第18話 一つの仕事を辞めたとき

文字数 1,988文字

 トータル約十年続けた、貯水槽の清掃。
 東急、長谷工、ブリヂストンと、とりあえず「大手」企業の下請け会社に属し、一人の現場責任者とずっとコンビを組んでやってきた。
「貯水槽清掃資格の取れる講習会が夏にあるから、それを受けて、車の免許も取って、これからは責任者として動いてくれ」
 そう言われていた矢先に、私は仕事に行かなくなってしまった。
 責任者になるのもいやだったが、私の中で何かがキレたのは、ひと月の半分が空白、つまり仕事がない予定表を見たときだった。
 東急は、下請け会社に流さずに、自社の社員で清掃するようになった。ブリヂストンからは、水漏れの発生したタンクを工事する仕事が多く流れてきたが、もうそんな不良品もなくなってきたらしい。
 長谷工のマンションだけの定期的な貯水槽清掃だけだと、ひと月十五日ていどで終わってしまうのだった。
 こんなに仕事のない月は初めてだった。
 毎日、行くべき現場がないということは、その日の手当(おカネ)が出ないということである。
 ひと月の半分も、お金がもらえない…。
 私は焦った。
「うちの家計はキチキチだからね」
 日頃、妻から言われている言葉が、頭によぎってかたまった。
 ─── まあいいや。ワープロ打てる時間が多くできたし、子どもと一緒に遊んで、家事をきちんとやって過ごそう。
 そう考えることが、できなかった。
 半月も仕事がないという現実に、不安と焦りの気持ちしか持てなかった。

 日頃、お金なんか、たいしたもんじゃない、と私はせせら笑っていた。が、実は、お金にこだわっている自分がいた。
 これではいけない、とパチンコ屋へ行く。
 絶対に勝って儲けて、半月分くらい稼いでやる。そんな切羽詰まった気持ちでギャンブルをすると、たいてい大敗する。すっかり熱くなって、店を出る頃には死にたくなっていた。
 そして夫婦喧嘩。
 老後のために貯めることなんかやめろと言い(うちは年金を払っていない)、ずっとオマエはケチだったと言い(ビール代・お小遣い等)、オレはオマエといるとオレ自身でいられなくなると言い、結婚後何十回目かの離婚話となる。
 なんだかひとりで、どつぼにはまって自爆した。
 ただの半月、稼ぎがなくなるだけの話なのだから、どっしり構えていれば、さしあたって何ということもなかったのだ。
 しかし、仕事がないという現実は、「さしあたって」の限度を超えて、大袈裟かもしれないが、普遍的な何かを象徴するもののように感じられた。
 この世に存在する「仕事」とは、何なのだろう。
 私は、仕事を「金稼ぎ」と割り切ってやって来た。
 金稼ぎ=仕事=生活。仕事がなければ生活ができない現実がある。金がなければ人生を生きてもいけないのだ。
 しかしその「仕事」とは何なのだろう。
 会社に雇われて働き、もらった金で、私の生活が、人生が、成り立ってきた。結婚五年目。子どもも五歳。私の一生は、企業なくして、やっていけないものなのか。
 嘘だ、こんなのニセものだ。
 会社が潰れたら私も潰れるなんて、とんでもない話だ。景気不景気に左右され、わけのわからない社会の波に自分の人生が乗っからなければ生きていけないなんて、とんでもない話だ。
 自分の力で何かでき、自分の力でこの社会で生きて行けるようにならなければいけない。

 日曜の新聞に折り込まれた求人広告を見る。正社員募集。働かなくちゃな、と思う。しかし、それで何になるというのか。私にとっては、とりあえず生活するための、その場しのぎの出稼ぎ先の広告に見える。
 世の中の都合で企業が動き、企業の都合でいつ路頭に迷うことになるか、先のことは誰にも分からない。あやうい基盤の上で、多くのオトーサンが家庭を築いている。
 私は、そんな世界からみれば、父親失格なのだろう。
 どうせこの世にいるのなら、自分というものをもっと主体において生きたい、と思ってしまう。
 お金より、アナタのオヤジはこうやって生きた、というものを子どもに残したい。
 いろいろな仕事があって、そのできあがった基盤の上で、なるべく給料のいい適当な所を見つけ、生きていく。
 この道路を、私はもう真剣に走る気が、なくなってしまった。オーバーヒートし、ガス欠する自分が目に見える。
 自分に合った職業なんか、ない。
 私の中で、その職業をつくっていかなければ、そこから私の人生が始まっていかなければ、どこにも行き着けやしない。
 私の生活・人生の土台は、私自身の中にある。そこから私の走る道を、舗装するなり土を残すなりして、生きていく。そうしないと、私はダメだ。それがまずスタートで、社会からお金をもらえるのは、あとからでけっこう。
 そのくりかえしで、生活したい。
 それにしても、自分に何があるというのか… 私のような欠陥をもった人間が、この世で生きて行けることなど、ないような気もするのだが。 
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