第27話「時速八十キロ出すウサギもいるぞ」
文字数 2,713文字
ルナは工場内を逃げ回った末、工員の休憩所だったと思しき小部屋に追い詰められていた。
一つしかない出入り口には、触手を蠢 かせたセイが立ち塞がっている。
「子供らしい遊びは殆ど経験してないから、鬼ごっこも新鮮だったよ。けど――いい加減もう飽きた」
室内の大部分が触手の奔流 に占拠され、ルナの視界が急速に狭まる。
だがそこで、不意に照明が消えた。
「でかしたっ」
ルナは笑顔全開でここにはいない裕太を褒めながら、呼吸を止めて駆け出す。
命運を賭けるには頼りない、視力向上のついでに付与された補助的な暗視能力。
しかし、唐突な暗転で混乱しているセイに奇襲をかけるには、それでも十分なはずだ。
床を蹴る音に反応して触手が動くが、基本的には視覚情報と連動しているようで、攻撃にも防御にも踏み切れないでいる。
予想を見事に的中させたルナは、闇に紛れてセイの左後方から接近し、その脳天に厚刃のナイフを突き立てるべく振り翳す。
「――グッ」
押し殺した声が響くが、刃先の感触は頭蓋を貫いたにしては柔らかい。
ルナは空かさず第二撃を加えようとするが、その腕を掴まれ壁面へと体を叩き付けられる。
「ぶぁ! たぱっ――」
「あんまり、調子に乗らないで」
完全に能力頼りなのかと思いきや、本体も意外に動けるようだ。
触手による追加攻撃の前に掴まれた手を振り解き、ルナは小部屋を脱して工場内へと戻る。
照明は消えたままで、割れたり曇ったりの窓から入る月明かりの他に光はない。
「文字通りの闇討ちを開始させてもらうぞ、セイ」
「悪いけど呆気なく阻止させてもらうよ、フレイ」
セイが何かを立て続けに投げると、それぞれの落下点から炎が上がる。
投げたのは着火したオイルライター、燃え出したのはアチコチに存在していた廃材の山だ。
「油っぽい臭いの正体はコレか……用意周到なこった」
「ライオンはウサギを捕まえる時にも全力を尽くす、って言葉もある」
「本気で走れば、時速八十キロ出すウサギもいるぞ」
「それでも逃げ切れるだけで、ウサギがライオンを倒すのは無理だよね」
複数の焚火に照らされ、セイの異様なシルエットが揺れる。
左肩は血に染まっているが、致命傷には遠いだろう。
「しかし、世の中にはボーパル・バニーという不思議生物が――」
「いない」
暗転直後の一撃さえ決まっていれば――考えまいとしてもルナの後悔は膨らむ。
どうにか隙を作ろうと、無駄話を繰り広げてチャンスを窺ってみる。
「そういやセイ、世界を相手に戦うって言ってたけど、その方法は? 仮に勝ったとしても、その後はどうするんだ。神サマにでもなるつもりか?」
「レオンにも似たような質問をされたが……兄さんも戻ってきたみたいだし、最後にそれに答えておこうか」
不意打ちでルナを援護しようと隠れていた裕太は、見抜かれたと知ってドアの陰から出る。
遠目で見た時点で既に尋常ではなかったが、セイの異様な造形は改めて裕太をたじろがせた。
「今回の件は、DFIに出資してる連中の一部が、研究所内の不平分子と結託して実権を掌握しようと工作を始めたのが全ての発端だ。計画の中心は、資金の濫用と実験体の浪費が問題視され、行動を制限されていた科学者達だ」
「……博士とヴァルの予想は、大体当たってたみたいだな」
ルナが言うと、セイは小さく頷いた。
「不穏な気配を察してたのは結構いたけど、まともに対応したのは父さんと相馬くらいだ」
「で、そいつらと一緒になって、お前は親父を殺したのか」
そう言う裕太と視線がぶつかったセイの瞳に、ふわりと微妙な色合いが浮かぶ。
しかしそれもすぐに消え、淡々とした様子を崩さずに話を続ける。
「垂峰の研究所を破壊したのは、反乱に加担した者を生死不明の状態にしつつ、実験データや研究資料を回収するのが目的だ。研究員や職員に被害を出したのは、純粋に計算外の出来事。父さんとは色々あったけど、騒動に紛れて抹殺するような、単純な感情を抱いてもなかった」
セイの言葉は裕太にとって、納得はできないが理解はできるものだった。
「連中は、自壊プログラムの解除を条件に協力を求めてきたが、僕の方では『タブラ・ラサ』の存在と、それを父さんが管理しているとの情報を既に入手していた。手元にない物を材料に交渉しようとする神経の太さには感心しなくもなかったけど、平然と大ボラを吹いてくる相手に命を預けられる程、鷹揚 にはなれなくてね」
セイの話と、微苦笑を浮かべてそれを聞いているルナの様子から、首謀者である科学者連中の悪質さが裕太にも伝わってきた。
「だから表面上は協力しながら、僕達は独自の計画に従って動いていた。DFIの設備と金をフルに利用しつつね。連中は組織を牛耳るクーデターのつもりだったんだろうが、僕は世界を征服する革命の準備を進めているつもりだった」
「ギャグの文脈じゃない『世界征服』を生で聞いたのは、小学四年の二学期以来だぞ。具体的にはどういう計画を立ててたんだ」
裕太が訊くが、セイは軽く顔を顰 めて頭を振る。
「詳しく説明してもいいけど、ボスキャラが長々と自分の真意を語り始めるのは、確実に敗北フラグなんで止めておくよ。ただ……」
「ただ?」
「僕なら、この世界を壊せる」
そう断言したセイの声には、気負いというものが感じられない。
ただ事実を述べただけだと察した裕太は、無意識に拳を握りながら問い返す。
「壊すのはいいが、その過程で何億人を殺す気だ?」
「言い方が悪かったかな……僕ならこの腐った世界の『システム』を壊せる。方法を知っていて、どうなるかもわかっていて、何が必要かも理解している」
断言するセイに向けて、ルナはシラケ面でスローテンポの拍手を送る。
「そいつぁスゲェ。でも問題は、狂気の独裁者として歴史に名を残した人物も、殆どの場合は理想の社会を作ろうとした途中で道を間違えて、迷走を重ねた挙句に死体の山を築く定番コースを辿ってることだ、セイ」
「兄さんも、フレイと同じ意見?」
「よくわからんし、意見って程の意見はないけどな……とりあえず、俺が死んでる平和な世界より、俺が生きてるロクでもない世界を大事にしたい」
「まぁ、そういうものか。じゃあとりあえず」
じゃあ、の所までが音声化されたタイミングでセイが何かを頭上に投げる。
それとほぼ同時に、ルナを目掛けて黒く大きな塊が急角度で落下してきた。
一つしかない出入り口には、触手を
「子供らしい遊びは殆ど経験してないから、鬼ごっこも新鮮だったよ。けど――いい加減もう飽きた」
室内の大部分が触手の
だがそこで、不意に照明が消えた。
「でかしたっ」
ルナは笑顔全開でここにはいない裕太を褒めながら、呼吸を止めて駆け出す。
命運を賭けるには頼りない、視力向上のついでに付与された補助的な暗視能力。
しかし、唐突な暗転で混乱しているセイに奇襲をかけるには、それでも十分なはずだ。
床を蹴る音に反応して触手が動くが、基本的には視覚情報と連動しているようで、攻撃にも防御にも踏み切れないでいる。
予想を見事に的中させたルナは、闇に紛れてセイの左後方から接近し、その脳天に厚刃のナイフを突き立てるべく振り翳す。
「――グッ」
押し殺した声が響くが、刃先の感触は頭蓋を貫いたにしては柔らかい。
ルナは空かさず第二撃を加えようとするが、その腕を掴まれ壁面へと体を叩き付けられる。
「ぶぁ! たぱっ――」
「あんまり、調子に乗らないで」
完全に能力頼りなのかと思いきや、本体も意外に動けるようだ。
触手による追加攻撃の前に掴まれた手を振り解き、ルナは小部屋を脱して工場内へと戻る。
照明は消えたままで、割れたり曇ったりの窓から入る月明かりの他に光はない。
「文字通りの闇討ちを開始させてもらうぞ、セイ」
「悪いけど呆気なく阻止させてもらうよ、フレイ」
セイが何かを立て続けに投げると、それぞれの落下点から炎が上がる。
投げたのは着火したオイルライター、燃え出したのはアチコチに存在していた廃材の山だ。
「油っぽい臭いの正体はコレか……用意周到なこった」
「ライオンはウサギを捕まえる時にも全力を尽くす、って言葉もある」
「本気で走れば、時速八十キロ出すウサギもいるぞ」
「それでも逃げ切れるだけで、ウサギがライオンを倒すのは無理だよね」
複数の焚火に照らされ、セイの異様なシルエットが揺れる。
左肩は血に染まっているが、致命傷には遠いだろう。
「しかし、世の中にはボーパル・バニーという不思議生物が――」
「いない」
暗転直後の一撃さえ決まっていれば――考えまいとしてもルナの後悔は膨らむ。
どうにか隙を作ろうと、無駄話を繰り広げてチャンスを窺ってみる。
「そういやセイ、世界を相手に戦うって言ってたけど、その方法は? 仮に勝ったとしても、その後はどうするんだ。神サマにでもなるつもりか?」
「レオンにも似たような質問をされたが……兄さんも戻ってきたみたいだし、最後にそれに答えておこうか」
不意打ちでルナを援護しようと隠れていた裕太は、見抜かれたと知ってドアの陰から出る。
遠目で見た時点で既に尋常ではなかったが、セイの異様な造形は改めて裕太をたじろがせた。
「今回の件は、DFIに出資してる連中の一部が、研究所内の不平分子と結託して実権を掌握しようと工作を始めたのが全ての発端だ。計画の中心は、資金の濫用と実験体の浪費が問題視され、行動を制限されていた科学者達だ」
「……博士とヴァルの予想は、大体当たってたみたいだな」
ルナが言うと、セイは小さく頷いた。
「不穏な気配を察してたのは結構いたけど、まともに対応したのは父さんと相馬くらいだ」
「で、そいつらと一緒になって、お前は親父を殺したのか」
そう言う裕太と視線がぶつかったセイの瞳に、ふわりと微妙な色合いが浮かぶ。
しかしそれもすぐに消え、淡々とした様子を崩さずに話を続ける。
「垂峰の研究所を破壊したのは、反乱に加担した者を生死不明の状態にしつつ、実験データや研究資料を回収するのが目的だ。研究員や職員に被害を出したのは、純粋に計算外の出来事。父さんとは色々あったけど、騒動に紛れて抹殺するような、単純な感情を抱いてもなかった」
セイの言葉は裕太にとって、納得はできないが理解はできるものだった。
「連中は、自壊プログラムの解除を条件に協力を求めてきたが、僕の方では『タブラ・ラサ』の存在と、それを父さんが管理しているとの情報を既に入手していた。手元にない物を材料に交渉しようとする神経の太さには感心しなくもなかったけど、平然と大ボラを吹いてくる相手に命を預けられる程、
セイの話と、微苦笑を浮かべてそれを聞いているルナの様子から、首謀者である科学者連中の悪質さが裕太にも伝わってきた。
「だから表面上は協力しながら、僕達は独自の計画に従って動いていた。DFIの設備と金をフルに利用しつつね。連中は組織を牛耳るクーデターのつもりだったんだろうが、僕は世界を征服する革命の準備を進めているつもりだった」
「ギャグの文脈じゃない『世界征服』を生で聞いたのは、小学四年の二学期以来だぞ。具体的にはどういう計画を立ててたんだ」
裕太が訊くが、セイは軽く顔を
「詳しく説明してもいいけど、ボスキャラが長々と自分の真意を語り始めるのは、確実に敗北フラグなんで止めておくよ。ただ……」
「ただ?」
「僕なら、この世界を壊せる」
そう断言したセイの声には、気負いというものが感じられない。
ただ事実を述べただけだと察した裕太は、無意識に拳を握りながら問い返す。
「壊すのはいいが、その過程で何億人を殺す気だ?」
「言い方が悪かったかな……僕ならこの腐った世界の『システム』を壊せる。方法を知っていて、どうなるかもわかっていて、何が必要かも理解している」
断言するセイに向けて、ルナはシラケ面でスローテンポの拍手を送る。
「そいつぁスゲェ。でも問題は、狂気の独裁者として歴史に名を残した人物も、殆どの場合は理想の社会を作ろうとした途中で道を間違えて、迷走を重ねた挙句に死体の山を築く定番コースを辿ってることだ、セイ」
「兄さんも、フレイと同じ意見?」
「よくわからんし、意見って程の意見はないけどな……とりあえず、俺が死んでる平和な世界より、俺が生きてるロクでもない世界を大事にしたい」
「まぁ、そういうものか。じゃあとりあえず」
じゃあ、の所までが音声化されたタイミングでセイが何かを頭上に投げる。
それとほぼ同時に、ルナを目掛けて黒く大きな塊が急角度で落下してきた。