第25話 走る青年

文字数 2,181文字

 K君は、ことし成人式を迎えた二十歳の青年である。去年の五月に期間従業員としてT自動車に入社して、ことし四月に期間満了、めでたく退社した。
 私は一月に入社したから、約三ヵ月のつきあいだった。この間、よく行動をともにした。仕事場が違っている以外は、通勤バスの中、食堂、休憩時、いつも一緒だった。
 K君とは、工場内にある「ふれあい広場」という休憩場で知り合った。ふれあい広場には、自動販売機四台と、六人ほどが座れるテーブルが四つあり、その一角で、私とK君、いつもツーショットだった。
 ─── あいつら、ホモなんとちゃうか。
 そう思われてもおかしくない仲だった。(実際は違います)
 神戸から来たこの青年は、180センチはあろう長身と、スラリと伸びた長い足、「約一年切っていない」肩まで伸びた髪は自然とカールがかかり、その端正な顔立ちは、心やさしき中世のギリシャ人のようである。
 K君とは、宇宙の話とか「無」とは何か、といった話をよくしていた。話題を、世間から取ってくるのではなく、K君と私の間から拾っていた。
 私は、内心で彼のことを「走る青年」と呼んでいた。

 朝五時半に、寮から工場へ向かう、会社無料バスが発車する。K君はそれに乗り遅れ、工場まで約五キロの道を、走って通勤したことが、何回かあったそうである。フツウはタクシーを呼んだり、マイカーで通勤する寮生に頼み込んで乗せてもらったりするものだ。が、K君は、あえてそれをせず、自力で「走る」ことを選ぶ人なのだった。
 ─── 寝坊した自分の過失は、自分で体を張って責任とって処理したい。
 K君が走る理由には、こんな律儀な性格があらわれているように思えて、いっそう好感をもった。
 もっとも、「歯を磨いていたら、バスに間に合いませんでした」と言っていたこともある。
 発車時刻を知っているのだから、歯を磨いていたら乗り遅れることも、予知できていたはずである。
 そして工場ではずっと立ち作業。体力消耗の損得勘定をすれば、フツウは洗顔よりも乗車を選ぶだろう。しかしK君は、バスに乗るより歯を磨き、五キロを走る人なのである。
 K君に、私は自分のことを、かなりバラした。以下は、私と彼の会話の一部。
「ここに来たのは、家族というものと、一度離れて暮らしてみたかった、っていうのが大きいナ」
「僕も、そんなもんですね。一番、お金になりそうだったし。家を出たくてここに来た人、多いんじゃないですかねえ。家にいると、親とか、『働け』とか言ってうるさいですからねえ」
「バスで、後ろの方に乗る人って、わりと活発な人が多いですよね。遠足や修学旅行の時、そうじゃなかったですか」
「いやあ、オレあんまり学校行ってないから、修学旅行とか行ってないんデス」
「えっ。すごいですねえ。みんな行ってるのに行かないなんて、なんか、一人で革命起こしてるみたいですねえ」
「将来的には本を出して、印税生活でもして楽に生きたいものだけど、本なんて、そんな売れるもんじゃないしネ」
「そうですねえ。オダさん(私の名。戸籍上、私の名は会社で小田翔)、あんまし大衆受け、しそうにないですもんね」

 K君がいなくなってから、私はあまり人と喋っていない。ひとりでいる淋しさから、同じように一人で座っている人に、自分から話しかけたことは、何回かある。最初のうちは、自己紹介のようなことをして新鮮だが、親しくなるにつれて、かれらはきまって、新聞の見出しや競艇、野球やテレビといった「世間話」しか、して来なくなる。
 世間話をすることがまるでルールであるかのように、世間話をする。
 私は、世間話をして、心底から楽しいと思ったことがない。そしてかれらも、笑ってはいるが、ほんとにおかしくて笑っているとも思えない。何か、体に染みついた「人の接し方」のマニュアルに沿って、そこにいる、という感じなのだった。
 私はかれらと一緒にいると、なぜか気を使ってわけもなく疲れてしまうのだった。
 かれらのいるテーブルに行かず、私はひとりでいることを選ぶようになった。

 むかしは、こんな自分ではなかった。気の合わなそうな奴とでも、つきあっていこうという姿勢があった。しかし、だんだん、人の雰囲気や、ちょっとした会話から、その人が自分と合うか合わないか、「分かる」ような気になってしまっている。
 狭かった私の技量が、いっそう狭くなっている以上、今後、気の合う人と出会えるのは、至難ともいえる。
 K君とは、なぜあんなに仲良くなれたのだろう。
 K君は神戸に住み、家族がいて、学校に行っていた。カタチは、もちろん全く私と違う育ち方であり、環境である。しかし、K君という人間個人の持つ本質的なものと、私の持つそれが、とても近かったのだと思う。

 ひとりのニンゲンをつくる要素として、親の育て方とか周りの影響は、たしかにあろう。
 しかし、それ以前に、ひとりのニンゲン個人の持つ性質というのは、この世に生まれた時から、何か決定づけられているような気がする。
 自分が仲良くなる人を見ると、自分がどういう人間であるかが、分かるような気がする。
 そして自分の中の何かがゆっくり変化を続ける以上、つきあう相手も、変わっていくのだろう。
(ちなみに今回の通信、手書きのイラストは、K君に書いてもらったものです。どうもありがとう、K君、元気?)
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