第2話 「ウンドウカイのおしらせ」(1)

文字数 5,105文字



 そんなこんなで、魔王立学校ヨルムンガルド――

「退屈だなオイ」

 その3年B組の教室にて、これでもかと言うほどやる気のない口調で声を上げたのは、何を隠そうこのクラスの担任教諭、クトゥ―・アインデルセンであった。

「なにかこう、なんかないか!」

 教壇の上にのべ~っと体を伸ばしながら、勝手なことを言い放つ。

「ありますよ」

 そんな彼に、至極まっとうに冷静な目で答えたのは、B組の委員長、眼鏡っ娘のライムであった。

「授業をしてください」

 言い忘れたが、今は授業中である。

「お前、真面目だなぁ。授業中だからって授業するって、普通すぎるだろ」

「普通が一番ですよ、世の中」

「寒い! 寒すぎるなぁ! 若者の情熱が失われていると言われて久しいが、今あらためて感じるこの情熱のなさ!」

 ライムの言葉に、大げさに、芝居がかって、かつちょっと小馬鹿にした、イラッとする身振り手振りでクトゥ―は返す。

「授業中だからって授業をやる……そんな発想の膠着化! そんなんじゃなにも新しいものは生まれないぞ」

「生む気ないですよ、学ぶ気はありますが」

 しかしライムは徹底して冷静かつ理性的に接する。

 彼女は知っているのだ。

 この眼の前の男が赴任してから数ヶ月で、彼女は十二分に痛感した。

「書を捨てろ、街へ出ろ! 世界がお前の教科書だ!」

「そういうのいいですから」

 この男、兎にも角にも弁が立つ。

 弁が立つというより、「ああいえばこういう」の典型のような男である。

 故に、半端に反論すれば揚げ足を取り、あれやこれやと言ってくる。

 なので、ともかく徹底した防御の姿勢で、相手の挑発に乗らないのが鉄則なのだ。

 だが――

「そんなわけで、暇にあかして新しいものを作ってみた」

 なにが「そんなわけ」なのか、教壇の上に、どこからともなく取り出した黒い箱を置いた。「なんですかそれ」

(あ、しまった――)

 言った後、ライムは後悔した。

 聞いてしまった。

 聞いてしまった以上、この箱がどういうものかわからないが(おそらくはかなりくだらないものであろうが)、説明を聞かなければならない。

「これは、パルン=ムーティンの箱だ」

「パル……なんですか?」

 しかたなく、ライムは説明を一応聞くことにした。

「説明するよりも見たほうが早かろう。おいゴブ田、この箱を開けてみろ」

「え~~~~~」

 クトゥ―に指名された男子生徒、ゴブリンのゴブ田はあからさまに嫌な顔をする。

「なんだオマエ、その面は」

「だって先生になんかしろって言われたら、オラ、高確率でひどい目に遭うんだもの」

「いいじゃないか、慣れたものだろう」

「その発言ですでにひどい目に遭うこと前提になっているよぉ」

 純朴かつ素朴な、草食系ゴブリンのゴブ田くん。

 彼はその純朴さ故に、ちょくちょくとクトゥ―の「授業」の被害者となっていた。

 初授業の日に頭からいちごシロップをかけられたのを皮切りに、落とし穴に落とされるわ、逆バンジーで飛ばされるわ、謎の魔導実験によって一万と二千年前に飛ばされてちょっと歴史を変えかけてしまうわ、生命力旺盛なゴブリンだからこそ今日も元気だが、これが人間なら命の危機である。

 少なくとも、彼が訴えたなら、10―0で敗訴は間違いない。

「ええい、ノリの悪いやつだ。せっかく実っけ――もとい初使用の栄誉を授けてやろうと思ったのに」

「今実験って言いかけただよなぁ、実験って言いかけただよなぁ!」

「おいロッテ」

 ゴブ田の声は無視して、次にクトゥ―が声をかけたのは、笑顔の朗らかな女生徒であった。

 一見すればただの人間の少女にしか見えないが、そこは魔族の学校ヨルムンガルド、彼女も当然人間ではない。 

 彼女の種族はゾンビ――その手足に巻いた包帯の下は、乙女の秘密以上にシークレットなものが隠されている。

「これを開けて見るがいい」

「はーい!」 

 あからさまに怪しい黒箱を、ロッテは躊躇することなく開けようとする。

「ダメですよロッテ、何が起こるかわかりません!」

「大丈夫だよライムちゃ~ん」

 ゾンビなだけに頭の回転がちょっぴし死後硬直を起こしてるロッテ。

 止めようとするライムの声も聞かず、無警戒に箱を開ける。

「うわぁ!?」

 その箱の中に入っていたのは――キャンディだった。

 しかもただのキャンディではない。

 棒付きの、渦巻き型のロリポップ、もしくはペロペロキャンディとも呼ばれるものである。

「おお、いいのが出たな、それはお前のものだ、食うがいい」

「わーい」

「だから授業中なんだけどな……」

 クトゥーに言われ、笑顔でキャンディを楽しむロッテを前に、ライムは額に手を当てる。

「なんだぁ、開けたら菓子が出てくる箱だっただが。先生ったら脅かしっこなしだよう」

「…………………」

 自分に代わってロッテが実験台になってくれたお陰で、警戒心を解いたゴブ田くんが、再びフタを閉じられたパルン=ムーティーの箱に手をかける。

 だが、彼は気づいていなかった。

 クトゥーは「菓子が出る箱」というゴブ田くんの推測に、イエスもノーも言っていないことに。

「何が出るだかなぁ」

 無邪気に箱を開けるゴブ田くん。

「うがあああああああ!?」

 次の瞬間、箱から伸びてきた奇っ怪な、まるでカブトガニの親方のようななにかに顔面を鷲掴みにされるゴブ田くん。

「なんだべぇこれはぁ!?」

「パルン=ムーティーとは、三百年ほど前に実在した“らしい”賢者の名前でな」

「た、助けて!? 助けて誰か!?」

 慌てふためき悶え苦しむゴブ田くんを前に、クトゥーは冷静に解説する。

「不確定性原理の真理を探求していたらしい」

「不確定性原理ぃ?」

 訝しむ声のライム。

 不確定性原理とは……詳しく説明すると長くなるので、意訳としてかいつまむと、「存在を確率化する」という理論である。

「その研究の中、『なにが起こるわからない』魔法を作ってな。最終的には、この世界に自分が存在する確率までいじってしまったんで、この世から消えてなくなった」

「つまりこの箱は……?」

「うむ、その魔法を疑似的に再現し、存在の確率を操作することによって、開けるたびにいろんなものが現れるマジカルなグッズなのだ」

「た……たす……たすけ………!!」

 箱から現れた謎の“なにか”に抗うゴブ田くんだったが、そろそろそれも限界に達しつつあった。

「そんであれはなんなんですか!?」

「ふぅむ……おそらく、多次元世界につながり、その地に生息する“なにか”を呼んでしまったようだな」

「なんとかしてください!」

 冷静に解説するクトゥーに、ライムは目を三角にして怒鳴りつけた。

「なぁに、簡単だ。このフタをもっかい閉じれば強制的に魔法はリセットされる」

 フタを片手に近づこうとするクトゥーであったが……

「おい、ゴブ田。お前がそこにいるとフタが閉じられんからなんとか脱出しろ」

「む……ちゃ……!?」

 箱から飛び出ている“なにか”に、ゴブ田くんががっしりと掴まれているため、フタを閉めたくても閉められない。

「む?」

 そうしているうちに、さらに箱の中――正確には、つながっている多次元世界から触手のようなものが這い出て、今度はクトゥーに襲いかかる。

「テメェ……つけあがんなっ!!」

 ぱちんと指を鳴らすや、クトゥーの指先に黒い塊が生まれる。

 それは極小の「暗黒」の塊。

 指先に止まる程度の、ビー玉くらいの大きさだが、それは極大の「負の力」を、限界まで凝縮した、マイナスのエネルギーの塊。

 多次元生命体だろうがなんだろうが、「存在する」という段階で、いかなるものもプラスの存在。

 そこにマイナスを叩きつければどうなるか。

「おらぁ!」

 勢い良く、その「暗黒」の塊を投げつける。

 無ではない、負の塊である。

 箱から出てきた“なにか”にぶつかった瞬間、それは急速に、存在自体を消し飛ばされた。

「ぶはぁ!?」

 触手がふっとばされ、ようやく解放されるゴブ田。

「ふ、フタ、フタ、フタ――!!」 

 その隙を逃すまいと、大急ぎでライムは箱にフタをした。

「た、助かったぁ………」

「あ、危なかったぁ………」

 胸をなでおろすライムとゴブ田。

 あともう一歩で、人類と魔族どころの騒ぎではない。

 第三勢力である異界からの訪問者が世界に手をかけるところだった。

「う~む、あんまりおもしろいものが出てこねぇな。失敗だったか」

「おもしろいおもしろくないで、世界を滅ぼしかけないでください!」

 悪びれることなく好き勝手な物言いのクトゥーに、ライムは突っ込む。

「バカヤロウ、俺を誰だと思ってやがる。世界滅亡どんと来いだ」

「あーもう……:

ライムはため息をつきながら、何かを取り出す。 

 その顔は、「結局こうなったか」と言いたげな、諦めに満ちたものだった。

「おい、委員長……なんだそれは? なんのつもりだ……?」

「先生が暇にあかせて変な箱作ったように、わたしも時間を見つけて作ったんです」

 ライムが取り出したものは、それは棍棒であった。

 だが、棍棒というにはあまりにも大きく、分厚く、重く、そしてあまりにも大雑把すぎた。

「校庭に生えてた、おっきな木があったじゃないですか。この前の嵐でそれが折れちゃって……もったいないんで作りました」

「そうか、資源の有効活用は大切だな。昨今、環境保護も叫ばれている」

「そうですよね、そう思いますし。そう思ったので作りました」

「で、それを取り出してなにするつもりだ?」

 棍棒の大きさは、下手すれば子供の背丈ほどはある。

 ただの黒髪メガネっ娘にしか見えないライムだが、これでもれっきとした魔族。

 筋力膂力は見た目よりもある。

「棍棒はなんに使うものだと思います」

 その棍棒を、ブンブンと振り回しながら、じわじわとクトゥーに迫る。

「そらオマエ……パン生地を伸ばしたりとか?」

「それは麺棒ですねぇ」

「もしくはあれか、両端に荷物を下げてあらよっと……」

「それは天秤棒ですねぇ」

 ライムの手にある棍棒は、そんなことに使うものではない。

「棍棒とはその質量と重量をもって、相手の脳天を叩き潰すための道具です」

「待てコラやめろなにをする!?」

「そいや!」

 ブンと勢いをつけ、ライムは棍棒をクトゥーに叩きつけた。

「ごはっ!?」

 一撃で崩れ落ち……というよりも床に叩きつけられたクトゥーは、そのまま失神した。

「はぁ、結局今日もこうなった……」

 棍棒を肩に置き、深い溜め息をつくライム。

 すでにこれは毎度のことであった。

 クトゥーがなにやら馬鹿なことをしでかし、言葉で止めようとしてもあの手この手で逃れるので、仕方なく実力を行使する。

 他に止める方法も諌める方法もないのだが、さりとてこれを行うと、これ以上の授業の進行は不可能になる。

 真面目な委員長としては、悩みの種なのだ。

「ライムちゃん……だんだん突っ込み激しくなってない?」

「いいんです。これくらいしないとわからない人にはわからないんです」

ピクピクと痙攣しているクトゥーを指で突きながらロッテが尋ねるが、ライムはこれでもかと憤慨した声で返した。

「まったく、ホントめんどくさい人です」


 クトゥー・アインデルセン――休戦条約が締結された現在の大陸において、ただ一人、魔族領に存在する人類種族。

 彼はかつて、勇者のパーティーの一員だった。

「闇」の力を根源とする暗黒式魔導の使い手であり、その力は、魔王軍四天王の一人、邪竜卿を倒したほど。

 そんな彼は、とある大変個人的な事情で人類から出奔する。

 その理由は、勇者にフラれたから――

 人類全てに逆恨みした彼は、魔王の舌先三寸に乗せられ、この地、ヨルムンガルドにて、人類廃滅の使徒を育てるために教師となった。

 だが彼は気づいていない。

 彼に託された真の使命――それは、人類種族と魔族との、千年に渡る対立の終結であることを。
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