第33話 ウナ・べべ
文字数 2,423文字
「これに反発すれば、議会は王の不信任決議案を採択しかねません!」
空の議席が並ぶ大きな会議場に、外務大臣の声が響く。
「いいや!いいかね!?この国は太古の昔より優れた王の手腕によってのみ、その波乱に満ちた歴史を乗り越え、今日の発展を手にすることが出来たのだ!」
「学歴が良いだけのおべっか使いどもがいくら王を非難しようとも、我らが王は、ミカエル様ただひとりである!」
腰に帯びた剣を今にも引き抜きそうな勢いで近衛隊長が大臣に向けて叫ぶ。
外務大臣と近衛隊長は無表情で玉座に座るミカエルをよそに舌戦を繰り広げていた。
その後ろには不安そうな顔をした閣僚達がやや距離を置いて遠巻きに見つめているだけであった。
「そこまで。」
と静かにミカエルは手を上げて言った。
「議長、確かに評決は過半数を超えたのか?」
遠巻きの一人に向かってミカエルが尋ねた。
「ええ、何度となく数え直しました。」
「たしかに、過半数を超えてございます。」
この場で一番高齢そうな男性が言いづらそうにしながらも報告する。
その報告を受け、静かに頷きながらミカエルは更に尋ねる。
「閣僚の皆、確かにこの案には賛成か?」
その場に居るほぼ全員が大きく頷く。
それを受けてミカエルは大臣達を下がらせ、近衛隊長のみを側に残した。
「ミカエル様、いけませぬ!お考え直してくだされ!」
声量は小さいながらも、必死に訴える近衛隊長。
それを受けてミカエルは苦い表情をしながらも、
「潮時だ、もうこれ以上待てぬ。」
「これ以上の遅延行為は議会、ひいては国民の理解を得られぬばかりか、不信を煽ることになる。」
はっきりと近衛隊長に言い放った。
それを受け、ゆっくりと下がる近衛隊長。
「書面を持て!」
とミカエルは大声で言った。
目の前のテーブルに書類と豪華な羽ペン、そしてインク壺が置かれる。
丁寧に記された文章にミカエルは目を通す。
全体的に魔族に有利な条件ばかりが書き連ねられ、一番下には議会の過半数が賛成を示した事実と閣僚たちの署名が並んでいる。
一番大きな空欄にミカエルはゆっくりと署名した。
(思ったよりも早かったな・・・。もう少し署名を先延ばしに出来なかったものか。)
(これで、この法案は私の手を離れ、国民と、父上に委ねられる。)
(私に出来ることは祈るのみ、か。)
運ばれていく文書を見ながら、ミカエルは苦々しい思いであった。
突如、会議室の重い扉が勢いよく開かれた。
すると、息を切らした伝令の兵士がミカエルの足元まで走り、跪いて報告した。
「お産まれです!」
ハッとしたミカエルは急いでカテリーナの寝室に向かって伝令の兵士を伴い駆けていった。
寝室の扉の前に立つと、すれ違いざまにメグが、
「実に安産でございました。」
と伝える。
それを聞き、安堵するミカエル。
暗い寝室でメリンダがベッドの側に立ち、カテリーナはぐったりした様子で赤子を手に抱いたまま眠っている。
眠る赤子とカテリーナを起こさぬよう静かに歩み寄りそっと、双方に口づけをするミカエル。
メリンダに手を引かれ、寝室を後にした。
「メグ、カテリーナを頼む。」
寝室の扉の側で待つメグに伝えるミカエル。
大きく頷いたメグは静かに寝室へ入る。
それを見届けると、
「こちらへいらっしゃい。」
とメリンダが言った。
しっかりと抱き合ったあと、涙を拭いたメリンダが言った。
「法案を通したそうね?」
頷くミカエル。
「では、この国はしばらく安全だと?」
続けて尋ねるメリンダ。
「おそらくは。」
と不安な表情で答えるミカエル。
「何かあるのね?」
とメリンダは言う。
「父も存じているとは思いますが、あの法案は国民と前王である父上が棄却する前提で通したのです。」
ハッとするメリンダ。
「そのことを他に知る者は!?」
「私と母上、そして父以外にはおりません。」
「なんてこと・・・。」
呟いたのち、しばらく考えるメリンダ。
「それが最善だと貴方とサミュエルはわかっているのね?」
「ええ。」
とミカエル。
「法的な効力はどの程度あるの?」
「私が署名した瞬間から効力を発揮し、既に閣僚と関係者は動き始め、中将達も軍隊を引き上げています。」
「そのうち、魔族からも連絡が来る筈です。」
顎に手をやりながら冷静に分析するミカエル。
「向こうが一方的に交渉を拒んで攻め入る危険は?」
メリンダは尚も不安そうだ。
「ゼロではありませんが、低いと思います。」
「向こうとしても強力な我が軍とは交戦を避けたいはず。」
サミュエルが推し進めた軍拡政策の恩恵であった。
もっとも、重税を課したりはしていなかったため、国民の反発は少なかった。
「それに、先の大戦で魔王の妃エルザを討ち取ったのは他でもない、我が父サミュエル。」
「そのサミュエルが不在とあっては、この国にはいささかの価値も無いかと。」
魔王姫の思惑はすでに見抜かれている。
法案成立を抜きにしても、これからの出方はおのずと決まる。
「まさか、サミュエルはそのことを見越して旅立ったというの?」
頷くミカエル。
メリンダは呆気に取られてしまった。
「加えて、大量の軍事物資や資源を向こうの指定する場所に運ぶ用意をする、という文言もはっきりと法案に記してあります。」
「我が国に攻め入るのは旨味が全く無いどころか、魔族からしてみれば自分の首を絞めることにつながります。」
あえて好条件を突き付けて魔族の行動を縛ったのだ。
「あくまでも停戦を遵守するしかない、というわけね・・・。」
しばらく廊下を歩き回るメリンダ。
「結果として、国民と私たち王宮の人間、そして孫とカテリーナを守ったわね、良くやったわ。」
微笑みながらミカエルの手を取るメリンダ。
しかし、ミカエルは険しい表情で言った。
「魔族を倒せそうなら容赦はしません。」
「今は無理でも、そのうち必ず機は熟すでしょう。」
それを聞き、
「そうね、その意気よ。」
とメリンダは静かに褒めた。
メグが聞き耳を立てているとは知らずに。