第28話「そんな荒地はどうでもいい」

文字数 6,087文字

 セイの投げた刃物でストッパーを断ち切られ、天井付近から猛然と突っ込んできたもの。
 それは、解体工事などに使われる大型鉄球に、先を尖らせた鉄筋や鉄パイプが無数に溶接してある、凶暴なシルエットを持つ物体だった。
 鉄球は壮絶な衝撃音を撒き散らし、ルナの全身を巻き込んで工場の床面へとめり込んだ。

「なっ……ル、ルナねぇ!」
「んっ、ひゅぬ――んぶ――」

 籠もった声が小さく聴こえてくるが、何を言っているのかサッパリわからない。
 とりあえず生きてはいるが、巨大な重量によって顔か喉が潰されるかして、普通に喋れない状態になっているようだ。
 鉄球の周囲から止め処なく溢れる鮮血を見届けてから、セイはゆっくりと裕太に近付く。

「さて、と……フレイはもう動けないと思うけど、どうする? 兄さん」
「諦めの悪さにだけは、自信があるんでな」

 セイは微かに笑う。

「そういうとこ、父さんに似てるよ。じゃあ……最初で最後の兄弟喧嘩を始めようか」

 セイの触手と、炎に照らされたその影が揺れる。
 能力差は歴然としているから、勝機は手の内を知られていない序盤にしかない。
 そう考えた裕太は、先制攻撃のタイミングを見極めようと間合いを計る。

「んがぁ――はっぷぁあぁぁんあぁぁお!」

 鉄球をどけようと気合を入れたのか、ルナの変な絶叫が工場内に響き渡る。
 半瞬、セイの注意がそちらに逸れた。

「右だっ!」

 裕太はそう怒鳴りながら左に跳び、背中に挟んだマカロフを抜く。
 伊織から教わった、古典的な撹乱法だ。
 一応の効果があったらしく、セイの視線は逆方向へと誘導される。
 斜めに駆けながら、裕太は銃爪を引き続けた。
 一発、二発、三発、四発、そして五発目を撃とうとした瞬間、右手に鉄の鞭で打たれたような衝撃が走り、銃がはじき飛ばされる。

「あづっ」

 苦痛の呻きを漏らしつつも、戦果を確認する――銃弾がセイの体には届いた様子はない。
 裕太は痛みを堪え、腰に巻いた流星錘を素早く外すと、回転をつけて真っ直ぐに放つ。
 しかしスピードが足りなかったのか、触手によって鎖が簡単に絡め取られ、タングステンの塊は床に叩き落とされてしまう。
 鎖を引き戻して次の一撃に持って行こうとするが、触手との力比べに負けて流星錘は強奪され、裕太の背後に投げ捨てられた。

「これで終わりかな、兄さん」
「うるっ、せええええええっ!」

 勝ちを確信した様子のセイに、裕太は怒鳴り散らしながら突進してゆく。

「そんな風にブチキレても、何も――」

 素手で猛然と突っ込んでくる裕太に呆れながら、セイは触手を使わず捻じ伏せようと身構えるが、もうすぐ手が届くという所で大型ナイフが閃いた。
 地下室で撃ち倒した宇野から、裕太が回収しておいた武器だ。

「――へぇ」

 破れかぶれの特攻と見せかけて、隠し武器での奇襲をかける。
 エウリュス戦でルナが見せた戦法を翻案(ほんあん)した裕太の動きに、セイは感嘆の声を上げる。

「でも、残念ながら努力賞ってとこだね」

 束になった触手は、裕太の右肘を殴りつけてナイフを取り落とさせ、背中を打ち据えて呼吸を強制停止させる。
 それから腹を二度三度と突いて肺を空にし、足を払って小汚い床へのキスを無理強いした。

「うっが、ぶぁは……ぼふぉ」
「そろそろ、気が済んだ?」

 口調は柔らかいが感情の排除された言葉が、突っ伏した裕太の背中に積もる。



「だから……諦めの悪さは超高校級だっ、て言ってんだろっ!」
「そうは言っても――」

 裕太は身を起こして中腰になりながら、床をザラつかせている鉄錆だか砂だかを左手で掻き集め、それをセイに向けて投げつけて目潰しを試みる。
 簡単に振り払われたが、ちょっとした牽制にはなった。
 触手が目潰しを警戒している隙に、裕太はもう一本のナイフを懐から抜き出すと、蛙飛びに似た動きでセイの太腿を狙って斬り上げる。

 しかし、浅い。
 左の膝辺りに僅かな切り傷を負わせたのと引き換えに、触手の束が殴りつけてくる。
 右脇腹、左肩、鳩尾(みぞおち)――その先はどこを殴られたのか、ハッキリとした記憶がない。
 最後に急角度で打ち下ろす右ストレートを顔面に受け、裕太は再び床に転がされる。
 セイが手加減しているのか、袋叩き状態になりながらも裕太は意識を保っていた。

 砂をまぶしたコンクリートの灰色と、そこに広がる粘ついた赤色が視界を占領する。
 際限なく湧き上がる恐怖は手足を震わせ、全身の痛みが知覚の大部分を絡めとり、裕太の思考能力に過大なノイズを混入させていた。
 散々に見慣れた悪夢の再現――結局、ここに戻ってしまうのか。
 自分は何も出来ず、ルナは負けて、伊織も殺された。
 脇腹と肩の激しい痛みは、骨に異常が生じていることを告げてくる。
 裕太の心は、ゆっくりと諦念(ていねん)に侵蝕されていく。

「ここは男らしく覚悟を決めて、僕の作る新世界の(いしずえ)になってよ、兄さん」
「……新世界、ね。さっきの話だと輪郭すら掴めなかったが……どういうことなんだ」

 裕太は気力を振り絞って身を起こし、荒く呼吸しながら床に座り込む。
 あらゆる箇所が痛みを主張していて、ふたした瞬間に意識が飛びそうだ。

「簡単な話だよ。誰かが楽をするために、別の誰かが余計な苦労をする状況をなくすだけ」
「いや、それは……目指したからってハイそうですか、と実現するのか」
「元凶を一つ一つ潰す。畸形化した経済による富の偏在、軍事力を背景にした独裁政治、因習や歴史にしか根拠のない不当な差別、思想や宗教を悪用しての民衆統制、そんな諸々を」

 初めて聞かされる正しい用法での確信犯の言葉は、絶望に浸されつつあった裕太の精神に、別種のざわめきを混入させていく。

「それが実現するなら大したもんだが……形になるのに何百年かかるんだ」
「十年――いや、五年もあれば大体の(なら)しは終わるかな。国や政府といった枠組みは残し、既得権に胡坐(あぐら)をかいた連中だけを排除して無力化する」
「……その方法は」
「強制退場。暴力は何も生み出さない、なんて言葉もあるけど、邪魔者を片付けるのに暴力は最も効果的だからね。アルケーさえ量産できれば、無敵の集団が完成する」

 確かに、アルケーやフェイの特殊能力なら、暗殺やテロに絶大な効果を発揮しそうだ。
 どんな精鋭の軍隊や強大な組織を率いていても、個人の能力には限界がある。
 もし今、セイが単身で国会議事堂に突っ込んで行ったとしたら、警備員を蹴散らして居合わせた議員や大臣を軽々と殲滅(せんめつ)し、警官隊が到着する前に無傷で脱出するだろう。

「ひょっとすると、お前にならそれが出来るのかも知れない。だけど、それを任せるのは危険な気がする……上手く説明できないが」
「やれやれ、だ。そこまで否定されたんじゃ仕方ないね。もう面倒になってきたし、そろそろ話は終わりにしようか」

 呆れ顔のセイが、吐き捨てるように言った。
 裕太は本能が『逃げろ』と命じるのに従って立ち上がるが、その直後に殺到する触手に取り押さえられ、その場に(ひざまず)かされる。

「まだ諦めないの、兄さん」

 手足と首周りをガチガチに固められた裕太は、驚きを含んだセイの声を聞く。

「その、選択肢、がっ……そもそも用意、されてな……いっ」

 触手の圧迫で呼吸に不自由しながらも、裕太は減らず口を叩いて睨み返す。
 見下ろしてくるセイの目には、微かにではあるが興味の色が宿っていた。

「この状況なら、もっと他にやることあるんじゃないの。命乞いとか」
「結局、はっ……脳味噌、弄り回されて……死ぬか、狂うかなん、だろ」
「実はね、それを避ける方法もあるんだ。しばらく寝たきりになるかもしれないけど」

 そう言いながら、セイは首にかかった触手の締め付けを緩めてくる。
 急に回復した呼吸に()せながら、裕太はセイの言葉がどういう意味を持つのかを考える。
 信用できるのか――いや、たとえ真実だったとしても、セイの計画に加担していいのか。
 絶対的な権威の覇者が、圧倒的な暴力で君臨する、恒久的に平和な世界。
 どれだけ想像力を駆使しても、悪い冗談みたいなディストピアしか思い浮かべられない。

「どんな御託(ごたく)や綺麗事を並べても……結局のところはテロリストだろ」

 迷った末に裕太が拒絶の言葉を告げると、セイは冷え切った目を向けてくる。

「僕らがやろうとしているのは、英語で言えば『リーチ・フォー・ザ・ムーン』……わかるかな」
「月に……手を伸ばす?」
「直訳すればそうだけど、届かないものに触れようとする、つまり『不可能に挑戦する』って意味の慣用句だね。だけど、人は月にまで辿り着いた。どんな無謀に思えることでも、能力と覚悟と資金さえあれば、大抵のことは実現できる。そして、その三つを僕らは揃えてる」

 色々と反論は思い浮かんだが、言っても仕方ないと判断した裕太は黙り込む。
 セイは触手を操作して裕太の首を無理に(ねじ)り、天井から降ってきた鉄球の方へと向けた。

「他には、『無理な高望み』とか『ないものねだり』みたいな意味もある……こっちは兄さん用だね。もう希望なんてどこにもないけど、月に手を伸ばしてみる? 届くのは精々、そこで潰れてるフレイ――ルナっていうペーパームーンくらいだろうけど」

 ペーパームーン――記念写真の撮影に使うハリボテの月、だったか。
 有名映画のタイトルやジャズの曲名を掻き分けて、その記憶に思い至る。

「月、か……お前が目指すには、お似合いだな……セイ」

 セイの顔は見えないが、きっと訝しげな表情をしているだろう――そう思いつつ裕太は続ける。

「誰もいなくて寒くて息が詰まる、石と砂の他には何もないような……そんな荒地はどうでもいい。それより、手を伸ばせば握り返してくれるルナがいい」

 裕太の答えが予期せぬ方向性のものだったのか、セイは十秒近く無言で固まった。
 しかし、わざとらしい笑いを上げながら裕太の胸倉を掴んで引き寄せると、傲然とその言葉を否定しにかかる。

「無駄だよ……無駄なんだよ、兄さん。もう手は届かない。現実では奇跡なんて起こらない。死に瀕しても特殊能力は発動しない。大切な人が目の前で殺されても何もできない。絶体絶命のピンチに、正義のヒーローが颯爽(さっそう)と登場することもない」
「――だけど、奇跡の大逆転を演出すべく、殺しても死なない美少女は華麗に登場する」



 裕太とセイは、(かす)れ気味な声がした方を振り向く。
 どうにかして這い出したらしく、血塗れのルナが刺々しい鉄球に寄り掛かっていた。
 ボロボロに裂けたツナギが、常人なら即死確定の衝撃を受け止めたことを物語っている。
 セイは迷わず裕太を突き放し、ルナを警戒しつつ間合いを取った。

「よくここまで粘ったな、裕太」
「ルッ、ルナねぇ! どうやってあの下から?」
「ん? ああ、ぶつける威力がありすぎたのか、床の方が思いっきりヘコんだんでな。それで隙間ができたから、体に刺さった色々を無理矢理に抜いて、その後でダメージを回復させる作業の繰り返しで何とか」

 僅かな隙間で身をよじり続け、自分で傷口を裂きながら強引に抜け出した、という状況なのだろうか――状況が特殊過ぎて想像力が追いつかない。

「ちょっと服はどうにもならない感じだけど、結果的にエロ格好良さが大幅アップしてるから、プラマイゼロと判断しとこう」
「どう考えてもマイナスだ! 大体、その血塗れっぷりにエロを見出せるのは、かなりの上級者だと思うぞ」
「揃いも揃って往生際の悪い……」

 忌々しげに漏らすセイに、ルナは血で湿った髪を掻き上げながら返す。

「命懸けの場面で潔くしろとか、アホかお前は。武士かお前は。現代社会を丸ごと叩き壊した後で、戦国時代にでも逆行させる気か?」
「このまま歪な世界を放っておけば、やがて取り返しのつかない場所で行き詰る。その程度は君もわかるだろ、フレイ。なのに、兄さん一人のために見て見ぬふりをするのか?」

 裕太を数秒見つめた後、視線をセイに戻してルナは答える。

「あたしの選択に、そんな意識は混ざってない……とは言えない。だけど、それよりもっとデカいのはね、アンタを信用しきれないんだよ、セイ」

 何かを言いかけたが、思い直したようにセイは口を噤む。

「もしかして、アンタのやり方で本当に世界を変えられるかも知れない。神様役だって、意外と器用にこなせるんじゃないかと思う。だけど、その世界でもしアンタが狂った時、その暴走を誰がどうやって止めるんだ?」

 セイの表情が僅かに引き攣るのを横目に、ルナは血の混じった唾を吐いてから続ける。

「そんなコトにはならない、とでも言いたそうだな。しかしな、正気は保てたとしても、どれだけ()まずにやってられる? 最初は皆、与えられた平和や平等を有難がるさ。でも、すぐに不平不満を並べ始めるぞ。他人より楽をしたい、他人より得をしたい、他人より偉くなりたい――そんな感情は理屈じゃどうにもならない。人々が身勝手で馬鹿馬鹿しい要求を突き付けてきた時、アンタはどうする? 下らんワガママを叶えてやるのか? 無視して今迄通りを続けるのか? それとも革命のセオリーに従い、反乱分子を処罰して秩序を回復するのか?」

 セイからの反論はなく、小さく歯軋りの音が鳴る。
 ルナが早口で並べ立てた疑問点が、自分がセイの主張に抱いた違和感にそっくりで、裕太は半ば無意識に何度も頷いていた。

「それと、な――」

 低い声で言いながら、ルナが走り出した。

「家族や仲間を簡単に切り捨てられる奴に、見ず知らずの他人を救えるワケがないっ!」

 危険度が高いと認識したらしく、触手は駆け寄ってくるルナに殺到する。
 それを跳んでかわしたルナの手首には、細いワイヤーが巻き付いて地面に伸びている。
 ワイヤーが伸び切った直後、破裂音と爆発音を混合したような大音量が響く。

「クレイモアかっ!」

 事態を察知してセイが叫ぶ。
 完全に間違った使い方で作動させられた対人地雷は、爆風と共に数百の鉄球をバラ撒いた。
 触手の群れはセイを守ろうと壁を形成し、迫り来る鉄球群を防ぐ。

 ルナが動くと同時に流星錘を回収しに走った裕太は、折れた骨が軋むのを歯を食い縛って耐え、拾い上げたそれをハンマー投げのようにしてセイに投擲(とうてき)
 着地したルナは、再生の間に合わない傷口から流れ散る血を無視して駆け、流星錘への対処で崩れた触手の壁の内側へと潜り込むと、セイの体を抱くようにしがみついた。
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登場人物紹介

佐崎裕太(ささきゆうた)

巻き込まれ型の主人公。高校生。

父親の遺した“あるモノ”のせいで日常生活が崩壊し、美少女と同居生活を開始したり改造人間に誘拐されたりゾンビの群れに自宅が襲われたりする。

ルナ

非常識な戦闘能力と再生能力を有する少女。見た目は10歳くらいだが年齢不詳。

格闘・射撃・投擲・刀剣・ナイフなどをオールマイティーに使いこなす。

羞恥心や道徳心に多大な問題があり、どんな違法行為だろうが必要と判断すれば躊躇なく実行する。

塙邑伊織(はなむらいおり)

裕太の格闘術の師匠に当たる女性。見た目は若いが年齢不詳。

おっとりとした喋り方と振る舞いが特徴だが、戦闘に関してはルナの同類。

セイ

裕太が巻き込まれている異常事態の元凶。

小柄な少年という目撃証言があるが、それ以外は謎に包まれている。

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