第9話「トーストと間違えて東スポを咥えてる」
文字数 5,196文字
翌朝、自室のベッドの上で身を起こした裕太は、枕元の時計を見る。
六時三十五分――目覚ましのセットを忘れたのに、普段より三十分ほど早い起床だ。
カーテンの隙間から差し込む光に照らされて、ぼやけた輪郭を浮かび上がらせている室内の様子はいつもと変わらない。
なのに、自分の環境はスッカリ変わってしまったな、と裕太は昨日の半日で体験した怒涛 の急展開を思い返す。
物心ついた頃に母親はもういなかったが、今度は父親までいなくなってしまった。
学校や親戚には、今回の件をどう説明すればいいのだろうか。
ルナと伊織が襲撃に対処してくれるにしても、学校に行ってる間はどうするのか。
心配するなと言われたものの、蒔かれた不安の種は次から次へと発芽する。
半端な精神状態のまま階段を下りた裕太は、トイレと洗面所を経由して台所へ向かう。
どうやら、伊織もルナもいないようだった。
壊した窓をダクトテープで強引に補修した、悪い意味でのアメリカン・スピリットが漲 る仕事ぶりに関しては後で文句を言う必要があるが、朝食を用意しておいてくれたのは有難い。
どんな判断によって朝っぱらからチーズフォンデュになったのか、メニューの選定には多大な疑問が残ったけれど。
カセットコンロでチーズの入った鍋を温め、ニュースを見ながら無駄に濃厚な食事を済ませた裕太は、ゆっくりとシャワーを浴びた後で予備の制服に着替え、登校のために家を出た。
近いから、という理由だけで選んだ高校までは、大体徒歩で二十分といった距離だ。
通学路の景色もいつもと一緒だったが、混乱気味な心理状態を反映してか、妙に沈んだ色合いに見える――何というか、全体的にリアリティが不足している感がある。
そんな気分でボンヤリ歩いていたせいか、T字路で出会い頭に何かと衝突してしまった。
「ぅおっふ!」
硬いものが胃の辺りにめり込み、裕太は思わず変な声を漏らす。
「ちょっと! ドコ見て歩いてんの!」
声の調子からして、走ってきた女の子とぶつかってしまったようだ。
何てベタな、と思いながらも裕太は倒れた相手に手を差し伸べる。
「あぁ、ゴメン。大丈――」
相手の容姿を見て、裕太は言葉を失う。
少女は裕太と同じく、久納高校の制服を着ていた。
高校生にしては低い身長だが、それがどうでも良くなる程に端麗な容姿。
そして何よりも特徴的なのは、その白銀の長い髪――
「――って、何してんのルナねぇ」
「普通に見守ってるのに飽きたんでね。古典的少女マンガ、もしくはギャルゲー創成期風味の出会いイベントでも、ここらで勃発させてみようかなって」
「果てしなく余計なマネを……あと、ツッコむのも二の足を踏みそうになるんだが、お約束の『口に咥えたパン』がどうしてトーストじゃなくて一斤丸ごとなんだ」
「大食い居候キャラのヒロインの出てくるラノベが大人気らしいし、その線を狙ってみたんだけど」
「そこを狙った末に、どこへと辿り着くつもりだ」
眉間を揉みながら裕太が言うと、ルナは腕組みをしながら小さく唸る。
「トーストと間違えて東スポを咥えてる、っていう黄金パターンにしとくべきだったか」
「ゴールデン要素がどこにもない! ……ていうか、何でウチの制服を着てるんだ?」
「だって、今日からあたしも学校行くし」
言葉の意味はわかるが、そうなる理由がわからないルナの宣言に裕太は固まる。
「裕太を守るんだったら、やっぱり常に身近にいた方がいいでしょ」
「そりゃまぁ、そう、なのか? でも……」
「じゃあ、手続きとかあるから先に行ってる」
「いや、ちょっと待――」
ルナは裕太の声を無視して走り去り、朝日を受けた銀髪は跳ね回りながら遠ざかる。
その後姿を見送った裕太は、想像以上に厄介な展開が待ち受けているのを予感し、重い溜息を二回連続で吐くと、足を引きずるようにして学校へと向かった。
教室に入って自分の席に向かうと、前の席に座る今野が話しかけてきた。
「おう、佐崎。昨日の呼び出しは結局何だったん? お前、何かしたの?」
「何もしてねぇよ。親父が事故に遭ったってんで、それで呼ばれただけ」
「事故って、車の?」
「いや……でもまぁ、大したことないし」
「あっそ」
その言葉を最後に今野は話を打ち切り、スマホを弄り始めた。
元々大して仲も良くない相手ではあるが、自分から話を振っておいてこの素っ気ない対応はどうなんだ、と裕太は軽めのイラ立ちを湧き上がらせる。
「え、お父さんが事故に遭ったの?」
続いて声をかけてきたのは、中学時代から学校が一緒で、今野とは違い普通に友人と呼べる存在である門馬順 だ。
百五十センチ台の低身長と性別不詳のルックス、そして人懐っこい性格の持ち主である順のイメージは、ポメラニアンの子犬とかそういうのが近い。
「ああ。でも、ホントにちょっとした事故だし、ケガっていうケガでもないし」
「そうなんだ。ユウタが帰ってこなかったから、もしかして大変な事になってるのかなって」
「教頭もヅケちゃんも慌てすぎなんだよ。本当に、全然大したことじゃねえから」
床の血溜まりや袋詰めの手首といった、父親の死を示唆する映像の数々を意識から追い払いつつ、裕太は誤魔化しの言葉を並べてゆく。
そして、順との話に加わってきたクラスメイト数人を相手に、嘘を大量混入した事情説明をしていると、始業のチャイムと共に中谷がやってきた。
「はーい、ホームルーム始めるよー」
その声で生徒達はノロノロと自分の席に向かい、ざわめきが徐々に収まってゆく。
「えー、出席をとる前に、今日は転校生を紹介します」
担任からの唐突な宣言に、静まりかけていた教室が瞬時に沸き返る。
「え、マジで」
「こんな時期って、ちょっと珍しくね?」
「ヅケちゃーん、転校生って男? 女?」
ゴールデンウィークも中間テストも終わった、何もない時期に発生した転校生登場イベントに、クラスの皆は少なからずテンションを上げている。
しかし、ここからの展開が予想できる裕太としては、事態が常識の範囲内で収まるのを願うばかりだった。
「じゃあ、入って来なさい」
その言葉の直後、教室のドアがスパァン! とダイナミックに開く。
教壇があるのとは逆の、後方のドアが。
そしてドアの向こうには、予想した通りに銀髪の少女の姿があった。
皆の視線がそちらに集中したので、頭を抱えた裕太の苦悶には誰も気付かない。
腰に手を当て仁王立ちしていたルナは、またスパァン! と勢い良くドアを閉めると、今度は何事もなかったかのように、無表情で前のドアから教室に入ってきた。
「……え?」
「外人……?」
「……何?」
「子供……?」
無駄にインパクトがあるルックスのルナが繰り出す、真意の見えない珍プレーによって、教室内は瞬時に戸惑いの色に支配されていく。
しかし中谷はそこで挫けず、出席簿で教卓を叩いてざわついた空気を強引に中和する。
「はーい、静かにー! じゃあまずは、自己紹介を」
中谷はどうやら、ルナの奇行を丸ごとスルーする判断を下したようだ。
チョークを渡されたルナは、黒板の下の方に『春奈京 』――ではなく、見覚えのない名前を意外に綺麗な字で書いてチョークを置いた。
「相馬 ルナです。好きなあんかけチャーハンは超大盛りで注文します」
そんな自己紹介を聞かされ、大食いヒロイン狙いを理解している裕太は深い溜息を吐くが、周囲は呆気にとられてポカーンとしている。
気まずい沈黙を打ち破ろうとしてか、中谷は普通なら生徒から飛ぶであろう質問を代弁する。
「え、えーと……相馬さんは、この学校に来る前はどこに?」
「ヨーロッパ各地を転々としたりドンドンとしたり、そんな感じでした」
この瞬間、裕太の脳内に天丼っぽいキャラが歌い上げるメロディが流れたが、他のクラスメイトの大部分の中でも鳴り響いているのが予想される。
「あー……よくわかんないけど、海外生活が長かったって事でいいのかな? それにしては日本語が流暢だね」
「ええ。母は日本人だし、父はフィンランド出身だけど、日本語はベロベロでしたから」
「うん、それって話せるの? 話せないの?」
「問題ありません。むしろペロペロと言ってもいいかもです」
「……あの、相馬さん?」
「何でしょう?」
「あなた、もしかしてふざけてる?」
「真面目にやってこのザマだと思われるのは、かなりショックなんですけど」
「ああ、そう……んじゃま、質問とかあったら、後は本人に勝手に訊いてくれー」
いつもより三割り増しで丁寧な感じだった中谷は、ルナの本性を把握した途端にいつもより六割引き程度のぞんざいさにシフトした。
「席は――そうだな、佐崎の隣が丁度空いてるから、そこな」
「いや、あの、先生。そこは風邪で休んでる小山田さんの席ですけど……」
クラス委員の一色 が告げるが、もう面倒になっている様子の担任は気にしない。
「代わりの椅子と机は、放課後にでも空き教室から運んどきな。じゃあ相馬、他の細々とした事は、イトコの佐崎にでも。頼んだぞ、佐崎」
「はぁ……ハァ? イトコ? あ、いや……そうっすね、わかりました」
どうやらルナは、そんな嘘設定を用意していたらしい。
無造作に放り込まれた裕太とルナの親戚関係という新情報によって、教室内はもう収拾がつかない騒然さになりつつある。
「しーずーかーにー!」
中谷が出席簿で教卓をどつき回すが、落ち着きが戻る気配はまるでなく、クラスの視線と話題はルナと裕太に集中した。
そんな状況でも中谷はどうにか出欠をとり、疲れた雰囲気を纏 いながら教室を出ていった。
興味津々のクラスメートが集まってきそうな気配を察した裕太は、そうなる前にルナの手を掴んで教室から脱出する。
引きずるようにして廊下を全力疾走すると、行き止まりにある非常階段に通じる扉を開け、その踊り場でルナをブン投げ気味に解放した。
「お前なぁあああっ!」
「どうした裕太? 転校生として学校に通う、ってのは朝に説明しただろ」
「そこは納得はしないが理解した! そんなんどうでもよくて、さっきの挨拶は何事だったのか、わかりやすく説明してみてくれるか」
「いや、転校生は第一印象が最重要、ってイオが言ってたから」
「あんな素 っ頓狂 な登場でもって、どんな印象を焼き付けるつもりなんだ?」
「確実に面倒クサそうなキャラを演じとけば、誰も必要以上に深入りしてこないだろ? そうすれば、学校の連中は厄介事に巻き込まずに済むんじゃないかな、って」
悪ふざけで大ボケを仕掛けたのかと思いきや、ルナもそれなりに自分達の置かれている環境や、周囲の安全について考えていたらしい。
しかしながら、そういう問題じゃない部分が多すぎる。
「……ルナねぇの意図はわかった。しかしだな、何でそれを事前に打ち合わせしとかないんだよ? 俺らがイトコ同士とか、フィンランド人とのハーフとか、そういうスッポ抜け設定をどこから引っ張って来た!」
「そこはまぁ、シックスセンスとかインスピレーションとかフィーリングで?」
「全部ほぼ一緒じゃねぇか! とりあえず、突拍子もない設定をこれ以上搭載するとか、そういうのは自重する方向で頼むよ」
「畏 まりました、御主人様」
恭 しくメイドっぽいセリフを吐くルナに、裕太はついつい声を荒げる。
「だからそういうのヤメてくれ、って話を五秒前までしてたつもりだったんだけど、俺の言葉はルナねぇのハートには届いてなかったのか?」
「ああ、どうやら右の耳から左サイドバックへと抜けていったみたい」
「また随分と遠いグラウンドに到着したな! ……あと、いつもの呼び方だと色々と言われそうだから、学校じゃ『ルナ』って呼び捨てにするぞ」
「了解した。あ、それとあたしの設定はクォーターね」
「細かいな……あと、一体どこから転校してきたんだ? それに身分証明とかは?」
「そこはそれ、DFI研究所とコネのあった地下社会の、闇ルートを駆使した裏取引で」
「予想以上に非合法っぽい解答でテンション下がるわ……」
そんな話をしている内に、授業開始を報せるチャイムが聴こえてくる。
裕太とルナは小走りで教室へと戻り、突き刺さる好奇の視線を二人で山分けしながら、隣り合った自分の席へと向かった。
六時三十五分――目覚ましのセットを忘れたのに、普段より三十分ほど早い起床だ。
カーテンの隙間から差し込む光に照らされて、ぼやけた輪郭を浮かび上がらせている室内の様子はいつもと変わらない。
なのに、自分の環境はスッカリ変わってしまったな、と裕太は昨日の半日で体験した
物心ついた頃に母親はもういなかったが、今度は父親までいなくなってしまった。
学校や親戚には、今回の件をどう説明すればいいのだろうか。
ルナと伊織が襲撃に対処してくれるにしても、学校に行ってる間はどうするのか。
心配するなと言われたものの、蒔かれた不安の種は次から次へと発芽する。
半端な精神状態のまま階段を下りた裕太は、トイレと洗面所を経由して台所へ向かう。
どうやら、伊織もルナもいないようだった。
壊した窓をダクトテープで強引に補修した、悪い意味でのアメリカン・スピリットが
どんな判断によって朝っぱらからチーズフォンデュになったのか、メニューの選定には多大な疑問が残ったけれど。
カセットコンロでチーズの入った鍋を温め、ニュースを見ながら無駄に濃厚な食事を済ませた裕太は、ゆっくりとシャワーを浴びた後で予備の制服に着替え、登校のために家を出た。
近いから、という理由だけで選んだ高校までは、大体徒歩で二十分といった距離だ。
通学路の景色もいつもと一緒だったが、混乱気味な心理状態を反映してか、妙に沈んだ色合いに見える――何というか、全体的にリアリティが不足している感がある。
そんな気分でボンヤリ歩いていたせいか、T字路で出会い頭に何かと衝突してしまった。
「ぅおっふ!」
硬いものが胃の辺りにめり込み、裕太は思わず変な声を漏らす。
「ちょっと! ドコ見て歩いてんの!」
声の調子からして、走ってきた女の子とぶつかってしまったようだ。
何てベタな、と思いながらも裕太は倒れた相手に手を差し伸べる。
「あぁ、ゴメン。大丈――」
相手の容姿を見て、裕太は言葉を失う。
少女は裕太と同じく、久納高校の制服を着ていた。
高校生にしては低い身長だが、それがどうでも良くなる程に端麗な容姿。
そして何よりも特徴的なのは、その白銀の長い髪――
「――って、何してんのルナねぇ」
「普通に見守ってるのに飽きたんでね。古典的少女マンガ、もしくはギャルゲー創成期風味の出会いイベントでも、ここらで勃発させてみようかなって」
「果てしなく余計なマネを……あと、ツッコむのも二の足を踏みそうになるんだが、お約束の『口に咥えたパン』がどうしてトーストじゃなくて一斤丸ごとなんだ」
「大食い居候キャラのヒロインの出てくるラノベが大人気らしいし、その線を狙ってみたんだけど」
「そこを狙った末に、どこへと辿り着くつもりだ」
眉間を揉みながら裕太が言うと、ルナは腕組みをしながら小さく唸る。
「トーストと間違えて東スポを咥えてる、っていう黄金パターンにしとくべきだったか」
「ゴールデン要素がどこにもない! ……ていうか、何でウチの制服を着てるんだ?」
「だって、今日からあたしも学校行くし」
言葉の意味はわかるが、そうなる理由がわからないルナの宣言に裕太は固まる。
「裕太を守るんだったら、やっぱり常に身近にいた方がいいでしょ」
「そりゃまぁ、そう、なのか? でも……」
「じゃあ、手続きとかあるから先に行ってる」
「いや、ちょっと待――」
ルナは裕太の声を無視して走り去り、朝日を受けた銀髪は跳ね回りながら遠ざかる。
その後姿を見送った裕太は、想像以上に厄介な展開が待ち受けているのを予感し、重い溜息を二回連続で吐くと、足を引きずるようにして学校へと向かった。
教室に入って自分の席に向かうと、前の席に座る今野が話しかけてきた。
「おう、佐崎。昨日の呼び出しは結局何だったん? お前、何かしたの?」
「何もしてねぇよ。親父が事故に遭ったってんで、それで呼ばれただけ」
「事故って、車の?」
「いや……でもまぁ、大したことないし」
「あっそ」
その言葉を最後に今野は話を打ち切り、スマホを弄り始めた。
元々大して仲も良くない相手ではあるが、自分から話を振っておいてこの素っ気ない対応はどうなんだ、と裕太は軽めのイラ立ちを湧き上がらせる。
「え、お父さんが事故に遭ったの?」
続いて声をかけてきたのは、中学時代から学校が一緒で、今野とは違い普通に友人と呼べる存在である
百五十センチ台の低身長と性別不詳のルックス、そして人懐っこい性格の持ち主である順のイメージは、ポメラニアンの子犬とかそういうのが近い。
「ああ。でも、ホントにちょっとした事故だし、ケガっていうケガでもないし」
「そうなんだ。ユウタが帰ってこなかったから、もしかして大変な事になってるのかなって」
「教頭もヅケちゃんも慌てすぎなんだよ。本当に、全然大したことじゃねえから」
床の血溜まりや袋詰めの手首といった、父親の死を示唆する映像の数々を意識から追い払いつつ、裕太は誤魔化しの言葉を並べてゆく。
そして、順との話に加わってきたクラスメイト数人を相手に、嘘を大量混入した事情説明をしていると、始業のチャイムと共に中谷がやってきた。
「はーい、ホームルーム始めるよー」
その声で生徒達はノロノロと自分の席に向かい、ざわめきが徐々に収まってゆく。
「えー、出席をとる前に、今日は転校生を紹介します」
担任からの唐突な宣言に、静まりかけていた教室が瞬時に沸き返る。
「え、マジで」
「こんな時期って、ちょっと珍しくね?」
「ヅケちゃーん、転校生って男? 女?」
ゴールデンウィークも中間テストも終わった、何もない時期に発生した転校生登場イベントに、クラスの皆は少なからずテンションを上げている。
しかし、ここからの展開が予想できる裕太としては、事態が常識の範囲内で収まるのを願うばかりだった。
「じゃあ、入って来なさい」
その言葉の直後、教室のドアがスパァン! とダイナミックに開く。
教壇があるのとは逆の、後方のドアが。
そしてドアの向こうには、予想した通りに銀髪の少女の姿があった。
皆の視線がそちらに集中したので、頭を抱えた裕太の苦悶には誰も気付かない。
腰に手を当て仁王立ちしていたルナは、またスパァン! と勢い良くドアを閉めると、今度は何事もなかったかのように、無表情で前のドアから教室に入ってきた。
「……え?」
「外人……?」
「……何?」
「子供……?」
無駄にインパクトがあるルックスのルナが繰り出す、真意の見えない珍プレーによって、教室内は瞬時に戸惑いの色に支配されていく。
しかし中谷はそこで挫けず、出席簿で教卓を叩いてざわついた空気を強引に中和する。
「はーい、静かにー! じゃあまずは、自己紹介を」
中谷はどうやら、ルナの奇行を丸ごとスルーする判断を下したようだ。
チョークを渡されたルナは、黒板の下の方に『
「
そんな自己紹介を聞かされ、大食いヒロイン狙いを理解している裕太は深い溜息を吐くが、周囲は呆気にとられてポカーンとしている。
気まずい沈黙を打ち破ろうとしてか、中谷は普通なら生徒から飛ぶであろう質問を代弁する。
「え、えーと……相馬さんは、この学校に来る前はどこに?」
「ヨーロッパ各地を転々としたりドンドンとしたり、そんな感じでした」
この瞬間、裕太の脳内に天丼っぽいキャラが歌い上げるメロディが流れたが、他のクラスメイトの大部分の中でも鳴り響いているのが予想される。
「あー……よくわかんないけど、海外生活が長かったって事でいいのかな? それにしては日本語が流暢だね」
「ええ。母は日本人だし、父はフィンランド出身だけど、日本語はベロベロでしたから」
「うん、それって話せるの? 話せないの?」
「問題ありません。むしろペロペロと言ってもいいかもです」
「……あの、相馬さん?」
「何でしょう?」
「あなた、もしかしてふざけてる?」
「真面目にやってこのザマだと思われるのは、かなりショックなんですけど」
「ああ、そう……んじゃま、質問とかあったら、後は本人に勝手に訊いてくれー」
いつもより三割り増しで丁寧な感じだった中谷は、ルナの本性を把握した途端にいつもより六割引き程度のぞんざいさにシフトした。
「席は――そうだな、佐崎の隣が丁度空いてるから、そこな」
「いや、あの、先生。そこは風邪で休んでる小山田さんの席ですけど……」
クラス委員の
「代わりの椅子と机は、放課後にでも空き教室から運んどきな。じゃあ相馬、他の細々とした事は、イトコの佐崎にでも。頼んだぞ、佐崎」
「はぁ……ハァ? イトコ? あ、いや……そうっすね、わかりました」
どうやらルナは、そんな嘘設定を用意していたらしい。
無造作に放り込まれた裕太とルナの親戚関係という新情報によって、教室内はもう収拾がつかない騒然さになりつつある。
「しーずーかーにー!」
中谷が出席簿で教卓をどつき回すが、落ち着きが戻る気配はまるでなく、クラスの視線と話題はルナと裕太に集中した。
そんな状況でも中谷はどうにか出欠をとり、疲れた雰囲気を
興味津々のクラスメートが集まってきそうな気配を察した裕太は、そうなる前にルナの手を掴んで教室から脱出する。
引きずるようにして廊下を全力疾走すると、行き止まりにある非常階段に通じる扉を開け、その踊り場でルナをブン投げ気味に解放した。
「お前なぁあああっ!」
「どうした裕太? 転校生として学校に通う、ってのは朝に説明しただろ」
「そこは納得はしないが理解した! そんなんどうでもよくて、さっきの挨拶は何事だったのか、わかりやすく説明してみてくれるか」
「いや、転校生は第一印象が最重要、ってイオが言ってたから」
「あんな
「確実に面倒クサそうなキャラを演じとけば、誰も必要以上に深入りしてこないだろ? そうすれば、学校の連中は厄介事に巻き込まずに済むんじゃないかな、って」
悪ふざけで大ボケを仕掛けたのかと思いきや、ルナもそれなりに自分達の置かれている環境や、周囲の安全について考えていたらしい。
しかしながら、そういう問題じゃない部分が多すぎる。
「……ルナねぇの意図はわかった。しかしだな、何でそれを事前に打ち合わせしとかないんだよ? 俺らがイトコ同士とか、フィンランド人とのハーフとか、そういうスッポ抜け設定をどこから引っ張って来た!」
「そこはまぁ、シックスセンスとかインスピレーションとかフィーリングで?」
「全部ほぼ一緒じゃねぇか! とりあえず、突拍子もない設定をこれ以上搭載するとか、そういうのは自重する方向で頼むよ」
「
「だからそういうのヤメてくれ、って話を五秒前までしてたつもりだったんだけど、俺の言葉はルナねぇのハートには届いてなかったのか?」
「ああ、どうやら右の耳から左サイドバックへと抜けていったみたい」
「また随分と遠いグラウンドに到着したな! ……あと、いつもの呼び方だと色々と言われそうだから、学校じゃ『ルナ』って呼び捨てにするぞ」
「了解した。あ、それとあたしの設定はクォーターね」
「細かいな……あと、一体どこから転校してきたんだ? それに身分証明とかは?」
「そこはそれ、DFI研究所とコネのあった地下社会の、闇ルートを駆使した裏取引で」
「予想以上に非合法っぽい解答でテンション下がるわ……」
そんな話をしている内に、授業開始を報せるチャイムが聴こえてくる。
裕太とルナは小走りで教室へと戻り、突き刺さる好奇の視線を二人で山分けしながら、隣り合った自分の席へと向かった。