第29話 夢
文字数 1,942文字
くるしい夢をみて、目が覚めた。
スーパーマーケットのバックヤードのような、何階建てかのビルの中にいた。
何か、審査会場のようでもあった。人間の商品価値を計るような、面接会場のような場所だった。
著名な作家の姿もあり、偉そうな人は椅子に座り、ひじをつく長テーブルの前には、その審査員の名が正月の書き初めみたいにダラリとぶら下がっている。
「やあ、久しぶり。来たんだね、ここに」
見ると、О君だった。О君は、不登校の会で知り合った一人だ。顔は青ざめ、目はうつろで、心ここにあらずといった様子で、私を見ていた。
まわりを見渡すと、ふらふら、幽霊のように、しかし実在している人たちが沢山いた。尋常でない、異様な雰囲気だった。
О君が、私の目前に、呆然と立ち尽くしていて、顔だけはこっちを見ていた。が、相変わらず目はうつろで、あらぬ方向へ目線が行き、何も見ていない。
しかし、心の目で、「怨」とでもいう、恨みの念が、О君の身体から私に、確実に、強固に向けられていた。
「きみが、『学校なんか行かなくていい』なんて言うから、こうなっちゃったんだぞ」
О君は、ハッキリと、ロボットのような無機質な声で言った。
ふらふら動いていた、二、三十人、三、四十人の人達も、私に向けて「怨」の念を発射していた。
「学校に行かないでいいなんて、人を、惑わせるだけだ。きみが、学校なんか行かないでいい、なんて言うから、こうなっちゃったんだぞ」
О君がもう一度言った。私は、この会場で、殺されるのではないかと思った。
いや、ひと思いに、やってくれるなら、覚悟もできる。だが、今、この現実、「怨」の念があまりに強すぎて、この世は地獄、あの世も地獄、私は、死んでも逃げられないと感じた。
だが、私はすんなり、その会場から、薄暗い階段へ出て、下りていった。だが、その各階にあるどの部屋からも、私を狙った「怨」の念を発する人達が飛び出してきて、私をゾンビのように追ってくるのだ。
そこで目が覚めた。
吐き気がした。昨夜、誰かに手紙を書きながら、安いワインをばかみたいに飲んで、目が回って寝たのだった。
枕の横に、ビンが見えた。栓がされていない、そのワインの口が、空中に向かってムンクの「叫び」をしている。ピーナッツが、袋の口をあけてこっちを見ている。
慎重に寝床から脱け出す。みだりに動くと、吐きそうだ。スリッパを履く。うまく履けない。スリッパが逃げる。なんとか、便所に行かなくては。
部屋のドアを開けると、廊下がある。窓もある。空が白い。
小便器に向かって小便をする。よし、成功。また部屋に戻って、寝床に倒れる。
やばい。今日は歯医者に行く日だった。
こんな状態で歯医者なんか行ったら、間違いなく吐く。まあいいか、あんまりあの医者、いい人じゃなさそうだし。
目覚まし時計を見る。九時に十分。あと一時間は、眠れる。なんだか眠れない。じっとしている。
また時計を見る。十時すぎ。だんだん、二日酔いも回復してきた。
歯を磨き、顔を洗い、歯医者に行く。綺麗な看護士さんに診察券を渡す。
初めてここに来た時、このひとに一目惚れした。男ばかりの寮で、男ばかりの仕事場で、毎日暮らしていると、ちょっと綺麗な人がとんでもない天使に見えるときがある。
でも、このひと、へただ。
自動で上半身を起こす診察台を誤操作して、私の頭が地べたに向かい、足の方が上昇した。
ま、いっか。いいひとみたいだから、許しちゃおう。よく治療器具を落っことすけど、腕なんか、どうだっていい。ひとが善ければ、いい。いや、やっぱり腕かな?
しかしこの歯科医、絶対潰れないだろう。千人以上はいるT自動車の独身寮のすぐそばにあるのだから。待合室にいると、T自動車の従業員だと、すぐ分かる。何となくサエなくて、でも安心の動物園に入っている。たぶん、お金持ち。でも、ヒトリに慣れ親しんだ、カタクナなぎこちなさがある。
帰寮して、FMラジオを聞く。男女のDJのやりとりが面白い。男は熱心にジョークを飛ばすも、女は冷淡といえるほど無視して、淡々と話を進め、曲紹介をして音楽を流していた。
テレビをつける。「笑っていいとも」。おかしくて笑う。
この寮の私の部屋に住み始めた頃、テレビを見ていて、笑ってしまった自分にハッとして、まわりをきょろきょろ見渡したものだ。
あ、オレひとりなんだ。
ひとりなんだ、と感じた瞬間だった。
今まで、テレビをひとりで見るということがなかった。実家にいた頃は、親がいた。夕食の時、必ずテレビがつけられていた。結婚したら、妻と子がいた。
いつも、誰かと一緒にいた私は、テレビに笑わされる時、笑う自分を必ず意識した。
あ、今オレ、ほんとにひとりなんだと思った。
スーパーマーケットのバックヤードのような、何階建てかのビルの中にいた。
何か、審査会場のようでもあった。人間の商品価値を計るような、面接会場のような場所だった。
著名な作家の姿もあり、偉そうな人は椅子に座り、ひじをつく長テーブルの前には、その審査員の名が正月の書き初めみたいにダラリとぶら下がっている。
「やあ、久しぶり。来たんだね、ここに」
見ると、О君だった。О君は、不登校の会で知り合った一人だ。顔は青ざめ、目はうつろで、心ここにあらずといった様子で、私を見ていた。
まわりを見渡すと、ふらふら、幽霊のように、しかし実在している人たちが沢山いた。尋常でない、異様な雰囲気だった。
О君が、私の目前に、呆然と立ち尽くしていて、顔だけはこっちを見ていた。が、相変わらず目はうつろで、あらぬ方向へ目線が行き、何も見ていない。
しかし、心の目で、「怨」とでもいう、恨みの念が、О君の身体から私に、確実に、強固に向けられていた。
「きみが、『学校なんか行かなくていい』なんて言うから、こうなっちゃったんだぞ」
О君は、ハッキリと、ロボットのような無機質な声で言った。
ふらふら動いていた、二、三十人、三、四十人の人達も、私に向けて「怨」の念を発射していた。
「学校に行かないでいいなんて、人を、惑わせるだけだ。きみが、学校なんか行かないでいい、なんて言うから、こうなっちゃったんだぞ」
О君がもう一度言った。私は、この会場で、殺されるのではないかと思った。
いや、ひと思いに、やってくれるなら、覚悟もできる。だが、今、この現実、「怨」の念があまりに強すぎて、この世は地獄、あの世も地獄、私は、死んでも逃げられないと感じた。
だが、私はすんなり、その会場から、薄暗い階段へ出て、下りていった。だが、その各階にあるどの部屋からも、私を狙った「怨」の念を発する人達が飛び出してきて、私をゾンビのように追ってくるのだ。
そこで目が覚めた。
吐き気がした。昨夜、誰かに手紙を書きながら、安いワインをばかみたいに飲んで、目が回って寝たのだった。
枕の横に、ビンが見えた。栓がされていない、そのワインの口が、空中に向かってムンクの「叫び」をしている。ピーナッツが、袋の口をあけてこっちを見ている。
慎重に寝床から脱け出す。みだりに動くと、吐きそうだ。スリッパを履く。うまく履けない。スリッパが逃げる。なんとか、便所に行かなくては。
部屋のドアを開けると、廊下がある。窓もある。空が白い。
小便器に向かって小便をする。よし、成功。また部屋に戻って、寝床に倒れる。
やばい。今日は歯医者に行く日だった。
こんな状態で歯医者なんか行ったら、間違いなく吐く。まあいいか、あんまりあの医者、いい人じゃなさそうだし。
目覚まし時計を見る。九時に十分。あと一時間は、眠れる。なんだか眠れない。じっとしている。
また時計を見る。十時すぎ。だんだん、二日酔いも回復してきた。
歯を磨き、顔を洗い、歯医者に行く。綺麗な看護士さんに診察券を渡す。
初めてここに来た時、このひとに一目惚れした。男ばかりの寮で、男ばかりの仕事場で、毎日暮らしていると、ちょっと綺麗な人がとんでもない天使に見えるときがある。
でも、このひと、へただ。
自動で上半身を起こす診察台を誤操作して、私の頭が地べたに向かい、足の方が上昇した。
ま、いっか。いいひとみたいだから、許しちゃおう。よく治療器具を落っことすけど、腕なんか、どうだっていい。ひとが善ければ、いい。いや、やっぱり腕かな?
しかしこの歯科医、絶対潰れないだろう。千人以上はいるT自動車の独身寮のすぐそばにあるのだから。待合室にいると、T自動車の従業員だと、すぐ分かる。何となくサエなくて、でも安心の動物園に入っている。たぶん、お金持ち。でも、ヒトリに慣れ親しんだ、カタクナなぎこちなさがある。
帰寮して、FMラジオを聞く。男女のDJのやりとりが面白い。男は熱心にジョークを飛ばすも、女は冷淡といえるほど無視して、淡々と話を進め、曲紹介をして音楽を流していた。
テレビをつける。「笑っていいとも」。おかしくて笑う。
この寮の私の部屋に住み始めた頃、テレビを見ていて、笑ってしまった自分にハッとして、まわりをきょろきょろ見渡したものだ。
あ、オレひとりなんだ。
ひとりなんだ、と感じた瞬間だった。
今まで、テレビをひとりで見るということがなかった。実家にいた頃は、親がいた。夕食の時、必ずテレビがつけられていた。結婚したら、妻と子がいた。
いつも、誰かと一緒にいた私は、テレビに笑わされる時、笑う自分を必ず意識した。
あ、今オレ、ほんとにひとりなんだと思った。