第11話 心の窓

文字数 1,475文字

「どうしたい?」
「いやあ、なんかつらいね。なんであんな、一生懸命になってたんだろう」
「そういう時期だったんだろう。いろんな人がいて、何やら活気があった。きみだけじゃなかったはずだよ」
「何だったんだろうと思ってね」
「そりゃきみ、過ぎてしまえば、みんな何だったろうになるだろうよ」
「今に繋がっているものがあれば、と思うが…。自分の中でしか繋がっていない。いや、自分の中でも繋がっているのかどうか」
「みんな、何してるんだろうね」
「わからない。ほんとに時間が経った」
「“ 世界のT自動車 ”に行ってから、ずいぶんきみ、変わったよね」
「うん、環境が変わって、出逢う人も変わって。繋がっている人とは今も繋がっているけど、社会に対して具体的な活動はすっかりしなくなった」
「そうだね。今ウクライナは大変なことになっているけれど、きみは何もしていない」
「そうだ。こんなこと書いてる場合じゃないと思うよ。しかし…」
「しかしも何もないな。どんどんきみは内向的になっていくが、ある新聞の地方版に紹介されたきみの活動についての記事でも、切り抜いておくよ。心の窓もっと開いて、という題名だった。きっと、意味があったんだよ、きみと仲間たちがやった活動は…」

 心の窓もっと開いて
〈 学校に行かずに生きていこうとしている人、イヤイヤながら登校している人など、学校に疑問をもつ人たちのもう一つの「学校」が、K市N町の一軒家で毎月第四日曜日に開かれている。
 学校といっても先生はおらず、過去に、いじめや体罰を受けて悩んだ経験を持つ仲間たちがやってくる。
「とまりぎ」と名付けられたスペースは、楠原翔さん(29)が始めた。不登校となり、大学検定を受験しようとした17歳の時に出合った「脱学校の会」(東京・世田谷区)がきっかけだった。
 楠原さんは「登校拒否をした自分の過去を殺そうと思っていた」という心の重しをひきずってきたが、このスペースとの出合いによって、「今のままの自分を大切にした生き方をしよう」と、心の開かれる思いがしたという。
「こうしたスペースを地元にも作りたい」。楠原さんが、そう思ったのも、自分のほかに多くの似た “ 仲間 ” がいたからだった。
「とまりぎ」には、学校でいじめや体罰を受けた経験から家に引きこもったり、家ですら安住の場になっていない人たちもやってくる。
 ある日の集まりでは、「親に対する反発心から意地でも学校に行きたくなかった」「いじめで不登校を繰り返した」といった自己の体験談や、親の立場から「息子の心を考えない先生が、力で押さえ込むだけだった」と、学校に対し不信の声も出された。
 楠原さんは「月一回の開催ペースをもう少し増やし、心の中で沈み込んだ気持ちをもっと多くの人と分かち合えたら…。このスペースを “ 駆け込み寺 ” にしていきたい」と話す。
 取材を通し、生徒同士だけでなく、生徒と先生との間で生まれるさまざまな誤解や偏見を知るにつけ、それぞれが心の窓をもっと開いて語り合う必要があるのでは、と強く感じている。〉

 ───「心の窓、か…」
「心の窓。内開きだから、力を込めて突進するものでもないんだよな」
「機関紙に何か書いていくうちに、何か自分のワナに自分でハマッていった感じはするなあ」
「書くってのは矛盾した作業だからね。ひとりで書きながら、誰かに向かっているという」
「しかし恥ずかしいな。恥をかくために生きていたようなものだ」
「恥ずかしさを感じるって、きっと大事だよ。きみは恥をかくために書いてきたようなものだ」
「まだ続けるのかい」
「うん、もう少し…」
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