第12話 「陰謀家たちの黄昏」(3)
文字数 5,714文字
ラーヴェルト・ガルド・マルコシアス――彼の父はさる高名な高位の魔族であり、母はウッドエルフ族の貴族の娘であった。
本来ならば交わることのない二種族、しかし出会ってしまった二人は恋に落ち、彼は生まれた。
最初、彼はウッドエルフ族の里で育ったが、エルフの目と魔族の目、双方をもって生まれたため、己の出自を知ることとなる。
エルフ族に馴染めぬまま、ラーヴェルトは里を出て、魔族として生きる覚悟をする。
名も知らず、顔も見たことのない生き別れた父も、魔族の騎士であったという。
その才能を受け継いだ彼は、魔界騎士として名を馳せる。
だが、そこでもやはり、生まれついて色の違う左右の瞳が彼を悩ませる。
「エルフ族との混じり物」と、名を馳せれば馳せるほど、彼を嘲笑する者が後を絶たなかった。
彼は魔王軍を去り、剣を捨て、権力争いの場から遠ざかることを選ぶ。
だが、悲しき別れもあった。
彼には、恋仲にあった女がいた。
しかし、ラーヴェルト同様、魔王軍において四天王も担える器と目されていた彼女は、「あなたのことは愛している。だけど私は、自分の可能性を試したい」と、彼とともに歩む道を拒絶した。
ラーヴェルトは恨みはしなかった。
それは当然だろうと思った、
そして、流れ流れ、彼は辺境の一学園の音楽教員となる――
彼は、自分の運命を恨みはしなかった。
自分と敵対した者たちすら、悲しみはすれ、恨むことはなかった。
そこが彼の魔族らしからぬ、最大の点であったのかもしれない。
彼はただ静かに、こう思うことにした――
「きっと、前世からの報いなんですよ」
ヨルムンガルドの保健室のベッドの上で、包帯まみれになりながら、ラーヴェルトは乾いた笑いを浮かべていた。
「すいませんでしたラーヴェルト先生……体大丈夫ですか?」
「ははははは、大丈夫ですよ。もうなんていうか、色々と悟りを開きかけてますから」
ライムの言葉にも、乾いた笑いと、濁った眼で答えるイケメン元騎士。
今回の一件で、一番割を食らい、重傷を負った彼であった。
「なんだオマエ、拗ねてるのか? こうしてわざわざ保健室まで運んでやったと言うのに。文句を言う前に、感謝の心を忘れるな」
「僕もクトゥー先生みたいに生きられたら、もう少し違う人生になったかもしれませんね」
ミミック館に取り込まれ、リビングメイルに取り憑かれ、クトゥーの破砕魔導にふっとばされ、挙句の果てに崩れたガレキの直撃でトドメを刺された。
さしもの元魔界騎士も、「人生ってなんだろう」と思わずにいられぬ展開であった。
「さて、それはそれとして……」
恨みがましい目のラーヴェルトを置いといて、クトゥーは保健室の片隅で震えている少女を見る。
「ミミックの中身ってのは、こんな姿だったんだな」
そこにいたのは、ミミック族の少女、ミシルティアであった。
容姿は人間の十歳前後の、幼い少女に見える。
「年齢的には、わたしやロッテと変わらないはずなんですが……」
魔族というのは、人類種族と違い、単純な年数だけで年齢を区別できない。
とはいえ、総合的な知能、精神の熟成度などから、ある程度の基準で置き換えることができる。
外見年齢こそ幼女だが、彼女の内面の年齢は、人間で言えば14~5歳に相当するだろう。
「ふむ……なるほど、適応進化なわけだな」
ミミックの生態は、「獲物が近づきたくなる形に擬態する」という、「待ち伏せ」に特化した進化だ。
そうなると、俊敏に動き回ることよりも、長期間の間じっとしていられる、持久力と無駄なエネルギーを使わずに済む体であろう。
幼児のような体も、真っ白な肌も、種族的に「ひきこもる」ための。適応した姿なのだ。
「ううう………」
ブルブルと、部屋の隅で小さくなっているミシルティア。
常に四角い密閉状態の中に自分を置いていた少女にとって、寄る辺ない空間は、それだけで負荷がかかるのであろう。
「ふ~む、この状態では話もできんな。おい、誰か適当な箱を持ってきて――」
やってくれ、とクトゥーが言おうとしたところで、当のミシルティアがそれを拒んだ。
「いい……このままで、だいじょうぶ……」
「ホントか?」
元が白い肌を、さらに青ざめさせているミシルティアは、まるで船酔いをしているかのようだった。
いや、それはあながち近いのかもしれない。
いわゆる乗り物酔いの類は、空間の認識と、実際の感覚のズレによって起こるとも言う。
狭い空間に慣れすぎていた彼女は、保健室程度の広さでも認識が追いつかず、「空間酔い」とでもいう状態になっているのだろう。
「もうちょっとしたら、慣れる……多分……」
「そうか」
「可能性が、微量ながら、存在することを、否定できない程度には……」
「ホントに大丈夫か?」
自分で引っ張り出したとはいえ、ここまで青い顔をされると、さしものクトゥーも気にしないではいられなかった。
「アタシ……このままじゃダメって思った……」
ポツリと、絞り出すように、ミシルティアはつぶやく。
「外の世界……いっぱい見たかった。ずっと、暗い場所に、洞窟とか、地下室とか、いるだけじゃ、見られないもの、見たかった……」
彼女は、好き好んで引きこもっていたわけではなかった。
そもそも引きこもりるとは、「後ろに下がりたくない」しかし「前に進めない」者が陥る状態だ。
彼らは後ろ向きではない。ただ前に進む方法を見失っただけ。
「昔、本で、読んだ……海とか、山とか、行ってみたかった……」
まず、第一の前提として、ミシルティアは自らの意志でヨルムンガルドに入学したのだ。
それだけでも、彼女は無気力なだけの存在ではない。
「でも、できなくて、どうしていいかわからなくて……どうすればいいんだろう……」
震えながら、自分で自分の肩を、幼きミミックの少女は抱きしめる。
「大丈夫です!」
しかし、そんな彼女に、ライムは堂々と宣言した。
「クトゥー先生がなんとかします」
「オマエね、人に全振りすんじゃないよ」
「なんとかしてください。教師でしょ」
登校できない生徒のフォローは、たしかに担任教師の仕事である。
「つってもなぁ……オマエ、こいつを運動会に出させようとしたところを考えると、あの競技で使うつもりなんだろう」
「……ええ」
少し痛いところを突かれたような顔になるライム。
「オマエにしちゃあ名案、というところだ。規約の穴を上手く突いた」
ニタニタと、意地悪く笑うクトゥー。
普段、自分のやり方をあれこれツッコんでいるライムが、今回は自分に近い思考をした。
「オマエもなかなかこすっからい女だのう、ケタケタケタ」
「そ、それはぁ!」
大変わかりにくい話だが、クトゥーは、ライムをからかうというよりも、彼女をある程度評価して笑っているのだが、彼女からすれば「オマエも俺と同類よ」とからかわれているように感じたのだろう。
だがその割には、ライムの顔は、傷ついたというより、どこか照れくささが入っていた。
「いいからなんとかしてください! できるんでしょ!」
「できんことはないが……人にやれと言われるとやる気なくすな」
「めんどくさいなぁこの人は!」
ひねくれ者と天邪鬼を絵に描いたようなクトゥーに、ライムは苛立ちの声を上げる。
「そもそも先生のためにやっているのに!」
苛立ちのあまり、つい本音を発してしまった。
「む? なんでそこで俺が出てくる」
「そ、それは……」
まずいとばかりに後ずさるライム。
「先生~、ライムちゃんが今回がんばっているのは、先生がステラ先生にバカにされたからなんですよ」
「ロッテ!?」
今さら何をと言い出すロッテに、ライムが焦りの声を上げた。
「先生が人類種族だからって、ステラ先生が見下して、バカにしたじゃないですか?」
クトゥーの手が触れそうになった途端、まるで汚いものを近づけられたような反応をしたステラ・リア。
「高位魔族のA組に、私たちB組がウンドウカイで勝利するってことは、担任であるクトゥー先生の功績でもあるわけじゃないですかぁ。ライムちゃんはクトゥー先生のためにも、がんばってむががががが」
「そこまでですいい加減にしなさいぶっとばしますよ!!」
真っ赤な顔のライムが、ロッテの口を背後から押さえ込む。
「いいですか! とにかくなんとかしてください! 頼みましたよ!!」
そのまま怒鳴りつけるように言い残すと、ロッテを押さえつけたまま、ライムは保健室を
出ていってしまった。
「ふ~~~む」
残されたクトゥー、しばらく、なんと言っていいかわからないというふうに頭をかいている。
「よくわからんな」
そして、ポツリと呟く。
「なにが、ですか?」
ラーヴェルトに問われてなお、クトゥーは戸惑っていた。
「うん……俺のことで誰かが怒るなんて、思いもしなかった」
クトゥーが、暗黒式魔導師の業として、同じ人類種族のほとんどから嫌われる宿命が発現したのは、彼が十になるよりも前。
ずっと、「そこにいるだけ」で嫌がられ、疎まれてきただけに、それを当たり前と思っていた。
「こういうとき、どういう顔していいかわからん」
だから、喜んでいいのか悲しんでいいのかもわからず、心の置き所を見失ってしまった。
ただ、悪い気がしなかったのは、確かだった。
「ふむ……」
しばし考えてから、クトゥーはミシルティアに振り返る。
「で、オマエはどうする?」
ライムに頼まれたから、というだけではない。
彼女自身、ミシルティアをどうにかしてやりたいという思いもあるだろう。
それに、担任としての責任も有る。
だが、それ以上に、確認を取っておかねばならないことがあった。
「ミミック族として生まれて育ったオマエの宿命は、俺には何にもしてやれん」
「え………?」
困惑するミシルティアに、クトゥーは続ける。
「だがな、生まれはオマエの責任じゃない。だからって言ってなんもかんも諦めなきゃいけないってのは、そいつは道理に合わねぇ」
生まれは選択することは出来ない。
それは一生、その者は背負い続けねばならない。
だがどう生きるかの選択はできる。
「オマエの選択はなんだ? ミミックであることに潰されて生きるか? ミミックであることを隠して生きるか? ミミックであることを誇って生きるか……どれがいい?」
「アタシは……」
ミシルティアにとって、青天の霹靂とも言える問いかけであった。
彼女はミミックとして生まれたことを悲しみ、苦しみ、生まれつきの罰だとさえ思っていた。
ラーヴェルトの軽口ではないが、「前世からの報い」とさえ思っていた。
その生き方を、誇れ?
それは彼女には、思ってもいなかった考え方であった。
「ミミックであることを誇れる生き方……?」
「おう、神様ってのがどれだけエライかわからんが、その初期設定ごときじゃあ、人間……いや、魔族の生き方を左右できねぇってことを、教えてやる」
眼の前にいるのは、あからさまに怪しげな、目の下にくまを作った人間の魔導師。
しかし、彼は自分を教師であり、担任であると言った。
どうにかできると言った。
「アタシ……違う生き方、できるかなぁ……」
「どんな生き方をするかはオマエの勝手だ。だが、その可能性くらいなら提示してやる」
あくまで傲岸、だが――信じてもいいかと、ミシルティアは思った。
「お願い……します……」
「おう――って、あ、しまった」
ここまで言ってから、クトゥーは思い出す。
「運動会の設営準備途中だったな……」
なんとかする手立ては、すでにクトゥーの頭の中にある。
おそらく、ライムもそれをわかった上で、「クトゥーならなんとかできる」と信じて、彼に託したのだろう。
だが、いかんせんその方法は若干時間がかかる。
純粋に手間隙がかかるのだ。
時間的な都合がつかない。運動会当日までに間に合うかは厳しい話だった。
「クトゥー先生」
悩んでいたら、ラーヴェルトが声をかけてきた。
「よかったら手伝いますよ」
「ああン? でもオマエ……ケガしてんだろ」
クトゥー自身がやったことだが、ラーヴェルトのケガは、彼が魔族の中でもかなり鍛え上げた者だからこそギリギリ笑い話で済んだが、人類種族なら三回は死んでいる重傷である。
「ウチの学校の保険医は優秀でして」
今は要件があって退室しているが、ヨルムンガルドの保険医は、「細胞の一欠でも残っていれば蘇生させてやる」と豪語するほどの、生命魔導の使い手である。
「こんなくだらん理由でやってくるな」と激怒していたが、仕事はしっかりやってくれたらしく、大きなケガはほとんど治っていた。
「あんだけひどい目にあったくせに、手伝いを自分から言い出すとは……バカかオマエは」
「それやった本人には言われたくなかったなぁ」
苦笑いではあるが、呆れつつも、ラーヴェルトは笑っていた。
「ま、これも前世の報いでしょう」
「なんじゃそら」
ラーヴェルトもまた、己の生まれの境遇に苦しめられた一人。
生まれの「本能」に苦しめられるミシルティアの気持ちは理解できる。
だが、今現在、魔族の学校であるヨルムンガルドにおいて、「生まれつき人間」であるクトゥーは、最大の異端者であろう。
奇しくも彼の傲岸な生き様は、それ自体が、「生まれの苦しみ」に悩む者たちの、希望となっている。
こういう生き方もできるのか、と――
「クトゥー先生は、他人のことならわかるんですねぇ」
生まれを理由に偏見をもって対される苦しみを一番味わっている男が、それを全く意に介さないのは、彼自身がその手のことを弱みとも思っていないからだろう。
「なにが言いたいんだ?」
「いいえ、わかっていないほうが、あなたらしい」
そして、運動会の時は迫る――
本来ならば交わることのない二種族、しかし出会ってしまった二人は恋に落ち、彼は生まれた。
最初、彼はウッドエルフ族の里で育ったが、エルフの目と魔族の目、双方をもって生まれたため、己の出自を知ることとなる。
エルフ族に馴染めぬまま、ラーヴェルトは里を出て、魔族として生きる覚悟をする。
名も知らず、顔も見たことのない生き別れた父も、魔族の騎士であったという。
その才能を受け継いだ彼は、魔界騎士として名を馳せる。
だが、そこでもやはり、生まれついて色の違う左右の瞳が彼を悩ませる。
「エルフ族との混じり物」と、名を馳せれば馳せるほど、彼を嘲笑する者が後を絶たなかった。
彼は魔王軍を去り、剣を捨て、権力争いの場から遠ざかることを選ぶ。
だが、悲しき別れもあった。
彼には、恋仲にあった女がいた。
しかし、ラーヴェルト同様、魔王軍において四天王も担える器と目されていた彼女は、「あなたのことは愛している。だけど私は、自分の可能性を試したい」と、彼とともに歩む道を拒絶した。
ラーヴェルトは恨みはしなかった。
それは当然だろうと思った、
そして、流れ流れ、彼は辺境の一学園の音楽教員となる――
彼は、自分の運命を恨みはしなかった。
自分と敵対した者たちすら、悲しみはすれ、恨むことはなかった。
そこが彼の魔族らしからぬ、最大の点であったのかもしれない。
彼はただ静かに、こう思うことにした――
「きっと、前世からの報いなんですよ」
ヨルムンガルドの保健室のベッドの上で、包帯まみれになりながら、ラーヴェルトは乾いた笑いを浮かべていた。
「すいませんでしたラーヴェルト先生……体大丈夫ですか?」
「ははははは、大丈夫ですよ。もうなんていうか、色々と悟りを開きかけてますから」
ライムの言葉にも、乾いた笑いと、濁った眼で答えるイケメン元騎士。
今回の一件で、一番割を食らい、重傷を負った彼であった。
「なんだオマエ、拗ねてるのか? こうしてわざわざ保健室まで運んでやったと言うのに。文句を言う前に、感謝の心を忘れるな」
「僕もクトゥー先生みたいに生きられたら、もう少し違う人生になったかもしれませんね」
ミミック館に取り込まれ、リビングメイルに取り憑かれ、クトゥーの破砕魔導にふっとばされ、挙句の果てに崩れたガレキの直撃でトドメを刺された。
さしもの元魔界騎士も、「人生ってなんだろう」と思わずにいられぬ展開であった。
「さて、それはそれとして……」
恨みがましい目のラーヴェルトを置いといて、クトゥーは保健室の片隅で震えている少女を見る。
「ミミックの中身ってのは、こんな姿だったんだな」
そこにいたのは、ミミック族の少女、ミシルティアであった。
容姿は人間の十歳前後の、幼い少女に見える。
「年齢的には、わたしやロッテと変わらないはずなんですが……」
魔族というのは、人類種族と違い、単純な年数だけで年齢を区別できない。
とはいえ、総合的な知能、精神の熟成度などから、ある程度の基準で置き換えることができる。
外見年齢こそ幼女だが、彼女の内面の年齢は、人間で言えば14~5歳に相当するだろう。
「ふむ……なるほど、適応進化なわけだな」
ミミックの生態は、「獲物が近づきたくなる形に擬態する」という、「待ち伏せ」に特化した進化だ。
そうなると、俊敏に動き回ることよりも、長期間の間じっとしていられる、持久力と無駄なエネルギーを使わずに済む体であろう。
幼児のような体も、真っ白な肌も、種族的に「ひきこもる」ための。適応した姿なのだ。
「ううう………」
ブルブルと、部屋の隅で小さくなっているミシルティア。
常に四角い密閉状態の中に自分を置いていた少女にとって、寄る辺ない空間は、それだけで負荷がかかるのであろう。
「ふ~む、この状態では話もできんな。おい、誰か適当な箱を持ってきて――」
やってくれ、とクトゥーが言おうとしたところで、当のミシルティアがそれを拒んだ。
「いい……このままで、だいじょうぶ……」
「ホントか?」
元が白い肌を、さらに青ざめさせているミシルティアは、まるで船酔いをしているかのようだった。
いや、それはあながち近いのかもしれない。
いわゆる乗り物酔いの類は、空間の認識と、実際の感覚のズレによって起こるとも言う。
狭い空間に慣れすぎていた彼女は、保健室程度の広さでも認識が追いつかず、「空間酔い」とでもいう状態になっているのだろう。
「もうちょっとしたら、慣れる……多分……」
「そうか」
「可能性が、微量ながら、存在することを、否定できない程度には……」
「ホントに大丈夫か?」
自分で引っ張り出したとはいえ、ここまで青い顔をされると、さしものクトゥーも気にしないではいられなかった。
「アタシ……このままじゃダメって思った……」
ポツリと、絞り出すように、ミシルティアはつぶやく。
「外の世界……いっぱい見たかった。ずっと、暗い場所に、洞窟とか、地下室とか、いるだけじゃ、見られないもの、見たかった……」
彼女は、好き好んで引きこもっていたわけではなかった。
そもそも引きこもりるとは、「後ろに下がりたくない」しかし「前に進めない」者が陥る状態だ。
彼らは後ろ向きではない。ただ前に進む方法を見失っただけ。
「昔、本で、読んだ……海とか、山とか、行ってみたかった……」
まず、第一の前提として、ミシルティアは自らの意志でヨルムンガルドに入学したのだ。
それだけでも、彼女は無気力なだけの存在ではない。
「でも、できなくて、どうしていいかわからなくて……どうすればいいんだろう……」
震えながら、自分で自分の肩を、幼きミミックの少女は抱きしめる。
「大丈夫です!」
しかし、そんな彼女に、ライムは堂々と宣言した。
「クトゥー先生がなんとかします」
「オマエね、人に全振りすんじゃないよ」
「なんとかしてください。教師でしょ」
登校できない生徒のフォローは、たしかに担任教師の仕事である。
「つってもなぁ……オマエ、こいつを運動会に出させようとしたところを考えると、あの競技で使うつもりなんだろう」
「……ええ」
少し痛いところを突かれたような顔になるライム。
「オマエにしちゃあ名案、というところだ。規約の穴を上手く突いた」
ニタニタと、意地悪く笑うクトゥー。
普段、自分のやり方をあれこれツッコんでいるライムが、今回は自分に近い思考をした。
「オマエもなかなかこすっからい女だのう、ケタケタケタ」
「そ、それはぁ!」
大変わかりにくい話だが、クトゥーは、ライムをからかうというよりも、彼女をある程度評価して笑っているのだが、彼女からすれば「オマエも俺と同類よ」とからかわれているように感じたのだろう。
だがその割には、ライムの顔は、傷ついたというより、どこか照れくささが入っていた。
「いいからなんとかしてください! できるんでしょ!」
「できんことはないが……人にやれと言われるとやる気なくすな」
「めんどくさいなぁこの人は!」
ひねくれ者と天邪鬼を絵に描いたようなクトゥーに、ライムは苛立ちの声を上げる。
「そもそも先生のためにやっているのに!」
苛立ちのあまり、つい本音を発してしまった。
「む? なんでそこで俺が出てくる」
「そ、それは……」
まずいとばかりに後ずさるライム。
「先生~、ライムちゃんが今回がんばっているのは、先生がステラ先生にバカにされたからなんですよ」
「ロッテ!?」
今さら何をと言い出すロッテに、ライムが焦りの声を上げた。
「先生が人類種族だからって、ステラ先生が見下して、バカにしたじゃないですか?」
クトゥーの手が触れそうになった途端、まるで汚いものを近づけられたような反応をしたステラ・リア。
「高位魔族のA組に、私たちB組がウンドウカイで勝利するってことは、担任であるクトゥー先生の功績でもあるわけじゃないですかぁ。ライムちゃんはクトゥー先生のためにも、がんばってむががががが」
「そこまでですいい加減にしなさいぶっとばしますよ!!」
真っ赤な顔のライムが、ロッテの口を背後から押さえ込む。
「いいですか! とにかくなんとかしてください! 頼みましたよ!!」
そのまま怒鳴りつけるように言い残すと、ロッテを押さえつけたまま、ライムは保健室を
出ていってしまった。
「ふ~~~む」
残されたクトゥー、しばらく、なんと言っていいかわからないというふうに頭をかいている。
「よくわからんな」
そして、ポツリと呟く。
「なにが、ですか?」
ラーヴェルトに問われてなお、クトゥーは戸惑っていた。
「うん……俺のことで誰かが怒るなんて、思いもしなかった」
クトゥーが、暗黒式魔導師の業として、同じ人類種族のほとんどから嫌われる宿命が発現したのは、彼が十になるよりも前。
ずっと、「そこにいるだけ」で嫌がられ、疎まれてきただけに、それを当たり前と思っていた。
「こういうとき、どういう顔していいかわからん」
だから、喜んでいいのか悲しんでいいのかもわからず、心の置き所を見失ってしまった。
ただ、悪い気がしなかったのは、確かだった。
「ふむ……」
しばし考えてから、クトゥーはミシルティアに振り返る。
「で、オマエはどうする?」
ライムに頼まれたから、というだけではない。
彼女自身、ミシルティアをどうにかしてやりたいという思いもあるだろう。
それに、担任としての責任も有る。
だが、それ以上に、確認を取っておかねばならないことがあった。
「ミミック族として生まれて育ったオマエの宿命は、俺には何にもしてやれん」
「え………?」
困惑するミシルティアに、クトゥーは続ける。
「だがな、生まれはオマエの責任じゃない。だからって言ってなんもかんも諦めなきゃいけないってのは、そいつは道理に合わねぇ」
生まれは選択することは出来ない。
それは一生、その者は背負い続けねばならない。
だがどう生きるかの選択はできる。
「オマエの選択はなんだ? ミミックであることに潰されて生きるか? ミミックであることを隠して生きるか? ミミックであることを誇って生きるか……どれがいい?」
「アタシは……」
ミシルティアにとって、青天の霹靂とも言える問いかけであった。
彼女はミミックとして生まれたことを悲しみ、苦しみ、生まれつきの罰だとさえ思っていた。
ラーヴェルトの軽口ではないが、「前世からの報い」とさえ思っていた。
その生き方を、誇れ?
それは彼女には、思ってもいなかった考え方であった。
「ミミックであることを誇れる生き方……?」
「おう、神様ってのがどれだけエライかわからんが、その初期設定ごときじゃあ、人間……いや、魔族の生き方を左右できねぇってことを、教えてやる」
眼の前にいるのは、あからさまに怪しげな、目の下にくまを作った人間の魔導師。
しかし、彼は自分を教師であり、担任であると言った。
どうにかできると言った。
「アタシ……違う生き方、できるかなぁ……」
「どんな生き方をするかはオマエの勝手だ。だが、その可能性くらいなら提示してやる」
あくまで傲岸、だが――信じてもいいかと、ミシルティアは思った。
「お願い……します……」
「おう――って、あ、しまった」
ここまで言ってから、クトゥーは思い出す。
「運動会の設営準備途中だったな……」
なんとかする手立ては、すでにクトゥーの頭の中にある。
おそらく、ライムもそれをわかった上で、「クトゥーならなんとかできる」と信じて、彼に託したのだろう。
だが、いかんせんその方法は若干時間がかかる。
純粋に手間隙がかかるのだ。
時間的な都合がつかない。運動会当日までに間に合うかは厳しい話だった。
「クトゥー先生」
悩んでいたら、ラーヴェルトが声をかけてきた。
「よかったら手伝いますよ」
「ああン? でもオマエ……ケガしてんだろ」
クトゥー自身がやったことだが、ラーヴェルトのケガは、彼が魔族の中でもかなり鍛え上げた者だからこそギリギリ笑い話で済んだが、人類種族なら三回は死んでいる重傷である。
「ウチの学校の保険医は優秀でして」
今は要件があって退室しているが、ヨルムンガルドの保険医は、「細胞の一欠でも残っていれば蘇生させてやる」と豪語するほどの、生命魔導の使い手である。
「こんなくだらん理由でやってくるな」と激怒していたが、仕事はしっかりやってくれたらしく、大きなケガはほとんど治っていた。
「あんだけひどい目にあったくせに、手伝いを自分から言い出すとは……バカかオマエは」
「それやった本人には言われたくなかったなぁ」
苦笑いではあるが、呆れつつも、ラーヴェルトは笑っていた。
「ま、これも前世の報いでしょう」
「なんじゃそら」
ラーヴェルトもまた、己の生まれの境遇に苦しめられた一人。
生まれの「本能」に苦しめられるミシルティアの気持ちは理解できる。
だが、今現在、魔族の学校であるヨルムンガルドにおいて、「生まれつき人間」であるクトゥーは、最大の異端者であろう。
奇しくも彼の傲岸な生き様は、それ自体が、「生まれの苦しみ」に悩む者たちの、希望となっている。
こういう生き方もできるのか、と――
「クトゥー先生は、他人のことならわかるんですねぇ」
生まれを理由に偏見をもって対される苦しみを一番味わっている男が、それを全く意に介さないのは、彼自身がその手のことを弱みとも思っていないからだろう。
「なにが言いたいんだ?」
「いいえ、わかっていないほうが、あなたらしい」
そして、運動会の時は迫る――