第25話

文字数 1,691文字

 永禄四(1561)年八月二十八日。

 茶臼山に布陣した武田軍は上杉軍の退路を断つことに成功した。千曲川を挟んで両軍は睨み合い、上杉が本当に戦う意思があるのか三ツ者に探るよう命じた。加えて軍師である山本勘助を本陣に呼びつけると、信玄はそこで初めて於須恵が行方不明になったとの報を受けた。

「勘助、それはまことのことか?」
「はい。海津城におられる弾正忠どのから、二日前に姿を消したと」

 信玄は思わず濃く密集した顎ひげを撫でた。ざらついた感触を手のひらに伝えたそれは、若干白髪が交じっている。二日前と言えば、ちょうど茶臼山に布陣した直後である。

「上杉の忍びに見つかったか?」
「おそらくは。何でも敵の忍びを捕らえてあったが死んだので、埋葬したとの報告もあります。於須恵が失踪したのはその直後と」
「ふむ」

 長年傍近くに仕え侍女として三ツ者として身を挺して働いてくれただけに、失踪したという報告は少なからず信玄の心を波立たせた。

「なれど上様、いまは一介の三ツ者にお心を砕いておられる場合ではございませぬ。上杉めは三食ともに炊煙を炊き、いつでも戦う気概を持ち合わせております」
「うむ。勘助、そなたの策を聞こう」

 そこで山本勘助は出陣以前から暖めていた策を披露した。合戦が本格的に始まる前、上杉方に精神的な揺さぶりを存分に仕掛けておこうというものだ。

「まず、お聞きくだされ。周辺の村々に我が軍の紙旗を多数作らせました。これを千曲川縁に立て、我が軍が大軍であることを装うのです」

 さらに夜も赤々と大量の篝火を焚かせ、夜襲への警戒および、いつでも夜襲を仕掛ける用意があることも誇示しておくことを、信玄に告げる。

「かかしで足軽を模した物を作らせましたので、多少は上杉の目もごまかせましょう。厄介なのは敵の忍びですが、これも三ツ者たちがうまく働くと思われます」

 そこまで聞いて信玄は、弟であり信頼できる影武者のひとりでもある武田典厩(てんきゅう)信繁を本陣に呼び寄せ、勘助の策を聞かせる。

「軍師どのの策に、拙者も異存はございませぬ。兄上、いや上様。さっそく手筈を整えます」
「うむ、頼んだぞ」

 信繁と勘助は急いで篝火の支度をさせ、陽が暮れる前には炎が千曲川を赤く照らしていた。

「申し上げます、武田軍勢は少なく見積もっても二万五千ほどかと」

 政虎の許に報告が届いたとき、ちょうど軍評定が行われていたところだった。柿崎、甘粕、色部、安田など名だたる諸将が、こちら側の倍以上の戦力を武田が有していると聞いて青ざめた。誰の胸にも、此度の戦は負けだとの思いが去来し、戦意が一時的に喪失しかけた。

「お屋形さま、武田めは戦力を割いて春日山に攻め入るやもしれませぬ」

 柿崎景家の焦り混じりの言葉に、政虎は呵々大笑した。気が触れたのかと焦る諸将を尻目に政虎は一同を見回すと、何でもないように言い放つ。

「案ずるでない。武田が春日山を攻めるならば、我らは甲府を攻め落とすまでよ、何の不都合があろうか?」

 この総大将の剛毅な台詞に諸将は、はっと胸を突かれる思いがした。武田も今は本拠地が空っぽなのだと冷静さが戻り、諸将は剛毅な中にも決して冷静さを失わない政虎に、更に敬服の意を覚えた。この御大将のためならば、命は惜しくない。眼前に広がる武田軍の旗印を睨みつけ、上杉軍の士気は下がるどころか昂ぶった。

 八月二十九日になると、信玄はこれ以上の睨み合いは愚の骨頂と判断し、全軍に茶臼山を下り海津城に入るよう下知した。全軍が一度に海津城へ入らず、幾隊かに分かれての入城であったにもかかわらず、政虎はなぜか武田全軍が海津城に入城するまで手を出さなかった。

「お屋形さま、なぜ手をこまねいて武田の進軍を見ておいでですか。ここで一気にたたみかければ、我が軍の勝利ですぞ」

 宇佐美駿河守定満をのぞく諸将がいきり立つが、政虎はあくまでも不意打ちや奇襲などといった戦法を是としなかった。千曲川を渡り、妻女山とほぼ相対する海津城を眼下におさめながら、政虎は凄まじく闘志に燃える目で武田軍を見ている。

 そのまま十日間、海津城と妻女山に陣取った両軍は何もせずに睨み合っている。
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