第12話 働く人たち

文字数 1,589文字

 就職などを、してしまった。
 会社では、私は「よく働く小田君」と見られている。(戸籍上、私の名前は小田翔になっている)
 実際に、自分でもよく働いているとは思っている。
 フジフィルムの使い捨てカメラ「写ルンです」の内部分。一枚の板に、特殊なインクを印刷していくのが、私の主な仕事である。
 次工程(また別の工場へ流れていく)で、その板はハンダづけされ、電子部分がぺたぺたとくっついていくらしい。ハンダがついてはならない箇所があって、そこを守るために、私は印刷をする。ピールコートと呼ばれる印刷作業である。
 うまい人でも、一日二千枚刷れば大したもんだ、と言われていたこの作業で、私は慣れていくうちに三千枚刷れるようになった。
「たくさん仕事したってしょうがねえじゃん。給料あがるわけじゃないし」
 そう言うセンパイもいる。
 それは、そうだと思う。
 でも、コウハイの私は、べつに何も考えないように仕事をしている。
 たしかに、疲れる。二千枚でやめておけば、こんなに疲れもしないだろう、とは思う。
 しかし、私は生来、目の前にある物事に対し、ムキになってしまう性分なのだ。取り組むものには、真剣になりたい、と身体が訴える。
「もう、やめとけよ」との頭の声は、遠くかすかに聞こえるだけになってしまう。
 パチンコでもそうだった。恋愛でもそうだ。シゴトにも、私という人間のもつ、どうしようもなさは、どうしようもない。

 朝から晩までの立ち作業、少し気を抜くとインクがあらぬ方向へズレて印刷されてしまったりする。仕事しているのだから、当たり前のことだろうが、そうとう疲れる。
 七時半に終われば早いほうで、だいたい八時か、遅いときは九時十時である。そして朝はまた八時半出勤。
 ── オダ君はよく働く。
 かつて、私はヒトからそう見られることによって、勢いづいて調子に乗ってますます働いていたものである。
 たえず「ヒトの評価」を気にしていて、そこから私は始まっていた。
 この人は、私をどう思っているのか?
 よく思われたい!
 私は、私の中に私がいなかったようである。まわりにいる誰かの中に私がいて、そこから自分自身を見ていた。
 働くということは自分自身のためでしかないのに、自意識過剰になると、まるで人のために働いているようになってしまう。
 すると、あまり長続きしない。私の中に私がいないのだから、疲れるはずである。
 そして自分になろうとして辞めたがる。これが、私の転職履歴パターンである。

 さて、私の働く職場について。
 シイエムケイという、東証一部上場企業の下請け会社という形態。社員は20名、アルバイト・パートは40名弱。
 私が勤めて4ヵ月の間に、30名近くの従業員が辞めていった。
 給与面では、社員が基本給10万と、信じられない安さだが、生活給だの技術手当だのがこてこてついて21万は保証されている。プラス残業代。バイト、パートは時給850円。まあ、ひどく悪いほうではない。
 問題は、仕事の多さとそれに伴う余裕のなさ、そこに拍車をかける生産部長(私の直属の上司)の人の使い方にある、と見ている。
 しかし、仕事の多さを厭う企業など、あるわけがない。仕事があることを、ありがたく思い、日々邁進するのみである。
 そして、それに伴う残業の多さ、ミス印刷がぼんぼん出荷されてしまう状況も、致し方ない。
 生産部長は一人で仕事上の責任を抱え込み、ワガ社から次工程へ流された不良品のクレーム処理に、西へ東へ奔走する。
 親会社、子会社、孫会社。
 責任、働く、金、生活。
 これはもう、どうにもならぬ、どうにもならぬ、規律、濁流、世の常、人の常。
 ああ、そんなもの、どうでもいいと思えたなら!
 自分は、ただ金が欲しくて働いて、そのためだけのために、会社にいるのだ、と心底から思えたなら、妻に苦労もかけず、家計も、安泰するのだろうに。
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