第4話

文字数 1,406文字

 真史は、それ以来何度か見舞いにきた。シフトが休みの時なんかに、はるばるやってきてくれる。
 真史が歌うと、静かな病室いっぱいに柔らかな声が広がって、殺風景な部屋に、カラフルな色が塗られていくような気がした。
 千波の様子に変化はなかったが、代わりにいろいろな話をした。まるで、大学時代以来の空白を埋めるように。洸太は卒業してから今までの仕事のことなどを、真史は、東京に行ってからどうやってメンバーがそろってデビューに至ったかというようなことを、話した。俊哉のことも話題に出た。突然職場に電話がかかってきたからびっくりした、と真史は言った。
 そんなふうに話していると、千波の入院以来なんとなく重たくなっていた胸の奥が、少し軽くなるような気がした。
 何度目かに真史がきてくれたとき、千波のまぶたがふるえたのに、洸太は気づいた。それは一瞬のことだったので、気のせいかと思ったのだが、その日、さらに二回、千波のまぶたは小さくふるえた。
 その日も来ていた晴美もそれに気づいて、低い歓声を上げた。
「え、ほんと?」
 歌を途中でやめて、真史はいっしょになって千波をのぞきこんだ。だが、もうそのときには、千波はいつもの静かな顔になっていた。でも、真史はうれしそうに表情を崩した。
「ふうん、洸太の話を聞いたときは、そんなことあるんかなと思ったけど、本当に聞こえてんのかなあ」
 看護師の吉田さんに話すと、それはよい兆候ですね、と喜んでくれた。先生にも話しておきます、といって脈を取る様子も、どことなくうれしそうな感じが見えて、洸太はそれがまたうれしかった。
 訪ねて行った先で真史と話したことを、洸太は晴美に簡単に話した。真史のバンドが解散したことは聞いていたものの、歌もやめて関係ない仕事についていることに、晴美もやはりおどろいたようだった。
 バンドをやめて介護職というのは、かなりなギャップがある気がする。いったいどうしてそうなったのだろう、と思わないではなかった。しかし、介護の仕事のことを普通に話す真史に、デビューのころの話はともかく、そのあたりのことはなかなか聞けなかった。
 千波には、それから少しずつ反応が出るようになった。真史の歌でなくても、洸太や晴美の声に、少しだけ指先が動いたり、まぶたがふるえたりする。一瞬のことだし、数日に一度くらいのことなのだが、これまで半ばあきらめかかっていた洸太には、まるで暗闇に光が差してきたみたいに思えた。
 そんな千波の変化を、真史は喜んだ。そして、歌の合間に、施設のおじいちゃんやおばあちゃんの話を楽しそうにする。そんな様子を見ていると、歌のことにはもう未練はないように見える。
 そんな頃に、晴美からその話を聞いた。
「あのね、吉田さんが言ってたんだけど」
「なに?」
「歌、歌ってほしいって、北村くんに」
「へ?」
「病院のね、レクレーションみたいなので、北村くんにミニコンサートやってくれないかなあって、吉田さんが言ってたの」
 ミニコンサート。
 真史の。
 へえ……。
 確かに、真史の歌は、病室で控えめに歌っていても、素人でないのはわかるのかもしれない。吉田さんも、何度か居合わせて聞いている。
 でも、と思う。
 もう歌えない、と言った時の真史の顔がよみがえる。千波のためにと強引に頼んで、病院に来てもらっているのに。
「じゃあ、今度来たときに話してみようか」
 あいつ、引き受けるかな。
 そう思った。
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