第13話「やったか言うな」
文字数 5,040文字
「……もうしばらく、寝ていて貰いたかったのですが」
電撃のダメージから回復したルナが、静かに移動して背後から仕掛けた飛びヒザ蹴り。
その気配を察知したコブールは、三本の腕で攻撃を受け止めていた。
「あいにく、寝起きはイイ方なんでね」
薄笑いで返したルナは、足首を掴まれた状態で何度も振り回されてから放り投げられ、近くの木立に背中から叩き付けられた。
トラックに牛がハネられたような、生き物が壊れる衝撃音が広がる。
「ぐぁがっ――」
残響の中、断末魔かも知れないルナの呻き声が上がり、裕太の心臓は早鐘を打つ。
だがルナは、薄く血の混ざった唾を吐き捨てると平然と起き上がり、首や肩を回して派手な音を鳴らしている。
それを確認したコブールは、ルナを睨みながら憎々しげに言う。
「ほう……噂に聞く通り、怪物じみた回復能力ですね」
「パッと見じゃあアンタの方が、八馬身リードでバケモノだけどな」
対峙するコブールとルナを見る視界の端で、猫耳女が警棒を構え直すのが確認できた。
手足に感覚が戻ってきた裕太は、女の足首に狙いを定めて薙ぎ払うように裏拳を放つ。
「らぁん!」
予期せぬ低空横殴りに対応できず、猫耳女は情けない声を漏らしながら転倒し、警棒は下生えに転がる。
まだ動きが鈍い体を引きずって女の背に跨 った裕太は、逃げようともがく相手の右腕を後ろ手に捻り上げた。
「あぁががががががががががっ! ギブギブギブギブぎぶぇあっ、あふぅ――」
悲鳴とギブアップ宣言を無視して、裕太は力を込め続ける。
十数秒で何かが砕ける鈍い音が響き、猫耳女は意識を失った。
骨折音を合図にしたように、ルナはコブールに向かって全速力で駆け出す。
宙を舞う粘着質の糸を掻い潜り、ルナは素早く距離を詰めていく。
高速で展開する両者の戦いを横目で見ながら、裕太は猫耳女が手放した警棒を回収する。
コブールは接近戦を嫌ってか、糸だけではなく長い針を飛ばして牽制しつつ、網で障壁 を張ってルナを近付けまいとしていた。
「流石は闇討ち専門の虫けらちゃん。ヘタレた戦いっぷりは筋金入りだな!」
「フッ、そういう下衆な煽りが通用するのは、貴女と同程度の低能だけです」
ルナの罵声を一笑に付すと、コブールは垂直跳びで上空へと姿を消した。
「またか!」
ガサッ、バサッ、と樹上を慌しく移動する音が響く。
そして、裕太を捕らえようと糸の塊が発射された。
「よけろ裕太っ!」
ルナの声は聞こえていたし、飛来する糸も見えていた。
だが、裕太はその場を動かない――ある閃きを実行するために。
落ち着いて糸の軌道を見切ると、それを電磁警棒で受け止めて綿飴 のようにグルグルと巻き付け、手元のスイッチを入れる。
「うごぁああああああああああああああああ!」
電流を流して数秒、コブールが獣めいた咆哮 を吐き散らしながら降ってきた。
数多い手足は妙な具合に痙攣 し、断続的に奇声を発している。
想像以上に莫大なダメージを与えたのは、糸が体内と繋がっていたからだろうか。
コブールがのたうち回ったせいで警棒は壊れたが、思い付きの攻撃としては望外の戦果だ。
「……やったか?」
「やったか言うな――ホラ、そのパターンだと次はこうなるだろ、裕太」
ルナが指差した先で、コブールが凶暴な殺気を散らしながら立ち上がろうとしていた。
「ありゃ相当アタマに血が上ってるな……この森を抜けた先は?」
「川沿いに出る、ハズ」
「よし。転進するぞ」
退却を言い換えつつ駆け出したルナを追って、裕太も全力で走る。
背後からは、何事かを喚きながらコブールが追ってくるが、怒りに我を忘れると同時に我の能力も忘れてしまったらしく、糸も針も使わない素の疾走ぶりだ。
それほど時間もかからず、各種雑草とゴミに占領された川岸に出た。
ルナが足を止めたので、裕太も立ち止まって呼吸を整える。
市内中心部を流れる黒砂川の支流、御分川 。
近くの工場から漂ってくる悪臭から『ゴム川』とアダ名されるこの川は、整備が進んでいないので川沿いを散歩する人もなく、水質が悪いので釣り人も寄り付かない場所だったが、この状況では人気のなさが逆に有難い。
「ふげぁはるぁ! しゃあぁあーらぁ!」
間を置かずに現れた興奮状態のコブールは、奇声を発しながらルナに掴みかかろうと数本の腕を伸ばしてくる。
地面を転がって突進を避けたルナは、ブーツの底に仕込んであった広刃のナイフを抜く。
そして、勢い余ってセイタカアワダチソウの草叢 に突入したコブールを追い、その背中に取り付いてから右脇腹へと刃を突き立てた。
「ふぐぁ! ち、調子にっ、乗るなあっ!」
三本の腕がルナの制服を掴み、その体を不法投棄された粗大ゴミの山へと叩き込む。
コブールの脇腹からは、赤黒い血と濃黄の汁が流れている。
反撃が早かったからか、そこまで深い傷は負わせられなかったみたいだ。
荒く呼吸するコブールの視線が、ゴミ山を離れて裕太へと向かう。
「不愉快、ですね……貴方の立場でしたら、もっと……怯えた眼をして、くれませんと」
息はまだ乱れているが、先程までの狂乱が幻に思える程に冷静さを回復している。
裕太は足元に転がっていたソフトボール大の石を拾い上げると、それを握り込んで開幕が直前に迫っているであろう戦闘に備えた。
「さて、と――ぅぼっ!」
何事かを語ろうとした所で、飛来した旧型テレビがコブールを直撃する。
ブラウン管が低い破裂音を立て、蜘蛛女の頭部を飲み込んだ。
「おいコブール! 見た目が虫だからって頭の中までバグってんのか? あたしに半端な攻撃は効かないんだよ!」
ゴミの中に混ざっていたのであろう、鉄筋の先にコンクリ塊の付いたハンマー状の物体を担いだルナが、無秩序に生い茂るマツヨイグサの絨毯 を踏み越えて、裕太の傍へと戻ってくる。
テレビ画面から頭を抜いたコブールは、血と鉛硝子の破片に塗れた顔を憤怒で歪ませ、表音不能の唸り声を吐き出した。
「――――――――ッ!」
表音不能な叫声と共に、コブールがテレビを投げる。
「とあっ!」
ルナは即席ハンマーのフルスイングで、それを一塁線方向へと弾き返す。
「貴方達は、本当に忌々しいですね……冷静さに定評のある私でも、つい指示を無視して四肢を引き裂き、臓物を抉り出して豚の餌として提供したくなってきます」
「ボロボロなクセに、相変わらずのビッグマウスだな。お前みたいな貧相なババアを先鋒に送り出さなきゃならない、セイの人材不足には同情するぞ」
「戯言を……ではそろそろ、終わりにさせて頂きましょうか」
コブールの意識が自分に向いたのを感じた裕太は、握っていた石を投げようとするが、それより早く糸が上半身に絡み付き、石は虚しく足下を転がって川に水没する。
「ったく、ワンパターンなんだよっ!」
ルナが糸を断ち切ろうとするが、コブールは身動きの取れない裕太の体を振り回すと、勢いを付けて流れの真ん中辺りへと投げ入れた。
流れは緩いが数メートルの水深、それに加えて両腕の自由が利かない状態。
裕太は当然ながらすぐに溺れ、鼻と口から汚水を大量に吸引してしまう。
ルナは救助に向かおうとするが、コブールの牽制で思うように動けない。
そこで更に、背後から何者かの気配が接近する。
「誰だっ!」
ルナが振り向き様にハンマーもどきを叩き込むと、右腕をブラつかせた猫耳女の顔面が盛大に破裂――したかに見えたが、手応えは全くない。
空振りでバランスを崩したルナの横をすり抜け、『遊星からの物体X』のクリーチャー犬みたいな容姿になった女が川に飛び込んだ。
猫のようなシルエットに頭から飛び出す触手――どうやら彼女はクリオネの改造人間らしい。
そして頭部から何本もの触手を伸ばして裕太の体を絡め取り、下流に向かってかなりのスピードで泳ぎ去っていく。
「スパイディもどきだからって、ブッサイクなヒロインまで連れてくんなよ!」
怒鳴りながらルナは力押しで突破しようとするが、コブールは四つん這い――もとい、八つん這いになって攻撃をかわし、その姿勢のまま川の方へ後退っていく。
コブールの体は透明度の低い水面を、アメンボみたいに滑る。
裕太はそんな光景を飛沫 越しに見ながら、そういやハシリグモだかミズグモだかは水の上を歩けたな、と酸素不足の頭でボンヤリと考えていた。
コブールとクリオネ女を追うルナだったが、水中と水上の移動に適応した特性を持っているらしい相手のスピードに対抗できず、徐々に引き離されてしまう。
ルナの姿が見えなくなり、意識も薄れ始めて「コレは本気でマズいかな」と裕太が感じ始めたタイミングで、妙な物音が押し寄せてきた。
「ぬごぁあああああああああああっ!」
濁った叫びと、ノイズ混じりの車輪の回転音。
ぼやける裕太の視界に、サドルのないママチャリで爆走するルナの姿が映る。
荒れ放題の道を強引に走破したルナは、無造作に土嚢 が積んである場所を見つけると、そこをジャンプ台にノンブレーキで空中に飛び出した。
ルナはカゴに突っ込んでおいたハンマーもどきをコブールに投げつつ、クリオネ女に自転車ごとの体当たりを敢行する。
その迷いのない動きを予期できなかったクリオネ女は、時速五十キロ前後まで加速されルナの重量も乗ったママチャリに直撃され、車体と共に川の底に沈んでいった。
コブールも咄嗟の事で反応が間に合わなかったのか、コンクリ塊に側頭部を痛打され、致命的なダメージを受けた様相で川面に血飛沫を散らした。
二体を同時に片付けたルナは、裕太を縛っていた糸をナイフで解くと、その体を岸辺に引っ張り上げながら訊いてくる。
「大丈夫か、裕太」
「ごぁ、べへっ……ああ……でも、携帯と財布が再起不能になったくさい」
「そいつは御愁傷様 だが、脳髄いじり壊されるよりはマシだろ」
「まぁな……そっちの被害状況は?」
「携帯はカバンの中だし財布も持ってない。強いて言えば、シャツが絶妙な濡れ透け具合で、ヴィジュアル的にR指定に片足突っ込んでるコトかな」
スポーティなブラに透けられてもあんまり――などと裕太が失礼な事を考えていると、川の方から大きく水音がはねる。
見れば、どんなヤブ医者でも絶対安静を厳命するであろう状況のコブールが、意外にもシッカリとした足取りでコチラへと向かってくる。
「……ぐ……おぉ」
「死んだフリしとけば、見逃してやらんでもなかったのに……」
呆れ顔と疲れ顔をゴチャ混ぜた表情を見せながら、ルナは仕舞ったナイフを再び抜き出し、コブールとの間合いをゆっくり詰めていく。
「くっ……無理は承知ですが、あの方の理想のためなら……みっともない行動の一つもしたくなる、のですよ」
「確かに無様だな。奥の手はまた毒針か? それとも毒刃か? 掟破りの毒饅頭か?」
水際で立ち止まったルナの醒めた視線が、水に浸かったままのコブールの腕を捉える。
コブールは歯軋 りしながら顔を顰 め、一拍置いて何かを思い切るように叫ぶ。
「わかっていても――避けられないハズっ!」
水中にあった三本の長い腕、その指先に挟み込まれていた九本のダーツが、水玉を盛大に散らしながら放たれる。
窮余 の一策とは言え、至近距離から飛び道具を駆使し、しかも広範囲をカバーするその攻撃は、コブールに土壇場の逆転劇をもたらすかに見えた。
しかしルナは不用意な回避運動をせず、放置すれば自分に当たる三本をナイフで弾き、残りの六本をスルー。
一瞬、呆然とした表情を見せたコブールだったが、間もなく自失から回復してルナに駆け寄り、糸を繰りつつ低い体勢から何事かを仕掛けようと試みる。
それを見切ったルナは、突っ込んできたコブールの頭部を抱え込むと、フロント・ネックロックの体勢へと持ち込んだ。
電撃のダメージから回復したルナが、静かに移動して背後から仕掛けた飛びヒザ蹴り。
その気配を察知したコブールは、三本の腕で攻撃を受け止めていた。
「あいにく、寝起きはイイ方なんでね」
薄笑いで返したルナは、足首を掴まれた状態で何度も振り回されてから放り投げられ、近くの木立に背中から叩き付けられた。
トラックに牛がハネられたような、生き物が壊れる衝撃音が広がる。
「ぐぁがっ――」
残響の中、断末魔かも知れないルナの呻き声が上がり、裕太の心臓は早鐘を打つ。
だがルナは、薄く血の混ざった唾を吐き捨てると平然と起き上がり、首や肩を回して派手な音を鳴らしている。
それを確認したコブールは、ルナを睨みながら憎々しげに言う。
「ほう……噂に聞く通り、怪物じみた回復能力ですね」
「パッと見じゃあアンタの方が、八馬身リードでバケモノだけどな」
対峙するコブールとルナを見る視界の端で、猫耳女が警棒を構え直すのが確認できた。
手足に感覚が戻ってきた裕太は、女の足首に狙いを定めて薙ぎ払うように裏拳を放つ。
「らぁん!」
予期せぬ低空横殴りに対応できず、猫耳女は情けない声を漏らしながら転倒し、警棒は下生えに転がる。
まだ動きが鈍い体を引きずって女の背に
「あぁががががががががががっ! ギブギブギブギブぎぶぇあっ、あふぅ――」
悲鳴とギブアップ宣言を無視して、裕太は力を込め続ける。
十数秒で何かが砕ける鈍い音が響き、猫耳女は意識を失った。
骨折音を合図にしたように、ルナはコブールに向かって全速力で駆け出す。
宙を舞う粘着質の糸を掻い潜り、ルナは素早く距離を詰めていく。
高速で展開する両者の戦いを横目で見ながら、裕太は猫耳女が手放した警棒を回収する。
コブールは接近戦を嫌ってか、糸だけではなく長い針を飛ばして牽制しつつ、網で
「流石は闇討ち専門の虫けらちゃん。ヘタレた戦いっぷりは筋金入りだな!」
「フッ、そういう下衆な煽りが通用するのは、貴女と同程度の低能だけです」
ルナの罵声を一笑に付すと、コブールは垂直跳びで上空へと姿を消した。
「またか!」
ガサッ、バサッ、と樹上を慌しく移動する音が響く。
そして、裕太を捕らえようと糸の塊が発射された。
「よけろ裕太っ!」
ルナの声は聞こえていたし、飛来する糸も見えていた。
だが、裕太はその場を動かない――ある閃きを実行するために。
落ち着いて糸の軌道を見切ると、それを電磁警棒で受け止めて
「うごぁああああああああああああああああ!」
電流を流して数秒、コブールが獣めいた
数多い手足は妙な具合に
想像以上に莫大なダメージを与えたのは、糸が体内と繋がっていたからだろうか。
コブールがのたうち回ったせいで警棒は壊れたが、思い付きの攻撃としては望外の戦果だ。
「……やったか?」
「やったか言うな――ホラ、そのパターンだと次はこうなるだろ、裕太」
ルナが指差した先で、コブールが凶暴な殺気を散らしながら立ち上がろうとしていた。
「ありゃ相当アタマに血が上ってるな……この森を抜けた先は?」
「川沿いに出る、ハズ」
「よし。転進するぞ」
退却を言い換えつつ駆け出したルナを追って、裕太も全力で走る。
背後からは、何事かを喚きながらコブールが追ってくるが、怒りに我を忘れると同時に我の能力も忘れてしまったらしく、糸も針も使わない素の疾走ぶりだ。
それほど時間もかからず、各種雑草とゴミに占領された川岸に出た。
ルナが足を止めたので、裕太も立ち止まって呼吸を整える。
市内中心部を流れる黒砂川の支流、
近くの工場から漂ってくる悪臭から『ゴム川』とアダ名されるこの川は、整備が進んでいないので川沿いを散歩する人もなく、水質が悪いので釣り人も寄り付かない場所だったが、この状況では人気のなさが逆に有難い。
「ふげぁはるぁ! しゃあぁあーらぁ!」
間を置かずに現れた興奮状態のコブールは、奇声を発しながらルナに掴みかかろうと数本の腕を伸ばしてくる。
地面を転がって突進を避けたルナは、ブーツの底に仕込んであった広刃のナイフを抜く。
そして、勢い余ってセイタカアワダチソウの
「ふぐぁ! ち、調子にっ、乗るなあっ!」
三本の腕がルナの制服を掴み、その体を不法投棄された粗大ゴミの山へと叩き込む。
コブールの脇腹からは、赤黒い血と濃黄の汁が流れている。
反撃が早かったからか、そこまで深い傷は負わせられなかったみたいだ。
荒く呼吸するコブールの視線が、ゴミ山を離れて裕太へと向かう。
「不愉快、ですね……貴方の立場でしたら、もっと……怯えた眼をして、くれませんと」
息はまだ乱れているが、先程までの狂乱が幻に思える程に冷静さを回復している。
裕太は足元に転がっていたソフトボール大の石を拾い上げると、それを握り込んで開幕が直前に迫っているであろう戦闘に備えた。
「さて、と――ぅぼっ!」
何事かを語ろうとした所で、飛来した旧型テレビがコブールを直撃する。
ブラウン管が低い破裂音を立て、蜘蛛女の頭部を飲み込んだ。
「おいコブール! 見た目が虫だからって頭の中までバグってんのか? あたしに半端な攻撃は効かないんだよ!」
ゴミの中に混ざっていたのであろう、鉄筋の先にコンクリ塊の付いたハンマー状の物体を担いだルナが、無秩序に生い茂るマツヨイグサの
テレビ画面から頭を抜いたコブールは、血と鉛硝子の破片に塗れた顔を憤怒で歪ませ、表音不能の唸り声を吐き出した。
「――――――――ッ!」
表音不能な叫声と共に、コブールがテレビを投げる。
「とあっ!」
ルナは即席ハンマーのフルスイングで、それを一塁線方向へと弾き返す。
「貴方達は、本当に忌々しいですね……冷静さに定評のある私でも、つい指示を無視して四肢を引き裂き、臓物を抉り出して豚の餌として提供したくなってきます」
「ボロボロなクセに、相変わらずのビッグマウスだな。お前みたいな貧相なババアを先鋒に送り出さなきゃならない、セイの人材不足には同情するぞ」
「戯言を……ではそろそろ、終わりにさせて頂きましょうか」
コブールの意識が自分に向いたのを感じた裕太は、握っていた石を投げようとするが、それより早く糸が上半身に絡み付き、石は虚しく足下を転がって川に水没する。
「ったく、ワンパターンなんだよっ!」
ルナが糸を断ち切ろうとするが、コブールは身動きの取れない裕太の体を振り回すと、勢いを付けて流れの真ん中辺りへと投げ入れた。
流れは緩いが数メートルの水深、それに加えて両腕の自由が利かない状態。
裕太は当然ながらすぐに溺れ、鼻と口から汚水を大量に吸引してしまう。
ルナは救助に向かおうとするが、コブールの牽制で思うように動けない。
そこで更に、背後から何者かの気配が接近する。
「誰だっ!」
ルナが振り向き様にハンマーもどきを叩き込むと、右腕をブラつかせた猫耳女の顔面が盛大に破裂――したかに見えたが、手応えは全くない。
空振りでバランスを崩したルナの横をすり抜け、『遊星からの物体X』のクリーチャー犬みたいな容姿になった女が川に飛び込んだ。
猫のようなシルエットに頭から飛び出す触手――どうやら彼女はクリオネの改造人間らしい。
そして頭部から何本もの触手を伸ばして裕太の体を絡め取り、下流に向かってかなりのスピードで泳ぎ去っていく。
「スパイディもどきだからって、ブッサイクなヒロインまで連れてくんなよ!」
怒鳴りながらルナは力押しで突破しようとするが、コブールは四つん這い――もとい、八つん這いになって攻撃をかわし、その姿勢のまま川の方へ後退っていく。
コブールの体は透明度の低い水面を、アメンボみたいに滑る。
裕太はそんな光景を
コブールとクリオネ女を追うルナだったが、水中と水上の移動に適応した特性を持っているらしい相手のスピードに対抗できず、徐々に引き離されてしまう。
ルナの姿が見えなくなり、意識も薄れ始めて「コレは本気でマズいかな」と裕太が感じ始めたタイミングで、妙な物音が押し寄せてきた。
「ぬごぁあああああああああああっ!」
濁った叫びと、ノイズ混じりの車輪の回転音。
ぼやける裕太の視界に、サドルのないママチャリで爆走するルナの姿が映る。
荒れ放題の道を強引に走破したルナは、無造作に
ルナはカゴに突っ込んでおいたハンマーもどきをコブールに投げつつ、クリオネ女に自転車ごとの体当たりを敢行する。
その迷いのない動きを予期できなかったクリオネ女は、時速五十キロ前後まで加速されルナの重量も乗ったママチャリに直撃され、車体と共に川の底に沈んでいった。
コブールも咄嗟の事で反応が間に合わなかったのか、コンクリ塊に側頭部を痛打され、致命的なダメージを受けた様相で川面に血飛沫を散らした。
二体を同時に片付けたルナは、裕太を縛っていた糸をナイフで解くと、その体を岸辺に引っ張り上げながら訊いてくる。
「大丈夫か、裕太」
「ごぁ、べへっ……ああ……でも、携帯と財布が再起不能になったくさい」
「そいつは
「まぁな……そっちの被害状況は?」
「携帯はカバンの中だし財布も持ってない。強いて言えば、シャツが絶妙な濡れ透け具合で、ヴィジュアル的にR指定に片足突っ込んでるコトかな」
スポーティなブラに透けられてもあんまり――などと裕太が失礼な事を考えていると、川の方から大きく水音がはねる。
見れば、どんなヤブ医者でも絶対安静を厳命するであろう状況のコブールが、意外にもシッカリとした足取りでコチラへと向かってくる。
「……ぐ……おぉ」
「死んだフリしとけば、見逃してやらんでもなかったのに……」
呆れ顔と疲れ顔をゴチャ混ぜた表情を見せながら、ルナは仕舞ったナイフを再び抜き出し、コブールとの間合いをゆっくり詰めていく。
「くっ……無理は承知ですが、あの方の理想のためなら……みっともない行動の一つもしたくなる、のですよ」
「確かに無様だな。奥の手はまた毒針か? それとも毒刃か? 掟破りの毒饅頭か?」
水際で立ち止まったルナの醒めた視線が、水に浸かったままのコブールの腕を捉える。
コブールは
「わかっていても――避けられないハズっ!」
水中にあった三本の長い腕、その指先に挟み込まれていた九本のダーツが、水玉を盛大に散らしながら放たれる。
しかしルナは不用意な回避運動をせず、放置すれば自分に当たる三本をナイフで弾き、残りの六本をスルー。
一瞬、呆然とした表情を見せたコブールだったが、間もなく自失から回復してルナに駆け寄り、糸を繰りつつ低い体勢から何事かを仕掛けようと試みる。
それを見切ったルナは、突っ込んできたコブールの頭部を抱え込むと、フロント・ネックロックの体勢へと持ち込んだ。