第3話

文字数 1,032文字

 長谷川に挨拶だけしておいてから、総務部の部屋に行くと、岸晴美がひとり机に向かっていた。
 総務部の部屋は営業部よりも小さく、全員そろっていても所長と事務担当と合わせて四人しかいない。
「あれ、誰もいないんですか」
「水島くん」
 顔を上げた晴美の声に、少し心配げな響きがあった。
「会社来ても大丈夫なの?」
「ちょっとだけ。すぐに帰ります」
 岸晴美は、三十を少し過ぎたくらいだろうか。黒髪を肩より少し長くのばしていて、背は高め。この営業所では古株なほうで、姉御肌で面倒見がよく、営業マンにはわりと人気があった。もうひとり、三年目くらいの若い女性と一緒に、主に総務経理事務を担当している。
「あと二、三日休みもらいたいんで、届を出しとけって、長谷川さんが」
「そっか。じゃあえっと」
 晴美は、棚の引き出しを開けて書類をがさごそとやっている。
「これに書いて。いつもと同じだから」
 空いた席で渡された書類に日にちや理由を書き込んでいると、晴美がじっとこっちを見ているのに気づいた。
「なに?」
「どうだったの? 妹さん」
「たいしたことないよ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。なんで」
「それならいいけど、突然『今病院にいる』ってメールが来たから、なにごとかと思ったよ」
 晴美が、少し抑えた声でこそこそいうのを聞き流しつつ、洸太はボールペンを走らせる。
 会社の人間に家のことなど特に話すことはないが、総務にいる晴美は、手続きなどの関係もあって、洸太が妹とふたり暮らしなのを知っている。
「はい、これでいい?」
 晴美は書類を受け取って、ざっと確認するように視線を動かした。
「じゃあ、本社に送っておくよ」
 そう言って、引出しに書類をしまう。
「少し落ち着いたらでいいから、ゆっくり食事に行こう。話聞くからね」
 部屋にはほかに誰もいないのに、晴美は一層声を低めてささやいた。わかったというように洸太はうなずいておく。
 バタンと大きな音がして、部屋のドアが開いた。
「お、水島」
 ベージュの作業用ジャンパーをはおった所長が、大きな声で言いながら入ってきた。
「妹さん、大丈夫か」
 洸太は立ち上がって、軽く頭を下げた。
「ご心配をおかけしてすいません。大丈夫ですが、もう何日かお休みをいただくかもしれないので……」
「ああ、それは気にするな。長谷川にも言っておくから」
「ありがとうございます」
 所長は陽気で気のいいおやじだが、長谷川よりもさらに上をいって話が長いので、洸太は晴美に軽く目で合図をして、早々に部屋を出た。
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