【幕間2】 船霊祭 -ふたりのレイディ-

文字数 4,218文字

「やっぱり外はいいわー。六日間も修理ドックの中に入ってたんだもの。退屈で退屈でしょうがなかったわ」

 沈みゆく夕日と同じ茜色の髪を風に揺らしながら、ロワールはロワールハイネス号の船尾の手すりに寄り掛かり、紅色に染まっていく景色を眺めていた。

 先日海賊ストームを捕らえる際に、ロワールが壊してしまった箇所の修理のため、ロワールハイネス号は海軍本部の東側にある修理ドックに入っていた。
 よって船内には誰も乗っていない。
 シャインを始め水兵達はその間上陸休暇となり、全員船を下りているのだった。

 休暇といってもたった一週間で、それも実は今日で終わる。
 明日の朝9時には、懐かしいといえば大袈裟だが、久しぶりと思える面々が、再びロワールハイネス号に乗り込んでくる。

 みかけはひょろっとして頼りないが、見張りに立たせたら魚を追うカモメのように、優れた視力を披露するエリックや、でかい図体でその顔も強面なのに、性格はおっとりした水兵のエルマ。
 他の水兵達の名前までは出てこないが、幾人かその顔が思い出された。

 彼等の態度は横柄だったり、がさつだったりするが、ロワ-ルハイネス号にロワールがいることを知ってからは、甲板みがきの手をあまり抜かなくなった。これは喜ばしい事である。

 現在休職中の航海長シルフィードに会えないのは残念だが、(裏表のない大きな子供みたいなシルフィードに、実は最近好感をもち始めている)士官候補生のクラウスと、『歩く規律』とこっそり水兵達の間で、そんな異名をつけられている副長のジャーヴィス。

 クラウスは甘やかされて育った気質がまだまだ抜けないため、こっちが『しっかりしなさいよー』と言いたくなる時がある。しかし、副長のジャーヴィスは、先のストームとの一件で、この船になくてはならない存在だと強く思った。

 彼の勇気と行動力がなければ、今頃シャインはストームとの取引に応じ、彼女の捕虜になっていただろう。
 

「そういえばシャインったら、休暇の最初の日と次の日しか、私に会いに来てくれなかったなぁ……」

 ロワールは小さくため息をついて、手すりの上に置いた両手の上にほっそりとした顎を乗せた。

 アーチ状に石を組んで造られた、高い屋根がある修理ドックのすぐ隣の突堤に、ロワールハイネス号は係留されていた。きれいに船体のペンキまで塗り直されて。

 ロワールハイネス号の他にもそこには、同じように修理が完了した、二隻のやや年代を経たスクーナー船とブリッグ船が、船首と船尾からのばされた係留索で突堤の綱止めに繋がれ、潮のうねりに合わせて、船体が左右に揺れている。

「ま、どうせ明日になればシャインも来るわね。それより……」

 ロワールは右隣に係留されている、ロワールハイネス号よりやや横幅の広い三本マストのスクーナー船へ視線を向けた。

 船体とマストは漆黒のペンキで塗装され、実際の大きさよりもっと大きく見える。だが手すりは金色のそれで塗られており、船首から船尾までこれまた金色のペンキで、すっとラインが引かれている。
 沈みゆく夕日の光に、それが鈍く反射して茜色に光っているのがちょっとまぶしいが、全体的に黒い船体のせいか厳めしさを感じる。

「あら、あの船も……?」

 ロワールは思わず口を開いた。
 違和感を覚えるあるものが視界に入ったからである。
 その黒いスクーナー(船名はクレセントと読める)は、まるで貴婦人の帽子についているリボンのように、青緑色の細長い旗を中央のメインマストに翻していた。

 エルシーア海軍の軍旗であるそれは、エルシーアの海を示す青碧色に、錨と剣を組み合わせ、その周囲を金色の錨綱がぐるりと取り巻いている紋章が描かれている。

 そして船尾の手すりには、これまたロワールの背丈を超える長い旗竿が設置されており、祝賀用の赤と金のエルシーアの国旗が重た気に風を受けて、申し訳程度にはためいている。

「おかしいなぁ。あの船も修理中なら乗組員は誰も乗っていないはずよ。それなのになんで軍旗や国旗を揚げているのかしら?」

 ロワールはふと自分自身であるロワールハイネス号の、金色に光るメインマストの先端をながめた。
 同じように青い軍旗が翻っている。そして、視線を再び船尾へと戻すと、やはりこちらにも同じエルシーアの国旗が旗竿にくくりつけられているのが見えた。

 実は午前中、修理作業が全て完了し、修理ドックからこの突堤へ造船所の整備士たちがロワールハイネス号を係留したのだが、その時に彼等がこれらの旗を揚げていったのだった。

『今日は船霊祭(せんれいさい)だからな』
『ここのレイディ達も着飾ってあげないとね』
『おい、船鐘の前に御神酒(おみき)がねえぞ! ドックへひとっぱしりして取って来い!』
『は、はい!』

 ロワールは静かに船鐘の所へと歩いていった。舵輪の前方にある、長方形の箱の形をした操舵装置の上に、波をかたどった金色の鐘楼があり、そこに子供の頭ぐらいの大きさの船鐘がぶら下がっている。その真下に、首の所に赤いリボンが巻き付けられた黒っぽいビン――『御神酒』が一本置いてある。

「こんなお酒を船鐘の前に置かれたって……私にどうしろっていうの?」

 ロワールは眉間をしかめて肩をそびやかした。
 人間達の意図がさっぱりわからない。何度かまばたきして、どうしたものかと酒のビンを見つめていたその時。

「あらー、あなた“船霊祭”を知らないの? ま、お若いから、知らなくて当然のことかしらねぇ」

 ロワールは弾かれたように顔を上げた。
 くすくすと嘲る女の笑い声が周囲に響いている。

 今の声は、と問う必要はない。
 誰が言ったのかはわかっている。

 ロワールはきゅっと唇を噛みしめて、ロワールハイネス号の右舷側に係留されている軍艦へ視線を向けた。例の黒いスクーナー船である。

「ええそうよ。私は1カ月前に就航したばかりの、ピッチピチで水も滴る可憐な少女ですの。よろしければ、このお酒の意味が何なのか、教えて下さるとうれしいですわ……年上のオバさま」

「お、オバさまですってぇ――!」

 ロワールは手すりから手を放し、反対の右舷側へと近付いていった。
 口元にうっすらと笑みを浮かべながら。

「私からあなたを見れば、オバさまでしょ?」

 黒い船体のスクーナー、クレセント号とはほんの二リール(1リール=1メートル)ほどしか離れていない。そして誰も人間が乗っていないはずの甲板には、すらりとした背の黒いロングドレス姿の女が立っていた。
 言わずもがな――クレセント号に宿る“船の精霊(レイディ)”である。

 彼女はしなやかな黒髪を高々と頭の上に結い上げ、金と銀の薄い飾り板が幾つも房のように垂れたかんざしを二本、交差させて差していた。

 女は誇り高い顔立ちで彫りが深く、二十代後半と見受けられる。基本的に船の精霊は、船に乗る人間(男)達の思いを反映するのか、整った容姿を持つ者が多い。

 彼女――クレセントもそれは例外ではなく、むしろそうなってみたいとロワールが願うような妙齢の美女であった。

 クレセントは紅を引いた艶やかな唇をわなわなと小さく震わせながら、右手に持った赤い液体が入ったグラスを不意に頭上へと持ち上げた。

「ええーい! おだまり。私はまだ船齢五年のれっきとした淑女よ! オバさまっていうのはね、あんたの左隣にいるブリッグ船“ハーフムーン”の事を言うのよ」

 ロワールは思わず黙り込んだ。
 確かに右隣の黒いスクーナー船より、左隣のずんぐりとした船体のブリッグ船――ハーフムーン号の方が、遥かに十年ほど年経ているようだ。

「きんきんと、なにみっともない金切り声をあげているのよ! クレセント。うるさくて、折角の祝い酒が楽しめないじゃない!」

 ロワールハイネス号の左舷側から、これまた良く通る女の声が聞こえた。
 視線をそちらへ向けると、長いストレートの金髪を腰まで伸ばした、白いドレス姿の女が立っている。

 クレセントより十才は年上そうで、目鼻立ちがくっきりとした――これまた美人と呼ばれる類いの顔立ちだ。
 彼女が通り過ぎれば、きっと十人中九人の男が後ろを振り返るだろう。

「私からみれば、どっちも同じようなものよ」

 ロワールはぽつりとつぶやいた。
 だがクレセントとハーフムーンはしっかりとそれを聞いていた。

「同じじゃないーーー!」
「き、きゃああっ!」

 急に般若の面のような形相になった彼女達に驚き、思わずロワールは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。



 じんじんと脳天が疼く。
 クレセントはロワールハイネス号の右舷側から。
 ハーフムーンは左舷側から。
 彼女達はいきなりロワールハイネス号の甲板に乗り込んできて、ロワールの頭を一発ずつ殴ったのだった。



「まったく近ごろの若い娘は、目上の者に対する態度がなってないわね」

 深いスリットが入った黒いドレスの裾から白い太腿を見え隠れさせて、クレセントがしゃがみ込んだロワールを見下ろしている。

「それはあんたもでしょ。クレセント」

 ハーフムーンが豊満な胸を揺らせて、クレセントの右頬をぺしっと打つ。
 真っ直ぐな金髪がその動きに合わせて眩しげに波打つ。

「あたしに向かってオバさんはないでしょう! オバさんだなんて!」
「まあ! やったわね!」

 クレセントの右手が拳を作った。

「ま、まあ、お二人とも!」

 ロワールは思わずその場から立ち上がり、右手でクレセントを、左手でハーフムーンの肩を押さえた。

「殴り合いをしたら、そのお綺麗な顔に傷がついてしまうわよ。今日は……何だか知らないけど、特別な日なんでしょ?」

 クレセントとハーフムーンは、相手の顔にげんこつをくれようと、握りしめていた拳の力をゆるめた。

「そ、そうよ。私の顔に傷がついたらあの人に笑われてしまうわ」

 急にクレセントが頬を赤らめた。 

「そうね。あたしもみっともない格好を、さらすわけにはいかなくてよ」

 ふうと息を吐いてハーフムーンが胸の下で腕を組んだ。
 落ち着いてきた二人の精霊の様子を見て、ロワールは安堵に胸をなで下ろした。

「よかったー。思いとどまって下さって。じゃ、船霊祭のこのお酒ってなんなのか、教えて下さる~? オバさま方」

 キッ!
 再びクレセントとハーフムーンの額に青筋が浮かび、ぎらりと両の目に宿った凶悪な光が突き刺すようにロワールへ向けられた。

「お、おねえさま方……お願いしますわ……」

 ほほほと声を引きつらせて、ロワールは言い直した。
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