3-18 かすかな希望
文字数 4,178文字
差し込んでくる太陽が逆光で顔がよく見えないが、日の光に長めの明るい髪が白金のように輝いてなびいている。ジャーヴィスの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「……艦長!? よかった、私はてっきりあなたが海へ落ちたものだと……」
ジャーヴィスは動揺を隠しきれないままよろめきつつ甲板に出た。
「そうさ、シャインは海へ落ちたんだ……副長」
そこにはシルヴァンティーを入れた白いカップをふたつ両手に持って、ヴィズルが立っていた。あの嵐のせいでほどけてしまったのか、ざんばらになった長い銀髪を海風にゆらしながら。
「なっ……!」
ジャーヴィスは目を見開いて、その場に立ち尽くした。
シャインとヴィズルを見誤るとは……まだ疲れが抜けていないらしい。
すっかり脱力したジャーヴィスは、ヴィズルに背を向けて再び海図室の椅子に腰を下ろした。
「……大丈夫か?」
ヴィズルが海図室の中へそっと入ってきた。
紅茶の入ったカップを机上に置く。
ジャーヴィスは生気のない瞳でそれを見た。
「―――ああ」
こんな時でも横柄なヴィズルの口調に腹が立つが、今のジャーヴィスは怒声を張り上げる気力すら失っていた。
白い湯気を上げて、リンゴを思わせる香りを放つシルヴァンティーをぼんやりと眺めつつ、ジャーヴィスは誘われるようにカップを取ると一口飲んだ。
冷えきった体に、染み入るようなあたたかさと、落ち着きが戻ってくる。
「俺は酒の方がいいんだがな。けど、食い物を管理している主計長に、あんたの許可がないと出せないって言われたからさ。厨房にはこれしかねえし。でも、結構いけるな」
ヴィズルはそうつぶやくと、自分の紅茶をぐっと飲み干した。
「艦長は航海中酒を飲まない。だから、大量にシルヴァンティーを持ってくるのさ」
ぽつりと覇気のない声でジャーヴィスは言った。
「副長……シャインのことは」
目を細めつつヴィズルが口を開いた。平静でないジャーヴィスを気遣うように。
「それはわかってる! お前に言われなくてもな」
ジャーヴィスは、ヴィズルから顔をそむけうつむいた。
そして、両手で握りしめているカップに力を込めた。
ヴィズルの顔を見れば、きっと殴ってしまうかもしれないから。
『もっと早く帆を畳んでいれば……こんなことには……』
認めなければならない、受け入れなければならない、冷たい現実がジャーヴィスの前に横たわっていた。
ふと、足元に落ちていたヴィズルの影が動いた。
「副長、料理長にはメシの支度を頼んである。水兵達が目を覚ましたら、みんな腹ぺこだろうからな。あと、舵輪はグラッドがみている。そよ風だから奴一人で大丈夫だ。じゃ、俺は一時間ほど……休ませてもらうぜ」
ジャーヴィスはゆっくりと顔を上げた。
「ヴィズル――航海長」
ジャーヴィスに背を向け、海図室から出て行こうとしたヴィズルは、少し気まずそうに振り返った。
それはほんの僅かな間。意志の強そうな銀の眉が緊張を解き、ひょうひょうとした、少し人を小馬鹿に見るような目つきが消えていたのだった。
だからだろうか。
自然とジャーヴィスは、言うべき言葉を口に出す事が出来た。素直に。
「ありがとう。お前のおかげで嵐を乗りきれた。しっかり休んでくれ」
ヴィズルは口元をわずかにほころばせて、その精悍な顔に微笑をのぼらせた。
「ああ……そうさせてもらう」
ヴィズルは吹き抜ける一陣の風のように、海図室から出て行った。
再び一人きりになったジャーヴィスは、冷めかかったシルヴァンティーを一気に飲み干し甲板へ出た。
ロワールハイネス号のまだ湿った白い帆が、太陽の光を浴びてきらきらと光っている。空は何時になく澄みきった青色をしていて、目に痛いほど鮮やかだ。
そして果てしなく続く海は、拍子抜けるほど穏やかで、恨めしくなるほど静かなのだ。
ジャーヴィスは右舷側の船縁に手をついて、ぼんやりと水平線の彼方を見つめた。
自分が判断した事は間違っている……。
ロワールが叫んだ時、すぐにでも船を回頭させ、シャインを探すべきだった。
いや、今からでもいい。
命令書を届ける任務など放り捨てて、あの海域を漂流しているかもしれないシャインを探すのだ。そうするべきなのだ。
だが。
ジャーヴィスは肩を震わせながら、その気持ち以上に任務の遂行を重んじる自分を感じていた。
こういう世界なのだ。軍人として生きるという事は。
必ず出くわすだろう、倒れた同胞の屍を踏み越えて、それでも前に進まなければならない時がある。
ノーブルブルーに届ける命令書の内容は分からない。
けれど事を急するなら、できるだけ早く渡さなければならないのだ。
それがロワールハイネス号に与えられた使命。
「私は人として最低だ……」
ジャーヴィスは小さく、噛み潰すようにそうつぶやいた。
人からどう思われようが、今まで自分は常に正しいと思う事をしてきたつもりだ。
だがそれは、本当に正しいことだったのだろうか。
ただ一人を助けるために、船を危険にさらして、全員が死ぬ事になるのを恐れただけではないのか。
一人の命は全員のそれより軽いと、自分はそう判断したのではないのか。
もしもシャインが自分の立場だったら……彼は一体どうするだろう。
ジャーヴィスは胸の奥から込み上げる、暗いもやもやとしたものが、徐々に重みを増やして、いつのまにか自分を押しつぶす気がした。
良心という名のそれに。
「シャインなら迷わず引き返すわ。私を信じて」
これまで何度となく聞いた声がした。
ジャーヴィスは自分の心の中を見透かされた事に驚き、顔をこわばらせて後ろを振り返った。
そこには紅髪の精霊 が穏やかな微笑をたたえながら、ジャーヴィスの隣に立っていたのだった。
「でも――シャインでも、きっと無理だったわ。あの波と風じゃあ海に落ちた人間を助けるなんで……誰もできない。私だって、できなかったんだから」
「レイディ……」
ジャーヴィスはただ、魅せられたように彼女の深い水色の瞳を凝視した。
ロワールの姿を見たのは先日海賊ストームを捕らえる時、彼女が船を動かした時以来だ。
何と華奢な少女だろう。
背丈もジャーヴィスの胸のあたりまで、なんとかとどく位しかない。
だが、船の魂である彼女は、時には大切な者を守るため、自力で船を動かす力を持っているのだ。儚げな外見とは裏腹に。
ロワールは静かに微笑みながら見つめ返してきた。
ジャーヴィスは誰よりもシャインを失った事にショックを受けているであろう……彼女の心境を察してつぶやいた。
「レイディ、申し訳ありません。私がもっと気をつけていれば、こんな事には」
ロワールはゆっくりと頭を振った。
夕日を思わせる長い波を打った髪が、ふんわりと動きに合わせて舞う。
艶やかに光りながら。
「あなたは間違っていたかもしれない。でも自分を責めないで。そんな暇があったら、行動して欲しいの。私には今あなたが必要だから。シャインにもう一度……会うためにね」
「レイディ、それは一体どういう……」
ジャーヴィスは頭の中が一瞬、真っ白になった。
ロワールのいう意味がすぐに理解できなかった。彼女が言わんとするそれは、普通に考えればありえないことだから。ロワールは少し目を細めて、薄く口元に微笑を浮かべた。
「私はシャインの想いの一部……誰よりも彼と近しい存在。だから、感じるの。生きてるって、わかるの。今はとても遠く離れてて……ともすれば見失いそうになるけど……でも、私絶対シャインを見つけるわ。だからジャーヴィス副長。あなたは元気を出して、私を助けて欲しいの」
「……」
ジャーヴィスは言葉を失って、しばし足元の甲板に視線を落とした。
胸につかえたもやもやが、どんどん小さくなっていく。
そして暖かい別のそれが溢れんばかりに満ちてくるのが分かり、ジャーヴィスは思わず目元を押さえた。
ロワールの言葉は、まさに自分が望んでいたそのものだったから。
「……ありがとうございます。レイディ・ロワール。私も早くあの人に会いたいです」
見る間に生気が蘇ったジャーヴィスの顔を見て、ロワールは小さく声をたてて笑いかけた。
「そうよー。落ち込んでなんかいられないんだから」
ロワールの無邪気な笑みにつられて、ジャーヴィスもくすりと笑った。
「では早速どの方角へ向かえばいいですか?」
ロワールは目元に笑みを浮かべながら、視線を宙にさまよわせた。
口元が心なしかひきつっているようにも見える……。
「レイディ?」
ジャーヴィスはふっきれて、さらににこやかな笑みをたたえた。
「そ、その……あのね……」
「はい」
ロワールはついにうつむいた。
そして、もごもごと口の中でつぶやくような声で、言った。
「………………………このままでいいわ。遠すぎて、よく分かんない……」
「そ、そうですか……」
ジャーヴィスは背中に冷たい物が伝っていく感覚に襲われた。
目の前に現れた希望を信じていいのだろうか。
いいや、こればかりは何があっても信じたかった。
「じゃ……取りあえず今まで通り、ノーブルブルーとの待ち合わせの海域まで、行ってよろしいでしょうか?」
ジャーヴィスはロワールが、本当はシャインの居場所を突き止めていない事を看破して、さりげなく声をかけた。ロワールはジャーヴィスの右腕をひしとつかんだ。
「嘘じゃないのよ。シャインが生きてるって事はわかるの! でも場所までは」
ジャーヴィスは腰をかがめて、ロワールの顔をのぞきこんだ。
空と同じような真っ青な瞳に精一杯の優しさを込めて。
「ええ……だから私の助けが必要なのでしょう? 艦長に会うまで、私が責任を持ってあなたをお守りいたします」
眉根を寄せて、不安げだったロワールの表情がぱあっと明るくなった。
心からうれしそうなその様子は、見ているこっちまで伝染しそうなほど。
「ありがとう。あなたって、ちゃんと優しく笑えるんじゃない。私今まで誤解してたわ」
「そうですか?」
ジャーヴィスはちょっと当惑して、曲げていた背筋をのばした。
「少なくとも……あの銀髪の航海士より、ずっとあてになるわ」
「レイディ?」
ロワールの姿はいつのまにか消えていた。
ジャーヴィスはしばらく彼女のいた空間をじっと凝視していた。
先程の言葉に少しひっかかるものを感じながら。
「……艦長!? よかった、私はてっきりあなたが海へ落ちたものだと……」
ジャーヴィスは動揺を隠しきれないままよろめきつつ甲板に出た。
「そうさ、シャインは海へ落ちたんだ……副長」
そこにはシルヴァンティーを入れた白いカップをふたつ両手に持って、ヴィズルが立っていた。あの嵐のせいでほどけてしまったのか、ざんばらになった長い銀髪を海風にゆらしながら。
「なっ……!」
ジャーヴィスは目を見開いて、その場に立ち尽くした。
シャインとヴィズルを見誤るとは……まだ疲れが抜けていないらしい。
すっかり脱力したジャーヴィスは、ヴィズルに背を向けて再び海図室の椅子に腰を下ろした。
「……大丈夫か?」
ヴィズルが海図室の中へそっと入ってきた。
紅茶の入ったカップを机上に置く。
ジャーヴィスは生気のない瞳でそれを見た。
「―――ああ」
こんな時でも横柄なヴィズルの口調に腹が立つが、今のジャーヴィスは怒声を張り上げる気力すら失っていた。
白い湯気を上げて、リンゴを思わせる香りを放つシルヴァンティーをぼんやりと眺めつつ、ジャーヴィスは誘われるようにカップを取ると一口飲んだ。
冷えきった体に、染み入るようなあたたかさと、落ち着きが戻ってくる。
「俺は酒の方がいいんだがな。けど、食い物を管理している主計長に、あんたの許可がないと出せないって言われたからさ。厨房にはこれしかねえし。でも、結構いけるな」
ヴィズルはそうつぶやくと、自分の紅茶をぐっと飲み干した。
「艦長は航海中酒を飲まない。だから、大量にシルヴァンティーを持ってくるのさ」
ぽつりと覇気のない声でジャーヴィスは言った。
「副長……シャインのことは」
目を細めつつヴィズルが口を開いた。平静でないジャーヴィスを気遣うように。
「それはわかってる! お前に言われなくてもな」
ジャーヴィスは、ヴィズルから顔をそむけうつむいた。
そして、両手で握りしめているカップに力を込めた。
ヴィズルの顔を見れば、きっと殴ってしまうかもしれないから。
『もっと早く帆を畳んでいれば……こんなことには……』
認めなければならない、受け入れなければならない、冷たい現実がジャーヴィスの前に横たわっていた。
ふと、足元に落ちていたヴィズルの影が動いた。
「副長、料理長にはメシの支度を頼んである。水兵達が目を覚ましたら、みんな腹ぺこだろうからな。あと、舵輪はグラッドがみている。そよ風だから奴一人で大丈夫だ。じゃ、俺は一時間ほど……休ませてもらうぜ」
ジャーヴィスはゆっくりと顔を上げた。
「ヴィズル――航海長」
ジャーヴィスに背を向け、海図室から出て行こうとしたヴィズルは、少し気まずそうに振り返った。
それはほんの僅かな間。意志の強そうな銀の眉が緊張を解き、ひょうひょうとした、少し人を小馬鹿に見るような目つきが消えていたのだった。
だからだろうか。
自然とジャーヴィスは、言うべき言葉を口に出す事が出来た。素直に。
「ありがとう。お前のおかげで嵐を乗りきれた。しっかり休んでくれ」
ヴィズルは口元をわずかにほころばせて、その精悍な顔に微笑をのぼらせた。
「ああ……そうさせてもらう」
ヴィズルは吹き抜ける一陣の風のように、海図室から出て行った。
再び一人きりになったジャーヴィスは、冷めかかったシルヴァンティーを一気に飲み干し甲板へ出た。
ロワールハイネス号のまだ湿った白い帆が、太陽の光を浴びてきらきらと光っている。空は何時になく澄みきった青色をしていて、目に痛いほど鮮やかだ。
そして果てしなく続く海は、拍子抜けるほど穏やかで、恨めしくなるほど静かなのだ。
ジャーヴィスは右舷側の船縁に手をついて、ぼんやりと水平線の彼方を見つめた。
自分が判断した事は間違っている……。
ロワールが叫んだ時、すぐにでも船を回頭させ、シャインを探すべきだった。
いや、今からでもいい。
命令書を届ける任務など放り捨てて、あの海域を漂流しているかもしれないシャインを探すのだ。そうするべきなのだ。
だが。
ジャーヴィスは肩を震わせながら、その気持ち以上に任務の遂行を重んじる自分を感じていた。
こういう世界なのだ。軍人として生きるという事は。
必ず出くわすだろう、倒れた同胞の屍を踏み越えて、それでも前に進まなければならない時がある。
ノーブルブルーに届ける命令書の内容は分からない。
けれど事を急するなら、できるだけ早く渡さなければならないのだ。
それがロワールハイネス号に与えられた使命。
「私は人として最低だ……」
ジャーヴィスは小さく、噛み潰すようにそうつぶやいた。
人からどう思われようが、今まで自分は常に正しいと思う事をしてきたつもりだ。
だがそれは、本当に正しいことだったのだろうか。
ただ一人を助けるために、船を危険にさらして、全員が死ぬ事になるのを恐れただけではないのか。
一人の命は全員のそれより軽いと、自分はそう判断したのではないのか。
もしもシャインが自分の立場だったら……彼は一体どうするだろう。
ジャーヴィスは胸の奥から込み上げる、暗いもやもやとしたものが、徐々に重みを増やして、いつのまにか自分を押しつぶす気がした。
良心という名のそれに。
「シャインなら迷わず引き返すわ。私を信じて」
これまで何度となく聞いた声がした。
ジャーヴィスは自分の心の中を見透かされた事に驚き、顔をこわばらせて後ろを振り返った。
そこには紅髪の
「でも――シャインでも、きっと無理だったわ。あの波と風じゃあ海に落ちた人間を助けるなんで……誰もできない。私だって、できなかったんだから」
「レイディ……」
ジャーヴィスはただ、魅せられたように彼女の深い水色の瞳を凝視した。
ロワールの姿を見たのは先日海賊ストームを捕らえる時、彼女が船を動かした時以来だ。
何と華奢な少女だろう。
背丈もジャーヴィスの胸のあたりまで、なんとかとどく位しかない。
だが、船の魂である彼女は、時には大切な者を守るため、自力で船を動かす力を持っているのだ。儚げな外見とは裏腹に。
ロワールは静かに微笑みながら見つめ返してきた。
ジャーヴィスは誰よりもシャインを失った事にショックを受けているであろう……彼女の心境を察してつぶやいた。
「レイディ、申し訳ありません。私がもっと気をつけていれば、こんな事には」
ロワールはゆっくりと頭を振った。
夕日を思わせる長い波を打った髪が、ふんわりと動きに合わせて舞う。
艶やかに光りながら。
「あなたは間違っていたかもしれない。でも自分を責めないで。そんな暇があったら、行動して欲しいの。私には今あなたが必要だから。シャインにもう一度……会うためにね」
「レイディ、それは一体どういう……」
ジャーヴィスは頭の中が一瞬、真っ白になった。
ロワールのいう意味がすぐに理解できなかった。彼女が言わんとするそれは、普通に考えればありえないことだから。ロワールは少し目を細めて、薄く口元に微笑を浮かべた。
「私はシャインの想いの一部……誰よりも彼と近しい存在。だから、感じるの。生きてるって、わかるの。今はとても遠く離れてて……ともすれば見失いそうになるけど……でも、私絶対シャインを見つけるわ。だからジャーヴィス副長。あなたは元気を出して、私を助けて欲しいの」
「……」
ジャーヴィスは言葉を失って、しばし足元の甲板に視線を落とした。
胸につかえたもやもやが、どんどん小さくなっていく。
そして暖かい別のそれが溢れんばかりに満ちてくるのが分かり、ジャーヴィスは思わず目元を押さえた。
ロワールの言葉は、まさに自分が望んでいたそのものだったから。
「……ありがとうございます。レイディ・ロワール。私も早くあの人に会いたいです」
見る間に生気が蘇ったジャーヴィスの顔を見て、ロワールは小さく声をたてて笑いかけた。
「そうよー。落ち込んでなんかいられないんだから」
ロワールの無邪気な笑みにつられて、ジャーヴィスもくすりと笑った。
「では早速どの方角へ向かえばいいですか?」
ロワールは目元に笑みを浮かべながら、視線を宙にさまよわせた。
口元が心なしかひきつっているようにも見える……。
「レイディ?」
ジャーヴィスはふっきれて、さらににこやかな笑みをたたえた。
「そ、その……あのね……」
「はい」
ロワールはついにうつむいた。
そして、もごもごと口の中でつぶやくような声で、言った。
「………………………このままでいいわ。遠すぎて、よく分かんない……」
「そ、そうですか……」
ジャーヴィスは背中に冷たい物が伝っていく感覚に襲われた。
目の前に現れた希望を信じていいのだろうか。
いいや、こればかりは何があっても信じたかった。
「じゃ……取りあえず今まで通り、ノーブルブルーとの待ち合わせの海域まで、行ってよろしいでしょうか?」
ジャーヴィスはロワールが、本当はシャインの居場所を突き止めていない事を看破して、さりげなく声をかけた。ロワールはジャーヴィスの右腕をひしとつかんだ。
「嘘じゃないのよ。シャインが生きてるって事はわかるの! でも場所までは」
ジャーヴィスは腰をかがめて、ロワールの顔をのぞきこんだ。
空と同じような真っ青な瞳に精一杯の優しさを込めて。
「ええ……だから私の助けが必要なのでしょう? 艦長に会うまで、私が責任を持ってあなたをお守りいたします」
眉根を寄せて、不安げだったロワールの表情がぱあっと明るくなった。
心からうれしそうなその様子は、見ているこっちまで伝染しそうなほど。
「ありがとう。あなたって、ちゃんと優しく笑えるんじゃない。私今まで誤解してたわ」
「そうですか?」
ジャーヴィスはちょっと当惑して、曲げていた背筋をのばした。
「少なくとも……あの銀髪の航海士より、ずっとあてになるわ」
「レイディ?」
ロワールの姿はいつのまにか消えていた。
ジャーヴィスはしばらく彼女のいた空間をじっと凝視していた。
先程の言葉に少しひっかかるものを感じながら。