第28話 家族旅行

文字数 2,251文字

 五月の連休。妻子と待ち合わせている東京駅に向かう。
 四ヵ月振りの再会。こんなに長く顔を合わせなかったのが初めてなら、泊まり掛けの家族旅行も初めてだった。
 快速電車の自由席。ボックスシートに、子どもと向かい合って座る。
 ─── これがワタシのお父さんだったのか。
 久しぶりに見る父の顔を、子は、そう言いたげに見る。
 ─── これがオレの子どもだったんだな。
 見つめ合いながら、ことしから通い始めた小学校や、スイミングスクールの話をする。
 妻は、窓の外の天気を気にしていた。四ヵ月前と、外見はそんなに変わっていなかった。
 伊豆は、修善寺に宿を取っていた。JRの切符は、片道百キロを越えると、途中下車が有効になる。真鶴で降りて、バスに乗り、三ツ石峠とかいう所へ。
 子が、よく歩くことに驚いた。四ヵ月前は、すぐ「お父さん、だっこ!」と言ってきたのに。
 五時にチェックインの予定が、七時になる。かなり遅れてしまったせいか、(まかな)いさんは不機嫌そうに夕食を持ってきた。膨大な品数に圧倒されながら、親子三人、必死に食べる。そのあと、温泉へ。
「オザキコウヨウの泊まった部屋はどこですか」
 フロントで訊く。パンフレットに、「尾崎紅葉をはじめ、多くの文人が常泊した部屋の見学可能」とあったからだ。
 フロントのお姉さんは、何やら帳簿をめくって、「オザキコウギョウという会社のお客様は、泊まられていませんねえ」(会社の名前じゃないっつーの)
 後ろで妻が、クスクス笑っていた。

 翌日、バスで「ナントカの森」「浄連の滝」へ。森では、子どもに無料で丸太を切らせてくれる場があった。ノコギリ片手に、オーラの出るような集中力で、子が丸太を切る。
「むかし、戦争をしていた頃はね、日本の人は、外国の人をマルタと呼んで、体をノコギリで切ったりしていたんだよ」
 私は、丸太から七三一部隊を連想していた。戦時中、日本軍の医療機関は、ロシアやアジアの人達を人体実験した事実。
 帰り道、このことを、私は子どもに伝えようとしていた。
「ふうん…」
 子は、冷静に相槌をうって、歩く。
 宿に戻り、温泉に浸かり、料理を懸命に食べる。賄いさんは、なぜか不機嫌そうに料理の上げ下げをする。
「連れて来てくれてありがとう」
 妻が言う。連れて来たなんて、思ってもいなかった。こちらこそ、来てくれてありがとう、とずっと思っていた。
「ずいぶんお金かかったでしょ、これ、少ないけど」
 と、テーブルの上に妻が差し出した。
「いや、大丈夫だよ、これ、もらっても、また仕送りするから同じことになる」
 私は、妻の方へ差し出し返した。
「いや、用意してきたから、受け取ってよ」
 また妻が私の方へ差し出す。一瞬、思わず財布に入れようとしてしまい、
「いや、ほんとにいいって」
 笑いながら妻の方へ差し出す。
「ほら~、今、入れようとしたじゃない」
 妻が笑って差し出し返す。
 真ん中で、にやにやしながらこのやりとりを見ていた子が、
「じゃあ、ワタシがもらう!」
 と、手を出してきた。
「あんたねえ、これ、いくらあると思ってるの?」
「ううんとねえ… 二万五千円!」
「今日もあちこちに、お父さんに連れていってもらったでしょ? この旅館にもね、お父さんは沢山お金を払ってくれているんだよ」
「そうかァ… じゃあ、これ、お父さんにあげる!」
 家族で、本気で笑い合ったのは久しぶりだった。

 翌朝、「桂山パノラマパーク」へ。山頂からは富士山が見え、何も考えることもなかった。
 アスレチック場では、四人の子ども達が、「お父さん、××(末っ子の名らしい)ばかり撮らないで、僕も撮ってよ」
「僕も撮ってよ」「僕も撮ってよ」
 子ども達が、それぞれの立つ位置から「カエルの唄」のような見事な輪唱をした。
「分かった分かった、そんなに叫ぶな、恥ずかしいから」
 お父さんも大変だ。この僅かな連休のために、365日を、会社の中で戦士と化して働いているのだろうか。家のローンもあるのだろうか。
 かなり若そうなカップルもいる。「女の子どうしだから」とか親に言って、彼氏と旅行に来たのだろうか。
 またロープウェイに乗って下山する。バスと電車を乗り継ぎ、いよいよお別れの時になる。
 三島駅発の新幹線、指定席から、子どもが一生懸命手を振っている。少し淋しげな顔だった。私も、涙ぐみながら、負けじと手を振る。妻は、どこか違うところを見ていた。
 車両が動き出すと、いつかテレビドラマで見たような、ホームを走って追いかけていきたい衝動に駆られた。
 鈍行電車に乗って、寮に帰る。なんで私は、一人でここにいるんだろうと思った。
 家族とは、確かに、一緒にいるものなのかもしれない。
 しかし、ずっと一緒にいたら、見えないことも沢山あるように思えた。
 家庭から、私は離れて、ひとりで働いてみたかった。
「自分を追い込んだのかな」
 ひきこもっている、Yさんの言葉を思い出す。
「アメとムチって、ありますけど、アメばっかりですね。働くとカネになって、でも働かなくても、ムチってそんなに無いですよね」
 期間満了で辞めていった、走る青年の言葉を思い出す。
 私は、自分で自分をムチ打つために、一番身近にいた家族に、とばっちりを食わせてしまうのか。
 翌日、職場で、
「どうでしたか、修善寺は」
 私と同い年の、「できちゃった結婚」した正社員に聞かれた。
「ああ、よかったですよ。家族って、たまに会うと、いいかもしれません」
 そう答えると、
「あはははは」
 ほんとうに可笑しそうに、笑われた。
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