第21話 言えなかったこと

文字数 1,058文字

 愛知県は、渥美半島にいる。
 昨年末、アルバイト雑誌フロム・エーを見て、大宮で開かれた面接会場に行き、採用された。T自動車の期間従業員。
 ことし、七月半ばまでの契約。現実の身の置き場で、分かっているのはそれだけで、それから先のことは、分からない。契約期間が延びれば十二月まで、ここにいることになるが、それも分からない。
 週休二日で一ヵ月、二十二日働くと、残業・深夜・交代手当などがついて給与二十六万ほど也。そこか雇用保険・健康保険・年金、所得税などが引かれ、手取り二十三万ほど。
 私は六ヵ月の契約なので、この任期を満了すると、三十万円のボーナスがもらえる。さらに期間を延長して、トータル十一ヵ月勤務すると、六十六万円が支給されることになる。
 この、カネの良さに惹かれた自分もいた。
 でも、日々の生活の糧だけのためには、どうにも動けなかった自分もいた。
 千葉の柏で、マンションを借りていたし、あのままどこかへ就職し、共働きで助け合い、一家団欒の夕食を共にし、生きていくこともできた。
「家族」。家族と離れて、暮らすということ。
 こうせざるを得なかった。
 そこら辺のココロの動きは、また通信で書けていけたらと思う。

 ──────────

 別にリコンしたわけでもないのですが、どうにも、いけません。
 現在妻は、彼女の実家に、子どもともども、お世話になっています。
「出稼ぎに、半年間、行ってきます。よろしくお願いします」
 この一言、義父母に言うべき一言を、私は言えませんでした。
 私は仕事を辞め、いろいろありましたが、
「あんな男とは、別れろ」
 お父さんがそう言っていた、と妻から聞きました。
 マンションと妻の実家は歩いて三分ほどの距離で、私たち一家のあやうい暮らしぶりは、親からしてみれば、心配なこと、この上なかったと思います。
 私には、お義父さんお義母さんを安心させることが、できないのでした。私の実父母もそうですが、お金のもらえる所でずっと働くこと、これを私がしない限り、安心して天国にも行けない様子です。
 そして親たちにしてみれば、そんな、だいそれたことを、私に求めているつもりは、ないと思います。私がどこかの企業におとなしく勤め続けられる人間であれば、いいのです。それができて初めて、私は堂々と、親と顔を合わせることができるように思えます。
 私が、親のささやかな期待に添えない以上、「妻と子がお世話になります」の一言もいえない、情けない、どうしようもない男であり続けるようです。もともと、どうしようもなかったのですが。
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