第3話「その汚ねぇシミがお前のパパだ」

文字数 6,613文字

 体感時間だと、次の瞬間。
 大きな揺れを感じて目を覚ました裕太は、頭から薄手の毛布を被せられているのに気付く。

「おぉ、おおぁっえぇんぁ……」

 おい、どうなってんだ――そう叫んだつもりなのに、まともに音声化されない。
 口内の違和感からして、猿轡(さるぐつわ)でも噛まされているのか。
 起き上がろうとした裕太の耳に、紫の冷たい声が届く。

「動かないで下さい」

 そこに含まれた剣呑(けんのん)さを感じ取った裕太は、言われた通りに動きを止める。
 結束バンドか何かで後ろ手に縛られていて、動きたくてもろくに動けなかったのだが。

「もうすぐ、研究所に着きます。そこであなたには一通りの事情を説明しますから、もう少しそのままでお願いします」

 呼び方が『裕太君』から『あなた』に変わり、物言いのトーンも突き放し気味になった。
 本能が脳内に発するけたたましい警戒音を聞き流しながら、裕太はこの状況を脱する手段を見つけようと、忙しく頭を回転させる。

 しかし、紫とその仲間がどういうつもりで行動しているのかが見えてこないので、しばらくは流れに身を任せるしかない、との消極的な結論しか出てこなかった。
 随分と揺れるが、舗装(ほそう)されていない山道でも走っているんだろうか――(ほこり)っぽい毛布の中でそんな推理をしていると、紫の話し声が聞こえてくる。

「――はい、目標を無事に確保しました――タルミネの研究所に――了解しました」

 相手の声が聞こえないので、車内の誰かとではなく、どこかに電話していたのだろう。
 垂峰(たるみね)というのは確か、隣県にある山ばっかりの田舎町だ。
 人口密度は低いだろうから、怪しげな研究をするには(あつら)え向きかも知れない。
 そんな考察をしている内に車が停まり、裕太は被されていた毛布を剥ぎ取られた。

 窓から見えるのは、鬱蒼(うっそう)とした森の中で不自然に開けた場所。
 そこにある飾り気のない灰色の角張った建物が、さっき話していた『垂峰の研究所』なのか。
 敷地は広いが、研究所自体はそれほどの規模でもないのか、高さも三階建てくらいだ。

「着きましたよ」

 紫が静かにそう告げ、背後から伸びた太い腕によって裕太の猿轡が外された。
 その前に『騒ぐな』的な警告がされなかったのは、騒いでも無駄だからだろう。

「ついでに手の方も外してくれないかな」

 ゴリラもどきの方を振り返りながら言ってみる裕太だが、愛想笑いすら返ってこない。
 そして、腕を掴まれて少々荒っぽく車から降ろされた。

「あの、さっき言ってた事情の説明っての、お願いしてもいいですか?」

 自分がのっぴきならない状況へ追い込まれつつあると悟った裕太は、とりあえずどこまで危険が迫っているのかを確かめようと、助手席から降りてきた紫に訊いてみる。

「あなたはね、カギなんですよ」
「……カギ?」
「生体認証、ってわかりますか?」

 裕太が首を(かし)げると、紫はまた小さく溜息を吐いて説明を続ける。

「方法は色々とあるのですけど、指紋や声紋や掌の静脈パターン、その他に虹彩(こうさい)網膜(もうまく)といった、個人差がある部位の情報を元に行うのが一般的です。本人確認を行うのを目的としたこの技術は、現在は主にセキュリティに利用されています」
「ああ、映画でそんなのを見たような気が」
「この研究所内でもそれが使われていまして、ある場所のロックを解除するのに、あなたの生体情報が必要なのです」
「へぇ……でも、何で俺が?」
「私にはわかりかねます。設定したのは博士ですから」

 丁寧ではあるが感情の入っていない物言いに、裕太の警戒心はジリジリと高まってゆく。



「それにしても、どうしてこんな誘拐みたいな形で? 何がしたいのか知らんけど、ちゃんと話してくれたら協力したのに……もしかして、親父の怪我とか事故ってのから全部が嘘?」

 希望的観測を込めつつ訊いてみるが、紫は素気なく頭を振る。

「事故が起きて、博士が怪我をしたのは本当です。それと、あなたの扱いがこうなったのは、テストの結果を受けてのものです」
「テストって、そんなのいつ――」
「まず、学校にかけた電話での受け答え」

 裕太の問いを(さえぎ)った紫は、右手を突き出して人差し指をピッと立ててくる。

「名前も名乗らず、簡単な事情説明すらしない。そんな相手から呼び出されているのに、あなたは軽々しく応じました」
「それは、急に事故だ何だって話で」
「だとしても、です。私が誰で博士とどういう関係なのか、それと博士の怪我がどの程度で、何処の病院に搬送されたのか、などの質問は最低限しておくべきでした。これでは、振り込め詐欺に引っかかる老人と大差ありません」

 言われてみればその通りだ――裕太が言葉に詰まっていると、紫は中指も立てる。

「次は、学校前で車に乗る際。私はここで名乗りもしてないのに、あなたは何も疑わずに平然と乗り込んできました。これでは『お母さんが事故にあったから病院に行こう』と言われて、見知らぬ相手の車に乗ってしまう油断した小学生と同レベルです」
「いやいや、まさか男子高校生が誘拐されるとは思わ――」
「ここでも、身分証明書を提示させたり、教師と一緒に待ち合わせ場所に来て、私達の姿を目撃させておく等の行動が必要でした」

 反論の余地が見当たらずに(うな)る裕太に、紫は薬指も合わせて三本の指を立てる。

「ついでに、あなたがどの程度まで事情を把握しているのか、車内の会話でそれを確かめようとしたのですが、ほぼ何も知らない状態でした」
「そう言われても、実際何も知らされてなかったし――」
「更には、初対面の相手から渡された飲物、それを躊躇(ちゅうちょ)せずに口にしましたね。警戒心がないにも程がある行動を取ったこの時点で、あなたを協力者にする計画は放棄され、カギとしての役割だけを果たしてもらう、と決定されました。ちなみに、拘束と猿轡は無駄な騒ぎを起こされないための用心です」
「そんなん言われても……まさか一服盛られる状況が、自分の日常で発生するとは」
「自分の父親が事故に遭って怪我をした、というのを日常に分類するのはどうでしょう?」

 返す言葉もなかったので、裕太はもう黙るしかなかった。



「まぁ、アレだ。お前みたいなアホに丁寧に説明したって理解不能だろうから、説得の過程をすっ飛ばしたってこったな」

 人を全力で小馬鹿にした口調で、男の声が割り込んできた。
 ゴリラもどきか、と後ろを振り返りかけるが、声が発せられたのは後ろではなく車の方だ。
 そこで裕太は、ここまで車を運転してきた人物がいたのを思い出す。

 運転席から降りてきた男は、白衣ではなく作業着らしいカーキ色の服を着ている。
 半端に伸びた髪を六四程度でゆるく分けていて、身長は裕太と同程度でやや痩せ型。
 三十代の半ば位で顔は平凡な造作だったが、黒ずんだ顔色と険のある目付きが異様に目立っている。

「……あ?」

 悪意全開の物腰で登場した相手に、裕太はついチンピラ風味の応答を返してしまう。
 だが作業着の男は、鼻で笑って雑言を重ねてきた。

「鈴森クンもな、こんなガキんちょに気を遣う必要ないって」
「しかし宇野(うの)さん、彼は佐崎博士の息子ですし――」
「佐崎サンは佐崎サン、このガキはこのガキでしょう。チャッチャとまぁやるコトだけやってもらってね、サッサと退場願いましょうや」

 裕太は宇野と呼ばれた男を敵と認定し、不健全な視線を送り込む。
 だが宇野は不遜(ふそん)な態度を崩そうとはせず、薄ら笑いを浮かべて裕太を(にら)み返す。
 暴れても状況が悪化するだけ――そう言い聞かせて自分を落ち着かせようとする裕太の前に進み出たゴリラもどきは、「そっちへ行け」と言うように黙って研究所の方を指差す。

「チンタラしてねえで、キビキビ歩けって。コッチもヒマじゃねえんだから、なっ!」

 歩き出した裕太の尻に、宇野が左足で蹴りを入れてきた。
 何かしらの格闘技を経験している人間による、体重の乗った鋭い蹴りだ。

「うぉ――っと!」

 バランスを崩して顔面から着地しかけるが、体の傾きが四十五度になった辺りで急停止した。
 どうやらゴリラもどきが、倒れる前に制服の(えり)を掴んでくれたようだ。

「宇野さん……いい加減にして下さい」
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ。馬鹿ガキを相手にしてっと、ついストレスが溜まってな」

 紫が呆れ半分に(なだ)めるが、宇野は顔色の悪さに性格の悪さが混入している、何とも言えない不快な表情を浮かべて(うそぶ)く。
 そんな宇野の面を見ている内に、裕太の煮えかけていた頭は急速に冷える。
 怒りが一定のラインを越えると人間は逆に醒める、というのを本で読んだことはあったが、あれは本当らしいな――そんなことを考えつつ、裕太はゴリラもどきについていった。
 


 来客を歓迎する雰囲気が微塵(みじん)もない無機質な入口に辿り着くと、紫がカードキーを使って金属製の分厚いドアを開けた。
 そして四人は紫、裕太、宇野、ゴリラもどきの順番で建物内へと入る。

 建物内は明かりが点いているが、どうにも薄暗さが否めない。
 窓がないのも原因の一つだろうが、それよりも照明の大部分が壊れているのが、あからさまに悪影響を及ぼしている――が、照明がどうとかの次元ではない。
 建物の内部全体が、まるで爆撃を受けた直後のような惨状を呈しているのだ。

「これは……」
「問題ありません。研究所の主要部分は地下ですから」
「いや、問題はそこじゃなくて」

 廃墟そのものの情景にたじろぐ裕太に構わず、紫は床に散らばっている何かの破片や、焦げて固まった書類の束を踏み越えて進む。
 壁や床の所々に飛び散った赤黒いシミも、平然と無視している様子だ。
 そして、エレベーターの前で再びカードキーを取り出した紫は、それを壁の操作パネルに付属したリーダーに通した。

 エレベーターは周辺の破滅的状況とは無縁だったらしく、乗り込んでボタンを押すとスムーズに降下を始めた。
 微かな駆動音だけが響く箱の中、募る不安を少しでも解消したい裕太は、紫に話しかける。

「あの、鈴森さん……結局のところ、俺に何をしろと?」
「先程も言いましたが、生体認証のロックを解除してもらうだけです」
「あの、そこら辺の説明をもう少し、具体的にお願いできませんか」
「ガッタガタうるせぇな! お前は『お願い』されるんじゃなくて、『命令』される立場だっての、いい加減に気付けよ。やれって言われたコトやりゃ、それでイイんだって」

 お呼びじゃないタイミングで、背後から宇野の大声が話に割り込んでくる。
 反論するのも忌々しかったので、裕太は振り返りもせずに会話を切り上げた。
 そうこうする内にエレベーターは目的の階に着いたようで、ゆっくりと扉が開く。

「うぉ、何だこりゃ……」

 思わずそう呟いた裕太の視界に飛び込んできたのは、非常用であろう半端な照明が浮かび上がらせた、地上階に勝るとも劣らない状態に破壊された光景だった。
 壁の至る所に派手な亀裂が走り、穴だらけの床は不可思議な歪みを生じさせている。
 そして、機械の部品やガラス器具の破片、切断されたコードや捻れたパイプ、原形を留めない程に熔けた金属塊などが、凄まじい荒廃に寒々しいアクセントを加えている。

「処理する時間がなかったので、この辺りは多少散らかっています。足下に気を付けて下さい」

 気を付けるべきポイントは他にも山盛りなんじゃなかろうか、と思いながら裕太は先を進む紫の後ろを黙ってついていく。
 機能を失った自動ドアをいくつか抜け、極彩色(ごくさいしき)の水溜りが散在する廊下を何本か渡り、元の用途が想像できない焼け焦げた部屋や、人体に有害そうな臭気が充満した空間を通過する。
 そんなツッコミ所だらけの絵面をスルーし続けるのに耐えられなくなり、裕太は紫にまた質問をぶつけてみた。

「あの、事故ってのはどういう――」
「だぁから! お前にはそれ関係ねぇんだって」

 宇野は(かん)(さわ)る口調でそう言いながら、裕太の後頭部を平手で叩く。
 振り向いた紫は(とが)めるような視線を宇野に向けるが、何を言っても無駄だと諦めているのか、それ以上の行動は起こさない。
 裕太も「この馬鹿はいずれブン殴る」という決意だけを固め、さっきと同様に宇野の存在を無視することにした。

 それから、巨大な圧力を加えられて強引に()()けられたのであろうドアの残骸をまたぎ、以前はモニターや計器類が並んでいたと予想される部屋へと入った。
 建物内の荒れ方から、偶発的な爆発や火災ではない特殊な事故が発生したのではないかと推測していたが、この場にはそれを裏付ける人為的な攻撃の痕跡があった。
 裕太の脳裏に、『襲撃』や『内紛』といった、物騒な単語がいくつも思い浮ぶ。
 


 その奥にあるドアが開けられると、今までの壊れた無機物ばかりの景色から一変し、鮮やかな緑色が視界に飛び込んできた。
 しかし、そこに生い茂る植物に疑問を感じた裕太は、念のため紫に確認してみる。

「コイツはひょっとすると、マリファナってヤツなんじゃ」
「その通りです。実験に必要な薬品の材料となるので、ここで栽培されていました」

 表情を変えずに質問に答える紫には、大麻取締法を気にした様子はまるで含まれていない。
 濃厚な青臭さを放つ非合法な畑を抜けるとまたドアがあり、その前で紫は足を止めた。

「宇野さん、お願いします」
「へーいへい」

 だらしない返事とほぼ同時に、裕太の両手を縛っていた結束バンドが断ち切られた。

「ここで俺の出番?」
「いえ……だけど、もうすぐです」

 裕太からの質問に答えながら、紫はカードキーをドア脇に設置されたリーダーに通し、それから横にあるセンサーらしき部分に自分の手を翳す。
 すると、軽快な電子音が短く響き、続いてロックが外れるような金属音がした。

「なるほど、今のが生体認証」
「このレベルなら、私でも通れるのですが」

 そんな話をしながら入った部屋はまさしく研究室といった(おもむ)きで、用途がサッパリわからない装置や器具が揃えられている。
 これまでと違って、破壊の痕跡が殆どない室内を見回してみた裕太は、父親の愛用品とよく似た腕時計が机の上に置いてあるのに気付いた。

「あの……ここって、親父が使ってた部屋だったりします?」
「ええ、主に佐崎博士が使ってらした二特――第二特別研究室です」
「で、その親父はどこに?」
「そこだ、ホラ」

 宇野が面倒臭そうに、部屋の隅を指差す。

「何、言ってんだ?」

 話が飲み込めない裕太だったが、指の先にある机をゴリラもどきが移動させると、半ば乾いて黒っぽく変色している、結構な量の血溜まりが姿を現した。

「見ての通り、その汚ねぇシミがお前のパパだ」

 フザケた態度だが目は笑っていない宇野の言葉に、裕太の心身に緊張が走る。

「お前ら……親父に、何をした?」
「……事故、だったのです」

 十秒近い沈黙の後で、紫が口を開いた。

「この研究所では、遺伝子操作を中心とした実験を行っていました。その一環として合成生物も製造されていたのですが、昨夜その一部が暴走し、施設を破壊しながら逃亡しました。それに巻き込まれ、博士は現在行方不明です。しかし、残された血痕の量と――」
「このザマからして、まぁ死んでるわな」

 半笑いの宇野は、作業着のポケットからジッパー付きのビニール袋を取り出し、それを裕太に向けてプラプラと揺らす。
 袋の中に入っているのは、男性のものらしい切断された左手首。
 獣に(かじ)られたような傷跡があり、数本の指が欠け落ちている。
 だが、無事に残った薬指のプラチナリングは、範章の結婚指輪に間違いなかった。
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登場人物紹介

佐崎裕太(ささきゆうた)

巻き込まれ型の主人公。高校生。

父親の遺した“あるモノ”のせいで日常生活が崩壊し、美少女と同居生活を開始したり改造人間に誘拐されたりゾンビの群れに自宅が襲われたりする。

ルナ

非常識な戦闘能力と再生能力を有する少女。見た目は10歳くらいだが年齢不詳。

格闘・射撃・投擲・刀剣・ナイフなどをオールマイティーに使いこなす。

羞恥心や道徳心に多大な問題があり、どんな違法行為だろうが必要と判断すれば躊躇なく実行する。

塙邑伊織(はなむらいおり)

裕太の格闘術の師匠に当たる女性。見た目は若いが年齢不詳。

おっとりとした喋り方と振る舞いが特徴だが、戦闘に関してはルナの同類。

セイ

裕太が巻き込まれている異常事態の元凶。

小柄な少年という目撃証言があるが、それ以外は謎に包まれている。

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