第5話

文字数 2,044文字

「ほんとにもう、ばかじゃないの」
「だから、ごめんって」
 カフェの中は騒々しくて、めずらしく晴美が声を荒げても、あまり目立たないで済んだ。
「どうしてそんなことになるのかな。もう……」
 あきれたように言葉に詰まる晴美を、不思議な思いで洸太は見つめる。
 下手をしたら拘束されるかもしれないと思ったが、そうではなかった。
―え、オレオレ詐欺の話じゃないんですか?
 おどろいて思わず言ったら、やぶへびだった。
 散々直樹とのことを問い詰められ、途中で、本当に危うく警察署で夜を明かす羽目になるところだった。
 なにも受け取らなかったし、そのあとは会ってないし、電話もなにもしていない、と必死で言い続けて、携帯のメールも見せた。それで、やっと信じてもらえたようだった。
 あのあと洸太は、直樹の言っていた打ち合わせには行かなかった。都合が悪くなったというメールだけ送ったが、返信はなかった。それで、どういうことか、というメールをもう一度送ってみたが、これにもなんの返信もなかった。そうだろうな、とは思っていたのだが。
 行けと言われた家の住所も、そこでなにがあったかも、洸太がなにをしなかったのかも、みんな話した。
―情報、ありがとうございます。
 そう言って、逆に感謝された。
 直樹の連絡先を知られてしまったが、どうせ今ごろは、別の携帯かなにかに変えているだろう。というか、もともと捨てるアドレスだったにちがいなかった。
「もう、どうしてそんなに人がいいのかなあ、水島くんは」
 これでもう、同じことを三回も言っている。
「あの時、そんな話だと知ってたら、全力で阻止したのに」
「でも、あいつは悪いやつじゃないんだ」
「とてもそうは思えませんけど」
 荒れていた中学時代、直樹は話のできる数少ない友達のひとりだった。
 一緒に住んでいた、父親でない男に、直樹はよく殴られていたようだった。
 それでも、目じりを青黒くした直樹は明るかった。
「あいつがいなかったら、おれは中学でもっと悪いことになってたかもしれない」
 直樹やその先輩だという三年生と一緒に、となりの中学のグループとけんかになったり、けっこうすれすれのこともやった。でも、ぎりぎりのところで直樹は、洸太の腕を引っ張ってその場から逃げだす。その嗅覚の確かさに、洸太はいつも感心していた。洸太はどちらかというとその場の雰囲気に流されやすいし、はっきりいやだというのも苦手だったから。
 そんな直樹とも、高校に入ってからは疎遠になった。
「中学のころの記憶って、あんまり思い出したくなかったし」
 家も、自分も、不安定だった。高校に入ってからは、自分も多少大人になったのかもしれないし、高校の友達に救われたのかもしれない。家にいるよりも、楽しいことがたくさんあったと思う。
 今回の直樹のことは、やられたという感じはあるが、あまり悪くは思えなかった。いろいろあるんだろう、と思う。高校をやめたあと、どうしてあんなことになっているのかは知らないが、それを責める気にはなれなかった。
 いつの間にか、晴美は怒るのをやめて黙って聞いていた。
 なんだか気恥ずかしくなって、洸太は早口になる。
「まあ、助かったよ、迎えに来てくれてありがとう」
 警察から解放されて、洸太は一番に晴美に電話したのだった。
「でもまあ、よかったよね、千波ちゃんの犯人が見つかって」
 病院に来た警察官の話というのは、千波をはねた男が見つかった、というものだった。黙ってそれだけ聞いておけばよかったのに、とも思ったが、みんな話してしまったことで、今では逆にすっきりしていた。直樹を責める気はなかったが、どうしておれをだましたりしたんだ、と悶々と考えるのは、大いにありうることだ。
「まあね、でもいまさらもうどうでもいいけど」
 ひき逃げ犯は、出張で他県から来た会社員だったらしい。慣れない場所で道に迷い、見通しの悪い住宅街の四つ角で、きょろきょろしながら運転していて、千波に気づくのが遅れた。倒れて動かない千波を見て、怖くなってそのまま逃げたのだという。他県の車だったおかげで見つけるのにこんなに時間がかかった、というのが警察の説明だった。
 千波の意識が戻ったので、もうどうでもいいという気はしたが、経済的なところでは多少楽になるのかもしれないと思う。それには少し、救われる気がした。
「千波ちゃん、その後はどう?」
 晴美は、少し機嫌を直したらしい。
「うん、ちょっとずつ言葉が出てくるようになった。コンサートのことも少し覚えてるみたい」
「へえ、そうなんだ、よかった」
 さっきまでとは打って変わって、ほっとした顔をする。
 それを眺めながら、洸太はふと思う。
 この人は、なんでこんなにしてくれるんだろう。どうして自分は、この人に頼るんだろう。
 晴美は、紅茶を飲みながら、じゃあ今度の週末にまた千波ちゃんに会いに行こうかな、などとひとりで言っている。
 そうだ、と洸太ははっとする。
 部屋を掃除しておかないと、千波が帰ってきたら怒られる。
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