第7話「運が良ければ即死」

文字数 5,920文字

「……あれ、イオはドコ行った?」

 戻ってきたルナが、牛乳を一リットルパックから直飲みしつつ訊いてきた。
 裕太にも少し大きいアメリカンLサイズのTシャツ、それをワンピース状態で着込んでいるのだが、首周りはだぶついて右肩が半分出ている。

「ルナねぇの服を買いに、駅の方まで」
「そっか。後であたしが行こうと思ってたんだけど」
「さっきの痴女にも程がある格好でか?」
「バカ言っちゃいけないな、裕太。そこはちゃんとレインコート二枚重ねにするって」
「第三者にジャッジを任せたら、間違いなくルナねぇがバカって結論が出るぞ」

 裕太は悲しみと憐れみを込めた視線を送るが、ルナはまるで気にした様子がない。
 屈託のないルナを眺めながら、屈託だらけの自分はどういう態度で接すればいいのかを裕太が考えていると、不意に真顔を向けられる。

「それより裕太、今の内に博士の残したファイルを確認しておこう」
「ああ、そういえばそんなん言ってたっけか……」

 二人は階段を上がって範章の部屋へと向かい、デスクトップパソコンを立ち上げる。
 自宅だけで使っていたからか、ログインパスワードはかかっていない。

「えっと、『アジア史』は、と――お、あった」
「なぁ裕太、その斜め下にある『競泳水着』ってフォルダが気になるんだが」
「それについては、親父の名誉のためにもスルーしとこうか」

 雑多なデータの中から、『中国漢王朝における貨幣経済の発展と衰退』を見つけ出した裕太は、拡張子を変換して偽装されたテキストファイルをZIPファイルへと戻す。

「おおぅ、パソコン使いこなしてるじゃん。現代っ子だねぇ」
「友達に詳しいのがいるからな。で、パスは何だっけ?」
「明日の8、って言ってた」

 裕太は明日の日付を入力してみるが、半角でも全角でも通らず、漢数字も弾かれる。
 入力順も日本式と欧米式の両方を試すが、どのパターンでもダメだった。

「違うか……親父とその話をしたのは?」
「あれは確か――」

 ルナが口にした日付の翌日を試してみるが、またも失敗に終わる。

「強引にパスワードを割り出すソフトがある、って話を聞いたことあるけど」
「一応はあるけど、無料で使えるようなヤツは性能が低くて、桁が多かったり数字以外のパスだったりするとまず解けな――ん、数字じゃない?」

 何となく閃いた裕太が、入力欄に『TOMORROW』の八文字を打ち込んでみると、ZIPファイルの解凍が始まった。

「おお! やったな」
「全く、面倒くさい真似を……」

 それでもアッサリと辿り着けたのは、十数年も親子をやってきたお陰だろうか。
 程なくして、デスクトップに『裕太へ』というタイトルの動画ファイルが生成された。


「じゃあ、再生するぞ」

 少なからず緊張しながら裕太がファイルをダブルクリックすると、ディスプレイに再生用のウィンドウが開く。
 数秒乱れた後で画面が明るくなり、白衣を着た範章の姿が映し出された。
 背景からして恐らくはあの部屋、範章の仕事場だったという研究室だ。

「……あー、何でジョニー・デップがいるのか不思議に思っているかも知れないが、落ち着いてよく見て欲しい。お前の父親だ」

 裕太とルナの肩がピクッと動くが、二人とも無言のまま画面を見つめる。

「お前がこれを見ているということは、私は既にこの世にいないか、潜伏生活を余儀なくされているか、アメリカ大統領夫人になっているかのどれかだろう」

 会心のドヤ顔を浮かべる父親の姿に、裕太は眉間に深い(しわ)を刻みながら呟く。

「ギャグが嫌な感じに古いな……」
「なぁ裕太、コレって画面内へのパンチボタンとかないの?」
「そんなんあったら俺が連射してる」

 真顔に戻った範章は、軽く姿勢を正してから話を続ける。

「現在の私は、厄介なトラブルに巻き込まれつつある。どうにかするつもりだが、不測の事態を想定していくつかメッセージを残しておく」

 場面が一瞬暗転し、すぐに元に戻る――無駄話をカットしたのだろうか。

「もう知っているだろうが、私は中学の理科教師ではなく、ある研究機関に所属する生化学者だ。機関の名は『DFI生命科学研究所』。海外資本のような名称だが、他国の関与は極力排除してある。DFIはドラゴンフライ・アイランド……『秋津島(あきつしま)』の頭文字だ」

 裕太は動画を一時停止し、ルナに質問する。

「……どういう意味だ?」
「秋津ってのはトンボの別名で、秋津島ってのは日本の別名だ。ドラゴンフライは英語でトンボ、アイランドは英語で島」
「いや、最後はわかるけど」

 どうして秋津島なのかに引っかかりながら、裕太は再生ボタンをクリックする。

「仕事内容について簡単に言うなら『人間を人間以上の存在へと進化させる』ってところだ。苦痛や疲労というリミッターを解除しての運動機能向上、人体の一部を機械に置き換えるサイボーグ化、老化現象や細胞の変異をコントロールする遺伝子操作……そんな研究だな」

 ついていけるか、という風に自分を見てくるルナに、裕太は小さく頷き返す。

「研究に必要となるのはまず資金、次に場所、それに人材。金に関しては、昔から不老不死のためなら死んでもいいって連中には事欠かないから、かなりの余裕があるな。ちなみにスポンサーは政治屋と宗教屋、それに戦前からあるような企業のエラいさんがメインだ」

 その三社に色々と含む所があるのか、範章の口の端が微妙に歪む。

「金に余裕があるから、研究施設は問題なく運営できていた。土地については、人里離れた山林を丸ごと買ってしまえば、何がどうなろうとまず表沙汰になりはしない」

 露悪的な気分になっているのか、範章の顔付きはやや凶暴性を帯びたように見える。

「最後の人材については、専門の知識や技術の持ち主である研究員もそうだが、それ以上に必要とされるのは別の意味での人材――『人』体実験の『材』料だ」

 伊織からルナが改造人間だと聞かされて、範章が何をしていたのかは大体予想がついていたが、当人の口から語られるのは予想以上に破壊力抜群だった。

「誰も明言はしないがな、科学だろうと医学だろうと、あらゆる分野で最も効率良く研究成果を上げられるのは、人体実験だ。何せ、殆どの物事は突き詰めれば全ては人のため。人のための研究なら、人を使うのが一番効率的だ……道徳や良心を無視できれば」

 その実験材料となったルナの様子を、裕太はそっと窺ってみる。
 ルナの横顔には、ただ痛々しい場景を眺めている静かな気配があるばかりだった。



「道徳や良心を無視できても、法は中々無視できないが、それも『法で守られていない人間』を使う抜け道がある。例えばこの国の行方不明者は、捜索願が出されているだけでも毎年七~八万人、実際には十万を余裕で超える。で、その中には何があろうと表に出られない連中がいる。潜伏中の犯罪者とか、危なっかしい借金を抱えた債務者とか」

 語りの中身が薄汚くなるのと連動するように、範章の表情にも(すさ)んだ気配が濃くなる。

「ホームレスも主要な供給源だ。昔は半病人と年寄りだらけで使い物にならなかったが、最近は健康で若い連中も増えたからな。最も使い勝手がいいのは、不法滞在の外国人……というか連中がこっちに来てから作った子供だな。彼らは書類の上では存在すらしてない」

 範章は一瞬カメラから目を逸らし、また正面を向いて話を続ける。

「技術的にも倫理的にも難しい手術や、副作用や毒性を無視した新薬の投与で、実験体は猛スピードで消耗される。実験後の拒絶反応に耐えられなかったり、期待外れの結果に終わる場合も少なくない。そうなれば『フェイ』扱いになって、下手をしたらそのまま廃棄処分だ」
「ふぇい……?」

 耳慣れない言葉に裕太が疑問の声を上げると、すぐにルナが反応する。

「研究所で使われてる用語だよ。失敗を意味する英語『フェイル』と、非常事態とか非科学的とかの『非』って漢字の中国語読みのダブルミーニング、とか何とか」
「つまり、人ならざる失敗作、とでも言いたいのか……」

 人間を平然とゴミ扱いする連中の思い上がりに触れ、裕太は軽くはない吐き気を覚えた。

「さて、私が何をしてきたかは伝わっただろうから、話を本筋に戻す。トラブルに巻き込まれつつあると言ったが、それは研究所で近々クーデターかそれに類する騒動が発生する確率が極めて高い、という懸念に基いている――研究機関でそんなのが起こるのも妙な話だがな」

 苦笑いを浮かべた範章は、軽く首を回しながら言う。

「実験体の中には、極めて高い能力を発動させた者がいる。『アルケー』と呼ばれる彼等は、データ収集目的の各種試験や出資者への宣伝係が主な仕事なんだが、特殊な任務を与えられるケースもある。この映像を見ているならば、もうルナと再会しているだろう。あの子は全身の細胞を変異性の癌細胞に置換し、新陳代謝を極限まで活性化させ、無限の再生能力を獲得するのに成功している。そんな能力の持ち主がどういう仕事をしていたか、大体想像がつくな?」

 裕太が隣を見ると、ルナは目線を合わせずに口を開く。

「……もう少しヒント出すと、あたしの痛覚は完全に遮断(しゃだん)されてるし、骨格の硬化と筋密度の劇的な向上も施されてるし、イオには各種武器の取り扱いと格闘術全般を叩き込まれてる」

 戦闘以外に使い道のない能力だと理解したところで、範章の説明は進む。

「で、アルケーには研究に携わっている者もいるんだが、その一人『セイ』に問題が起きている。どうも研究所のコントロールから外れ、何事かを進行させている気配があるのだ。明確な反抗の兆しは見えないものの、セイと何らかの関係があるアルケーやフェイへの監視、それに一般研究員を対象にした監査から、この疑惑が浮上してきた」

 どうも、よくわからん固有名詞が増えつつあるな――そう考えているのが顔に出ていたらしく、ルナがフォローを入れてくる。

「『アルケー』ってのはギリシャ語で最初とか根源とか、そんな意味。『セイ』は秦の始皇帝エイ政に由来するコードネーム。アルケーは基本的に帝国や王朝の創始者由来の名前が付けられてる。殆どの場合は初代国王だけど、能力が飛び抜けている一部だけは、初代皇帝から持ってきてる。セイが始皇帝なのは、多分最初に生み出されたアルケーだから、だろうね」
「えっと……研究所の連中は中二感覚を拗らせている、という理解でいいかな」
「大体あってる」



 そんな話をしていると、ディスプレイの中の範章も誰かと携帯電話で話していた。

「――そうか。では引き続き――ああ、そっちも十分注意してくれ」

 通話を終えた範章は、若干表情が強張っているように見える。

「セイ周辺の動向を監視している者からの報告だ。どうやら、私の部下にも不穏な気配があるらしい……もし、鈴森という女が接触してきたなら、何か罠があると考えてくれ」

 思いっきり手遅れな範章の忠告に、裕太は項垂(うなだ)れて溜息を吐く。

「そのイベント、もう終わってるけどな」
「想定してた以上に、あいつらの行動開始が早かったんだろ」

 ルナからのフォローを聞き流していると、範章がカメラに向かって身を乗り出した。

「現状では、セイとそのシンパの目的は不明だ。しかし裕太……事態が動き出せば、お前は確実に標的になる。私を脅す目的で人質にされる可能性もあるが、研究所の重要施設のロック、そこの生体認証はお前でも通るようになってるんだ」

 そのイベントも、もう終わってる――と思う裕太だが、コメントは控える。

「アルケーやフェイには、もし暴走や反乱を起こした場合に素早く鎮圧できるよう、特定条件下で発動する自壊システムが組み込まれてるんだが、その解除法を記した『タブラ・ラサ』と呼ばれるデータが研究所に保管してある。セイがまず狙うのはこれだろう」
「……どうなんだ?」
「間違いなく狙ってくる――っていうか、狙われた結果が研究所の惨状だね」

 ルナの答えから、裕太はその『タブラ・ラサ』とやらは奪われたのだろうと判断する。

「そしてもう一つ、アルケー研究を統合し体系化した、超人開発の設計書である『イグノラムス・イグノラビムス』というデータが存在する。これさえあれば、もし私が死んでもアルケーを造り出すことが可能だ。このデータは裕太……お前の深層心理の領域に刷り込んである」

 額を指で叩く範章のジェスチャーに対し、裕太は反射的に掌で自分の額を押さえる。

「その事実は限られた人間にしか伝えてないが、鈴森が裏切っていた場合は、まず間違いなく狙ってくるだろう。データの抽出手順を知っているのは私だけだが、強引にやろうと思えば不可能ではない。その場合、脳に対してかなりの負担があるから……無事では済まない」

 シレッと不吉な宣言を行う範章にイラッとしつつ、裕太はルナに確認しておく。

「無事じゃ済まないって、具体的には?」
「運が良ければ即死、って言ってたかな」

 それは運が悪ければ苦痛に塗れて死ぬか、死んだ方がマシな状態に陥る、って意味か。
 あのまま垂峰の研究所から逃げられず、ルナも現れなければ今頃どうなっていたか。
 そこに思い至った裕太の背筋を、冷たい何かがすり抜ける。

「こんな事もあろうかと、生き残る技術は一通り身に付けさせたつもりだが、ちょっと相手が悪い。ルナと塙邑君を頼って、何とか切り抜けてくれ。当座の生活費はお前名義の銀行口座に入れてある。カードは手提げ金庫の中で、暗証番号はそっちかよって方のナポレオン」

 そこまで語った後、範章は不意に痛みを(こら)えるような表情に転じた。

「お前を巻き込んでしまい、本当にすまないと思っている。私はなるべくいい父親であろうと努力したつもりだが、結局……普通の家庭は作れなかったな」

 自分に向けて喋っているのだろうが、その視線は別の誰かに向けられている――裕太にはそんな気がしてならなかった。

「……とりあえず、必要最低限の情報は伝えられた、と思う。説明不足なのは承知だが、とにかく時間がないんだ。じゃあ裕太、夜道の一人歩きには気を付けてな」

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登場人物紹介

佐崎裕太(ささきゆうた)

巻き込まれ型の主人公。高校生。

父親の遺した“あるモノ”のせいで日常生活が崩壊し、美少女と同居生活を開始したり改造人間に誘拐されたりゾンビの群れに自宅が襲われたりする。

ルナ

非常識な戦闘能力と再生能力を有する少女。見た目は10歳くらいだが年齢不詳。

格闘・射撃・投擲・刀剣・ナイフなどをオールマイティーに使いこなす。

羞恥心や道徳心に多大な問題があり、どんな違法行為だろうが必要と判断すれば躊躇なく実行する。

塙邑伊織(はなむらいおり)

裕太の格闘術の師匠に当たる女性。見た目は若いが年齢不詳。

おっとりとした喋り方と振る舞いが特徴だが、戦闘に関してはルナの同類。

セイ

裕太が巻き込まれている異常事態の元凶。

小柄な少年という目撃証言があるが、それ以外は謎に包まれている。

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