第8話「コレガ……ナミダ……アタタカイ、ナ」
文字数 3,837文字
脱力感に囚われながら、椅子の背もたれに体重を預けた裕太は、天井を仰いだ姿勢で訊く。
「自分の置かれた状況は大体理解したが、それで今後どうすりゃいいんだ?」
「それは、裕太がどうしたいかによる。選べるのは、情報を収集しながらコチラから積極的に攻撃をかけるAコース、ひたすら逃げ隠れして状況の好転を待つBコース、いつも通りの生活を送りつつ何かあれば臨機応変に対応するCコース、の三つかな」
それぞれのケースを想像してみる裕太だが、選択の余地はなさそうだった。
「とりあえず真っ当な生活を送りたいなら、Cコースしかないか……」
「連中も存在が明らかになるのは避けたいだろうから、普通に生活し続けるのは案外有効だと思う。それに、あたしとイオが警戒してれば、軽々しく手は出せないだろうし」
「んー……あ、そういやルナねぇにも面白コードネームがあったりすんの?」
「ああ。あたしは『フレイ』って呼ばれてる」
「それもやっぱ、どこかの王様から取った名前なのか?」
「微妙に違うけど……まぁ似たようなモンだね」
もう少し詳しい話を聞きたかったが、そこで階段を上ってくる足音が。
程なくして、駅前の安売り衣料品店の紙袋を下げた伊織が姿を現した。
「ただいまぁ。ルナちゃん、服買ってきたよぉ」
「おぉ、ありがと」
伊織から紙袋を渡されたルナは、中身を軽く掻き回して下着の上下を取り出すと、何の躊躇 いもなくサイズの合っていないシャツを脱ごうとする。
「いやいやいやいや、待て待て待て待て! 男の目の前で生着替えとか、倫理的にオカシいだろ!」
「言われてみれば確かに変だな……生じゃない着替えってどういう状況だ?」
「知らんけど、今はそんなのどうでも――って、だから脱ぐなぁ!」
「ゆぅ君……後ろを向いてるとか部屋から出るとか、他にも選択肢は沢山あるよねぇ? なのに、どうして着替えシーンをガン見し続けてるのかなぁ?」
「くっ……」
何を言ってもドツボに嵌 まると察した裕太は、部屋を出て階下の台所へ向かった。
伊織が破壊した窓の惨状は強引に意識から追い出し、何か飲もうと冷蔵庫のドアを開ける。
目立つ場所に並んでいたコーラの赤い缶を手に取り、額と首筋に交互に当てて冷えた感触をしばらく味わってからタブに指をかけるが、そこで動きを止めた。
裕太は普段コーラを飲まないから、これを買ってきたのは範章だ。
その範章が、父親が、もうこの世にいない――
改めて認識した事実が、手にした缶の重さを何倍にも感じさせた。
「あんなフザケた動画が遺言とか、勘弁してくれよな……」
裕太はテーブルの上にコーラを置くと、範章と最後に交わした会話を思い出そうとする。
しかし、普段のどうでもいいやりとりばかりが思い浮かんで、肝心の内容が浮かばない。
色々ありすぎて頭がまともに働いてないのか、それとも父親の死を心が拒絶しているのか。
拒んでもどうにもならないだろうに、と裕太は自嘲気味の笑いを漏らした。
「おっ、裕太も遂に、アルミ缶と世間話をして笑える域にまで達したか」
「そんな危険地帯に踏み込んだ覚えはないぞ」
振り向いた裕太の眼に、再会してから初めて見るちゃんとした服装のルナが映る。
いかにも量販品なデザインのTシャツとショートパンツだが、そのシンプルさが本人の派手さにやんわりとブレーキをかけ、調和の取れたスタイルに落ち着かせていた。
「師匠はどうしてる?」
「調べ物があるとかで、パソコンいじってる。で、さっきの笑いの意味は?」
「その、何だ。普通じゃない事件が続発して、その真ん中に自分がいると思うと、ちょっと」
範章のことを伏せて答えると、ルナは薄く笑って頷く。
「気持ちはわからんでもないけどね。あたしも、もう死んだと思ったのに不意に意識が戻って、自分の体が大改造されてると知った時は、どんなリアクションよりも先に変な笑いが出たよ」
「それは――」
俺のせいで、と続けようとした裕太の言葉を遮 って、ルナが続ける。
「あの程度の連中に負けたのは、あたしが弱かったから。遺伝子操作や人体改造も、どうせ拾った命だから構わない。でも……すぐに戻るって言ったのに、十年も待たせてゴメン」
鼻の奥が急に熱を持ったような感触があったが、それを押し隠して裕太は頭を振る。
「俺としては、戻ってきてまた助けてくれた、っていうそれだけで十分だよ……どうして間が空いたのか、そこは気にならなくもないけど」
「事件の後、混乱した裕太が『ルナなんて人はいない』と自己暗示をかけてるから、しばらくは会わない方がいいと博士に言われたのもある。だけどあたしは、次に会う時までにもう誰にも裕太を傷つけさせない、完璧に守れるだけの力を手に入れておきたかった」
ルナを忘れかけていたのには、そういう理由があったのか。
いくつもの感情が絡み合って込み上げるが、どうにか抑えて裕太は話を続ける。
「傷って言えば、背中の銃創 だけそのままなのは、改造される前のダメージだから?」
「いや、残しておいてって頼んだ――自分自身への戒めとして」
「そう、なのか……それにしても、あの時『戻るまで絶対泣くな』って約束させられたから、全米を泣かしたような映画はずっと観られなかったよ」
ルナの深い部分にある、傷とは別の痛みに触れてしまった気がして、裕太は話を変える。
「それも今日でおしまい。これからは、試写会の客に『最高に泣けました!』とか『マジで超感動しました!』とか言わせるCMをやってる映画でも、好きなだけ観に行けばいい」
「そういうのはノーサンキューだ――」
言いかけたところで、ルナの手が裕太の頬に触れる。
「涙の流し方すら忘れてるかも知れないから。まずはそこらでリハビリを始めて、最終的には『コレガ……ナミダ……アタタカイ、ナ』って呟きながら爆散すればいいよ」
「さりげなくロボになってないか、俺?」
馬鹿馬鹿しい会話だったが、その相手がルナだという事実は裕太の心を掻き乱す。
そして、さっき抑え込んだ感情達が再び動き出そうとしたタイミングで、伊織が階段を下りて来る音がした。
「ふあぁ、パソコンって普段全然使わないから、すっごい疲れるなぁ」
「何やってたんです?」
「セイ君とかを相手にする時に役に立つ情報でもあるかなぁ、と思って探してみたんだけど、それっぽいのはあんまりなかったねぇ」
首を回してグキグキと鳴らす伊織に、裕太は重ねて訊く。
「あんまり、ってコトは多少は収穫が?」
「そうだねぇ……アキちゃんが競泳水着とカウガールの他、黒ギャルローション浣腸にも少なからぬ興味を示してた、って衝撃の事実が判明したよぉ」
「父親のニッチな性的嗜好とか、できれば知りたくないんですけど」
泣きの入った裕太に代わり、ルナが話を引き取る。
「博士は研究所じゃノートパソコンを使ってたし、重要な情報とか研究資料とかはそっちに入ってたんじゃない?」
「かもねぇ」
となると、それはもう壊されているか敵の手に渡っているか、だろう。
テンションの急落に気付いたのか、ルナが裕太の背中を軽く叩く。
「なぁ裕太――今、あたし達が直面してる状況ってのは、基本的な部分からして深刻にも程があるんだ。そこに少々のトラブルが追加された位でそんなヘコむな」
「そうだよぉ。これから先、もっと取り返しがつかない大騒動が待ってるから、ゆぅ君にはそれなりに腹を据えて貰わないとねぇ」
ルナの言葉も伊織の言葉も、恐らくはその通りなのだろう。
感傷に浸っているヒマも、怯えて震えている余裕もない――裕太はそう覚悟を決める。
「どうにもならないかも知れないけど、とにかくどうにかするしかない、か」
「結局、人生ってのは誰でも大体がそんな感じでしょ」
「普通なら、一度のミスで脳髄を捏 ね回される、なんてハードコアなオチはないけどな」
苦々しさたっぷりにルナに応じる裕太に、伊織が横からどこまでも軽い調子で言う。
「ちょっとした危険と隣り合わせのシチュエーションもぉ、見方を変えれば退屈な日常を彩るスパイス、みたいな感覚でやんわりと受け止めてみたらどうかなぁ」
「ちょっとしてないし、何食っても味がわかんなくなるレベルのスパイシーさは、出来ることなら御免蒙 りたいんですがね……」
「だから、そんなに心配すんなって。あたしらがついてるんだ」
ルナが笑顔で断言し、伊織も無言で微笑む。
確かに、この二人がいれば大抵の問題は何とかなる――気がした。
「それにしても、今日はホントに疲れた……」
「じゃあゴハンにでもするぅ? キッチンはハチャメチャだし、ピザでも頼もうかぁ?」
「ハチャメチャにした張本人が言うセリフじゃないから……メシも風呂も明日にして、もう寝ます」
「折角だし、三人でカバの字で寝ようか」
「絵面が浮かばんし、折角って発想の根拠もわからん!」
このままだと疲労感が増すだけだと判断した裕太は、二人を残して自室へと戻る。
そして制服から部屋着に着替えてベッドに身を横たえると、間髪を入れずに押し寄せてきた眠気に抗えず、そのまま身を任せて意識を失った。
「自分の置かれた状況は大体理解したが、それで今後どうすりゃいいんだ?」
「それは、裕太がどうしたいかによる。選べるのは、情報を収集しながらコチラから積極的に攻撃をかけるAコース、ひたすら逃げ隠れして状況の好転を待つBコース、いつも通りの生活を送りつつ何かあれば臨機応変に対応するCコース、の三つかな」
それぞれのケースを想像してみる裕太だが、選択の余地はなさそうだった。
「とりあえず真っ当な生活を送りたいなら、Cコースしかないか……」
「連中も存在が明らかになるのは避けたいだろうから、普通に生活し続けるのは案外有効だと思う。それに、あたしとイオが警戒してれば、軽々しく手は出せないだろうし」
「んー……あ、そういやルナねぇにも面白コードネームがあったりすんの?」
「ああ。あたしは『フレイ』って呼ばれてる」
「それもやっぱ、どこかの王様から取った名前なのか?」
「微妙に違うけど……まぁ似たようなモンだね」
もう少し詳しい話を聞きたかったが、そこで階段を上ってくる足音が。
程なくして、駅前の安売り衣料品店の紙袋を下げた伊織が姿を現した。
「ただいまぁ。ルナちゃん、服買ってきたよぉ」
「おぉ、ありがと」
伊織から紙袋を渡されたルナは、中身を軽く掻き回して下着の上下を取り出すと、何の
「いやいやいやいや、待て待て待て待て! 男の目の前で生着替えとか、倫理的にオカシいだろ!」
「言われてみれば確かに変だな……生じゃない着替えってどういう状況だ?」
「知らんけど、今はそんなのどうでも――って、だから脱ぐなぁ!」
「ゆぅ君……後ろを向いてるとか部屋から出るとか、他にも選択肢は沢山あるよねぇ? なのに、どうして着替えシーンをガン見し続けてるのかなぁ?」
「くっ……」
何を言ってもドツボに
伊織が破壊した窓の惨状は強引に意識から追い出し、何か飲もうと冷蔵庫のドアを開ける。
目立つ場所に並んでいたコーラの赤い缶を手に取り、額と首筋に交互に当てて冷えた感触をしばらく味わってからタブに指をかけるが、そこで動きを止めた。
裕太は普段コーラを飲まないから、これを買ってきたのは範章だ。
その範章が、父親が、もうこの世にいない――
改めて認識した事実が、手にした缶の重さを何倍にも感じさせた。
「あんなフザケた動画が遺言とか、勘弁してくれよな……」
裕太はテーブルの上にコーラを置くと、範章と最後に交わした会話を思い出そうとする。
しかし、普段のどうでもいいやりとりばかりが思い浮かんで、肝心の内容が浮かばない。
色々ありすぎて頭がまともに働いてないのか、それとも父親の死を心が拒絶しているのか。
拒んでもどうにもならないだろうに、と裕太は自嘲気味の笑いを漏らした。
「おっ、裕太も遂に、アルミ缶と世間話をして笑える域にまで達したか」
「そんな危険地帯に踏み込んだ覚えはないぞ」
振り向いた裕太の眼に、再会してから初めて見るちゃんとした服装のルナが映る。
いかにも量販品なデザインのTシャツとショートパンツだが、そのシンプルさが本人の派手さにやんわりとブレーキをかけ、調和の取れたスタイルに落ち着かせていた。
「師匠はどうしてる?」
「調べ物があるとかで、パソコンいじってる。で、さっきの笑いの意味は?」
「その、何だ。普通じゃない事件が続発して、その真ん中に自分がいると思うと、ちょっと」
範章のことを伏せて答えると、ルナは薄く笑って頷く。
「気持ちはわからんでもないけどね。あたしも、もう死んだと思ったのに不意に意識が戻って、自分の体が大改造されてると知った時は、どんなリアクションよりも先に変な笑いが出たよ」
「それは――」
俺のせいで、と続けようとした裕太の言葉を
「あの程度の連中に負けたのは、あたしが弱かったから。遺伝子操作や人体改造も、どうせ拾った命だから構わない。でも……すぐに戻るって言ったのに、十年も待たせてゴメン」
鼻の奥が急に熱を持ったような感触があったが、それを押し隠して裕太は頭を振る。
「俺としては、戻ってきてまた助けてくれた、っていうそれだけで十分だよ……どうして間が空いたのか、そこは気にならなくもないけど」
「事件の後、混乱した裕太が『ルナなんて人はいない』と自己暗示をかけてるから、しばらくは会わない方がいいと博士に言われたのもある。だけどあたしは、次に会う時までにもう誰にも裕太を傷つけさせない、完璧に守れるだけの力を手に入れておきたかった」
ルナを忘れかけていたのには、そういう理由があったのか。
いくつもの感情が絡み合って込み上げるが、どうにか抑えて裕太は話を続ける。
「傷って言えば、背中の
「いや、残しておいてって頼んだ――自分自身への戒めとして」
「そう、なのか……それにしても、あの時『戻るまで絶対泣くな』って約束させられたから、全米を泣かしたような映画はずっと観られなかったよ」
ルナの深い部分にある、傷とは別の痛みに触れてしまった気がして、裕太は話を変える。
「それも今日でおしまい。これからは、試写会の客に『最高に泣けました!』とか『マジで超感動しました!』とか言わせるCMをやってる映画でも、好きなだけ観に行けばいい」
「そういうのはノーサンキューだ――」
言いかけたところで、ルナの手が裕太の頬に触れる。
「涙の流し方すら忘れてるかも知れないから。まずはそこらでリハビリを始めて、最終的には『コレガ……ナミダ……アタタカイ、ナ』って呟きながら爆散すればいいよ」
「さりげなくロボになってないか、俺?」
馬鹿馬鹿しい会話だったが、その相手がルナだという事実は裕太の心を掻き乱す。
そして、さっき抑え込んだ感情達が再び動き出そうとしたタイミングで、伊織が階段を下りて来る音がした。
「ふあぁ、パソコンって普段全然使わないから、すっごい疲れるなぁ」
「何やってたんです?」
「セイ君とかを相手にする時に役に立つ情報でもあるかなぁ、と思って探してみたんだけど、それっぽいのはあんまりなかったねぇ」
首を回してグキグキと鳴らす伊織に、裕太は重ねて訊く。
「あんまり、ってコトは多少は収穫が?」
「そうだねぇ……アキちゃんが競泳水着とカウガールの他、黒ギャルローション浣腸にも少なからぬ興味を示してた、って衝撃の事実が判明したよぉ」
「父親のニッチな性的嗜好とか、できれば知りたくないんですけど」
泣きの入った裕太に代わり、ルナが話を引き取る。
「博士は研究所じゃノートパソコンを使ってたし、重要な情報とか研究資料とかはそっちに入ってたんじゃない?」
「かもねぇ」
となると、それはもう壊されているか敵の手に渡っているか、だろう。
テンションの急落に気付いたのか、ルナが裕太の背中を軽く叩く。
「なぁ裕太――今、あたし達が直面してる状況ってのは、基本的な部分からして深刻にも程があるんだ。そこに少々のトラブルが追加された位でそんなヘコむな」
「そうだよぉ。これから先、もっと取り返しがつかない大騒動が待ってるから、ゆぅ君にはそれなりに腹を据えて貰わないとねぇ」
ルナの言葉も伊織の言葉も、恐らくはその通りなのだろう。
感傷に浸っているヒマも、怯えて震えている余裕もない――裕太はそう覚悟を決める。
「どうにもならないかも知れないけど、とにかくどうにかするしかない、か」
「結局、人生ってのは誰でも大体がそんな感じでしょ」
「普通なら、一度のミスで脳髄を
苦々しさたっぷりにルナに応じる裕太に、伊織が横からどこまでも軽い調子で言う。
「ちょっとした危険と隣り合わせのシチュエーションもぉ、見方を変えれば退屈な日常を彩るスパイス、みたいな感覚でやんわりと受け止めてみたらどうかなぁ」
「ちょっとしてないし、何食っても味がわかんなくなるレベルのスパイシーさは、出来ることなら
「だから、そんなに心配すんなって。あたしらがついてるんだ」
ルナが笑顔で断言し、伊織も無言で微笑む。
確かに、この二人がいれば大抵の問題は何とかなる――気がした。
「それにしても、今日はホントに疲れた……」
「じゃあゴハンにでもするぅ? キッチンはハチャメチャだし、ピザでも頼もうかぁ?」
「ハチャメチャにした張本人が言うセリフじゃないから……メシも風呂も明日にして、もう寝ます」
「折角だし、三人でカバの字で寝ようか」
「絵面が浮かばんし、折角って発想の根拠もわからん!」
このままだと疲労感が増すだけだと判断した裕太は、二人を残して自室へと戻る。
そして制服から部屋着に着替えてベッドに身を横たえると、間髪を入れずに押し寄せてきた眠気に抗えず、そのまま身を任せて意識を失った。