第2話 精神病院

文字数 1,214文字

 最近、死にたくなることがなくなってきた。むなしさは、たまに来るけれど、べつに泣けることもなく、そのまま、受け流している。
 死にたいと思わなくなってしまうのは、何となく淋しいような気もする。
 死にたいなあ、と似たような気持ちに、なることはある。そういうときは、決まって、体が疲れているときである。
 風邪をひいたときや、極度の寝不足。自分の体が、思うようにいかなくなったとき、今までのオレの人生は、何だったんだろう、と痛恨の気持ちにかられる。
 今までつきあっていただいた、親友、友達、仲間、知り合いと、接してきた自分自身について思いをめぐらす。穴を掘って入りたい衝動にかられ、そのあと、もうどうにもならない無力感にしんとなって、感覚がぐるりと先へ向かう。
 希望が、ない。仕事は? 家庭は? お金はどうなった?
 時間だけが確実に過ぎていくことに気がついて、もう、いろんな想いがドワッといっぺんにやって来る。心臓ドキドキ、こころザワザワ。
 これは一体、何なんだろうなあと思う。
 これはきっと、病院に行ったら何らかの病気と診断されるんだろうな。
 でも、そんな診断は下されないだろうな、と自分を見抜いてもいる。
 もう本能的に、自分を防御する自分を、自分は知っているつもりだから。
 仮に精神病院に行ったとしても、大手を振って、堂々と帰ってくる自分が目に見える。多少の緊張感と疲労をもって。

 ─── 今日は、どうしました?
 ─── いえ、べつに何ともないんです。(笑)すいません。ちょっと疲れていたんですけど、あの、大丈夫です。
 妙に、分別めいた顔つき。
 ひとりでいたときの心のざわめきや、死へのぼんやりした憧憬。それは、家を出たときに半分。病院のドアを開けたときに、ほぼ。待合室にいるときに、九割。精神科医と向かい合ったときには完璧に、もののみごとに消し去られているはずだ。
 ─── こんなヨノナカに生きてんだぜ。ビョーインなんか行ったら、みんな精神病になっちまうぜ。
 頭の根底に、この思いが、かたくなにある。
 この思いには、根拠のない自信があるので、待合室にいる人達を見たら、シャキッとしてしまう自分が目に見える。
 けっして、「こんな人達と自分は同じになりたくない」という、失礼な気持ちではない。
 病気を治してくれる病院、それを宗教のように信仰するこの世の通念。てっとり早く治療して儲かるのは、医療機関、薬の製造元、健康保険発行元、しょせんは国。
 そんな構図が、見事なシステムが、じんわり目の中に入ってきて、ほとんど生理的に、現実の自分をしっかりさせる。
 世の中を、バカにしている自分に気づく。なめきっている。本当にくだらないと思っている。
 だから、みぢかにいる人を、だいじにしてしまいたくなる。そして大切にしたいつもりのみぢかな人たちを、自分はほんとうに大切にできているのかといえば、まったくできていないような気になって、心がざわめく。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み