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文字数 3,823文字


 そうやって階段を降りていったすぐ目の前にある玄関には、結構な人数がたむろしている様子が見えた。
 その中には当然、クラスにいた誰かの姿もあったけれど――その顔に浮かぶのは反省でもなければ後悔でもなかった。
 まるで自分たちこそが被害者であると言わんばかりの、厚顔無恥なゴミの姿がそこにあった。
 ……有象無象がいくら雁首揃えようと、状況は変わらないのにな。
 それらの姿をそう評しつつ眺めていると、彼らの先頭に立って声を張り上げていた一人が私の姿を認めて、その声の矛先を変えてきた。
「おい、おまえか、佐藤茜とかいうガキは!」
 相手の態度が変わったことで、母も私が降りてきたことに気付き、こちらに視線を移してから言う。
「茜ちゃん、出なくていいから部屋に戻ってなさい。
 ――あなた達も帰ってください。弁護士を通してくださいと、何度も言っているでしょう! 帰ってください! いい加減にしないと警察を呼びますよ!?」
「呼べるものなら呼んでみろ。こんなことで警察が来るわけないだろうが!」
 母の言葉を受けて、賢しら顔でそんな風に言い放つクズを見て、私は溜め息を吐いてから言う。
「不退去罪というものが人間の社会には存在するんですよ。無学をひけらかすのは楽しいですか? それとも――人語を解するだけの猿には法律の条文は難しすぎましたかね?」
 私の発言で、周囲の空気が凍ったような錯覚を得た。
 静かになったのはいいことだと、そう思いながら言葉を続ける。
「――母さん、もういいよ。私が話を聞くから。
 それで、我が家にいったい何の御用で?」
 こちらの問いかけに応じるように、クズがここぞとばかりに声を張って言う。
「送られてきた内容証明についてに決まってるだろうが! あれはどういうことだ!? でたらめなもん送ってきやがって。うちの娘が何をしたって言うんだ!?」
 私はそれの問いかけに、淡々と応じるだけだ。だから言う。
「書いてあった通りですよ。改めて言わなければわからないのであれば、もう一度言ってあげましょう。
 あなたの娘は、いじめという犯罪行為を行ったんです。証拠写真とか見なかったんですか?」
「うちの娘は身に覚えがないと言っているぞ! どうせ捏造したんだろう!?」
「……じゃあそのまま裁判を大人しく受ければいいじゃないですか。
 こちらが証拠を捏造したというあなたの主張が認められることがあれば、結果的にはそうなりますよ。
 まぁ、いくらこちらの用意した証拠が嘘だと言い張ったところで――あなた達自身が無罪を証明する証拠を用意しなければ、結果は変わらないでしょうけど」
「――おまえ、それが大人に対する態度か!? 親の教育がなってない証拠だな!」
 論点がずれた話をし始めたということは、ネタ切れなのだろう。
 ……これ以上付き合うのも、時間の無駄だな。
 そう思って、私はそれから視線を外して、母を見ながら言う。
「母さん、話にならないから警察を呼んじゃっていいよ。
 再三の退去勧告に応じない迷惑な客が来ていて困っているから、不退去罪でしょっぴいてくれってさ。
 もし警察がまともに取り合わないようなら、監察に対応が悪いとクレームつけるぞと言えば、多分まともに話を聞いてくれるようになるから」
「このガキ……っ!」
 こちらの態度に我慢の限界が来たのか。視界の隅でそれが靴を脱いで勝手に上がりこんで来て、私のほうに近づいてきた。
 母がそれに気付いて止めようと動いたけれど、間に合わなかった。
 それが私の胸倉を捕みあげる。
 顔が近いし、息は臭いし、いいことなどひとつもないが――まだ手を出す時間ではない。
 だから、私は下らないものを見るような視線を向けてやって、薄く笑いながら言う。
「これは立派な暴行罪です。前科を増やしたいんですか?」
 それはこちらの言葉が聞こえているのかいないのか、興奮した様子で声を荒げて言う。
「被害届を取り下げろ。痛い目にあいたくなければな!」
 道理の通らない要求を聞く理由はない。ゆえに言う。
「お断りします。裁判にしたくないのであれば、まずはこちらが首を縦に振るに足る示談条件を提示してくださいな。
 それらが納得のいく内容であれば、無駄なことをする必要はありませんからね。見逃してあげますよ」
 私の口から出てきた誰にでも理解できるだろう挑発の言葉を聞いて、まず母が私を窘めるような――それでいて悲鳴に近い声で私の名前を呼んだ。
 そして、視界の中で母がこちらに駆け寄ってくる様子が見えたけれど。
「……この、クソガキが! 痛い目にあわなきゃわからないみたいだなぁ!?」
 母が止めに入るよりも早く、目の前に居るそれは私の頬を思い切り殴ってきた。
 受けた衝撃に、自然と顔が横にそれる。
 殴られた頬に薄く、熱を持った感覚を得たけれど――それだけだった。
 大した痛みでもない。腰の入っていない、殴り方を知らない人間の拳が通るほど、今の私はやわじゃない。
 だけど、母は違う。
「ちょっと、やめてください! 離れて!」
 母が慌てた様子で、私に手をあげたそれの腕を全身で押さえつけるように確保していたけれど――そんな母に対して、それが私の胸倉を掴むその手を向けようとする気配がみえたから。

 
 私は無言で、こちらの胸倉を掴んでいるそれの脇腹に最短距離で拳をぶちこんだ。


「――っ!?」 
 相手からすれば予想もしていなかった反撃だったのだろう。それは痛みよりも困惑の方が強く見える表情を浮かべて、こちらに視線を移した。
 興味がないのでどうでもいいと、私は視線をまだこちらの胸倉を掴んだままの手に向ける。
 ……邪魔だな。
 そう思って胸倉を掴んでいる相手の手、その小指を掴んで逆側に折った。
 枯れ木が割れるような軽い手応えが手の中に返ってくる。
 だから、胸倉を掴んでいた手は外れた。それはたたらを踏むように、こちらから離れていく。
「ぎゃあああああ――!」
 ただ、ついでのようについてきた汚い声がうるさいかったから――黙らせるために顎を蹴り上げた。
 すると、声も止まった上で腹や胸ががら空きになったので。
「……っ」
 呼気をひとつ挟んで軽く踏み込み、体を回して胸の中心を踵で蹴りぬいてやった。
 怪我をさせすぎないようにと手加減はしてやったから、それの体はちゃんと宙に浮いて飛び、玄関の方へと落ちていった。
 一連の動きとその結果を見て、一瞬だけ静かになっていた他の親や子どもが悲鳴をあげ始める。
 だから言う。
「囀るな、黙ってろ」
 私がドスの効いた声でそう告げると、ぴたりと声は止まって静かになった。
 緊張感のある沈黙が降りる。黙った連中が私に向ける視線には怯えが含まれている。
 しかし、それは母のものも同様だった。
「…………」
 母の視線を受けて、しずめ過ぎた思考が平常運転になっていくのがわかる。
 ……少しやりすぎたな。
 そして平常運転に戻った頭をそんな感想――というか後悔の気持ちが過ぎったものの、やってしまったものは仕方が無いので。
 とりあえず現状を解決するために、私は携帯で警察に通報することにした。
 お決まりの番号にかけてやれば、ワンコールを待つ間に相手が出る。相手が用件を聞いてきたので、応じるように言う。
「係争中の相手が家に押し掛けてきて、再三の退去勧告にも応じず困っています。不退去罪でしょっぴいて欲しいので、人を派遣してください。
 あと、押し掛けて来た人間のうち、一名が私に暴行を加えてきました。言葉で解決する努力はしましたが止まらなかったので、やむを得ずこちらも暴力で対応しました。
 こちらについては暴行罪でしょっぴいて欲しいんですけど。
 ――はぁ? ご近所トラブルはこっちでなんとかしろって?
 監察にクレームつけられたくなかったらとっとと人を寄越せ! 住所は――だ! いいな!?
 もし人が来なかったら、電話をかけた時間を連絡して別口でクレームつけてやるからな。ちゃんと人を寄越せよ。いいな!?」
 言って、通話を切った。
 どうして警察の腰はこうも重いんだかなぁ、と溜息を吐いた後で、
「じゃあ母さん、後は任せたから。警察の人が来たら、このゴミども連れて行ってもらって。被害届も、書けるならついでに書いて出しておいて。
 もし対応できないようであれば、私を呼んでくれればいいから」
 そう一方的に母に言い残してから、その場から逃げ出すように自分の部屋に戻るのだった。








 そして私が部屋に戻ってから十分ほど経過した頃になって、警察官が家にやってきた。
 私が呼ばれることはなかったので、母のほうでうまく処理してくれたのだろうと思う。
 もっとも、よくあるご近所トラブルとして注意だけで済ませたのだろうと、そんなことも考えたりしたのだけれど。
 ぶっちゃけ、あんな連中の処分についてなんてどうでもよかった。
 直近で問題があるとすれば、それは―― 
「……母さんにどう説明したら納得してもらえるかなぁ、さっきの暴挙」
 後で母と顔を合わせたときに母から何を言われるか、その一点だけだろう。
 それは私からしてみれば、あんなクズどもに関する諸問題よりもよっぽど大きな問題だった。

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登場人物紹介

名前:佐藤茜

特徴/特技:記憶力がいい、割り切りが早い、意思が強い


このお話のネタ元さん、もとい中心人物。

彼女の育ってきた環境に特筆すべき点はひとつもないけれど。

彼女自身が体験した出来事は、"普通"とはちょっとかけ離れているようです。

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