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文字数 959文字

「おい、この様な美人に引き合わせてくれた事に免じ、今日のところは許してやる。二度と、かようなことをするで無いぞ!」
 お侍様は掏摸を放してやると、私の方を向いて爽やかな笑顔を見せた。
 そ、それにしても、美人だなんて……、人間時代にはお世辞にも言われたことなど無いぞ。て、照れるじゃないか……。

「あ、あの、何とお礼を言って良いものやら……」
 私は時代劇の登場人物にでもなった気分で、お侍様に礼を言った。
「何、礼など要らぬよ。しかし、それにしてもお女中、随分と財布が重かったが、何故その様な財布を持ち歩いておるのじゃ? まさか、財布に石を入れている訳でもあるまい」
 私は財布を開いて中身を見せた。この中身がどの位なのか、正直、私には見当もつかなかったのだ。これで飯が食えるものか、ここで確かめられたら後で恥を掻かずに済む。
 だが、お侍様はそれを見て、眉間に皺を寄せている。
「ふむ……。お女中、これは、他人には見せぬ方が良いな」
「そ、そうなのですか? これは、失礼致しました」
「い、いや、金額が……」
「結構あるのでしょうか?」
「結構ある? これだけあれば、十年は遊んで暮らせるだけの金額だ」
「はぁ、そうなのですか……」
 さすがに、大金持ちの文枝の家の家来ジジイだ。とんでもない金額を持たせたようだぜ。その金で、本当に私にここで一生暮らせってことなのか……。
其方(そなた)、何者なのじゃ?」
「それが、私にも思い出せぬのです。気が付いた時には、往来の真ん中に立っていて、昔のことが、とんと思い出せません……」
 私は記憶喪失を装うことにした。どうせ過去を聞かれても返事のしようが無いし、気付いた時、往来の真ん中に立っていたのは事実なのだから。
「ふむ、左程の金子を持ち歩くようであれば大店の娘御か、旗本、御家人のご息女が、町人の(なり)で忍びに外に出られたのかも知れぬな……」
「あの、であれば、失礼なのですが……、お礼と言っては何ですが、お食事などを奢らせては頂けませんでしょうか? それに、わたくし、何も思い出せず、食事の仕方も忘れてしまったようで、どうして良いのか分からないのです。もし、お侍様の様なご立派な方とご一緒であれば、わたくしも安心です。是非、お願いいたします」
 ちょっと調子が良すぎたけど、とにかく私はこの人に甘えて頼ることにした。
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