第4話「空から美少女が降ってくるのはベタ過ぎてギャグの領域」

文字数 4,818文字

 想像以上の凶報に、裕太は全身の力が抜けて膝から崩れそうになる。
 呆然と袋の中身を見つめていると、宇野がそれをポイッと放り捨てて言う。

「この残骸で指紋認証は解除できたんだけどよ、虹彩(こうさい)認証のロックが外れねぇのよ。だから、スペアキーとして設定されてるお前の出番」

 自分と父親をモノ扱いする言葉と行動に、裕太の頭には急速に血が上る。
 だがそれと同時に、深刻な危機感が頭を冷却してくる。
 範章は何かに襲われるか食われるかして、既に死亡している可能性が高い。
 自分を連れて来た連中は、倫理や法律を平然と無視した研究を行っている。
 面子の一人は嬉々として暴力を振るうタイプで、もう一人は並外れた体格の所有者。
 残る紫は非力そうな女性だが、得体が知れず油断はできない。

 そして余計な話を色々と知った自分は、連中に言われた通りにしても、感謝の言葉と共に見送られるより、用済みとなって闇に葬られる可能性の方が高そうだ。
 しかも、自分がこの研究所にいることを誰も知らないから、ちょっとした隠蔽(いんぺい)工作をされただけで軽々と行方不明にされてしまう。
 そこに思い至った瞬間、裕太はこの場から逃げ出す覚悟を決めた。

「親父が……死んだ? そ、そんな……嘘だろ……」

 演技と本気が()()ぜになった声を出しながら、よろめいた裕太は机に両手をついて、(うつむ)き加減に肩を軽く震わせる。

「ウザってぇなぁ、ったく。野郎の泣き言なんざな、一文の価値どころか一ウォンの価値もねぇんだよ。だからサッサと――」

 不快さを大盤振る舞いしながら、宇野が近付いてきた。
 裕太は机に置かれた腕時計にそっと手を伸ばし、拳に巻いて握り込む。
 それから、自分に格闘術を教えてくれた師匠の言葉を心の中で暗唱する。

『後始末が面倒だから、暴力沙汰はなるべく避けるように』
『どうしても避けられない時は、躊躇(ちゅうちょ)せず全力で徹底的に』
『相手が恐怖か痛みで固まるまで、泣き喚いても許さずに』

 ギュッと(まぶた)を閉じ、溜息に偽装した深呼吸で気持ちを落ち着かせ、静かに顔を上げる。
 それから宇野に振り返り、積もり積もった苛立ちを乗せた右拳を怒号と共に突き出した。

「形見分けだ、オゥラぁあああああああああああああっ!」

 顔の中心部を狙ったが、宇野が反射的に避けようと上体を反らした結果、チタンの硬度を得た拳は半開きの口を(とら)える。

「ぱぶぇらがっ!」

 短い異音が生じた後、砕けたエナメル質が血涎(ちよだれ)と共に床に散り、宇野は表記困難な奇声を発しながら倒れ伏す。
 裕太は風防にヒビ割の入った時計をポケットに落とし込むと、裂けた口を押さえて転げ回っている宇野の顔を踏むように追加の蹴りを見舞う。
 そして、手近にあった椅子を放り投げてゴリラもどきを牽制(けんせい)すると、全速力で第二特別研究室を飛び出した。



 大麻畑の間に作られた農道を、息を詰めて駆け抜ける。
 体の重そうな大男と乳の重そうな女が相手だし、楽に逃げ切れるだろう。
 そう判断して裕太が力を抜こうとした瞬間、背後から地響きが追ってくる。
 足を止めずに振り返れば、巨体に似合わぬ俊足を発揮する、無表情なゴリラもどきの姿が。

「なっ――卑怯だろっ!」

 動揺して自分でも意味がわからない抗議のセリフを口走りつつ、速度を上げて振り切ろうと試みる裕太だが、軽自動車にはねられたような体当たりを食らい、畑の中へと突っ込んだ。
 気絶しかけた状態で襟首を鷲掴みにされた裕太は、来た道を引きずられながら研究室へと連れ戻される――と、思われたのだが。

 地中から伸びた手が、ゴリラもどきのスラックスを握るのを見て、裕太は意識を回復する。
 唐突に畑から出現した細い右腕は、居合わせた二人の視線を独占するのに十分だった。
 直後、同一人物のものと思しき左手が突き出され、やはり脚へと指を絡ませる。
 地中から這い出て来たのは、長いストレートの金髪を土でくすませた、褐色の肌をした少女。

 歳は小学校の高学年くらいだろうか――和風をメインに欧風が混ざり込んでいながら、それが絶妙な均整を取りつつ高い位置で調和したような、そんな整い方をした容貌だ。
 登場パターンからアンデッドか何かとも思われたが、生命力に溢れる青い両目と薄く笑みを浮かべた口元、そしてハリのある若々しい肌は、死人特有の濁った瞳や弛緩(しかん)した唇、それに死斑(しはん)の浮いた皮膚からは程遠い。

 そんな少女の姿と、裕太の記憶の中にいる誰かの面影が重なりかける。
 だが全身を(あらわ)にした少女の一糸纏(いっしまと)わぬ全裸っぷりは、ローアングルで凝視するには気が引けるコーディネイトだ。
 なので裕太は正体の確認は後回しにして、とりあえず目を逸らしておくことにした。



「ふぅう、りゃあ!」

 ゴリラもどきの体をよじ登り、いつの間にか両手で白衣の襟を掴む形になっていた少女は、前触れもなく奇声を上げる。
 きっと気合か何かなのだろうが、可愛らしい声には迫力など欠片もなくて、聞いていて気が抜けるのは避けられない。
 苦笑しかける裕太だが、その先に展開された光景は想像を絶するものだった。

 襟を掴んだまま両手を一杯に伸ばし、貧相な胸を思い切り反らせた少女は、鋭いヘッドバットを相手の鼻柱めがけて繰り出す。
 そして手を離すと、背中から倒れ込もうとするゴリラもどきのアゴに、サマーソルトキックの要領で右足裏を叩き込んだ。
 無様に転がされたゴリラもどきとは対照的に、空中で半回転して体勢を整えた少女は、両足を揃えた状態でトンッと綺麗に着地する。

 地面にへたり込んだまま、一連の流れるような動作を見ていた裕太は、立ち上がって改めて少女の全身を眺める。
 裕太よりも頭一つ半ほど低い身長に、大男を瞬殺する攻撃力がどこにあるのかわからない細い手足。

 長い金髪に褐色の肌――という組み合わせは、かつて日本の都市部を中心に謎の流行を見せたと言い伝えられるコギャル文化を彷彿させなくもないが、目の前の少女は化粧気がゼロで、髪色も肌色も自然な美しさを(たた)えていた。
 さっき浮かんだのが誰の面影だったのか、それを思い出そうと横顔を見詰めていると、少女は蒼玉(サファイア)に似た瞳で裕太を見詰め返しつつ訊いてくる。

「どうした? あたしの顔に何かついてる?」
「えーっと……眉と目と鼻と口と土とデコの返り血の他は、特に何も」
「随分と落ち着いてるじゃない」

 少女は不敵な笑みを浮かべながら、右手の甲で額にはねた赤色を拭う。
 指摘されて、やけに落ち着いている自分に気付いた裕太は、その理由を分析してみる。

「えぇと、何だろう……全裸の女の子がいきなり大麻畑から出現して、しかもその子がゴリラみたいな男をぶっ飛ばす光景を目撃する、っていう浮世離れ感が抜群なイベントに、脳の処理能力がついていけない……大体、何で土の中から?」

 訊いてみると、少女は両手を腰に当てて大威張りで答える。

「空から美少女が降ってくるのはベタ過ぎてギャグの領域だし、水中からバタフライで登場すると吉川晃司とカブる。だったらもう、地中から這い出すしかないじゃん」
「意味がわからん!」

 自分で美少女って言うな、あと吉川晃司って何の話だ。
 他にも色々と言いたいことはある裕太だが、面倒なのでその辺はツッコまない。

「そもそも、どうして裸なんだ?」
「そこは話すと長くなるんだが……まず、『服』って何だろう」
「質問に質問で返した挙句、何やら哲学的な方向に走り出そうとしてないか?」

 呆れ気味の裕太に構わず、少女は滔々(とうとう)と語り始める。

「服って漢字は、『にくづき』と『皮』の字を崩した旁で成り立ってる。つまり服とは、進化の過程で防寒機能を失ったヒトという生物が、新たに得た毛皮なんだよ」
「へぇ……」
「いや、思い付きで喋ってるだけで全部デタラメだけど。大体、服って字の偏は『肉』が元になった『にくづき』じゃなくて、『舟』が崩れた『ふなづき』だし」
「……要するにどういうことなんだ?」
「ちょっと爆発に巻き込――まぁ、アレだ。細かいことは気にすんな」
「爆発って単語が出てくる時点で、気になって仕方ないんだが」

 もうどうでもいいから、とりあえず何か着てくれないかな――そう裕太が言おうとしたタイミングで、パンッと乾いた音が響き、少女の肩が激しく揺れた。



 音のした方を見ると、無表情の紫が銃を手にして立っている。
 いかにも護身用なタイプの小型拳銃から、さっきと同じ音が続けてもう三度。
 二発は外れたが、残る一発は少女の薄い胸から濃い血煙を噴出させた。

「なっ――何だよ! マジかよっ! 何してくれてんだよ、お前ぇえっ!」

 研究所の設備や実験内容の反社会性からして、拳銃が持ち出されても不思議はない。
 それでも、威嚇(いかく)射撃もなしに連射してくるのは、アグレッシヴにも限度がある。
 そんな考えから発せられた裕太の叫びだったが、紫は全く聞く耳を持たない様子だ。
 無表情をキープしたままに、銃口を向けながら距離を縮めてくる。

「山田さん、いつまで寝てるのですか。早く二人を確保して下さい」

 事務的な紫の声に反応し、山田と呼ばれたゴリラもどきがのっそりと身を起こす。
 頭突きと蹴りで鼻と口から盛大に流血しているが、見た目ほどのダメージはないようだ。
 まだ息があるようなら、撃ち倒された少女を連れて逃げなければ――裕太は焦りで空転する頭を必死で働かせ、この窮地をどうにか脱しようとする。

 だが助けるべき相手は、二発の銃弾を受けながらも倒れていなかった。
 肩と胸から流れる血もそのままに、体勢を低くして駆けると、咄嗟(とっさ)に反応できず棒立ちな山田の三メートルくらい手前で、叫声と共に高々と跳び上がった。

「んなぅらぁ!」
「んっ――」

 顔面を殴りに行くようなモーションだったが、少女の体はそのまま弧を描いて落下し、山田の無防備な股間にドロップキックを炸裂させる。
 顔をガードしていた山田は、短い窒息音だけを残して崩れ落ちた。

「これは、想像以上ですね……」

 紫の落ち着き払った表情が引き()り、恐怖の滲んだ心境が垣間見える。
 山田を一瞥して動かないのを確認すると、少女は素早く紫の方へと駆け寄って右手を捻り上げ、彼女が取り落とした拳銃を畑の中へと蹴り込んだ。

「想像以上にバケモノだった、とでも言いたいのか? 鈴森」

 紫の右手首を掴んだまま、少女は端正な顔を歪ませて人の悪い笑顔を浮かべる。

「うくっ、博士は何故、お前みたいなのをほっ――ぉぶぐふぁっ!」

 質問に答える代わりに、少女は膝で紫の胃の辺りを突き上げて手を離す。
 手加減のない一撃を受けた紫は、両手で腹を抱えて地面に突っ伏すと、汚い呻き声を上げながら胃液を吐き散らかす。
 銀杏臭の漂う凄惨な光景を前にして、裕太は思わず訊いてしまう。

「女が相手でも容赦しないのな」
「それはコッチのセリフ。あたしが二発も撃たれたシーン、見てなかったの?」
「いや、見たけどさ……あれ?」

 何故、撃たれたのに平然としているのか。
 出血の後は残っているが、銃創が見当たらないのはどうしてだ。
 疑問は続々と湧いてくるが、裕太は最も根本的な質問をぶつけることにした。

「今更な気もするけど、キミは誰? どうしてこんな場所に?」

 裕太のその言葉を聞き、少女は苦笑に近い微笑を返してきた。

「あたしは――」
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登場人物紹介

佐崎裕太(ささきゆうた)

巻き込まれ型の主人公。高校生。

父親の遺した“あるモノ”のせいで日常生活が崩壊し、美少女と同居生活を開始したり改造人間に誘拐されたりゾンビの群れに自宅が襲われたりする。

ルナ

非常識な戦闘能力と再生能力を有する少女。見た目は10歳くらいだが年齢不詳。

格闘・射撃・投擲・刀剣・ナイフなどをオールマイティーに使いこなす。

羞恥心や道徳心に多大な問題があり、どんな違法行為だろうが必要と判断すれば躊躇なく実行する。

塙邑伊織(はなむらいおり)

裕太の格闘術の師匠に当たる女性。見た目は若いが年齢不詳。

おっとりとした喋り方と振る舞いが特徴だが、戦闘に関してはルナの同類。

セイ

裕太が巻き込まれている異常事態の元凶。

小柄な少年という目撃証言があるが、それ以外は謎に包まれている。

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