第10話 「嘘」について
文字数 3,129文字
何故、人は嘘をつくのだろうか。嘘は裏切りでもありそのせいで悲しむ人もいる。一方で、ついて良い嘘もあったりし、それは優しさだったりする。そもそも真実とは何で、それには何の価値があるのだろうか。嘘や真実、それらに言葉はどう関係してくるのか。「みか」と「サイトウ」の二人は「嘘」をつくのだろうか、「嘘」とどう向き合っているのだろうか。
最近はあまり自覚はないけど、ひょっとしたらというのはあるかも。あとは、仕事の中でとかでちょっとした嘘はつくかもね。嘘というのか分からないけど、曖昧に回答したり、ちょっと視点を変えて回答したりとか。その方が、上手く進みそうな気がして意図的な感じ。でも、自分のための嘘と言われたら、それはそうなのかもしれない。
確かに、本来言葉ってそういうものだよね。情報を交換して、お互い理解するためのツール。でも、自分を良く見せたいとか、そういう人間の欲で、間違った情報を交換することがある。それが嘘ってことなんだろうって。
あぁ話し盛るやつね。確かにそれもあるよね。飲み会とかで、特に男だけど、自慢話、武勇伝とか、なんかそういうのを言ってる人多いよ。嘘だろ、盛ってるだろってうんざりする時もあるね。もちろん、その場を盛り上げようとしてるだけかもしれないけど。
うちもそういう経験あるけど、本当にそういう時はうんざりする。でも、そういう話を聞いて楽しい時とか、さっきのお笑い芸人の話しって、嘘かなーて思う事はあったとしても、何かそれを想像すると笑えてくるというか、おかしいんだよね。
うん、良く分からないけど、そんな感じだと思う。それで、その時って自分に都合のいいように情報を変えているわけではなくて、相手のために情報を変えてるんじゃない?それが面白く伝わるというか、笑えてくるというか。
さっきのとかはまぁ良いと思うんだけど。例えば、すごくいじめられたり、暴力されてるのに大丈夫って言ったり、全然好きでも無い仕事を押しつけられて好きですって言ったり。ある意味、相手の考えてるように見えるけど、結局自分に害が出てしまってるから。それはちょっとやり過ぎ、我慢し過ぎな嘘って感じがするな。そういうのは少なくなって欲しいな。
んー、上手く言えないけど、頭で考えた事、心で感じた事が本当に何も情報が欠落する事なく言葉に変換できるのかって疑問に思うだよね。ギターの音を生で聴くのと、録音したのを聴くのは全く別な感じがするじゃない。そんな感じ。言葉にした段階で既に何か欠落してて、真実ではない感じがあるんだよね。もちろん、さっき話していた意図的に情報を間違えるというのとは別で。