第9話 「引きこもりの少女たち」(3) 

文字数 7,393文字

「ライムちゃん!!」
 ロッテが悲鳴を上げた。
「落ち着きなさい、ロッテ」
 だが、ライムは動じない。
 貫かれた胸からは、血の一滴も流れない。
 なぜなら彼女は、スライムだから。
「刃や弾丸では、わたしは傷つきませんよ」
 軟体生物であう彼女は、高度な擬態によって人間そっくりの姿に化けているだけ。
「まったく、服が破れたじゃないですか」
 なるべく制服の切込みを広げないように、体を動かし、刃を抜く。
 とたんに、切り口は合わさり、服の下の肌は傷跡も残さずもとに戻る。
「………………!?」
「あなたは、リビングメイルの後谷さんですね」
 そこにいたのは、動く鎧――リビングメイルであった。
 人類種族には、魔導師の呪法によって動く「呪いの鎧」と思われているが、実際は異なる。
 そういった、一種「養殖物」もあるが、天然のリビングメイルは、闇の精霊の類が、器物に乗り移り事によって生まれる。
「いきなり突きかかるのは、マナー違反ですよ!」
 素早く、ライムはバッグから二本の試験官を取り出すと、同時に、背後のロッテに声をかける。
「ロッテ! あれを!」
「うん!」
 ロッテもまた、背中に背負っていたバッグから、こちらはやや大きめの液体の入った瓶を、リビングメイルの後谷さんに投げた。
「…………!?」
 鎧の兜部分にあたり、「ガシャーン」と大きな音を立てて、瓶は割れる。
 そして、中の液体が、後谷さんを濡らした。
「…………?」
 困惑している後谷さん。
 かけられた液体が、何かしらの力を持っているかと思ったが、なんの効果も発動させない。
「安心してください。それはただの水です……が!」
 言うや、今度はライムが、二本の試験官を投げつけた。
 それもまた割れるや、中の液体が後谷さんに頭からかかる。
「それは水じゃありません。魔晶石の粉末を溶かしたものです」
 魔晶石とは、それ自体が魔力を有した鉱物である。
 これらの高度結晶ならば、大規模な魔導を発動させる触媒としても使えるが、含有率の低い、「クズ石」レベルでも、粉末にし、特殊な液体に混ぜ込むことで、簡易的な魔法を発動させることができる。
「その試験官、一本には『風』もう一本には『凍』の魔力がこもっています!」
 急激な低温を引き起こす『凍』の魔晶石と、気流の変動を呼ぶ『風』の魔晶石が合わされば――
「つまり……気化冷凍!!」
 頭から被り、関節部にまで染み込んだ水が、急激に冷やされ、凍結する。
 甲冑は、全てのパーツが金属で出来ているわけではない。
 関節部や接合部には、皮のベルトなどが用いられている。
 それらが急激に凍り付けば、動くことはできなくなる。
「てーい!」
 ライムは勢い良く、後谷さんに体当たりをかます。
 それだけで、接合部が壊れ、彼女の体はバラバラになり、廊下に四散した。
「動けないリビングメイルなど敵ではありません!」
 勝ち誇るライム。
 リビングメイルにとって、鎧はただの依代である。
 バラバラになっても死にはしない。
 だが、誰かが再びつなぎ合わせなければ、もがくのが精一杯であろう。
「ライムちゃん! 後ろ!」
「え………」
 ロッテ声に、後ろを向くと、もう一体、リビングメイルが立っていた。
「きゃあ!?」
 振り下ろされる刃。
 とっさに、地面を這うようにして、その一刀を避けた。
「しまった……忘れてました……後谷さんは、双子でした!」
 ライムらしからぬ失態。
 しかし、油断していたのは認めるが、それ以上に解せないものもあった。
(動きが……早すぎる?) 
 リビングメイルは、本来鈍重な種族である。
 わかりやすく言えば、鎧に取り付いたポルターガイストのようなもの。
 全身甲冑となれば、食器や椅子を動かすのとはわけが違う。
 その重さは三十キロを超える。
 本来なら、やってきた敵を倒すよりも、中身のない鎧故の防御力を利用し、侵入者を根負けさせ、縄張りから退散させるのが彼らの生態なのだ。
「ともかく……やることは同じ! ロッテ!」
 再び「凍結」作戦を実行すべく、ロッテに合図を出す。
「よいしょー!」
 それに応え、ロッテは水の入った瓶を投げつけた。
「なんですって!」
 だが、リビングメイルは素早く床を蹴ると、瓶をあっさりと避け、それどころか、投げつけたロッテの背後に一瞬で回り込み、刃を振り上げる。
「ふええ!?」
 慌てて逃げるロッテ。かろうじて体に傷は負わなかったが、背負ったバッグが切り裂かれ、中にあった水入りの瓶が散乱する。
「………………」
無言で、その瓶を全て踏み砕くリビングメイル。
これでもう、凍結作戦は使えない。
「おかしい……これはリビングメイルの動きじゃない!」
 人間か魔族か……少なくとも、かなりの修練を積んだ、「剣士」の動きであった。
「まさか………」
 そこで、ライムは最悪の予想をする。
 確認するように、再び探査用の水晶を取り出す。
 光点はすぐそばにある。
 探索範囲を拡大する。
 光点はすぐそば、すぐ目の前にあった。
「ラーヴェルト先生………!」
「ライム君……に、逃げろ………」
 リビングメイルの兜部分、顔を覆っていたバイザーが上がり、その中には、囚われたラーヴェルトの顔あった。
「そういうことですか……!」
 リビングメイルを人型の種族に無理やり着させることで、その中身を操り、生体と同じ身体能力を得たということである。
「ラーヴェルト先生、なんとかならないんですか!」
「すまない……僕の力ではどうしようもない」
 おそらくラーヴェルトが自分の体で自由に動かせるのは、口くらいだろう。
(これは……ピンチですね)
 これがただのリビングメイルなら余裕で対処できる。
 そこら辺の人型魔族でも、どうにか活路を見いだせるだろう。
 だが相手はラーヴェルトである。
「ライム君! 避けるんだ!」
 ラーヴェルトの声。
 同時に、ラーヴェルトの体を得たリビングデッドが、凄まじい速度で斬り込んでくる。
 ひたすら逃げることしかできないライムとロッテ。
「どうしようもできない」と言っているが、それでもラーヴェルトはある程度抵抗しているのだろう。
 後もう少しのところで刃は当たらず、床や壁を切り裂くに終わっている。
「さすが元魔界騎士……」
 しかし、その斬撃は、壁を切り裂き、床を砕き、もし当たったならば、スライムの体でも、死にはしなくとも人型を保てなくなるのは間違いなかった。
「どうしようライムちゃん………」
 震えているロッテ。
 彼女も魔族の端くれで、ゾンビ族である。
 そう簡単に死にはしないが、能力としてはそれくらいで、リビングメイルを着込んだ元騎士に勝てるような力はない。
「むぅ……まさかこんなことになるなんて……!」
 自分でやらせておいて勝手な言い草では有るが、ラーヴェルトを扉開放の生贄に使ったのが完全に裏目に出た形となった。
「帰れ………」
「―――!」
 突如、声が響く。
 それは少女の声だった。
 だが、暗く、重く、世界の不幸をすべて背負ったような声――それが、どこからともなく……否、天井、壁、床、四方八方から聞こえてくる。
「帰れ……もう来るな……二度と……帰れ……」
 これこそが、この館の主たる少女、ミシルティアの声だった。
「ミシルティア! 聞こえているんでしょう! せめて一度顔を見せるくらい――」
「黙れ」
 ライムの説得も通じない。
「うわぁ!」
 それら全てを薙ぎ払うように、リビングメイルが襲い掛かってくる。
「ったく、まさにミイラ取りがミイラだな」
 そこに、声がもう一つ増える。
「ふえ!?」 
その声を聞いて、ライムが気の抜けた声を出してしまった。
 リビングメイルの操り人形の肩をつかむ、男の姿を見たから。
 ついうっかり、本人に知られれば、何を言われるかわかったものではないが、つい、「ホッとして」しまった。
「ったく、詰めが甘いぞ委員長」
 そこにいたのは、彼女のクラスの担任、万年陰念陰険教師、クトゥーであった。
「妙な胸騒ぎがするから、様子を見に来たら……ってかテメーは何をやっとるのだこのイケメン」
 面倒を見ろと言って送り込んだ男が、いともあっさり敵の駒になりさがっている様を見て、クトゥーはこの上なく呆れた顔をしている。
「そんな!? クトゥー先生が行けって言ったからこうなったんでしょうに!?」
「いつ俺が、小娘の操り人形に成り下がれとゆーた? オマエそれでも教師かぁ? ガキ相手にいいようにされてんじゃねーぞ」
 泣きそうな顔で反論するラーヴェルトに、情け容容赦なく言い放つ。
「悪魔だ……下手な魔族より悪魔だぁ! もうどうでもいいですから助けてくださいよ!」
 泣きそうを通り越し、ついに涙を流し始めるラーヴェルト。
「おうまかせとけ」
 快諾するや、次の瞬間――
「きてはぁ――!!」
「なんとぉ!?」
 暗黒式魔導の一つ、空間破砕魔術を発動させ、ふっとばされるラーヴェルトと、彼に無理やり着込ませた、リビングメイルの後谷さん(姉)。
 壁を突き破り、窓を砕き、館の外までふっとばされ、そのまま地面に落着した。
 地面に打ち付けられ、鎧はボロボロに、中のラーヴェルトも失神し、白目を剥いていた。
「よし終わり」
 どうなったか確認もしないクトゥー。
 薄情に見えるし、実際薄情なのだが、魔術自体はギリギリのレベルで調整し、鎧を着込んでいるなら、重傷二歩手前くらいで済むくらいには力加減をしていた。
「お前……誰だ! いつの間に、入った……!」
 あちこちから響くミシルティアの声は、あきらかにうろたえていた。
 この館は彼女の体も同然。
 自分の中に、異物が入ったことに、今の今まで気づけなかったのだ。
「ド阿呆、こちとら闇を極めし暗黒式魔導師だ。『闇』の気と同化し、完全に気配を断っただけの話だ」
 太陽の光の前にろうそくの灯火が掻き消えるように、闇の気の中に完全に己を同化させれば、目の前に立たれても「闇」の存在である魔族は感知できなくなる。
「いつからいたんですか?」
「パープル野さんの辺りからだ」
「けっこう最初からいた!?」
 すぐ側にいながら、高みの見物を決め込んでいたことに、ライムは非難の声を上げる。
「生徒の自主性を尊重してやったんじゃねぇか。うわぁ、俺も気づけば教師らしくなったなぁ」
「この外道」
「んだコラなんか言ったか」
「この外道!」
 ホッとした反動で、食って掛かるライムと、それに応戦するクトゥー。
「先生も、ライムちゃんも、落ち着いてよぉ~。ね、ふたりとも仲良く!」
 世にもまれなる癒し系ゾンビのロッテの仲裁で、ようやく二人は鉾をおさめた。
「んで、さっきからやかましいこの声……なんだっけ、ミスズガクエンか?」
「ミシルティアです」
「あう、そのミシルなんとかってのを、運動会に出場させるために、お前は来たわけだ」
「ええそうです」
 すでにラーヴェルトにも語ったが、彼女のある才能……というよりも、生態が、勝負の決め手になるかもしれないのだ。
「なるほど……おいミルドビッチ!」
「ミシルティアです……ホント、人の名前覚えませんね」
 ライムが冷ややかに突っ込むが、クトゥーは続ける。
「そういうことだ、授業に出ろとは言わん。運動会だけ出ろ。一競技だけでいいから」
「いいんですかそれで?」
 不登校の生徒に、教師が掛ける言葉としては、適切とは思えなかった。
「いいんだよ。無理強いしてもしょうがねぇ。来たくないなら、それもそれで本人の選択だ」
「はぁ」
 納得行かないという顔のライムだったが、意外なところからも声が返る。
「来たくないなんて、誰が言った……」
 それはミシルティアだった。
 その声は、どこか悔しげだった。
「あン? どうゆうこった?」
「あの……ミシルティアは、その……ミミックなんです」
「ミミックぅ?」
 ミミック――ある意味、有名な魔族の一種である。
 その外見は宝箱に酷似し……というよりも、宝箱の中に住み込み、ダンジョンや洞穴の中に隠れ、欲にまみれた侵入者を捕食する、「生けるブービートラップ」とも言われる種族である。
「ミミック族が住処とするのは、宝箱だけに限りません。箱……というか、一定の密封された空間なら、全て自分の一部にできるんです」
「なるほど、この館自体を“宝箱”にしたってわけか」
 彼女はこの女子学生寮別棟を自分の一部とすることで、同じくここに住まう他の引きこもり生徒たちをも支配下に入れていたのだ。
「大したもんだ。誰でもできるものか?」
「いえ、多分、ミシルティアくらいでしょうね」
 おそらく彼女は、ミミック族においても、桁外れの才の持ち主なのだろう。
「なるほどなぁ……オマエがこいつに目をつけた理由が何となくわかってきたぞ……ふふん、なるほど、それは是非とも出場させたいな」
「だから無理だって言っている……」
 悪い顔でほくそ笑むクトゥーに、「わからないやつだ」と言わんがばかりに、ミシルティアは言う。
「アタシは、ここから出られないんだ………」
「ほう?」
 ミシルティアの声には、悔しさと、そして寂しさが混ざっていた。
「外に出たくても、ミミックの習性がそれを邪魔する……がんばったけど……無理だった……」
「ほほうほう?」
 ミミックは、「動かず」「待ち構える」形で進化した種族である。
 逆に言えば「動く」「取りに行く」ことは、この種族にとって、生存率を下げる行為。
鳥を例にあげればわかりやすい。
 鳥類は、「空を飛ぶ」という進化のため、その骨や内臓に至るまで、それに適した形になっている。
 だがその鳥が、地面に降り立てば?
 飛行に適した筋肉は地上では役に立たず、捕食者の格好の餌食となる。
 ミシルティアもそれと同じなのだ。
「アタシだって、出られるものなら、外に出たい」
 彼女の最大の不幸は、ミミックでありながら、「自由に外界を歩き回る」という、夢をもってしまうくらいには、高度な知性を持ってしまったことなのかもしれない。
「なるほどなるほど、言いたいことはよくわかった」
 ぽきぽきと、クトゥーは拳を鳴らす。
「……ところで、こいつは、どうやって学園まで来たんだ?」
「業者にお願いして、箱に入ったままここまで運んでもらったそうです」
「荷物扱いか」
 ライムが答える。
 そこまで徹底して、「動く」ことの出来ない少女。
「ちと、興味が湧いた」
 にやりと、不敵に笑うクトゥー。
「少しばかり手荒な手段を取る。だがオマエもそれなりにやるこたぁやったんだ。その分のしっぺ返しと思え」
 そう告げると、跪き、両手を床においた。
「先生、なにするつもりなんです!?」
 その動きに、嫌な予感がしたライム、あわてて止めようとするが、その前にクトゥーが言う。
「ライム! ロッテ連れて、そこら辺にある柱にしがみついてろ!」
「あ、はい! あ、あ、しまった……」
 クトゥーは、普段はライムのことを「委員長」としか呼ばない。
 人の名前を覚えるのが苦手な彼だが、さすがにライムの名前は覚えている。
 なのに、彼女のことは滅多に名前で呼ばない。
 別にライムはそこまで気にしているわけではないが、ロッテや、他のクラスの女子生徒らはそれなりに名前を呼ぶのに、自分だけ呼ばないことを、少しばかり引っかかっていた。
(ああもう!)
 そんなだから、とっさでも名前を呼ばれたことが、少しだけ嬉しくて、ついうっかり止めることも忘れて、言われたとおりロッテを連れて、近場の柱にしがみついた。
「そいやぁ!!」
 二人が柱にしがみついたのを確認し、クトゥーは床に置いた手のひらから、己の中の膨大な『闇』の力を流し込む。
 この館は、ミシルティアの体も同然である。 
 館の端々にまで彼女の魔力が浸透し、自己の肉体も同様に操れる。
 扉を開けた途端襲い掛かってきた触手も、彼女が魔力で変質させた館の一部分だ。
 そこに、クトゥーは自分の『闇』の力を流し込むことで、強制的に彼女の魔力を追い出した。そうなったら起こることは――
「うがががががががが!?」
 四方八方から響き渡る、ミシルティアの叫び。
 館全体が、痙攣を起こしたように震えていた。
 壁が、床が、天井が歪み、伸び縮みを始めている。
「な、なにが起こってるの―!?」
 わけがわからないというふうに、柱を掴みながら叫ぶロッテ。
「なにやってんですか先生―!」
 ライムもまた、眼鏡が吹っ飛びそうな揺れの中、声を上げる。
「なぁに、まぁちょっと荒療治だが……こういうのもありだ。おひさまを拝め!」
 クトゥーの「闇」の気に追い出され、逆流した魔力は、ミシルティア自身に戻る。
 その反動で、彼女は「自分の体ではない」この館から、自分自身の力で弾き飛ばされる。
 これは無理やり外に引きずり出すのではない。
 むしろその逆、「自分の体」ではなくなった館から、彼女自身の防衛本能が、館から飛び出させたのだ。
「うひゃああああ!!」
 最後のミシルティアの叫びは、壁や床に魔力を介してはなった、先程までの声ではなく、彼女自身の口から出たものだった。
 そして――数分後。
 クトゥーらは館の外にいた。
「ふぅ………これでよし」
「無茶苦茶だぁ………」
 急激な魔力変動で、館は三分の一ほど吹っ飛んでしまった。
 さすがに強固な柱は無事だったので、ライムとロッテは無事である。
 ただし、吹っ飛んだガレキが直撃したのか、地面に倒れていたラーヴェルトは、再び気絶していた。
「ほほう、どんな姿かと思ったら……ははぁ」
 そして、彼らの前にはもうひとり、少女の姿があった。
 歳は、人間に変換すれば、十歳前後くらいの容姿。
 四方に何もない外界に放り出され、あたふたと戸惑っている。
「あなたが……ミシルティアですか?」
 それが、ミミックの少女、ミシルティアの本体の姿であった。
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