第2話「テリーとかドリーとか」

文字数 4,381文字

「――崎、――佐崎! 佐崎裕太っ!」
「ぬゎふおっ?」

 名前を連呼されて夢の中から引き戻された裕太は、弾かれたように机から顔を上げる。
 ボヤけた視界が元に戻ると、現国の教師であり担任でもある中谷円(なかやまどか)が、不機嫌と困惑を七対三の割合でブレンドした、形容し難い表情を浮かべていた。

「な、何なのヅケちゃん。もうそんな時間?」

 夢の中より年齢が十二も上がり、身長も百七十台半ばまで伸びた裕太は、しつこく居座ろうとする眠気を追い払いながら、来年で三十の大台に乗るらしい独身女教師に訊き返す。
 ちなみに、ヅケちゃんというのは本名の中谷円→なかたにえん→某有名食品メーカー→お茶漬け→引っ繰り返してヅケちゃん、の流れでもって新任時に付けられたニックネームで、裕太達の代になっても脈々と受け継がれている。

「どんな時間だ! 週明け早々から、担任の仕事中に寝てんじゃないよ」
「いやいや、寝てないですよ? 普通に授業を受けてたのに、気が付いたら意識を失う怪奇現象に巻き込まれて……俺が推理するに、こいつは未知の病原体が絡んでますね」

 裕太の無理のありすぎる言い訳に、中谷はグッタリした調子で応じる。

「その病状には太古の昔から『居眠り』って名前が付けられてて、原因は十中八九が寝不足。よぉく覚えて砂肝に銘じとけ、佐崎」
「そんな器官、持ち合わせてないんですけど」

 二人のやりとりで教室に軽めの笑いが広がるが、その響きはどことなく硬い。
 そんな空気に釣られたのか、中谷は表情を少し強張らせて告げてくる。

「それで、だ……教頭先生が呼んでるから、ちょっと行ってきなさい」
「ハァ? 教頭が? 俺を? 何故に?」

 中谷が教室前方にあるドアの方に視線を向けたので、裕太もそちらを確認する。
 するとそこには、学校行事で見かける他には全く接点のない、初老の男の姿があった。
 急な呼び出しに思い当たる節はなかったが、同行を拒否できる雰囲気でもなさそうだ。

「とりあえず、詳しい話は教頭先生から聞くように」
「……ういっす」

 心配そうな視線と、その倍くらいの戸惑いの表情に見送られ、裕太は教室を後にした。
 教頭は「ついてこい」という感じに手招きし、無言のまま廊下を足早に歩き出す。
 地肌の透けている教頭の後頭部を眺めながら、裕太は質問をぶつけてみる。

「で、先生。授業中の呼び出しとか、何事なんです?」
「私も詳しくは知らんが、どうやら君のお父さんが、職場で事故に遭ったらしい」
「えっ、事故って……親父が? それは学校で、ですか?」
「だから、詳しいことはわからんのだ。事故があったと、学校まで電話で報せてきた人が君を呼んでるから、そっちで聞いてくれ」

 裕太の父親である佐崎範章(ささきのりあき)は、隣市にある中学校で理科の教師をしている。
 部活の顧問や生徒指導で忙しいとかで、いつも出勤は早くて帰宅は遅い。
 オマケに、趣味なのかバイトなのか詳細不明だが、母校である大学の研究所に泊り込んで、週末はずっと家を空けてたりもする。

 先週もそんな感じのスケジュールだったので、祐太は金曜の朝を最後に父親と顔を合わせてない。
 事故とは何だろう――実験中に生徒がミスでもしたんだろうか。
 募る不安と緊張が、五月の気候にそぐわない発汗を裕太に強いてきた。



 教頭に続いて職員室へ入った裕太は、事務員らしい中年女性からコードレスの受話器を手渡された。
 深呼吸を二度繰り返し、裕太は名前を名乗る。

「お待たせしました……佐崎です」
「あ、あなたが佐崎博士の息子さんですか」
「そうで――んぁ? ハカセ?」
「え? 佐崎範章博士の息子さんの、佐崎裕太君……ですよね?」

 予期せぬ質問内容に混乱しつつ、裕太はとりあえず話を進める。

「確かに親父の名前は範章で、俺の名前は裕太ですけど」
「事故についてはもう聞いてますね? こちらは現在、車で学校の方へ向かってますから、校門の前で待っていてもらえますか」
「いや、あの――」
「あと五分程で着きますから。荷物は置いたままで構いません」
「だから――」
「説明は後ほど改めて。急いで準備をお願いします」
「はぁ――」

 一方的に話を進めた電話の相手は、裕太の生返事を了解と取ったのか、そのまま通話を切ってしまった。
 声の主が若い女性だった、という以外には殆ど何もわからない。
 予期せぬ急展開に軽めの金縛(かなしば)り感覚を味わっていた裕太は、周囲の大人達の視線が自分に集中しているのに気付いた。

「えーっと……どうも状況が把握できないんですが、やっぱり親父が事故にあったみたいで。それで、向こうの関係者っぽいのがこれからすぐに車で迎えに来る、って言ってたんですけど」
「なら、行ってきなさい。中谷先生には私から事情を話しておこう」
「わかりました……じゃあ、失礼します」

 教頭に会釈(えしゃく)して職員室を出た裕太は、昇降口で靴を履き替えると校門へ向かう。
 事故ってのはどういう状況で、博士ってのはどういう間違いなのか。
 色々と意味不明だが、詳しい事情は迎えに来るという女に訊くしかないだろう。
 そう考えながら校門の前で(たたず)んでいると、右手から黒のワンボックスカーが現れて裕太の前で停止した。

「あなたが、佐崎裕太君?」

 助手席の窓が開き、ついさっき電話で聞いたのと同じ声が裕太の名を呼ぶ。
 見た感じ、女は二十代の半ばから後半といった雰囲気だ。
 一つにまとめた長めの黒髪に黒縁メガネ、そして白衣というコーディネイトは、見事なまでにステレオタイプな理系女子、もしくは女医のイメージだった。

 王道から外れているとすれば、見る者にわかりやすく『美人』という印象を残すであろう派手なルックスと、地味な服装を物ともせずに猛々しく自己主張している巨乳かな――と判断を下しつつ、目線を上げて裕太は(うなづ)き返す。

「博士の所までお連れしますから、乗って下さい」

 もう一度頷いて、裕太はスライド式のドアを開けて車内に乗り込む。
 三列シートの広い車内を見回すと、女のシックリくる印象とは真逆な、ビックリするほど白衣の似合わない、ゴリラもどきの体格を所有した坊主頭の男と目が合った。

「うおっ……どっ、どうも」

 裕太の半端な挨拶に対し、相手も浅い会釈で応じてくれた。
 外見に反してフレンドリーなのかも知れないが、分厚い体格の放ってくる威圧感が尋常(じんじょう)ではなかったので、男の座る三列目を避けて二列目の席に座ることにした。
 


 車が発進すると、女は裕太の方を振り返りながら話を始めた。

「私は鈴森紫(すずもりゆかり)といいまして、佐崎博士の――助手、みたいな立場です」
「えっとですね。まずそこんとこ、いいですか」
「何です?」
「さっきから博士とか言ってますけど、俺の親父は中学の理科教師ですよ? 実は博士号を隠し持ってたりするのかも知れませんけど、今は単なる地方公務員じゃないかと」

 不審げな裕太からの問いに、紫は一瞬キョトンとした表情を浮かべた後で眉を(ひそ)めた。

「博士は、何も説明していなかったんですか……」

 呆れ気味のニュアンスをたっぷりと混ぜて言った紫は、長く大きい溜息の後で話を続ける。

「佐崎博士は、ある研究所で生化学分野での先進的な研究を行っていました。研究内容が特殊で情報も公開していないので、学界で名声を得るとか著作で有名になるとか、そういった成功とは無縁だったのですけど……遺伝子工学、ってわかりますか」
「えーっと、あの、前に話題になったテリーとかドリーとか」

 訊かれた裕太がおぼろげな知識で返すと、紫はあからさまにガッカリした気配を滲ませる。

「クローン羊のドリーの事ですか? そうした技術も遺伝子工学の範疇ではありますが、博士が中心となって研究が進められていたのは、iPS細胞の研究をベースに発展させた特殊な遺伝子操作なんです」
「あい――ぴいえす?」
「ノーベル賞に関連した報道で話題になったと思うんですが……記憶にありませんか?」

 裕太が首を横に振ると、紫は眼鏡の位置を直して小さく咳払いをしてから言う。

「肉体的な欠損の修復や、癌によって破壊された内蔵機能の回復といった、現在の技術では困難な治療を可能にするための各種実験、それが佐崎博士の行っていた研究です」
「つまり……親父は中学教師じゃなくて、医療系の仕事をしていた、ってことですか」
「大雑把に言えば、そうなりますね」

 紫の話が真実ならば、やたらと忙しそうだった範章の日常にも納得できるが、しかし。
 情報を整理しきれずに黙り込む裕太を一瞥し、紫はドリンクホルダーに置いてあったパックのお茶に口を付ける。
 それを見つめる視線に気付いたのか、両手に別々の紙パックを持って訊いてきた。

「あ、裕太君も飲みますか? オレンジと烏龍茶、どっちがいいですか?」
「じゃあ、オレンジで」

 思いのほか喉が乾いているのに気付いた裕太は、手渡されたジュースの飲み口にストローを挿すと、一息で中身の半分くらいを干した。

「にしても、親父はどうして自分の仕事を隠してたんですかね」
「それは、本人に会って訊くのが一番早いでしょう」
「まぁ、それもそうですか。で、親父はどこの病院に?」

 何気ない問いだったが、訊かれた紫の表情は瞬時に曇る。

「それなんですが……博士は今、病院ではなく研究所にいます」
「は? いや、だって親父、怪我してるんじゃ?」
「そう、なのですけれど」
「……そろそろ、事故についての詳しい説明っての、してもらえませんかね」

 いつまで待っても話が核心に近付かない歯切れの悪さに、裕太の態度も少々荒くなる。
 眉間に(しわ)を寄せた紫は、言葉を選ぶようにしながら言う。

「病院への搬送に関しては、研究内容の漏洩(ろうえい)を防ぐため、部外者を関わらせるのを極力避けねばならない、という複雑な事情がありまして」
「何ですかそりゃ? だったら救急車は呼ばずに、親父を治せぅ……びょほぃ……んぇ?」

 急に舌の動きが鈍くなり、視界がどんよりと(かす)んでゆく。
 全身が半透明の粘液に沈んでいくような感覚と共に、膨張した眠気が思考能力を奪う。
 一体何が――と紫の方を見ると、感情の読めない瞳で裕太を見据えていた。

「ふ、ふぉれ……にぁ」

 俺に何をしやがった、と言いたかったが呂律(ろれつ)は回らない。
 裕太の視界は直後に暗転し、意識は昏睡状態へと墜落していった。
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登場人物紹介

佐崎裕太(ささきゆうた)

巻き込まれ型の主人公。高校生。

父親の遺した“あるモノ”のせいで日常生活が崩壊し、美少女と同居生活を開始したり改造人間に誘拐されたりゾンビの群れに自宅が襲われたりする。

ルナ

非常識な戦闘能力と再生能力を有する少女。見た目は10歳くらいだが年齢不詳。

格闘・射撃・投擲・刀剣・ナイフなどをオールマイティーに使いこなす。

羞恥心や道徳心に多大な問題があり、どんな違法行為だろうが必要と判断すれば躊躇なく実行する。

塙邑伊織(はなむらいおり)

裕太の格闘術の師匠に当たる女性。見た目は若いが年齢不詳。

おっとりとした喋り方と振る舞いが特徴だが、戦闘に関してはルナの同類。

セイ

裕太が巻き込まれている異常事態の元凶。

小柄な少年という目撃証言があるが、それ以外は謎に包まれている。

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