第31話 終章「それはとても小さく、とても大きな変化」(2)
文字数 3,303文字
そして、大きな変化としては――
「あ~~~のくそオヤジ!!」
ヨルムンガルドの教室にて、クトゥーは自分宛てに送られた手紙を、怒りの声とともにビリビリに引き裂く。
「どうしたんですかクトゥー先生? 不幸の手紙でも送られましたか?」
「もしくは幸福の手紙とか?」
「ぼうのてがみ……」
「それ全部似たようなもんじゃねぇか」
何があったかと声をかけるライムとロッテ、そしてミシルティアの三人に、クトゥーは不機嫌そうな声で返す。
「あのオッサン、今頃になって、あの女教師に気をつけろって、手紙よこして来やがった!」
「オッサン?」
不思議そうな顔をするライム。
女教師のこととは、おそらく「童貞アレルギー故に、クトゥーに触られたらサキュバスの能力が暴走してしまう」ステラ・リアのことだろう。
そんな情報を知っていて、わざわざ伝える“オッサン”と言えば――
「ああ、魔王のオッサンだ」
「え~~!?」
こともなげに答えるクトゥーに、ライムは驚愕の叫びを上げた。
「なにやってるんですか魔王様からの手紙を!?」
魔王直々の手紙など、魔族の常識では送られるだけでも光栄に値するものであり、本来なら保存して保管して、家宝にすべきものである。
「それを破っちゃうだなんて……怒られますよ」
魔王への不敬行為として、処罰されてもおかしくない問題である。
「うるせぇ! ホウ・レン・ソウは社会の基本だぞ! それも出来んようなやつの送ったいまさらな手紙など、見るだけで不快だ!」
ステラ・リアのあの暴走、実は放っておけば自然に沈静化するものだった。
飢餓の力が暴走したものではあるが、所詮は「飢え」による力。
そもそも彼女の中の魔力の絶対量は、常に枯渇状態にあったと言っていい。
その状態でひたすら逃げ続けていれば、ただでさえ少ない魔力はさらに枯渇し、異性を惑わす魔力を、生命維持の方に戻り、周囲の混乱は収まる。
クトゥーが「大丈夫だ」と言ったのは、そういう理由である。
だが、もっと早くこのことがわかっていたなら、もう少し対処する方法もいくらでもあったのも間違いない、それ故にクトゥーのいらだちもひとしおであった。
「そのせいで、あの姿さらしちまうし……」
「あの姿って……」
ウンドウカイのあの時に見せた、クトゥーの別の姿。
「あの、美形化したクトゥー先生ですか?」
「うるせぇ」
“飢餓”の力を暴走させたステラ・リアを止めるためには、その“飢餓”を埋めるのが最も単純な解決法。
そのため、自身の中の「闇」の気を大量に流し込んだため、一時的に枯渇してしまった。
「美形化じゃねぇよ。アレは俺の『闇』の気がなくなっただけだ」
強大な魔力は、時に物質の有り様にまで影響を及ぼす。
ステラ・リアがサキュバスの力を開放したせいで、普段とは異なる髪や瞳、さらに服まで変わってしまったように。
あれから数日間はあの姿のままであったが、時間とともにもとに戻り、今ではすっかりいつもの状態である。
「あれ……じゃあ、その……あれが、クトゥー先生の本当の姿?」
驚きのあまり、顔がこわばるライム。
普段散々ラーヴェルトを「このイケメンがぁ!」といじめている男が、実は美形キャラと分かれば、こんな顔にもなろうというものであった。
「違う」
だが、クトゥーはその言葉を即座に否定する。
「アレは俺の中の要素の一部がなくなっただけの姿だ。人間に本当もニセモンもねぇ。今ある姿がテメェだ」
クトゥーの声は、どこか不機嫌だった。
陰険で陰鬱、ネガティブな喪男と称される彼だが、「自分の人生は自分のものだ」という自負心は強い。
いいも悪いも、全て自分のもの。
他人にそれを好きにされることは、ある意味耐え難い屈辱なのだろう。
「前に一回、同じような状態になった……その時な、いつも俺を毛嫌いしてた連中が、その時ばかりは急に擦り寄ってきやがった」
その時、態度が変わらなかったのは、レティシアとガルディナくらいであった。
「中身は同じなのにな……むしろ普段あいつらは、俺の何を見て嫌っていたのか。いや、そもそも、あいつらは人の何を見て、好いたり嫌ったりしているのか、それすらわからなくなった」
普段のクトゥーが見せない、どこかつらそうな顔であった。
「嫌うならちゃんと嫌え……そのほうがずっとマシだ」
あの姿を褒められても、クトゥーにとっては欠片もうれしくない話なのだ。
「嫌われ者にも嫌われ者のプライドがあるんですね」
「そういうことだ……って誰が嫌われ者だコラァ!」
「クトゥー先生でしょう」
「自覚はあるがハッキリ言うな! 若干傷つくわ!」
ナチュラルに貶めたライムに、クトゥーが怒声を上げたところで、ズカズカと足音が響いてくる。
「うるさい! 今授業中です!」
教室の扉を蹴破るように開き、隣のA組から、ステラ・リアがやってきた。
「おお、そう言えば授業中だった」
「すっかり忘れてましたね」
ぽんと手をたたく、クトゥーとライム。
「教師も教師なら生徒も生徒か!」
そしてツッコむステラ・リア。
「とにかく! そっちの授業はそっちの自由ですから、なにも言いませんが! こっちの授業の邪魔をしないでください! わかりましたね、クトゥー先生!」
「お、おう」
言いたいことだけ言うと、ステラ・リアは不機嫌な顔のまま、再びズカズカと足音を立て、教室を出ていった。
「あの先生、結局、あの性格は変わらないまんまだったね」
「助けられたくせに……」
「クックックッ」
相も変わらぬ傲慢な振る舞いのステラ・リアに、ロッテとミシルティアも不満そうな顔をしたが、一方クトゥーは面白そうに笑っている。
「いいじゃねぇか? 人間、そう簡単に性根は変わらねぇよ」
ステラ・リアは、クトゥーのことを、“ニンゲン”とは呼ばなくなった。
そして、B組の生徒を“低級”とも蔑まなくなった。
相変わらず怒るし、性格はキツイままだが、彼女はちゃんと、相手を一人の存在と認めた上で、接するようになった。
それこそが今回の一件で、一番大きな変化であった。
「一回たまたま助けられたくらいで、わかりやすく日和るやつよりは、可愛げがあらァ」
「え?」
皮肉げに、だが楽しげに笑うクトゥー。
その顔を見て、ライムは少しびっくりした。
「可愛いって……?」
クトゥーが女性を褒めるなど、彼女は初めて耳にしたからだ。
「あ………」
少しだけ、彼女は胸がざわついた。
「あ、あの~……」
だから、彼女は少しだけ、思い切った事を言ってみることにした。
「わたしは、美形のクトゥー先生より、いつものクトゥー先生の方が、好きですよ!」
「あ?」
だが、当のクトゥーは、呆れた顔で見返してきた。
「オマエねぇ、若い娘が軽々しく“好き”とか言うんじゃない。世の中、勘違いする男は多いんだから。もう少し考えて喋れ」
人の好意を素直に受け入れられないひねくれ者には、毛ほども通じていなかった。
「そ、そうですねぇ! 勘違いされたら困りますよね! あははははは!!」
そして、この年頃の少女も、教師に似て、素直にはなれなかった。
「先生はもう少し、人の言葉を額面通りに受け取るべきだと思う」
「もうちょっとすなおになっても、ばちはあたらないよ~……」
ライムの心中を察し、嘆くように、ロッテとミシルティアが言うが、クトゥーは「何言ってんだ?」という顔をしつつ、なぜか偉そうに返した。
「バカヤロウ、俺が素直になったら、世界が滅びるわ!」
笑いながら話すクトゥーの後ろで、ライムは何とも言えないため息を吐いていた。
これより先の未来――
魔族と人類種族の長きに渡る戦いは、「闇統べる者」と呼ばれし賢者、クトゥー・アインデルセンによって、終結する。
彼の私生活について、その詳細は記録に残っていない。
だが、一つ、確かなことがある。
それは、いつも「黒髪で眼鏡の女性」が彼の傍らにいたということである。
「あ~~~のくそオヤジ!!」
ヨルムンガルドの教室にて、クトゥーは自分宛てに送られた手紙を、怒りの声とともにビリビリに引き裂く。
「どうしたんですかクトゥー先生? 不幸の手紙でも送られましたか?」
「もしくは幸福の手紙とか?」
「ぼうのてがみ……」
「それ全部似たようなもんじゃねぇか」
何があったかと声をかけるライムとロッテ、そしてミシルティアの三人に、クトゥーは不機嫌そうな声で返す。
「あのオッサン、今頃になって、あの女教師に気をつけろって、手紙よこして来やがった!」
「オッサン?」
不思議そうな顔をするライム。
女教師のこととは、おそらく「童貞アレルギー故に、クトゥーに触られたらサキュバスの能力が暴走してしまう」ステラ・リアのことだろう。
そんな情報を知っていて、わざわざ伝える“オッサン”と言えば――
「ああ、魔王のオッサンだ」
「え~~!?」
こともなげに答えるクトゥーに、ライムは驚愕の叫びを上げた。
「なにやってるんですか魔王様からの手紙を!?」
魔王直々の手紙など、魔族の常識では送られるだけでも光栄に値するものであり、本来なら保存して保管して、家宝にすべきものである。
「それを破っちゃうだなんて……怒られますよ」
魔王への不敬行為として、処罰されてもおかしくない問題である。
「うるせぇ! ホウ・レン・ソウは社会の基本だぞ! それも出来んようなやつの送ったいまさらな手紙など、見るだけで不快だ!」
ステラ・リアのあの暴走、実は放っておけば自然に沈静化するものだった。
飢餓の力が暴走したものではあるが、所詮は「飢え」による力。
そもそも彼女の中の魔力の絶対量は、常に枯渇状態にあったと言っていい。
その状態でひたすら逃げ続けていれば、ただでさえ少ない魔力はさらに枯渇し、異性を惑わす魔力を、生命維持の方に戻り、周囲の混乱は収まる。
クトゥーが「大丈夫だ」と言ったのは、そういう理由である。
だが、もっと早くこのことがわかっていたなら、もう少し対処する方法もいくらでもあったのも間違いない、それ故にクトゥーのいらだちもひとしおであった。
「そのせいで、あの姿さらしちまうし……」
「あの姿って……」
ウンドウカイのあの時に見せた、クトゥーの別の姿。
「あの、美形化したクトゥー先生ですか?」
「うるせぇ」
“飢餓”の力を暴走させたステラ・リアを止めるためには、その“飢餓”を埋めるのが最も単純な解決法。
そのため、自身の中の「闇」の気を大量に流し込んだため、一時的に枯渇してしまった。
「美形化じゃねぇよ。アレは俺の『闇』の気がなくなっただけだ」
強大な魔力は、時に物質の有り様にまで影響を及ぼす。
ステラ・リアがサキュバスの力を開放したせいで、普段とは異なる髪や瞳、さらに服まで変わってしまったように。
あれから数日間はあの姿のままであったが、時間とともにもとに戻り、今ではすっかりいつもの状態である。
「あれ……じゃあ、その……あれが、クトゥー先生の本当の姿?」
驚きのあまり、顔がこわばるライム。
普段散々ラーヴェルトを「このイケメンがぁ!」といじめている男が、実は美形キャラと分かれば、こんな顔にもなろうというものであった。
「違う」
だが、クトゥーはその言葉を即座に否定する。
「アレは俺の中の要素の一部がなくなっただけの姿だ。人間に本当もニセモンもねぇ。今ある姿がテメェだ」
クトゥーの声は、どこか不機嫌だった。
陰険で陰鬱、ネガティブな喪男と称される彼だが、「自分の人生は自分のものだ」という自負心は強い。
いいも悪いも、全て自分のもの。
他人にそれを好きにされることは、ある意味耐え難い屈辱なのだろう。
「前に一回、同じような状態になった……その時な、いつも俺を毛嫌いしてた連中が、その時ばかりは急に擦り寄ってきやがった」
その時、態度が変わらなかったのは、レティシアとガルディナくらいであった。
「中身は同じなのにな……むしろ普段あいつらは、俺の何を見て嫌っていたのか。いや、そもそも、あいつらは人の何を見て、好いたり嫌ったりしているのか、それすらわからなくなった」
普段のクトゥーが見せない、どこかつらそうな顔であった。
「嫌うならちゃんと嫌え……そのほうがずっとマシだ」
あの姿を褒められても、クトゥーにとっては欠片もうれしくない話なのだ。
「嫌われ者にも嫌われ者のプライドがあるんですね」
「そういうことだ……って誰が嫌われ者だコラァ!」
「クトゥー先生でしょう」
「自覚はあるがハッキリ言うな! 若干傷つくわ!」
ナチュラルに貶めたライムに、クトゥーが怒声を上げたところで、ズカズカと足音が響いてくる。
「うるさい! 今授業中です!」
教室の扉を蹴破るように開き、隣のA組から、ステラ・リアがやってきた。
「おお、そう言えば授業中だった」
「すっかり忘れてましたね」
ぽんと手をたたく、クトゥーとライム。
「教師も教師なら生徒も生徒か!」
そしてツッコむステラ・リア。
「とにかく! そっちの授業はそっちの自由ですから、なにも言いませんが! こっちの授業の邪魔をしないでください! わかりましたね、クトゥー先生!」
「お、おう」
言いたいことだけ言うと、ステラ・リアは不機嫌な顔のまま、再びズカズカと足音を立て、教室を出ていった。
「あの先生、結局、あの性格は変わらないまんまだったね」
「助けられたくせに……」
「クックックッ」
相も変わらぬ傲慢な振る舞いのステラ・リアに、ロッテとミシルティアも不満そうな顔をしたが、一方クトゥーは面白そうに笑っている。
「いいじゃねぇか? 人間、そう簡単に性根は変わらねぇよ」
ステラ・リアは、クトゥーのことを、“ニンゲン”とは呼ばなくなった。
そして、B組の生徒を“低級”とも蔑まなくなった。
相変わらず怒るし、性格はキツイままだが、彼女はちゃんと、相手を一人の存在と認めた上で、接するようになった。
それこそが今回の一件で、一番大きな変化であった。
「一回たまたま助けられたくらいで、わかりやすく日和るやつよりは、可愛げがあらァ」
「え?」
皮肉げに、だが楽しげに笑うクトゥー。
その顔を見て、ライムは少しびっくりした。
「可愛いって……?」
クトゥーが女性を褒めるなど、彼女は初めて耳にしたからだ。
「あ………」
少しだけ、彼女は胸がざわついた。
「あ、あの~……」
だから、彼女は少しだけ、思い切った事を言ってみることにした。
「わたしは、美形のクトゥー先生より、いつものクトゥー先生の方が、好きですよ!」
「あ?」
だが、当のクトゥーは、呆れた顔で見返してきた。
「オマエねぇ、若い娘が軽々しく“好き”とか言うんじゃない。世の中、勘違いする男は多いんだから。もう少し考えて喋れ」
人の好意を素直に受け入れられないひねくれ者には、毛ほども通じていなかった。
「そ、そうですねぇ! 勘違いされたら困りますよね! あははははは!!」
そして、この年頃の少女も、教師に似て、素直にはなれなかった。
「先生はもう少し、人の言葉を額面通りに受け取るべきだと思う」
「もうちょっとすなおになっても、ばちはあたらないよ~……」
ライムの心中を察し、嘆くように、ロッテとミシルティアが言うが、クトゥーは「何言ってんだ?」という顔をしつつ、なぜか偉そうに返した。
「バカヤロウ、俺が素直になったら、世界が滅びるわ!」
笑いながら話すクトゥーの後ろで、ライムは何とも言えないため息を吐いていた。
これより先の未来――
魔族と人類種族の長きに渡る戦いは、「闇統べる者」と呼ばれし賢者、クトゥー・アインデルセンによって、終結する。
彼の私生活について、その詳細は記録に残っていない。
だが、一つ、確かなことがある。
それは、いつも「黒髪で眼鏡の女性」が彼の傍らにいたということである。