【幕間2】 船霊祭 -素直じゃないリーザ(2)
文字数 2,916文字
「何か……?」
すると令嬢は恥ずかしそうにうつむきながら、ジャーヴィスに向かって口を開いた。
「あの、やっぱりグラヴェール艦長は、まだこちらにいらしていないんですね?」
ジャーヴィスは大きくうなずいた。リーザはうっすらと愛想笑いをしている。だが、目だけがまったく笑っていない。目つきが怖い。
けれどそんなリーザの様子にはまったく気付く素振りもなく、小柄な財閥令嬢はまだ用件があるのか、子犬のような澄んだ瞳をジャーヴィスに向けたまま立ち去ろうとしない。ジャーヴィスの額に冷や汗が浮いた。
「グラヴェール艦長なら、下の庭園で見かけましたわよ」
ジャーヴィスはぎょっとして、正面にいるリーザを見つめた。
「庭園ですか!?」
財閥令嬢の顔が一気に明るくなる。彼女はふときびすを返し、大広間の外に通じる出入り口の方へ顔を向けた。
「……けれど、今は行かれない方がよろしいかと思いますわ」
リーザはそっと額にかかる前髪をかきあげ、淡々と、だが意味深気につぶやいた。
「それは何故です? あの方は会食の時、後でまたお会いして下さると約束して下さいました。ですから私は……こちらに参りましたのに……」
不安なのか財閥令嬢の瞳が潤んでいる。リーザはゆっくりとうなずいて、彼女を安心させるように微笑してみせた。
「とにかく、もう少しお待ちになった方が、あなたのためです。グラヴェール艦長はアリスティド公爵のご息女……ディアナ様とお話をしていらっしゃったから……」
はっと令嬢の顔色が青ざめた。それは彼女だけでなく、ジャーヴィスもクラウスもシルフィードもだった。
「そう……ですか」
リーザのいわんとしたことを即座に理解したのだろう。スディアス財閥令嬢は肩を落とし、小さくため息を漏らした。
端で見ているこちらの胸が痛くなりそうなくらい、令嬢の表情は暗く悲愴感に満ちている。
「うちの艦長って、どうしてこう罪なことを……うぐっ!!」
リーザが踏んだシルフィードの足を、今度はジャーヴィスが踏み付けていた。
「スディアス財閥令嬢、グラヴェール艦長は約束を違える方ではありません。そのうち……あなたに会うためにこちらへ来るでしょう」
令嬢の悲し気な顔に胸打たれたのか、ジャーヴィスはそう声をかけた。
了承した印に令嬢はうっすらと微笑んだ。そして、ジャーヴィスに軽く会釈してその場を後にしようとした途端――。
「ねえ、待って! グラヴェール艦長が来るまで、このジャーヴィス中尉があなたのお相手をいたしますわ」
「……はぁ!?」
リーザだった。
がっくりと肩を落としていた令嬢が振り向いた。
リーザの声に驚いた様子だが、その顔色は陰鬱とした雲がどこかへ去り、日が差してきたように明るくなった気がする。
ジャーヴィスは慌ててリーザの隣に並ぶと、令嬢に聞こえないように小声で口走った。
「なっ、何を言い出すんだ、リーザ。君は、あの令嬢と私が一緒にいるのが気に食わなかったんだろう? それで彼女の心を傷つけるような、あんな嘘をついたくせに、一体何を考えているんだ!」
リーザはゆっくりと頭を振った。顔を上げたリーザの目つきはジャーヴィスがはっと息を飲むような、とても真剣なものだった。
「嘘じゃないわ。グラヴェール艦長はディアナ様と一緒だった」
「リーザ……」
リーザはふふんといたずらっぽい笑みを浮かべて、ジャーヴィスにもう一度小声でささやいた。
「あのご令嬢、あなたのことまんざらでもないみたい。ほら、あなたが来るのを待っているわよ」
ジャーヴィスは焦っていた。リーザが何故こんな態度をとるのか。
「君は一体、私に何をさせたいんだ?」
リーザはうんざりしたように眉根を寄せた。
「……だからあなたは世渡りが下手だっていうのよ。こういうときこそ、グラヴェール艦長の評判が落ちないように、フォローするのが副官としての務めでしょ!」
「し、しかし……」
「しかしもへったくれもなーーい!!」
次の瞬間、ジャーヴィスはうれしそうに微笑むスディアス財閥令嬢の前に立っていた。リーザに思いっきり背中を押されたのである。
「あ、あの……その……私は……」
内心リーザと、そしてシャインへの怒りを抑え込みながら、ジャーヴィスは頭をかいた。
そんなジャーヴィスの心情も知らず、可憐なスディアス財閥令嬢は、手袋をはめた手をジャーヴィスに伸ばした。白い頬をほんのりと赤く染めながら。
「私……実は、もう一度ジャーヴィス様と踊ってみたかったんです。あんなに上手く踊れる方に出会ったのは、初めてだったから……」
小首を傾げてふわりと笑う。こぼれるような笑みというのはこういうのをいうのだろう。
「あ……はい……」
礼節を重んじるジャーヴィスは、令嬢を拒むわけにはいかなかった。ここで断れば、彼女の心は本当に傷ついてしまうだろう。
観念したジャーヴィスは令嬢の小さな手を取ると、再び大広間の中央へと向かった。
シャインが早くここへ来てくれる事を願いながら。
何よりもそれだけを、とても強く、願いながら――。
「どうぞごゆっくり~。令嬢に失礼のないようにね~~」
ひらひらと右手を振り、リーザはジャーヴィスを見送った。
「本当に……これでよかったんですかー? マリエステル艦長」
びしっ。
手を振るリーザの動作が不意に停止した。ゼンマイの切れた人形みたいに。あるいは魔法をかけられて、石像になったように。
しかし、次の瞬間リーザは振り返り、紅の瞳を持つ黒猫のような、小悪魔的な微笑をクラウスに向けていた。クラウスはその迫力に一瞬ひるんだ。
「それってどういう意味かしら~? クラウス士官候補生?」
「どういう意味って……それは、マリエステル艦長はジャーヴィス副長のことが、す……わわっ!」
リーザは不意にシルフィードのごつい筋肉質の左腕と、対して小鳥の足のような細いクラウスの右腕をとった。
「今夜は私に付き合ってもらうわよ~。いいわね? 二人とも」
「えっ! そ、それはそれは……もう喜んで」
少年のようにシルフィードが年甲斐もなく頬を赤らめている。そんな彼を見つめていたリーザは、シルフィードに絡めていた手を放すと、やおらクラウスのもう一方の手をとった。
「じゃ、私達も一緒にダンスでもしに行きましょうか? クラウス士官候補生」
「えっ! ええーーっ!?」
クラウスが心から驚愕して肩をふるわせた。
「あなたも可愛い子と踊ってたわね。ジャーヴィスほどじゃないけど、結構上手だったわ」
「ちょっ……! マリエステル艦長! なんで、なんでクラウスなんですかい!?」
シルフィードがあからさまに不満げな顔でリーザに詰め寄る。
「……その腕」
「腕ーー?」
リーザの視線を目で追って、シルフィードは包帯で吊った右腕を見た。
「折れてるんでしょ? 怪我人のあなたに負担をかけたくはないわ。けれどその代わり――」
リーザはくすりと笑って右手を上げると、それで飲み物を飲む仕種をした。
「後で一緒に飲みましょう。こっちはクラウスちゃんじゃ、物足りないから」
「はっ、はい! それならいくらでもおつき合いしますぜ!」
シルフィードはリーザの言葉に、大きく何度もうなずいた。
すると令嬢は恥ずかしそうにうつむきながら、ジャーヴィスに向かって口を開いた。
「あの、やっぱりグラヴェール艦長は、まだこちらにいらしていないんですね?」
ジャーヴィスは大きくうなずいた。リーザはうっすらと愛想笑いをしている。だが、目だけがまったく笑っていない。目つきが怖い。
けれどそんなリーザの様子にはまったく気付く素振りもなく、小柄な財閥令嬢はまだ用件があるのか、子犬のような澄んだ瞳をジャーヴィスに向けたまま立ち去ろうとしない。ジャーヴィスの額に冷や汗が浮いた。
「グラヴェール艦長なら、下の庭園で見かけましたわよ」
ジャーヴィスはぎょっとして、正面にいるリーザを見つめた。
「庭園ですか!?」
財閥令嬢の顔が一気に明るくなる。彼女はふときびすを返し、大広間の外に通じる出入り口の方へ顔を向けた。
「……けれど、今は行かれない方がよろしいかと思いますわ」
リーザはそっと額にかかる前髪をかきあげ、淡々と、だが意味深気につぶやいた。
「それは何故です? あの方は会食の時、後でまたお会いして下さると約束して下さいました。ですから私は……こちらに参りましたのに……」
不安なのか財閥令嬢の瞳が潤んでいる。リーザはゆっくりとうなずいて、彼女を安心させるように微笑してみせた。
「とにかく、もう少しお待ちになった方が、あなたのためです。グラヴェール艦長はアリスティド公爵のご息女……ディアナ様とお話をしていらっしゃったから……」
はっと令嬢の顔色が青ざめた。それは彼女だけでなく、ジャーヴィスもクラウスもシルフィードもだった。
「そう……ですか」
リーザのいわんとしたことを即座に理解したのだろう。スディアス財閥令嬢は肩を落とし、小さくため息を漏らした。
端で見ているこちらの胸が痛くなりそうなくらい、令嬢の表情は暗く悲愴感に満ちている。
「うちの艦長って、どうしてこう罪なことを……うぐっ!!」
リーザが踏んだシルフィードの足を、今度はジャーヴィスが踏み付けていた。
「スディアス財閥令嬢、グラヴェール艦長は約束を違える方ではありません。そのうち……あなたに会うためにこちらへ来るでしょう」
令嬢の悲し気な顔に胸打たれたのか、ジャーヴィスはそう声をかけた。
了承した印に令嬢はうっすらと微笑んだ。そして、ジャーヴィスに軽く会釈してその場を後にしようとした途端――。
「ねえ、待って! グラヴェール艦長が来るまで、このジャーヴィス中尉があなたのお相手をいたしますわ」
「……はぁ!?」
リーザだった。
がっくりと肩を落としていた令嬢が振り向いた。
リーザの声に驚いた様子だが、その顔色は陰鬱とした雲がどこかへ去り、日が差してきたように明るくなった気がする。
ジャーヴィスは慌ててリーザの隣に並ぶと、令嬢に聞こえないように小声で口走った。
「なっ、何を言い出すんだ、リーザ。君は、あの令嬢と私が一緒にいるのが気に食わなかったんだろう? それで彼女の心を傷つけるような、あんな嘘をついたくせに、一体何を考えているんだ!」
リーザはゆっくりと頭を振った。顔を上げたリーザの目つきはジャーヴィスがはっと息を飲むような、とても真剣なものだった。
「嘘じゃないわ。グラヴェール艦長はディアナ様と一緒だった」
「リーザ……」
リーザはふふんといたずらっぽい笑みを浮かべて、ジャーヴィスにもう一度小声でささやいた。
「あのご令嬢、あなたのことまんざらでもないみたい。ほら、あなたが来るのを待っているわよ」
ジャーヴィスは焦っていた。リーザが何故こんな態度をとるのか。
「君は一体、私に何をさせたいんだ?」
リーザはうんざりしたように眉根を寄せた。
「……だからあなたは世渡りが下手だっていうのよ。こういうときこそ、グラヴェール艦長の評判が落ちないように、フォローするのが副官としての務めでしょ!」
「し、しかし……」
「しかしもへったくれもなーーい!!」
次の瞬間、ジャーヴィスはうれしそうに微笑むスディアス財閥令嬢の前に立っていた。リーザに思いっきり背中を押されたのである。
「あ、あの……その……私は……」
内心リーザと、そしてシャインへの怒りを抑え込みながら、ジャーヴィスは頭をかいた。
そんなジャーヴィスの心情も知らず、可憐なスディアス財閥令嬢は、手袋をはめた手をジャーヴィスに伸ばした。白い頬をほんのりと赤く染めながら。
「私……実は、もう一度ジャーヴィス様と踊ってみたかったんです。あんなに上手く踊れる方に出会ったのは、初めてだったから……」
小首を傾げてふわりと笑う。こぼれるような笑みというのはこういうのをいうのだろう。
「あ……はい……」
礼節を重んじるジャーヴィスは、令嬢を拒むわけにはいかなかった。ここで断れば、彼女の心は本当に傷ついてしまうだろう。
観念したジャーヴィスは令嬢の小さな手を取ると、再び大広間の中央へと向かった。
シャインが早くここへ来てくれる事を願いながら。
何よりもそれだけを、とても強く、願いながら――。
「どうぞごゆっくり~。令嬢に失礼のないようにね~~」
ひらひらと右手を振り、リーザはジャーヴィスを見送った。
「本当に……これでよかったんですかー? マリエステル艦長」
びしっ。
手を振るリーザの動作が不意に停止した。ゼンマイの切れた人形みたいに。あるいは魔法をかけられて、石像になったように。
しかし、次の瞬間リーザは振り返り、紅の瞳を持つ黒猫のような、小悪魔的な微笑をクラウスに向けていた。クラウスはその迫力に一瞬ひるんだ。
「それってどういう意味かしら~? クラウス士官候補生?」
「どういう意味って……それは、マリエステル艦長はジャーヴィス副長のことが、す……わわっ!」
リーザは不意にシルフィードのごつい筋肉質の左腕と、対して小鳥の足のような細いクラウスの右腕をとった。
「今夜は私に付き合ってもらうわよ~。いいわね? 二人とも」
「えっ! そ、それはそれは……もう喜んで」
少年のようにシルフィードが年甲斐もなく頬を赤らめている。そんな彼を見つめていたリーザは、シルフィードに絡めていた手を放すと、やおらクラウスのもう一方の手をとった。
「じゃ、私達も一緒にダンスでもしに行きましょうか? クラウス士官候補生」
「えっ! ええーーっ!?」
クラウスが心から驚愕して肩をふるわせた。
「あなたも可愛い子と踊ってたわね。ジャーヴィスほどじゃないけど、結構上手だったわ」
「ちょっ……! マリエステル艦長! なんで、なんでクラウスなんですかい!?」
シルフィードがあからさまに不満げな顔でリーザに詰め寄る。
「……その腕」
「腕ーー?」
リーザの視線を目で追って、シルフィードは包帯で吊った右腕を見た。
「折れてるんでしょ? 怪我人のあなたに負担をかけたくはないわ。けれどその代わり――」
リーザはくすりと笑って右手を上げると、それで飲み物を飲む仕種をした。
「後で一緒に飲みましょう。こっちはクラウスちゃんじゃ、物足りないから」
「はっ、はい! それならいくらでもおつき合いしますぜ!」
シルフィードはリーザの言葉に、大きく何度もうなずいた。