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文字数 883文字

 私は狸世界に来る前、目立つ行動は取らない様にしていた。両親、学校、近所の目、そんなものが気になっていたからだ。勿論、私自身はどうでも良かったんだが、私のすることで周囲に迷惑が掛かるのは、矢張り私だって気が咎めたのだ。
 でも、ここでは誰に遠慮も要らない。だって、ここは基本的に力が正義の世界だ。悪人が暴力を振るっても、それに抵抗しなければ、その無法を認めたことになってしまう世界なんだ。
 勿論、治安を守る同心さんもいることにはいる。でも、そいつらが庶民の味方であるとは限らない。
 正義を貫くには力が必要なんだ。
 それは、私が昔いた人間世界にも多少は当てはまるのだが、人間世界では相手が悪人であっても怪我をさせれば犯罪であるし、抵抗すること自体、世間から白い目で見られることもある。それが、ここでは殆ど完全に力の世界なのだ。
 悪人もその心算で無法を行うし、逆に抵抗されて怪我をしたり、万が一、死んだとして自業自得として悪人も納得もする。それで慰謝料を取ろうなんて考える奴はいない。

「手前ぇら、天下の往来で何やってんだ!」
「なんだ? 狸小路長屋の晶か?」
 私は、いつの間にか、この狸世界でも名前を売っちまってるみたいだ。しかし、禿狸の奴ら、なんで私の名前を知ってんだ?
 店から主人らしき狸が、私の所に駆け寄ってくる。
「晶さん、こいつら私の店の丁稚が足に水掛けたって因縁付けてきて、詫び料として一両出せって言うんですよ……。そして、出さないのなら、店を壊すって」
 怪我の慰謝料は取らないが、因縁だけは付けてくるらしい。私は禿狸の連中を睨み、店主の替わりに文句を言ってやった。
「なんだと? 手前ぇらのどこに水が掛かったってんだよぉ?」
 禿狸の一人が、前に出て右足を差し出す。
「この足の裾んとこだよ!」
「あ? 乾いてんじゃねぇか!」
「時が経ったから乾いただけでぃ! さっきは確かに水掛けられたんだ!」
「乾いてんなら良いじゃぁねえか? 汚ねぇ雑巾の様な手前ぇの裾も、少しはそれで奇麗になったことだろうぜ。もう、さっさと失せな!」
「何だと、この(あま)!」
この後はいつものお決まりだ。
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