第39話 ミヘルマーナ
文字数 2,545文字
「お伝えできる事が少なく、大変申し訳ありません。
しばらく前から妃の専属となり、半ば王宮政治とは隔離された日々を過ごしております。
妃は女児を出産しました。
レミアという名です。
明日の午後、公衆の面前でミカエルが演説する予定です。
どうやら例の法案は国民とサミュエルが投票により棄却する前提で、あえてミカエルは署名したようです。
ウィンスト王宮は全軍を東国前線より撤退させました。
所在地は不明な上、常に移動しているため動きを捉えにくいです。
しかも、大量の軍事物資と資源を我々の指定した場所へ速やかに運び入れる用意があるようです。
ミカエルの言葉を借りれば、このまま西に攻め入るのは自分の首を絞めるだけのようです・・・」
ここまで書いてデガータは手を止めた。
一体、何をしているのだ?
これでは職務怠慢で姫様の機嫌を損ねるだけである。
今までで一番、重要な任務であるというのに・・・。
羽ペンを置き、デガータは深呼吸をした。
窓辺に留まっているワタリガラスは、デガータが手紙を完成させるのにはもうしばらくかかる、と判断すると何処かへと飛び去ってしまった。
そう、いままでの任務とは何かが違う。
この違和感を解消するため、デガータは自らの過去を思い返すことにした。
思えば、両親の記憶は全くない。
兄弟もおらず、親戚も居ない。
しかし、魔王一族の血を引いているのだけは確かである。
でなければ、変身や探知の能力どころか、ここまで魔法を自在には扱えないはずだ。
そのため、暗殺者の養成訓練では常に首位を独占していたのがデガータである。
物心ついた時から、何かを殺すことのみ教え込まれてきた。
特に人間を倒す事に関しては、ほとんど偏執的とまで言えるほど、身に染みてたたき込まれた。
どうすれば彼らは命を落とすのか、最も効果的かつ効率的な方法は何か。
そのため、あらゆる手段を講じ、それについて学ぶ必要があった。毒、剣術、体術、弓術、槍術など・・・。
人間が好む趣味、人心掌握、人間の心理についても学んだ。
しかしあるとき、若かりし頃のデガータは気づいた。
毒は使い方を変えれば良薬となる。
武術を極めることはすなわち、自分と誰かの身を守ることへとつながる。
人心への理解や趣味の幅が広ければ、人間社会に溶け込み易くなる。その事をまとめて教官に書面と口頭の両方で詳しく報告すると、飛び級での養成所卒業が確約された。
既に成績優秀だった基礎的な内容は試験をのぞいて当面、免除であった。
実践的、応用的な内容を学んだのち、史上まれに見る好成績でデガータは養成所を卒業した。
そして、養成所を卒業したばかりの従者としては異例ともいえる魔王一家の警護を任される事となった。
初めて魔王一家の城に着任した時の事はデガータにとって忘れがたい。
まだ少女とも言える年齢だったため、身分証は常に見える場所に掲げておく必要があった。
そうでなければ門前払いだっただろう。
そして、城の最上階の一室で、新しく着任する若い警護人の噂をする魔王とその妃の声を彼女は聞いた。
許可が下り、部屋に通されると、明らかに魔王と妃は彼女を見て驚いていた。
その感情の原因は一体、何であったのか?今では知る術がない。
二人による質疑応答のあと、性別が同じという事もあり、主に妃エルザの警護を担当する事になった。
控えめに言ってもエルザは多忙な日々を送っていた。
北の大地を縦横に駆け巡り、現地の求めに応じた。
デガータは常に傍らに立ち、エルザの負担を軽減すべく働きながら、その身を守った。
思えば、後にも先にもエルザから頼まれて警護を外れたのはサミュエルとエルザの一騎打ち直前のみであった。
その瞬間から、デガータの護衛対象は姫ヒルダに移行していたのである。
ある日、母を亡くしふさぎ込むヒルダのため、遺品の洋服を与えた時の事である。
公の場で常にエルザが身につけていた魔王一族の正装。
綺麗に折りたたまれたその服の匂いを嗅ぎ、ヒルダはデガータに抱きつくと泣き疲れて眠るまで大声で泣いた。
デガータに出来たのは涙をこらえて彼女を抱きしめることのみだった。
あれほど自分の無力さを呪った瞬間は存在しない、そうデガータは確信している。
その日からヒルダは徐々に生来の落ち着きと明るさを取り戻していった。
しかし、求めればすぐに何でも手に入る、という環境は徐々にヒルダを傲慢にしていった。
父親譲りの知性と母親譲りの体力を併せ持つヒルダは、他に身寄りが無いということもあり魔族が持てる富と権力の中枢に位置した。
従者という立場もあり、デガータには徐々に傲慢さを増すヒルダを諭す事も出来ず、ただその求めに応じた。
思えば、孤児であったデガータにはエルザの遺言を守る事は最初から不可能だったのかもしれない。
あるいは、最も適任だったのだろうか?意を決し、無礼を承知でデガータは私的な見解をヒルダにぶつけてみることにする。
他の側近には読まれぬよう、別紙に記す事に決めた。
「ここからは個人的な内容でございます。可能な限り、他の側近には読まれぬよう、どうかご配慮ください。
気がつけば姫様はご成人なされ、私も結構な年齢になりました。
初めて魔王一家がお住まいの城に着任した時の事を懐かしく思います。
ご存じとは思いますが、私、デガータは魔王一族の血縁者でございます。
姫様とも何らかの親戚関係にあるかと。
今となっては、その事が理由でご一家の警護を任された気がしてなりません。
自分の任務にはいささかの疑念もございませんが、私のような魔王一族の血縁者をこのような危険任務へ派遣した背景には何らかの思惑がある気がしております。
姫様の母君、エルザ様からは、姫様を時には母、時には姉として支えるようにとの遺言でございました。
もしかすると、今、それを果たす時なのかもしれません。
くれぐれもお体と身辺にはお気をつけください。
普段のようにお守りする事ができず、歯がゆく思います。」
二通の手紙の内容を確認すると、デガータはワタリガラスを2羽、呼びこんだ。
それぞれの足首に別々の手紙を結びつけると飛び立つよう、促した。北の方角へ飛び立ったのを確認すると、デガータは窓を閉めて眠りについた。