかろうて。ロワールにも頼まれたから修理は最優先でやってやる。だからシャイン、お前も休める時には休むんじゃぞ」
急に生気が失せたシャインの顔をホープは苦々しく見返した。
「ありがとうございます。ロワールに寂しい思いをさせたくないので、時間がある時は来ます」
「ああ、そうしてやれば彼女も喜ぶだろうて。まあ安心してワシに預けておけばいい。ロワールはワシの孫娘が子供だった頃に良く似ておる」
ホープは再びシャインの背中を大きな掌で叩いた。
ようやくシャインが緊張が解けたように口元へ笑みを浮かべた。
◇◇◇
同時刻。海軍省の二階にある総務部の待合室は、航海を終えて帰ってきた士官や水兵、新規入隊希望者で混雑していたが、日が傾くと共に、そのピークは終わりを告げようとしていた。
ロワールハイネス号副長ジャーヴィスが、待合室の緑色の扉を開けた時、濃紺のビロードの長椅子へ腰掛けていたのは十人にも満たなかった。
「なんだ……お前達、いたのか」
その声に壁際に座っていた水兵達が一斉に顔を上げた。
待合室にいたのはロワールハイネス号の乗組員だった。
「副長、ぎりぎり間に合いましたね~」
やけに馴れ馴れしく声をかけてきたのは、士官候補生のクラウスだった。
彼は椅子の上に大きな鞄を二個ものせていた。
「……家に帰るのか」
「はい。給料をもらったので、ちょっと両親へお土産を買って……それで」
少し照れたようにクラウスは頬を赤らめた。
「聞いたかい? お土産だって」
「俺はもう~お袋の顔、何年見てねぇかな……」
水兵達は少しふざけながらも、感心したようにつぶやいた。
「は、お前達も見習ったらどうだ? ほとんど酒代に消えるんだろうが」
ジャーヴィスの痛烈な批判に、水兵達は肩を落としてシュンとなった。
「……私も初任給を貰った時は、うれしくて実家へ手紙を書いたな」
ふっと鋭いジャーヴィスの瞳が細められた。あの頃を懐かしむように。
クラウスは立ち上がり、例の鞄を両手に下げた。
「じゃ、僕はこれにて失礼いたします」
「ああ、気をつけてな。たった十日ばかりだが、せいぜい羽根をのばすがいい」
クラウスはうれしそうに晴れやかな笑顔をジャーヴィスに向けた。
「副長も……いつも気苦労が絶えませんから、ゆっくりして下さい」
思ってもみなかった候補生の言葉に、ジャーヴィスは少し動揺して言葉を詰まらせてしまった。
「あ、ああ……、そうする」
クラウスは軽くジャーヴィスに一礼して待合室を出て行った。
しばらくして、給金を手にした数人の水兵達が、一応にジャーヴィスに挨拶をして出ていった。
「……ジャーヴィス中尉」
名前を呼ばれので、ジャーヴィスは一番右端の窓口へ行った。
眼鏡をかけた四十代の女性職員が、営業スマイルをふりまきながら、彼に給与明細書の入った封筒と、赤い紐でとじられた封書の束を手渡した。
「二ヶ月分の明細と、あなた宛の手紙です」
「どうも」
ジャーヴィスは整然とそれを受け取った。手紙の束は十通あまり。みな同じ水色の封筒だ。
かすかに、清楚なエルシャンローズの花の香りがした。
ジャーヴィスはそれらを右手に持った鞄の中へ放り込み、待合室の扉を開けた。
手紙に関しては見る必要がない。差出人もその内容もわかっている。
五年以上実家に便りを出していないのだ。妹が心配するのも当然だ。
けれどジャーヴィスは返事を出すつもりがない。
何か自分の身に起きれば海軍省が実家に連絡してくれる。
何も便りがないのは自分が無事だという証。そう妹には告げたはずなのに――。
ジャーヴィスは軽くため息をつきながら、一人苦笑した。
「さて、久々にのんびりさせてもらうかな」
ホープは興味深げにシャインを見つめた。その視線に気付いたシャインが、ばつの悪い顔をして肩を竦める。
「船のレイディに隠し事はできんぞ、シャイン。観念して白状したらどうだ」
「酷い言いようですねホープさん。何もやましいことはないです。週末が『
「そうそう。あの銀髪のお姫様と約束してたわよね。『船霊祭』は一緒に過ごしてあげるって」
「ロワール……」
ホープは絶句するシャインを面白いものを見るような目で――いや、好奇心を抑えるように見ていた。
こういっては何だが、シャインの外見はどちらかといえば人目を惹く方だ。
グラヴェール家は貴族ではないが、アドビス・グラヴェールの存在感は大きく、各界でも影響力を持っている。シャインはまさにそれを嫌って人付き合いを避けている所があるのだが。
「ホープさん、あの、誤解しないで欲しいんですけど」
ホープが下世話な想像をしていると思ったのか、徐にシャインが口を開いた。
『銀髪のお姫様』――ホープの脳裏にはディアナ・アリスティド公爵令嬢の姿しか想像できない。
母親がエルシーアの北方に位置する大国シルダリアの出身で、その容姿を色濃く受け継いだ彼女の事を、アスラトルの領民達もそう呼んでいる。
「いや、わしは気にしてはおらんぞ。
ディアナ様の
ことなんてな。確かに週末は『船霊祭』じゃったな」ホープがはっきりとその名を口にしたが、シャインは敢えて知らないふりをしている。
「ねえシャイン。気になってたんだけど『船霊祭』ってなんなの?」
幸か不幸か。ロワールの関心事は公爵令嬢ではなく『船霊祭』の方が強いらしい。
ホープはシャインと一緒に顔を見合わせた。
「君が知らないのは当然か」
「そうじゃな。『船霊祭』っていうのは、今は単なる祭りにすぎないが、元々は海で沈んだ船や、役目を全うして廃船処分になった『船の魂』を鎮めるための儀式じゃった」
「船の魂――」
「そう。金の月「ドゥリン」と銀の月「ソリン」。双子の月が一年に一回、一つに重なる日があって、この日の夜、海で亡くなった人々の魂がアスラトルに帰ってくると信じられているんだ」
「彼らと共に沈んだ船に乗って――な」
ホープはしみじみとシャインの言葉の後を引き継いだ。
「……」
ロワールは黙っていた。
「まあ、それが元々の『船霊祭』のいわれなんだけど、『船霊祭』の夜は港の夜景がとてもきれいなんだ。王都ミレンディルアから去年はミュリン王女も視察に来たくらい、街は観光客で溢れる。アスラトルの街は三日月を象ったランタンを家の軒下に飾って、海で亡くなった人が帰ってくる目印にする。そして今は無き、名のある船の模型が飾られて、その歴史と雄姿に思いを馳せる。港で停泊している船もこの日の夜はずっと明かりを灯すんだ」
「そう――お祭りっていうのが、なんとなくわかったような気がするわ」
ロワールはシャインから顔を背け小さく呟いた。
「じゃ、楽しんできて。きっとあの人、喜ぶわよ」
「ロワール」
鮮やかな紅の髪を揺らしながらロワールがふわりとその身を中空に躍らせた。
彼女の肩を掴もうとしたシャインの右手は誰もいない空間を掻く。
「約束したんでしょ。ちゃんと守らなくちゃだめよ?」
ロワールの声が甲板に響いた。シャインはメインマストをその青緑の瞳を見開いて見上げていた。
ホープにはロワールの姿がそこには見えなかった。けれどシャインは目が痛くなるほどマストを見上げ続けていた。
「シャイン」
たまりかねてホープはシャインに呼びかけた。
船の精霊に心を寄せるシャインのことは以前からよく知っていた。
複雑な家庭環境も一因だろうが、造船所を遊び場にしていたシャインはどの船に『船の
だからこそ危惧していることがある。
もしもロワールハイネス号に危険が迫った時――嵐でも砲撃でも事故でも――彼女が沈むようなことになったら。シャインはきっと船に残り、彼女を置いてはいかないだろう。
『船の
「……すみません」
ホープの呼びかけに気付いたシャインが気まずげに瞳を伏せている。
ホープは脳裏を過った不吉な考えを振り払った。
シャインは命名式の前の日に、ロワールハイネス号への想いを口にした。
『俺は彼女に命を救われました。だから、今度は俺が『彼女』を守ります。いえ、何があっても守ってみせます』
こんなことを考えてしまうのは、やはり『船霊祭』のせいかもしれない。
形あるものは生きとし生けるものは――いつか終わりが来る。
けれどシャインのような若者にはまだ未来がある。
「何じゃそのしけた顔は。永遠の別れじゃなかろうて。ロワールにも頼まれたから修理は最優先でやってやる。だからシャイン、お前も休める時には休むんじゃぞ」
急に生気が失せたシャインの顔をホープは苦々しく見返した。
「ありがとうございます。ロワールに寂しい思いをさせたくないので、時間がある時は来ます」
「ああ、そうしてやれば彼女も喜ぶだろうて。まあ安心してワシに預けておけばいい。ロワールはワシの孫娘が子供だった頃に良く似ておる」
ホープは再びシャインの背中を大きな掌で叩いた。
ようやくシャインが緊張が解けたように口元へ笑みを浮かべた。
◇◇◇
同時刻。海軍省の二階にある総務部の待合室は、航海を終えて帰ってきた士官や水兵、新規入隊希望者で混雑していたが、日が傾くと共に、そのピークは終わりを告げようとしていた。
ロワールハイネス号副長ジャーヴィスが、待合室の緑色の扉を開けた時、濃紺のビロードの長椅子へ腰掛けていたのは十人にも満たなかった。
「なんだ……お前達、いたのか」
その声に壁際に座っていた水兵達が一斉に顔を上げた。
待合室にいたのはロワールハイネス号の乗組員だった。
「副長、ぎりぎり間に合いましたね~」
やけに馴れ馴れしく声をかけてきたのは、士官候補生のクラウスだった。
彼は椅子の上に大きな鞄を二個ものせていた。
「……家に帰るのか」
「はい。給料をもらったので、ちょっと両親へお土産を買って……それで」
少し照れたようにクラウスは頬を赤らめた。
「聞いたかい? お土産だって」
「俺はもう~お袋の顔、何年見てねぇかな……」
水兵達は少しふざけながらも、感心したようにつぶやいた。
「は、お前達も見習ったらどうだ? ほとんど酒代に消えるんだろうが」
ジャーヴィスの痛烈な批判に、水兵達は肩を落としてシュンとなった。
「……私も初任給を貰った時は、うれしくて実家へ手紙を書いたな」
ふっと鋭いジャーヴィスの瞳が細められた。あの頃を懐かしむように。
クラウスは立ち上がり、例の鞄を両手に下げた。
「じゃ、僕はこれにて失礼いたします」
「ああ、気をつけてな。たった十日ばかりだが、せいぜい羽根をのばすがいい」
クラウスはうれしそうに晴れやかな笑顔をジャーヴィスに向けた。
「副長も……いつも気苦労が絶えませんから、ゆっくりして下さい」
思ってもみなかった候補生の言葉に、ジャーヴィスは少し動揺して言葉を詰まらせてしまった。
「あ、ああ……、そうする」
クラウスは軽くジャーヴィスに一礼して待合室を出て行った。
しばらくして、給金を手にした数人の水兵達が、一応にジャーヴィスに挨拶をして出ていった。
「……ジャーヴィス中尉」
名前を呼ばれので、ジャーヴィスは一番右端の窓口へ行った。
眼鏡をかけた四十代の女性職員が、営業スマイルをふりまきながら、彼に給与明細書の入った封筒と、赤い紐でとじられた封書の束を手渡した。
「二ヶ月分の明細と、あなた宛の手紙です」
「どうも」
ジャーヴィスは整然とそれを受け取った。手紙の束は十通あまり。みな同じ水色の封筒だ。
かすかに、清楚なエルシャンローズの花の香りがした。
ジャーヴィスはそれらを右手に持った鞄の中へ放り込み、待合室の扉を開けた。
手紙に関しては見る必要がない。差出人もその内容もわかっている。
五年以上実家に便りを出していないのだ。妹が心配するのも当然だ。
けれどジャーヴィスは返事を出すつもりがない。
何か自分の身に起きれば海軍省が実家に連絡してくれる。
何も便りがないのは自分が無事だという証。そう妹には告げたはずなのに――。
ジャーヴィスは軽くため息をつきながら、一人苦笑した。
「さて、久々にのんびりさせてもらうかな」