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文字数 914文字

 私はとりあえず、お侍様の妹ということで長屋に住まうことになった。
 長屋の名は「狸小路の裏長屋」、お侍は「大君喜左衛門」と言うそうで、私は「晶」をそのまま名乗ることにした。
 私は喜左衛門様に連れられて、まず大家さんのところにご挨拶をし、長屋の一軒一軒に挨拶に回った。しかし、こんなに挨拶なんか、しなきゃいけないものかなと私は思う。これだけで半日は無意味に過ぎちまったぜ。
 しかし、午後になると、この挨拶の御利益が早速現れてくる。
 隣のお熊さんは長屋に一人で休んでいる私のところにやってきて、長屋の暮らし方を教え始めた。どうやら、お熊さんが私の面倒をみてくれるらしい。
「え~、朝から水を汲みに来るんですかぁ?」
「当り前だろ、水が無くなったら、

も食べられないじゃないか。水瓶が空になったら水を汲みに井戸に集まるのさ。それが済んだら、竃で飯の支度さ。洗濯は井戸端でやれば良いからさ。それから、便所の掃除は交代だ。大家さんの号令で(どぶ)の掃除もあるからね」
 しかし、狸世界ってのは、女が楽できない世の中みたいだな。

 長屋は小さな土間に水瓶と竃があって、上がると小さな畳の部屋があるだけだ。私と喜左衛門様は、どうやらそこに布団を敷いて寝るらしい。
 しかし、何も無い部屋だな~。箪笥も鏡もない。
 それに喜左衛門様は自分では飯も炊けないらしく、米の蓄えも無いし、糠床一つありゃしない。もう、どうやって暮らしていたんだ?
 そんなこと考えていると、喜左衛門様が帰ってきた。喜左衛門様は一通り長屋の人たちに挨拶を済ませたあと、私を長屋に置いて一人で「用事がある」とか言って出て行ってしまっていたのだ。
 ただ、喜左衛門様は一人で帰ってきた訳では無い。お婆さんを一人連れて戻って来ていた。
「晶、其方(そなた)、家事は得意ではないのだろう? これは昔、儂の世話をしてくれた者でな、面倒なことは一通り任すことが出来る女だ。其方(そなた)の金子で雇うことにしたのだ」
「山橘にございます」
 狸顔の老女は私に頭を下げた。だが、雇用主に挨拶する者の雰囲気ではなく、どちらかと言うと、あっちが家事の師匠で、私がこれから教えを受ける弟子の様な感じがする。
「晶です。宜しくお願いします」
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