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文字数 960文字

 私は傷だらけの泥だらけになって裏長屋に帰ってきた。
 畜生! あいつら女相手に手加減もしやがらねぇ! って、こっちも充分やり返したけどな。
 禿狸一家との喧嘩なんだが、私一人で相手したかと言うと、実はそうでもないんだ。あいつらに文句のある奴らも往来には多くいて、私に何十人も加勢してくれていた。
 向うも禿狸に世話になっている奴らが加わって、5対1の小規模な小競り合いが、いつの間にか往来での大立ち回りになっちまっていたんだ。
 その騒ぎを聞きつけ、町方役人がやって来たんで、最初に言い合っていた私と禿狸の連中は、早々に逃げ出したという訳さ。
 それにしても痛てぇな。急いで裸になって行水でもさせて貰おうっと。

 私が長屋の自分の家に入ろうとすると人の声が聞こえてくる。喜左衛門様と山橘さんだ。
 別に「ただいま」って入っていっても良かったんだが、私の名前が聞こえたんで、つい躊躇して、立ち聞きする様な形になっちまった。
「若様、山橘は反対です。晶と言うあの娘、敵方の間者では無さそうですが、殿の側室に相応しいとは到底思えませぬ」
「掃除も洗濯も奥には不要であろう? 構わぬではないか?」
「そうではございませぬ。家事が出来ぬだけではなく、振舞いが無作法で、その上言動が粗暴過ぎるのです」
 しかし、失礼な婆さんだな。確かに間違ったことは言っちゃいないが……。
 それにしても、人間だった時も、確か似たような玉の輿の話しがあったよな。ま、どうでも良いや。立ち聞きするのも何なんで、私はどっかに失礼するよ。
「あら、おひい様、また武州家さんの前で大立ち回りを演じたんですって?」
 隣のお熊さんが、もう喧嘩の噂を聞きつけて話し掛けてくる。でも、そんな大声出しちゃ、中に聞こえるだろうが!
「晶さま! 立ち聞きとは無作法にございますよ!」
 ほら、中に聞こえちまった。仕方ない、中に入るしかないだろうな……。
「ただいま……」
「また……、なんて格好です! 泥だらけ、埃だらけで」
 山橘さんは無茶苦茶怒っているけど、喜左衛門様は楽しそうに笑っている。
「まぁ良いではないか? 晶、身体を拭って着替えるが良い。儂はそれまで散歩でもしていることにしよう」
「若! 晶さまの為に席を外すなどもっての外! 晶さま、行水なら、若様の御前でなさるが良かろう」
「え、ええっ!」
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