第26話「吹き荒れるピンクの嵐」(4)

文字数 2,168文字

 一方その頃――魔王城にて。
「君はいつまでいるんだい。早く帰りなさいよ」
「連れないわね魔王サマ? なに、文通相手に早く返事を送りたいのかしら?」
 いつまでたっても帰らない、“淫靡卿”アルア・ドネアに、そろそろ魔王も苛立ちを隠さなくなっていた。
「連れなくもなる。用があるなら言い給え。言わないのなら帰り給え」
「ふふ……さすがねぇ、お見通しなのね」
 魔王は、彼女がなぜ帰らないか、その事情を大体察していた。
 彼女には知りたいことがあり、相談したいことがあった。
 だが、高位魔族というものは誇りが高い。
 弱みを相手に見せるというその事実が、プライドを傷つけるのだ。
「恥を偲んで聞くわ」
「君に恥という概念があったことに驚きだ」
「茶々を入れないでちょうだい……あのね、ワタシには娘がいるの」
「知ってるよ、千人ほどいたか」
サキュバス族の長、“淫靡卿”の二つ名にふさわしく、恋多く愛多いアルア・ドネア。
 その長き生で、産んだ子どもの数も桁外れである。
「千九十三人よ」
「そんなにいたか。なにかね? 千九十三人分の出産祝いでも寄越せと?」
「違うわよ、そもそもあなたの贈るプレゼントなんて、紅茶セットかガーデニングセットか、あとはアロマセットくらいなものでしょ?」
「嫌いかね、アロマセット?」
 魔王のささやかな楽しみは、ラベンダーの香りに包まれて、花を愛でつつ紅茶を楽しむことである。
「そういうおひさまが似合う趣味は、シュミじゃないの……じゃなくて、下から五十二番目の娘がいるんだけど……」
 しばし目をつむり、アルア・ドネアは、直感と感情で生きる快楽主義者の彼女にしては大変珍しく、考えてから言葉を発した。
「アレルギーなのよ」
「アレルギー?」
 アレルギーとは、体内の免疫機能が、本来なら無害な物質にまで、過剰な反応を起こしてしまう現象である。
 花粉症やアトピー性皮膚炎もこの一種である。
「そりゃあ大変だ。鼻水が出るのかい? それとも肌のかゆみ? もしくは湿疹か、咳が出るとか……」
 全てではないが、魔族の一部でも、この症状が出る者はいる。
「違うわよ。そんな人間みたいな反応は出ないわ」
 だが、その症状は人類種族のものと異なる。
 同時に、人類種族とは異なるものが、アレルギーの原因となるのだ。
「そういえばそうだねぇ。人間なら食べ物なんかで起こるそうだね。サキュバスの食べるものと言えば……ん?」
「そうよ、サキュバスは生物の精を栄養とする。特に好きなのは人間の精ね」
「待ち給え、つまりそれは、ええっと……」
 考え込む魔王に、アルア・ドネアはさっさと答えを告げる。
「人間の精、それも、童貞の男の精がアレルギーの原因なの」
「ほ、ほう……?」
 ある意味サキュバスらしい症状に、魔王は驚く。
「直接精を吸収しなくても、童貞に触られるだけで発症しちゃうの………そして発症したら、とんでもない事が起こるの」
「とんでもないことというと?」
 尋ねる魔王に、アルア・ドネアはため息を吐きつつ答える。
「あの娘、普段はサキュバスらしさが欠片もないの。むしろ超カタブツ。父親似なのね」
 アルア・ドネアは、その長き生の間で、多くの子どもを生み、またその子供の数だけ夫を持っている。
 一夫多妻ならぬ、一妻多夫なのだ。
「でも、もしその娘が童貞に触れたら、普段押さえ込んでいるサキュバスの本性が全開放されちゃうの」
「なんだと……?」
 サキュバスの長の娘である。
 その力もまた、サキュバス族の中では屈指の力だろう。
「しかも不味いことに、能力だけなら、アタシの娘の中でも五指に入るのよ」
「そりゃあキミィ……下手すりゃ国が傾くぞ」
 古来より、絶世の美女のことを、「傾国の美姫」などと呼ぶが、アルア・ドネアは、本当にその魔性の美しさだけで国をいくつも滅ぼした実績がある。
 その娘ならば、それくらいはしてみせるだろう。
「さらに言えば、その力の制御を、自分でできない……全開放し続ける」
「おいおい、それは……不味すぎるだろう?」
「だからね、あなたにお願いに来たの」
 お願いをするだけでも彼女にとってはプライドが傷つく話だが、その上、サキュバス族の長の娘が、サキュバスの力を使いこなせていないなど、“淫靡卿”としてこれ以上の恥はそうはなかったのだろう。
「あなたの肝いりで作ったあの学校……ヨルムンガルド、だっけ? そこにウチの娘がいるのよ」
「なんだと!? 聞いてないぞ!」
「言ってないもの、本人の意思もあって、出自がバレないように工作したから」
「勝手なことを……!」
 ヨルムンガルドは、表向きは閑職の中の閑職とされているが、それでも、魔王直轄の機関である。
 そこに不当に介入したのは、四天王と言えど問題行為だ。
「そのことは謝るわ。だから言いに来たんじゃない……」
 自己の裏工作がバレることを覚悟してまで、防がねばならない事態だった。
「そこに赴任したっていうニンゲンの童貞に、厳命しておいて」
 その声に、脅しも誇張も含まれていなかった。
「我が娘、ステラ・リアには触れるなって」
 魔王軍の情報長官としての顔で、アルア・ドネア――フルネーム、アルア・ドネア・リアは言った。


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