第10話「ナメてんのは貴様だハゲ」
文字数 3,748文字
一時間目の数学が終わると、クラスメイトの殆どがルナと裕太の机の周りに集まってきた。
そして、主にルナに向かって様々な質問がぶつけられる。
「相馬さんはさ、転校してくる前って、ずっとフィンランドに住んでたの?」
「ううん、前はティミショアラとラドムにいたよ。去年はオーラ、一昨年はキリュー」
「へ、へぇ」
耳慣れない地名を出された女生徒は、微妙な表情を浮かべて引き下がる。
前半二つはさて措き、後半二つは群馬の邑楽 と桐生 なんじゃないか、と思わなくもない裕太だが面倒なので指摘はしない。
「海外行きまくってるみたいだけど、何ヶ国語できるの?」
「大体こなせるのは日本語と英語とフィンランド語、読み書きできるのはドイツ語とシンダール語とバッフクラン語、挨拶程度ならペルシャ語とグロンギ語とネル語、ってトコかな」
「へえぇ、すっごいね。何リンガルって言えばいいんだろ」
架空の言語が混ざり放題だし、ペルシャ語も魔女っ子のアレなんじゃないか、と疑っている裕太だが、混乱を呼びそうなのでやはり黙っておく。
そんな具合に、休み時間の度に誰かが質問してきて、それにルナが嘘やデタラメを大量混入させながら答え、時々は裕太がフォローを入れたりツッコミを入れたりするやりとりが繰り返され、やがて昼休みになった。
「相馬さーん、良かったら学食にゴハン食べに行かない? 校内の案内もするよ?」
一色を中心にした女子グループが、何気ない感じでルナを誘ってくる。
「あー、今日はお弁当持ってきちゃったから、また明日にでも誘って」
「そうなんだ。じゃあ明日行こうね!」
転校生が早く周囲に溶け込めるよう、クラス委員として気を遣ってくれてるようだ。
しかしルナはさっき語った理由によって溶け込む気はないようで、失礼にならないギリギリの冷淡さで対応していた。
「……弁当なんて用意してたのか?」
「ああ、ホラ」
裕太の質問に答えてルナが鞄から取り出したのは、登校時の出会い頭クラッシュの小ネタに使われた食パンだった。
真ん中辺りには、ビニール袋越しに歯形がガッツリと残っている。
「それかよ! 一人で一斤食うのか?」
「食うワケないだろ。だから裕太も付き合って」
「いいけどさ……バターとかマーガリンとか、そういうのは」
「はい、コレ」
透明の瓶に入った、チョコアイスのような色をした物体が机の上に置かれる。
「何だこれ。火加減を失敗したピーナツバター?」
「レバーペーストだけど」
「パンに塗るモノとして間違ってないけど、もっと根深い地点で間違ってないか」
「じゃあ、こっち」
そう言って、ルナは別の瓶を出してくる。
「黄色が濃いな。何のジャム?」
「ジャムっていうか、マンゴーチャツネ」
「インド料理屋でしか見たことねぇ!」
「さて、と」
「グルカナイフでパンを切り分けるな!」
刃渡り三十センチに近い凶器を人前で持ち出すな、と裕太がルナに説教をしていると、順が弁当を手に二人の所にやってきた。
「ユウタ、僕も一緒にいいかな」
「ああ、勿論――ルナ、こいつは俺の中学からの友達でジュン。門馬順」
「よろしくね、相馬さん」
「うん、あたしはルナでいいよ」
悪意はないが愛想もなく応じるルナに、順はいつもの柔和な笑顔を向ける。
「じゃあ僕の事もジュンで――それにしても、凄いナイフだね。ナイフっていうかもう刀?」
「いや、コレはデカいだけのジョークグッズで、ただのブレッドナイフ」
「あ、そうなんだ」
ルナはしれっと大ボラを語り、順もそれを平然と受け止める。
その二人が自己紹介がてらの話をし、そこに裕太がちょいちょい加わるような形でそれなりに盛り上がっていると、今野が惣菜パンを手に戻ってきた。
「おい門馬、俺のイス使うな」
「あぁ、ごめん」
器の小ささが丸わかりの横柄な態度で、今野は順からイスを引ったくる。
そんな動作にイラッとしながらも、無視するのもどうかと思って裕太は声をかける。
「今日は吉田と一緒じゃねぇの?」
「あー、あいつ三時間目でバックレた」
無駄に不良っぽさを演出し、取っ付き難いキャラ作りをしている今野は、クラスに友人と呼べるような相手がおらず、隣のクラスにいる吉田という同類とつるんでばかりだ。
今時そういう方向性はどうなのか、と常々思っている裕太だったが、忠告してやる義務も義理も無いし、どうせ聞く耳もたないだろうから放置している。
そんな今野が、こっちの会話に混ざり込んできた。
「転校生――えーと、相馬だっけ? お前、佐崎の親戚だからワザワザこっち来たの?」
「まぁ、そうなる」
不機嫌さを隠さない声で、ルナは雑に対応する。
「親も一緒か? そういや、親父の話はしてたけど、お袋は?」
「母親はいない。父親も日本に来てない。今はあたし一人だ」
「じゃあアレか、佐崎んトコで同棲生活かよ。ったく、マンガみてぇな奴らだな」
菓子パンをモソモソと齧 りながら、今野は矢継ぎ早にイラッとする発言を繰り返す。
鬱陶しいな、と思いながら聞き流していた裕太が何気なくルナの方を見ると、各種感情を強引に押し殺した結果の、味わい深い無表情を作り上げていた。
順も不穏さに気付いているが、口を挟むタイミングを掴めていない様子だ。
「マンガみたいって言やぁさ、お前のそのフザケた白髪も相当な――」
「うるさい」
大きくはないが良く通る声で発せられたルナの一言で、辺りの空気がヒビ割れる。
「……あぁ?」
「何が『あぁ?』だ。黙れハゲ」
今野の発するデカい声に反応し、近くで弁当を食べていたグループが何事かと振り向く。
「テメッ、チビがナメくさったクチ利いてんじゃ――」
「ナメてんのは貴様だハゲ。偉そうにしてくれてるが、何様のつもりだハゲ」
「し、知るかよ! それより何だよハゲって! ハゲてねぇよ!」
怒鳴り散らす今野の頭部に、ルナは憐れみを込めた視線を送る。
「まさか、現状を自覚してないのか? その頭、かなり崖っぷちだぞ。猿並みの脳に合わせて猿色の髪に脱色してるせいで毛根にダメージが蓄積して、髪質もかなり細くなってる。生え際も若干後退してるし、頭頂部の多少テカってる。二十代後半にはハゲ散らからざるを得ない、デッドエンド鉄板はげちゃびんルートに入ってるぞ」
「なっ――な」
ルナに捲し立てられた今野は、顔を真っ赤にしてキレかけているが、感情の奔流 に言語中枢が追いついていないらしく、まともに言い返せずにいる。
一触即発な雰囲気を中和しようと、裕太は今野のフォローに回る。
「おいルナ、身体的特徴への攻撃はどうかと思うぞ」
「白髪扱いやチビ呼ばわりはどうでもイイのか?」
筋の通ったルナからの返しに、裕太は何も言えなくなる。
一方、脆弱 な堪忍袋の緒が切れかけているらしい今野は、全身を小刻みに震わせながら真っ赤な顔で立ち上がった。
「ちょっ、調子乗ってんなよ、このガキッ!」
「あたしがガキなら、同学年のお前もガキだろうが。あ、ひょっとして、留年に留年を重ねた加齢とストレスの併せ技で、そこまで毛髪が失われたのか?」
「るっせぇええええええええっ!」
限界を突破したらしい今野は、流暢 に暴言を吐き連ねるルナの胸倉を掴むべく、大声で喚きながら右腕を伸ばす。
その動作を察知していた裕太は素早く席を立つと、今野の両肩を掴んで椅子に押し戻した。
「そんなキレんなよ、今野。コイツは海外が長いから、日本的な会話の間合いがまだ取れないんだよ。ちょっとムカついても、そこはスルーしてやってくれよ、な?」
笑顔でそう告げられた今野は、裕太を睨み返して威嚇しようとするが、問答無用で身動きを封じられたことへの困惑から、反射的に目を泳がせてしまう。
裕太が肩を押さえつける力を弱めると、今野は自分を掴んでいた手を払い除け、舌打ち一つを残して教室を出て行った。
トラブルメーカーの退場で、緊迫していた教室の空気は緩やかに元通りになっていく。
心配そうな気配や好奇の視線は向けられているが、誰も近付いてこようとはしない。
「恥を上塗りする捨てゼリフを吐かない辺り、最低限の知能は備えてるらしい」
「やり過ぎだ、ルナ。初日から敵を作ってどうする」
小声で呟くルナを裕太が諌 めていると、目の前の修羅場をガン無視して弁当を食っていた順が、緊張感のない声で話に混ざってくる。
「ルナさんは凄いね。あんな怖そうな今野君と平然とケンカして」
「一方的に絡まれたのを撃退しただけ。それにアレは、粋がってるだけで間違いなく弱虫でハゲ虫だから、きっとジュンでも勝てる――あと、あたしのことはルナでいいって」
確かに、この状況で全く顔色を変えない順は、実は相当な度胸の持ち主なのかも知れない。
そんなことを考えつつ、裕太はレバーペーストを挟み込んだ簡易サンドウィッチを低脂肪牛乳で流し込んだ。
そして、主にルナに向かって様々な質問がぶつけられる。
「相馬さんはさ、転校してくる前って、ずっとフィンランドに住んでたの?」
「ううん、前はティミショアラとラドムにいたよ。去年はオーラ、一昨年はキリュー」
「へ、へぇ」
耳慣れない地名を出された女生徒は、微妙な表情を浮かべて引き下がる。
前半二つはさて措き、後半二つは群馬の
「海外行きまくってるみたいだけど、何ヶ国語できるの?」
「大体こなせるのは日本語と英語とフィンランド語、読み書きできるのはドイツ語とシンダール語とバッフクラン語、挨拶程度ならペルシャ語とグロンギ語とネル語、ってトコかな」
「へえぇ、すっごいね。何リンガルって言えばいいんだろ」
架空の言語が混ざり放題だし、ペルシャ語も魔女っ子のアレなんじゃないか、と疑っている裕太だが、混乱を呼びそうなのでやはり黙っておく。
そんな具合に、休み時間の度に誰かが質問してきて、それにルナが嘘やデタラメを大量混入させながら答え、時々は裕太がフォローを入れたりツッコミを入れたりするやりとりが繰り返され、やがて昼休みになった。
「相馬さーん、良かったら学食にゴハン食べに行かない? 校内の案内もするよ?」
一色を中心にした女子グループが、何気ない感じでルナを誘ってくる。
「あー、今日はお弁当持ってきちゃったから、また明日にでも誘って」
「そうなんだ。じゃあ明日行こうね!」
転校生が早く周囲に溶け込めるよう、クラス委員として気を遣ってくれてるようだ。
しかしルナはさっき語った理由によって溶け込む気はないようで、失礼にならないギリギリの冷淡さで対応していた。
「……弁当なんて用意してたのか?」
「ああ、ホラ」
裕太の質問に答えてルナが鞄から取り出したのは、登校時の出会い頭クラッシュの小ネタに使われた食パンだった。
真ん中辺りには、ビニール袋越しに歯形がガッツリと残っている。
「それかよ! 一人で一斤食うのか?」
「食うワケないだろ。だから裕太も付き合って」
「いいけどさ……バターとかマーガリンとか、そういうのは」
「はい、コレ」
透明の瓶に入った、チョコアイスのような色をした物体が机の上に置かれる。
「何だこれ。火加減を失敗したピーナツバター?」
「レバーペーストだけど」
「パンに塗るモノとして間違ってないけど、もっと根深い地点で間違ってないか」
「じゃあ、こっち」
そう言って、ルナは別の瓶を出してくる。
「黄色が濃いな。何のジャム?」
「ジャムっていうか、マンゴーチャツネ」
「インド料理屋でしか見たことねぇ!」
「さて、と」
「グルカナイフでパンを切り分けるな!」
刃渡り三十センチに近い凶器を人前で持ち出すな、と裕太がルナに説教をしていると、順が弁当を手に二人の所にやってきた。
「ユウタ、僕も一緒にいいかな」
「ああ、勿論――ルナ、こいつは俺の中学からの友達でジュン。門馬順」
「よろしくね、相馬さん」
「うん、あたしはルナでいいよ」
悪意はないが愛想もなく応じるルナに、順はいつもの柔和な笑顔を向ける。
「じゃあ僕の事もジュンで――それにしても、凄いナイフだね。ナイフっていうかもう刀?」
「いや、コレはデカいだけのジョークグッズで、ただのブレッドナイフ」
「あ、そうなんだ」
ルナはしれっと大ボラを語り、順もそれを平然と受け止める。
その二人が自己紹介がてらの話をし、そこに裕太がちょいちょい加わるような形でそれなりに盛り上がっていると、今野が惣菜パンを手に戻ってきた。
「おい門馬、俺のイス使うな」
「あぁ、ごめん」
器の小ささが丸わかりの横柄な態度で、今野は順からイスを引ったくる。
そんな動作にイラッとしながらも、無視するのもどうかと思って裕太は声をかける。
「今日は吉田と一緒じゃねぇの?」
「あー、あいつ三時間目でバックレた」
無駄に不良っぽさを演出し、取っ付き難いキャラ作りをしている今野は、クラスに友人と呼べるような相手がおらず、隣のクラスにいる吉田という同類とつるんでばかりだ。
今時そういう方向性はどうなのか、と常々思っている裕太だったが、忠告してやる義務も義理も無いし、どうせ聞く耳もたないだろうから放置している。
そんな今野が、こっちの会話に混ざり込んできた。
「転校生――えーと、相馬だっけ? お前、佐崎の親戚だからワザワザこっち来たの?」
「まぁ、そうなる」
不機嫌さを隠さない声で、ルナは雑に対応する。
「親も一緒か? そういや、親父の話はしてたけど、お袋は?」
「母親はいない。父親も日本に来てない。今はあたし一人だ」
「じゃあアレか、佐崎んトコで同棲生活かよ。ったく、マンガみてぇな奴らだな」
菓子パンをモソモソと
鬱陶しいな、と思いながら聞き流していた裕太が何気なくルナの方を見ると、各種感情を強引に押し殺した結果の、味わい深い無表情を作り上げていた。
順も不穏さに気付いているが、口を挟むタイミングを掴めていない様子だ。
「マンガみたいって言やぁさ、お前のそのフザケた白髪も相当な――」
「うるさい」
大きくはないが良く通る声で発せられたルナの一言で、辺りの空気がヒビ割れる。
「……あぁ?」
「何が『あぁ?』だ。黙れハゲ」
今野の発するデカい声に反応し、近くで弁当を食べていたグループが何事かと振り向く。
「テメッ、チビがナメくさったクチ利いてんじゃ――」
「ナメてんのは貴様だハゲ。偉そうにしてくれてるが、何様のつもりだハゲ」
「し、知るかよ! それより何だよハゲって! ハゲてねぇよ!」
怒鳴り散らす今野の頭部に、ルナは憐れみを込めた視線を送る。
「まさか、現状を自覚してないのか? その頭、かなり崖っぷちだぞ。猿並みの脳に合わせて猿色の髪に脱色してるせいで毛根にダメージが蓄積して、髪質もかなり細くなってる。生え際も若干後退してるし、頭頂部の多少テカってる。二十代後半にはハゲ散らからざるを得ない、デッドエンド鉄板はげちゃびんルートに入ってるぞ」
「なっ――な」
ルナに捲し立てられた今野は、顔を真っ赤にしてキレかけているが、感情の
一触即発な雰囲気を中和しようと、裕太は今野のフォローに回る。
「おいルナ、身体的特徴への攻撃はどうかと思うぞ」
「白髪扱いやチビ呼ばわりはどうでもイイのか?」
筋の通ったルナからの返しに、裕太は何も言えなくなる。
一方、
「ちょっ、調子乗ってんなよ、このガキッ!」
「あたしがガキなら、同学年のお前もガキだろうが。あ、ひょっとして、留年に留年を重ねた加齢とストレスの併せ技で、そこまで毛髪が失われたのか?」
「るっせぇええええええええっ!」
限界を突破したらしい今野は、
その動作を察知していた裕太は素早く席を立つと、今野の両肩を掴んで椅子に押し戻した。
「そんなキレんなよ、今野。コイツは海外が長いから、日本的な会話の間合いがまだ取れないんだよ。ちょっとムカついても、そこはスルーしてやってくれよ、な?」
笑顔でそう告げられた今野は、裕太を睨み返して威嚇しようとするが、問答無用で身動きを封じられたことへの困惑から、反射的に目を泳がせてしまう。
裕太が肩を押さえつける力を弱めると、今野は自分を掴んでいた手を払い除け、舌打ち一つを残して教室を出て行った。
トラブルメーカーの退場で、緊迫していた教室の空気は緩やかに元通りになっていく。
心配そうな気配や好奇の視線は向けられているが、誰も近付いてこようとはしない。
「恥を上塗りする捨てゼリフを吐かない辺り、最低限の知能は備えてるらしい」
「やり過ぎだ、ルナ。初日から敵を作ってどうする」
小声で呟くルナを裕太が
「ルナさんは凄いね。あんな怖そうな今野君と平然とケンカして」
「一方的に絡まれたのを撃退しただけ。それにアレは、粋がってるだけで間違いなく弱虫でハゲ虫だから、きっとジュンでも勝てる――あと、あたしのことはルナでいいって」
確かに、この状況で全く顔色を変えない順は、実は相当な度胸の持ち主なのかも知れない。
そんなことを考えつつ、裕太はレバーペーストを挟み込んだ簡易サンドウィッチを低脂肪牛乳で流し込んだ。