第6話「雑誌の企画でよくある『応募者全員プレゼント』は手の込んだ通販」
文字数 5,280文字
「ところでルナねぇ」
ボロボロの制服からロングスリーブのTシャツとジーンズに着替えた裕太は、リビングに置いてあった土産物の饅頭を勝手に食べているルナに向き直る。
「訊いておきたいことが東京ドーム二十個分くらいあるんだが、とりあえず一ついいか」
「好きな戦国武将だったら、鳥屋尾石見守満栄 だけど」
「その質問の優先順位は、多分ケツから数えて六番目くらいだな。そうじゃなくて――」
無軌道なボケを軽くいなし、裕太はルナに指を突きつける。
「その格好! 登場シーンの全裸も大概だったけど、現在進行形の裸に白衣ってのは、どういうアクシデントの結果なんだ?」
「ああ、コレね」
そう言ってルナは白衣の襟を開き、両手でヒラヒラと揺らす。
「広げんな! せめてボタンはちゃんと留めろってば!」
「全裸じゃ通報待ったなしかと思って、鈴森のを引っ剥がしたんだけど……似合わないかな?」
「似合う似合わないとか、そういう問題じゃねぇ! サイズが絶望的に合ってなくて、見た目に重大なハプニングが発生してんだよ!」
「でも、昔は一緒にお風呂も入ってたし、今更この程度で騒がなくても」
「今更だからだよ! ちっこくなってもルナねぇは女だし、俺も五歳の子供じゃないし」
そう言って目を逸らす裕太に、ルナはニヤケ顔をずいっと近付ける。
「へぇ……健全な高校生男子である裕太は、裸エプロン、裸ワイシャツ、裸ビックリマンシールと並ぶ裸シリーズ『裸サイズ合ってない白衣』に心乱されてるんだ」
「沈黙シリーズ第三弾くらい浮いてるぞ、ビックリマンが!」
程度の低い口論を繰り広げていると、キッチンの方から派手な金属音が響いた。
「……裕太、台所に勝手口は」
「ない。窓には面格子が入ってる」
侵入者の出現を予感し、二人は腰を上げて軽く身構える。
しかし、人影が視界に入るよりも先に、若い女の声が聞こえてきた。
「ゆぅ君、いるのぉ?」
「あぁ、師匠――大丈夫、よく知ってる相手だから」
安心させようとそう言うが、ルナは既に無警戒な雰囲気に戻っていた。
殺気がないのに気付いたのかな、などと裕太が考えている内に、声の主が姿を現す。
近所で護身術の道場を開いている、裕太にとっては戦闘技術の師匠でもある塙邑伊織 だ。
いつものように、Tシャツにジャージというラフな格好をした伊織が口を開く。
「おぉう、無事だったぁ? ちょっと様子見に来たら二階の窓割れてるし、何だか揉め事発生中な空気だったから、裏から入らせてもらっちゃったよぉ」
「もらっちゃたはいいけど、どこから入ったんです?」
「普通に、台所の窓からだけどぉ?」
「それ全然普通じゃないから! ……で、窓の格子はどうなりました?」
「どうにもならない感じ、かなぁ」
裕太は額に手を当て、長く息を吐きながら天を仰ぐ。
伊織は、おっとりした喋りの基本的に笑顔を崩さない人物で、裕太と大差ない百七十半ばに届きそうな身長の持ち主だ。
スレンダーだが女性らしさも残した体型と、ショートカットの似合う中性的で整った容貌。
化粧っ気が乏しく年齢不詳なその姿は、運動部に所属している女子高生にも、三十過ぎの若奥さんにも見えるが、実年齢を訊いた事はない。
数年前に越してきた伊織は、稽古の他にも何かにつけて佐崎一家の世話を焼いてくれるのだが、ちょいちょい意味不明なオーバーアクションを起こす癖があり、その度に様々なものが破壊されたり、裕太の心が折れたりのオチが待っている。
「ごめんねぇ。でも、一昨日だったかなぁ? アキちゃんから『近い内にイザコザがあるかも知れないから、その時はフォローを頼む』って言われてぇ」
「親父が……」
「けれども、いくら何でもこの状況はフォロー不可能かなぁ」
伊織の目線が、着崩しっぷりが土砂崩れているルナに向けられ、それから裕太に刺さる。
「いや、あの、違うんだって師匠。登場人物は全て十八歳以上です、というか――」
伊織の冷ややかな視線に耐えながら、裕太はどうにか弁解を試みる。
しかし、自分でもどうかと思う状況は、第三者を納得させるのが困難だったので、仕方なくルナに助けを求めることにした。
「なぁルナねぇ、崖っぷちな俺へのフォローとかはないのか?」
「いや、特には。イオもそろそろ飽きるだろうし」
「そっか……え? イオ?」
問い返した裕太を無視し、ルナと伊織は軽やかにハイタッチを交わしている。
「久しぶり、って程でもないかぁ」
「一ヶ月ぶりってとこじゃない?」
親しげに挨拶を交わす二人の様子に、裕太は意識が遠退きそうになる。
「知り合いかよ! どんな意味があったんだ、俺のしどろもどろ!」
「んー、知り合いっていうか、あたしにとっても格闘術の師匠なんだよ、イオは」
「そうだねぇ。ルナちゃんが姉弟子、ゆぅ君は弟弟子になるのかなぁ。それにしても、弟弟子って字面は『棒棒鶏 』っぽいよねぇ」
「話が横滑りしてるから! ていうか師匠、何でルナねぇのこと黙ってたんです?」
裕太がそう訊くと、伊織とルナの間でサッと目線が交され、ルナが軽く頷く。
その一瞬で何かが決定されたらしく、伊織の表情から緩んだ気配が消えた。
「さて、と。あたしはシャワー借りるから、イオから裕太に説明お願い」
「わかったよぉ」
「えっ? このタイミングで風呂?」
「さっき気付いたんだけど、自分の血と返り血と返りゲロとガソリンの臭いが混ざって、すっごい上級者向けフレーバーになってるんだよね、今のあたし」
「いや確かに、ちょっと臭うのは否めないけど、物事には優先順位ってのが」
そう反論する裕太の眼前に、ルナは押し止めるように掌を向ける。
「あのね、裕太。女の子にとって『自分がめっちゃクサい』って状態を放置するのは、思春期の男の子が自室のゴミ箱の中身を念入りに探られるのに匹敵する大ピンチなんだ」
「くっ……」
論旨が力ずく過ぎて、裕太には反論のしようがなかった。
「そんじゃま、そういう感じで。着替えはテキトーに借りるよ」
「……ああ。俺のも親父のもサイズ合わないだろうけど、何とかしてくれ」
風呂場に向かったルナを見送り、軽く溜息を漏らす。
そして伊織は、浮かない顔をしている裕太の肩をポンと叩いて言う。
「あのねぇ。ルナちゃんは面倒だから逃げたんじゃない、と思うよぉ」
「……つまり?」
「自分の複雑な事情について語られる場面には、居合わせたくないんだろうねぇ」
伊織の説明がいまいちピンとこず、裕太は首を傾げた。
会話の途切れた空間に、シャワーの水音に混ざってルナの鼻歌が届いてくる。
「さて、とぉ。順を追って話そうとすると、どの範囲まで話せばいいのかわかんないし、ゆぅ君が質問してこっちが答える形にしようかぁ」
「……そもそもあの子、本当にルナねぇなんですか? 確かに似てるは似てるけど、年齢とか外見とか、俺の記憶と大幅に食い違ってるような」
「大丈夫、ゆぅ君が知ってるルナちゃんだよぉ。ただ――」
伊織の表情が急に翳ったので、裕太は少なからぬ不安を感じながら続きを待つ。
「今のあの子が昔と同じかと訊かれた場合、どう答えるかちょっと悩む、かもなぁ」
「それは、ルナねぇが銃で撃たれても平気だったのと、何らかの関係がありますかね?」
「あれぇ? その辺の事情はもう知ってるんだぁ」
「ええ、まぁ。今日の昼前、授業中に親父が事故ったと電話がありまして――」
裕太が今日の出来事を要約して語ると、伊織は暗い表情のまま静かに口を開いた。
「実際に見てるだろうけどぉ、今のルナちゃんは超人的な戦闘技能と身体機能と、常識を無視した回復力の持ち主。細かく説明しなくても、大体どういう状態か理解できてるでしょ?」
「えっと、『ギギの腕輪』とか『長老バゴー』って単語が浮かんできました」
「何でアマゾンなのぉ? でも、大体は合ってるかなぁ……ルナちゃんは『改造人間』なんだねぇ」
予想はしていたものの、ハッキリと断言されてしまうと衝撃的だ。
いきなり大荷物を背負ったように顔を顰 める裕太に、伊織は更に話を続ける。
「発端は前に話してくれたぁ、あの夢に出てくる事件だねぇ。研究に絡んで某国の組織から狙われてたアキちゃんはぁ、ゆぅ君のボディガードとしてルナちゃんを雇ってたんだよぉ」
「雇った、って……あの頃のルナねぇ、今の俺くらいの年じゃ」
「だろうねぇ。その辺はいずれ本人に訊けばいいとしてぇ、ゆぅ君を守ろうとして撃たれたあの子、発見された時には殆ど心停止の状態だったらしいよぉ」
夢で繰り返し見せられた光景と、無力な自分の姿を思い出した裕太は唇を噛む。
「研究所に搬送されたルナちゃんには、いくつもの高難度の大手術が施されてねぇ。それは救命ってより、研究の成果の実用試験だったんだけどぉ……ルナちゃんは、そんな状況を切り抜けたんだよねぇ」
「……どうして、子供がそんな手術を耐えられたんですか?」
「奇跡なのか根性なのか科学の勝利なのか……どうなんだろうねぇ。ともあれ、生き延びたルナちゃんは最先端技術を用いた改良を自分から志願して、数年がかりで今の肉体を作り上げたんだよぉ。見た目がちょっと変わってるのは、あちこち弄り回された結果だろうねぇ」
自分の意思で体に改造を加える、そんなルナの覚悟に裕太は圧倒される。
「……にしても、師匠は何でそこまで事情を?」
「一応、研究所の関係者だしねぇ。今まで黙ってたのは、アキちゃんとルナちゃんの二人に口止めされてたからなんだぁ。ごめんねぇ」
伊織は先程まで浮かんでいた翳 りを振り払い、絶句した裕太に柔らかい笑顔を向けてくる。
「見てらんない感じに、表情が強張ってるねぇ。あの子は多分、ゆぅ君のそういう顔を見たくなかったんじゃないかなぁ」
「あ、あぁ……なるほど」
伊織の説明には混乱させられるばかりだったが、最後の一言だけは自然と腑に落ちた。
「そろそろ終わった?」
話が一段落したタイミングで、風呂から上がったらしいルナの声がした。
「うん。ルナちゃんが簡単に言えば改造人間だってのとぉ、雑誌の企画でよくある『応募者全員プレゼント』は手の込んだ通販、って説明をゆぅ君にしておいたよぉ」
「後半の情報、初耳なんですけど」
「ま、大体の所を理解してもらえれば、後は博士の残したファイルでどうにか」
タオルで髪を拭きながらリビングに入ってきたルナの姿を目にして、裕太は気が遠くなる。
「なっ――何だってんだ、そりゃあ?」
「ん? このタオル、使っちゃダメだった?」
「じゃなくて! そのアバンギャルドな装いは何事だよ!」
裕太の怒鳴り声を気にした様子もなく、ルナは平常運行なテンションで返してくる。
「さっき言った通り、適当なのを借りたんだけど」
「他にも色々あるのに、どうしてそれになる!」
「そろそろ夏も近いし、清涼感を重視して」
「清涼感どころか、透明感が限りなく全裸に近くてブルーになるわ! もっと他に、一般常識とか羞恥心とか、重視しなきゃいかんポイントが山盛りだろ!」
透明なレインコートのビニール越しに丸見える、アイボリーの上に薄く白を塗り重ねたような肌色から視線を逸らしつつ、裕太はルナに人の道を説く。
「……シャツだけ着ておくことで、非日常感をプラスするべきだったかな」
「見た目のインパクトをこれ以上に盛ろうとすんな! とりあえず、布製の服に着替えろ!」
怒鳴り気味の早口連発で息切れした裕太に、ルナは少し考える素振りを見せた後で答える。
「逆に、全裸に傘と長靴っていうコーディネイトも、選択肢として出てくるか」
「どこをどう逆にすると、そんなん出てきちゃうんだよ! ていうか、服を着るって行動を選択肢から外すのをやめろ!」
渋々といった様子で部屋を出て行く、ルナの白い尻――もとい、背中を見送っていた裕太は、ケラケラ笑っている伊織に恨みがましい視線を送る。
「戦闘の技能と一緒に、世間の常識も叩き込んどいて下さいよ、師匠」
「あの子はさぁ、知ってても気に入らないと無視するからねぇ」
裕太は両のこめかみを片手で揉み解しながら、深く溜息を吐く。
「……で、ルナねぇは俺をからかってる、って認識で正解ですかね?」
「どうかなぁ。何にしても、あの子を放っとくとこの家のモラルが酷い有様になりそうだからぁ、ちょっと駅前まで行って服とか下着、買ってくるねぇ」
「あ、それ助かります。代金は――」
「コッチで出しとくよぉ。じゃ、また後でねぇ」
伊織は台所まで靴を取りに行くと、今度は普通に玄関から出て行った。
ボロボロの制服からロングスリーブのTシャツとジーンズに着替えた裕太は、リビングに置いてあった土産物の饅頭を勝手に食べているルナに向き直る。
「訊いておきたいことが東京ドーム二十個分くらいあるんだが、とりあえず一ついいか」
「好きな戦国武将だったら、
「その質問の優先順位は、多分ケツから数えて六番目くらいだな。そうじゃなくて――」
無軌道なボケを軽くいなし、裕太はルナに指を突きつける。
「その格好! 登場シーンの全裸も大概だったけど、現在進行形の裸に白衣ってのは、どういうアクシデントの結果なんだ?」
「ああ、コレね」
そう言ってルナは白衣の襟を開き、両手でヒラヒラと揺らす。
「広げんな! せめてボタンはちゃんと留めろってば!」
「全裸じゃ通報待ったなしかと思って、鈴森のを引っ剥がしたんだけど……似合わないかな?」
「似合う似合わないとか、そういう問題じゃねぇ! サイズが絶望的に合ってなくて、見た目に重大なハプニングが発生してんだよ!」
「でも、昔は一緒にお風呂も入ってたし、今更この程度で騒がなくても」
「今更だからだよ! ちっこくなってもルナねぇは女だし、俺も五歳の子供じゃないし」
そう言って目を逸らす裕太に、ルナはニヤケ顔をずいっと近付ける。
「へぇ……健全な高校生男子である裕太は、裸エプロン、裸ワイシャツ、裸ビックリマンシールと並ぶ裸シリーズ『裸サイズ合ってない白衣』に心乱されてるんだ」
「沈黙シリーズ第三弾くらい浮いてるぞ、ビックリマンが!」
程度の低い口論を繰り広げていると、キッチンの方から派手な金属音が響いた。
「……裕太、台所に勝手口は」
「ない。窓には面格子が入ってる」
侵入者の出現を予感し、二人は腰を上げて軽く身構える。
しかし、人影が視界に入るよりも先に、若い女の声が聞こえてきた。
「ゆぅ君、いるのぉ?」
「あぁ、師匠――大丈夫、よく知ってる相手だから」
安心させようとそう言うが、ルナは既に無警戒な雰囲気に戻っていた。
殺気がないのに気付いたのかな、などと裕太が考えている内に、声の主が姿を現す。
近所で護身術の道場を開いている、裕太にとっては戦闘技術の師匠でもある
いつものように、Tシャツにジャージというラフな格好をした伊織が口を開く。
「おぉう、無事だったぁ? ちょっと様子見に来たら二階の窓割れてるし、何だか揉め事発生中な空気だったから、裏から入らせてもらっちゃったよぉ」
「もらっちゃたはいいけど、どこから入ったんです?」
「普通に、台所の窓からだけどぉ?」
「それ全然普通じゃないから! ……で、窓の格子はどうなりました?」
「どうにもならない感じ、かなぁ」
裕太は額に手を当て、長く息を吐きながら天を仰ぐ。
伊織は、おっとりした喋りの基本的に笑顔を崩さない人物で、裕太と大差ない百七十半ばに届きそうな身長の持ち主だ。
スレンダーだが女性らしさも残した体型と、ショートカットの似合う中性的で整った容貌。
化粧っ気が乏しく年齢不詳なその姿は、運動部に所属している女子高生にも、三十過ぎの若奥さんにも見えるが、実年齢を訊いた事はない。
数年前に越してきた伊織は、稽古の他にも何かにつけて佐崎一家の世話を焼いてくれるのだが、ちょいちょい意味不明なオーバーアクションを起こす癖があり、その度に様々なものが破壊されたり、裕太の心が折れたりのオチが待っている。
「ごめんねぇ。でも、一昨日だったかなぁ? アキちゃんから『近い内にイザコザがあるかも知れないから、その時はフォローを頼む』って言われてぇ」
「親父が……」
「けれども、いくら何でもこの状況はフォロー不可能かなぁ」
伊織の目線が、着崩しっぷりが土砂崩れているルナに向けられ、それから裕太に刺さる。
「いや、あの、違うんだって師匠。登場人物は全て十八歳以上です、というか――」
伊織の冷ややかな視線に耐えながら、裕太はどうにか弁解を試みる。
しかし、自分でもどうかと思う状況は、第三者を納得させるのが困難だったので、仕方なくルナに助けを求めることにした。
「なぁルナねぇ、崖っぷちな俺へのフォローとかはないのか?」
「いや、特には。イオもそろそろ飽きるだろうし」
「そっか……え? イオ?」
問い返した裕太を無視し、ルナと伊織は軽やかにハイタッチを交わしている。
「久しぶり、って程でもないかぁ」
「一ヶ月ぶりってとこじゃない?」
親しげに挨拶を交わす二人の様子に、裕太は意識が遠退きそうになる。
「知り合いかよ! どんな意味があったんだ、俺のしどろもどろ!」
「んー、知り合いっていうか、あたしにとっても格闘術の師匠なんだよ、イオは」
「そうだねぇ。ルナちゃんが姉弟子、ゆぅ君は弟弟子になるのかなぁ。それにしても、弟弟子って字面は『
「話が横滑りしてるから! ていうか師匠、何でルナねぇのこと黙ってたんです?」
裕太がそう訊くと、伊織とルナの間でサッと目線が交され、ルナが軽く頷く。
その一瞬で何かが決定されたらしく、伊織の表情から緩んだ気配が消えた。
「さて、と。あたしはシャワー借りるから、イオから裕太に説明お願い」
「わかったよぉ」
「えっ? このタイミングで風呂?」
「さっき気付いたんだけど、自分の血と返り血と返りゲロとガソリンの臭いが混ざって、すっごい上級者向けフレーバーになってるんだよね、今のあたし」
「いや確かに、ちょっと臭うのは否めないけど、物事には優先順位ってのが」
そう反論する裕太の眼前に、ルナは押し止めるように掌を向ける。
「あのね、裕太。女の子にとって『自分がめっちゃクサい』って状態を放置するのは、思春期の男の子が自室のゴミ箱の中身を念入りに探られるのに匹敵する大ピンチなんだ」
「くっ……」
論旨が力ずく過ぎて、裕太には反論のしようがなかった。
「そんじゃま、そういう感じで。着替えはテキトーに借りるよ」
「……ああ。俺のも親父のもサイズ合わないだろうけど、何とかしてくれ」
風呂場に向かったルナを見送り、軽く溜息を漏らす。
そして伊織は、浮かない顔をしている裕太の肩をポンと叩いて言う。
「あのねぇ。ルナちゃんは面倒だから逃げたんじゃない、と思うよぉ」
「……つまり?」
「自分の複雑な事情について語られる場面には、居合わせたくないんだろうねぇ」
伊織の説明がいまいちピンとこず、裕太は首を傾げた。
会話の途切れた空間に、シャワーの水音に混ざってルナの鼻歌が届いてくる。
「さて、とぉ。順を追って話そうとすると、どの範囲まで話せばいいのかわかんないし、ゆぅ君が質問してこっちが答える形にしようかぁ」
「……そもそもあの子、本当にルナねぇなんですか? 確かに似てるは似てるけど、年齢とか外見とか、俺の記憶と大幅に食い違ってるような」
「大丈夫、ゆぅ君が知ってるルナちゃんだよぉ。ただ――」
伊織の表情が急に翳ったので、裕太は少なからぬ不安を感じながら続きを待つ。
「今のあの子が昔と同じかと訊かれた場合、どう答えるかちょっと悩む、かもなぁ」
「それは、ルナねぇが銃で撃たれても平気だったのと、何らかの関係がありますかね?」
「あれぇ? その辺の事情はもう知ってるんだぁ」
「ええ、まぁ。今日の昼前、授業中に親父が事故ったと電話がありまして――」
裕太が今日の出来事を要約して語ると、伊織は暗い表情のまま静かに口を開いた。
「実際に見てるだろうけどぉ、今のルナちゃんは超人的な戦闘技能と身体機能と、常識を無視した回復力の持ち主。細かく説明しなくても、大体どういう状態か理解できてるでしょ?」
「えっと、『ギギの腕輪』とか『長老バゴー』って単語が浮かんできました」
「何でアマゾンなのぉ? でも、大体は合ってるかなぁ……ルナちゃんは『改造人間』なんだねぇ」
予想はしていたものの、ハッキリと断言されてしまうと衝撃的だ。
いきなり大荷物を背負ったように顔を
「発端は前に話してくれたぁ、あの夢に出てくる事件だねぇ。研究に絡んで某国の組織から狙われてたアキちゃんはぁ、ゆぅ君のボディガードとしてルナちゃんを雇ってたんだよぉ」
「雇った、って……あの頃のルナねぇ、今の俺くらいの年じゃ」
「だろうねぇ。その辺はいずれ本人に訊けばいいとしてぇ、ゆぅ君を守ろうとして撃たれたあの子、発見された時には殆ど心停止の状態だったらしいよぉ」
夢で繰り返し見せられた光景と、無力な自分の姿を思い出した裕太は唇を噛む。
「研究所に搬送されたルナちゃんには、いくつもの高難度の大手術が施されてねぇ。それは救命ってより、研究の成果の実用試験だったんだけどぉ……ルナちゃんは、そんな状況を切り抜けたんだよねぇ」
「……どうして、子供がそんな手術を耐えられたんですか?」
「奇跡なのか根性なのか科学の勝利なのか……どうなんだろうねぇ。ともあれ、生き延びたルナちゃんは最先端技術を用いた改良を自分から志願して、数年がかりで今の肉体を作り上げたんだよぉ。見た目がちょっと変わってるのは、あちこち弄り回された結果だろうねぇ」
自分の意思で体に改造を加える、そんなルナの覚悟に裕太は圧倒される。
「……にしても、師匠は何でそこまで事情を?」
「一応、研究所の関係者だしねぇ。今まで黙ってたのは、アキちゃんとルナちゃんの二人に口止めされてたからなんだぁ。ごめんねぇ」
伊織は先程まで浮かんでいた
「見てらんない感じに、表情が強張ってるねぇ。あの子は多分、ゆぅ君のそういう顔を見たくなかったんじゃないかなぁ」
「あ、あぁ……なるほど」
伊織の説明には混乱させられるばかりだったが、最後の一言だけは自然と腑に落ちた。
「そろそろ終わった?」
話が一段落したタイミングで、風呂から上がったらしいルナの声がした。
「うん。ルナちゃんが簡単に言えば改造人間だってのとぉ、雑誌の企画でよくある『応募者全員プレゼント』は手の込んだ通販、って説明をゆぅ君にしておいたよぉ」
「後半の情報、初耳なんですけど」
「ま、大体の所を理解してもらえれば、後は博士の残したファイルでどうにか」
タオルで髪を拭きながらリビングに入ってきたルナの姿を目にして、裕太は気が遠くなる。
「なっ――何だってんだ、そりゃあ?」
「ん? このタオル、使っちゃダメだった?」
「じゃなくて! そのアバンギャルドな装いは何事だよ!」
裕太の怒鳴り声を気にした様子もなく、ルナは平常運行なテンションで返してくる。
「さっき言った通り、適当なのを借りたんだけど」
「他にも色々あるのに、どうしてそれになる!」
「そろそろ夏も近いし、清涼感を重視して」
「清涼感どころか、透明感が限りなく全裸に近くてブルーになるわ! もっと他に、一般常識とか羞恥心とか、重視しなきゃいかんポイントが山盛りだろ!」
透明なレインコートのビニール越しに丸見える、アイボリーの上に薄く白を塗り重ねたような肌色から視線を逸らしつつ、裕太はルナに人の道を説く。
「……シャツだけ着ておくことで、非日常感をプラスするべきだったかな」
「見た目のインパクトをこれ以上に盛ろうとすんな! とりあえず、布製の服に着替えろ!」
怒鳴り気味の早口連発で息切れした裕太に、ルナは少し考える素振りを見せた後で答える。
「逆に、全裸に傘と長靴っていうコーディネイトも、選択肢として出てくるか」
「どこをどう逆にすると、そんなん出てきちゃうんだよ! ていうか、服を着るって行動を選択肢から外すのをやめろ!」
渋々といった様子で部屋を出て行く、ルナの白い尻――もとい、背中を見送っていた裕太は、ケラケラ笑っている伊織に恨みがましい視線を送る。
「戦闘の技能と一緒に、世間の常識も叩き込んどいて下さいよ、師匠」
「あの子はさぁ、知ってても気に入らないと無視するからねぇ」
裕太は両のこめかみを片手で揉み解しながら、深く溜息を吐く。
「……で、ルナねぇは俺をからかってる、って認識で正解ですかね?」
「どうかなぁ。何にしても、あの子を放っとくとこの家のモラルが酷い有様になりそうだからぁ、ちょっと駅前まで行って服とか下着、買ってくるねぇ」
「あ、それ助かります。代金は――」
「コッチで出しとくよぉ。じゃ、また後でねぇ」
伊織は台所まで靴を取りに行くと、今度は普通に玄関から出て行った。