第27話 お元気ですか。

文字数 1,500文字

 九月になったのに、暑い日が続きます。
 一日一日、あっぷあっぷの状態で、働いています。期間延長になり、ここに来て八ヵ月が過ぎました。最初の頃は、「働くために、ここに来たんだ」とヤル気満々、何も考えず、一生懸命仕事して、部屋に帰ってきて、寝て、食べて、ただそれだけの繰り返しでした。充実、していました。
 それが今では、まるで牢獄にいるように感じています。一週間が長くて、しようがありません。金は、稼いでいます。そもそも、金だけのために、働いているのです。
 一週間が過ぎると、次の週が始まります。その週が終わると、また次の一週間、そしてまた次の。
 逃げたくて、仕方なくなります。仕事が大変だとか、ここにいるのがイヤだとか、そんな理由ではないのです。飽きちゃったのかな、と思います。
「逃げると行くは、同じこと。どこかから逃げないと、どこにも行けない」などと言ってもダメです。
「習慣が、真剣さを奪っていく。真剣さは、内面から発するものだから。外の日常、日々の習慣に、真剣さは奪われていく」もダメです。みんな、その習慣を、生きているんですから。
 毎日毎日、同じことを繰り返すことが、生きていくことだとしたら、私には、その能力が、欠如していると思います。

 生命というものに、思うところ、少し。
 ひとの死に、初めて立ち会ったのは、幼少時、祖母が亡くなったときでした。棺桶の中は、とても綺麗で、花が、たくさんありました。ただ、白い綿のようなものが、口にふくまれていて、ああ、お祖母ちゃん、苦しいだろうな、と思いました。
 どこかの田舎では、遺体を、何日もそのままにしておく、という話を聞いたことがあります。親戚が集まらないと、火葬場へ運べないという理由でした。夏などは、腐敗も早く、大変なことになっていたようです。
 初めて、ひとが生まれるのを見たのは、子どもの誕生のときでした。なんだか、ぬめぬめして、なまなましいものでした。
 きっと、生命って、なまなましいものなんだと思います。生も死も。
 なのに、美化されていると思います。葬式も出産も、葬儀屋と病院できれいに形どられて。
 花に埋もれた死、へその緒を切ったあとに手渡される赤ちゃん。まるでキレイゴトです。
 キレイゴトで、なんだか、成り立っているんですよネ。

 職場も、キレイゴトで成立していて、悶々とすることがあります。そのおかしさを、口にするのは、おばさんたちの井戸端会議にも似て、いやになります。言ったところで、どうなるわけでもありません。結局、生きざま、なんでしょうね、個人個人の。
 いつか、学校に行くも行かないも、会社に行くも行かないも、どうでもいい世界になればいいと思います。
 へえ、学校に行かないって、そんな大変なことだったんだ、とか、会社に行かないと、生活できない時代があったんだ、とか。
 ずっと、こうしてきた、価値観のようなものが、変わればいいなと思います。
 ほんとうに、生きるために、生きるように、生きるんです。
 うん、無理ですね。

 先日、「裏表がないね。いつもそのまんまなんだね」と言われました。嬉しいような、悲しいような言葉でした。
 そんな人間って、いるんでしょうか。どうして、人が見る自分と、自分が見る自分は、離れているのでしょうか。せめて自分の中だけでも、一致させたいものです。そんな意思に関わらず、私は私であるのでしょうけれど、よく、自分が分からなくなります。
 きっとつまらない手紙になるだろうなと思い思い、やっぱりつまらない手紙になっちゃった。
 元気でいてくれたら、嬉しいです。
 もうすぐ秋ですね。また、一緒に笑いましょう。
 では、また。
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