2-11

文字数 5,012文字

 気が付いたときには、ただ暗い――黒いだけの空間が目の前に広がっていた。
 ……は? 何が起きた?
『着いた。付いて来い』
 こちらが状況の変化について行けずに戸惑っているのを知ってか知らずか、彼はそんな言葉を残して動き出した。
 ……とんでも現象は今更か。
 そう思って、自分の両手を見る。
 失ったはずの片腕を再生してもらう、という時点で既に常軌を逸しているのだ。たとえ過程が想像できなくとも、結果としてそこに在るのなら認める以外に道はない。
 ……なんでこうなったんだろうなぁ。
 泣きたくなる気持ちを溜め息に込めて吐き出しつつ、彼の姿を見失わないうちにと歩き出す。
 こちらが歩き出した気配を察したのか、彼が言う。
『すぐに着く』
「……ここってどういう場所なんです?」
『興味がないから考えたこともない。しかし、ここは何もかもがひどく曖昧な場所であることだけは確かだろう』
「そうですか。……私、ここに長くいるだけでやばいんじゃないかって気がしてきました」
『ここに訪れたことのある人間は稀だ。誇るといい』
「無事帰れたらそうします……」
『――着いた。貴様も頭を下げろ』
 言って、化物はその中心部を床面近くまで下げた。
 私はこうだっけ? と思いながら、彼に続いて片膝をつき、頭を下げる。
 特に文句が出なかったところを見ると、合格らしい。厳密には及第点だったのかもしれないが、私からしてみればどちらでもいいなと思って考えるのをやめた。とりあえず第一声で殺されることがなければ、それでいいんだから。
 しばらくそのままの姿勢で動かずにいると、やがて正面から声が聞こえた。
「面を上げてくれ。今回は急な呼びつけに快く対応してくれて嬉しく思う」
 それは若い男の声だった。年齢で言えば青年の頃合だろうか。
 彼の声があからさまに人外のそれだったのに比べると、随分と親しみやすい音ではあるが――この声の主は人外を束ねる頭目なのだ。
 そんな存在がこちらに近い声を出している事実に、むしろ不安や恐怖の方が強く出る。
 とは言え、呼びかけられた以上、何も反応をしない方が機嫌を損ねかねないのだ。仕方なく、言われた通りに顔をあげた。
 顔をあげて見えた視界の中には、彼が王と呼ぶものが立っていた。
 それは声音の通りに、若い男性の姿をしていた。蓬髪の髪は金色で、瞳は赤。仕立てのいいスーツのようなものを着ていて、モノクルを掛けている。
 顔に浮かんでいるのは、少なくとも敵意らしきものが見えない薄い笑顔であり、見た目だけで比較すれば横に並ぶ彼の方がもっともらしく、恐ろしい。
 しかし、その彼が目の前の人型を王と呼ぶ以上は、彼以上の苛烈さを秘めている可能性が高いのだ。
 いよいよここで私の命は終わるかもしれないな、と嫌な未来を想像してしまって思わず泣きそうになったけれど。
 おそらく彼らは、自分たちを前にして会話を試みた度胸にこそ興味を示しているのだろうと、そう思ったから。
「……拝謁の機会を賜り、ありがとうございます。
 ただ、私はそこまで言葉遣いが――」
 弱気や恐れは内心で叩き潰して、言葉を作った。
 王様はこちらの第一声を聞いて小さく笑ってから言う。
「――なるほど、貴様が興味を惹かれるだけはある。
 話し方は普段通りにして構わない。多少の無礼は見逃そう。無理に呼んだのはこちらだからな」
 言われて、吐息をひとつ吐いてから言葉を続ける。
「……ありがとうございます。助かります。
 それで、私を呼んだ理由がこの人に話をした内容に興味を持たれたからだとお聞きしましたが。もう一度私の口から説明をしろと、そういうことなのでしょうか?」
「いや、違う。しかし、それに関する話ではある」
「いったい何でしょう。私に答えられる範囲なら答えます」
「実は、もう少し突っ込んだ話を聞きたくなったのだ。
 既におまえの提案、その内容は聞いている。
 わずかに得られた情報から、推測を含んで提案を行った胆力と思考の早さは評価に値する。提案の内容も一考の価値はある。
 ただな、おまえの提案ではどうしても解決できない部分があるのだ」
「……何でしょうか」
「本来ならば、こちらと敵対している勢力がおまえの提案を許容するかどうかも問題ではあるのが――まぁそこは置いておこう。
 そこは問題なく通ったとして、だ。仮にそういった協定を結ぶとなった場合、奴らがこちらに引き渡す数を絞ってくるのは容易く想像できる事態だ。
 だがな、そうなると、指定された数がこちらの需要に見合わなくなる可能性も出てくる。そこをおまえだったらどう解決するのか、それを聞いておきたいと思ったのだ」
 王様の言葉に、思わず頭を抱えて叫びだしたくなった。そして思う。
 ――絶対来ると思っていた質問が来た、と。
 なぜなら、話を聞く限り、彼らにとっての人肉は私たちにとっての娯楽品のようなものだからだ。
 娯楽品というのは数や種類はあるだけあればいいという類のものであり、だからこそ絶対に、需要と供給の関係から来る数の問題がついて回る。
 ……しかも、聞かれた内容がどう解決するかと来たもんだ。
 化物側ではなく人間側にいる私に、化物たちのためになる提案をしろと言ってきているのだから、これが叫ばずに居られるものかと泣きたくなるのは自然なことだろう。やったら人生終わりだから耐えるしかないけれど。
「…………」
 ただ、何も答えなければ、はいそうですかと帰してくれるほど優しい連中じゃないだろうことは明らかで。
 それは同時に、この場から生きて帰るためには、自分以外の他人を自らの意思で彼らに差し出す行為を行わなければならないことも意味していた。
 王様がこちらを観察するような目で見てくる。
 その視線をこちらから切って目を閉じてから、思索に耽る。


 ……重いなぁ。
 あえてあの場で言わずにいた内容はある。それこそが、時間はかかっても数を解決するための手段だ。
 ……でも、これを口にするってことは、そのまま人間として最低な奴になるってことでもある。
 そうまでして生きたいか? 
 そう自問すると、胸の中心がずしりと重くなった気がした。
 ……でも、この重さは罪悪感から来るものじゃない。
 だって、その自問に対する答えなんて問われるまでもなく決まりきっているのだから。
 私がしたくないのは、自分が最低の人間だというのが明確になる行為そのものであり、それだけのことでしかない。
 それがわかってしまうのが嫌で嫌でたまらないと、そう思っているから重くなるのだ。
 だけど、否定はしない。
 ……私は最低の人間よ。そして、それでいい。
 なにせ、自分が生き残るために平気で他人を差し出すのだから。


 思考による熱を吐き捨てるように長く息を吐いた後で、目を開けて、王様に視線を合わせてから口を開いた。
「まず、私に出来ることなんてひとつもありません。それは前提です。
 けれど、当事者間での話し合い、もしくは、あなた達がそうするだけで、糸口はひとつ見つかります」
「それは何だ?」
 しかし、続いて出た王様の問いかけに応えようとして、言葉がうまく出なかった。
 ……諦めろ。綺麗なままで生き抜くことなんて出来ないんだ。
 目を伏せて、内容をもう一度思い出す。
 そして一息、覚悟を決めるために強く吐息を吐いてから。
 ……私はどこかの他人の命より、私の今の命のほうを優先する。
 自分に固くそう言い聞かせて、目を開いてからこう言った。
「死刑囚を食べればいいんです」
「……ほう?」
 王様はそれだけ言って、言葉を切ったものの、視線だけは興味深そうな色を消していなかった。おそらく先を続けろということだろう。
 要望通りに、言葉を続けることにする。
「死刑囚はそこで死刑に処されるまで燻っている人的資源です。そして、死ぬ以外に使い道がない。
 であれば、絞首台に上るか喰われて死ぬかの違いは、誤差の範疇でしょう」
「しかし、それは数の問題を解決する策としては不十分だ」
 王様の指摘に、私は頷いた。
「ええ、確かにそうでしょう。
 数については、現在居る分だけになってしまいますし。一気に消えれば騒ぎになるから多くの数を一度に取ることはできません。
 犯罪行為を行う人間が決して居なくならない以上、ゼロになることはないのでしょうが、需要を満たすには足りないという意見ももっともです。
 であれば、長い期間を待つことになる可能性もありますが、別な選択肢を考えて頂けないでしょうか?」
「どういうことだ?」
「死刑囚の現在の数は有限で、足りないというのであれば、これから増やせばいいのです。
 最初に雌雄を何対か奪い、養殖することで、いずれという形ではありますが安定して数が供給できるようになるはずです。環境を作るのが大変かもしれませんが」
『それをなぜ私が居るときに言わなかった?』
「近くに他のヒトがいたから。
 普通に考えたら、これはかなり外道な考え方だ。人間を動物と同じように考える、そんな思考を持つ隣人をあの社会は認めない。バレてはあそこで暮らせなくなる。
 ……でも、ここには私以外にヒトはいないでしょう?」
 にいっと笑って王様を見た。
 王様はこちらの歪な形になっているだろう笑顔を見て、声を出して笑い、言う。
「ああ、ああ、全くその通りだ。ここには君以外にヒトはいない。
 そして、君の答えは今後の対応を考えるには十分な内容だった」
「それは何よりです。……それじゃあもう、帰っていいですか?」
「ああ、構わん。聞きたいことは聞けた。――おい、案内してやれ」
『……小娘、王に要求することがあったのではないのか』
 それをここで言いますかね、あなた。
「そうだな、提案の内容も君自身も十分に面白かった。褒賞を与えるには十分な条件だ。言ってみるといい」
 ここまで言われては、言わないわけにはいかないだろう。
 ……言って、命を取られるようなことがありませんように!
 そう祈りながら、口を開く。
「えーっと、その、会談前後中の命の保障と、今後の生活における私と私に近しい者の命というかその辺の保障が欲しいと思ったりしています」
 願いを口にした後は、戦々恐々、内心でがたがた震えながら沙汰を待っていたのだけれど。
 王様の返答は割りとあっさり返って来た。
「前者は当然だ。後者もまぁよかろう」
 私はその回答に全力で頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「では達者でな」
『小娘、すぐこっちへこい』
「え、なんで」
『早く!』
 言われて急ぐが――その時点で既に手遅れに近かったのだと知る。
 足元にあった確かな感覚が消失したのだ。
「は?」
 と思ったときには体がどこかに落ち始めていた。
 しかし、最後まで――と言っても、この暗闇に底などあるのか……? ――行き着くことは無かった。
 彼が、泥のような部分を延ばして私の手を掴み、引っ張り挙げてくれたからだった。
 無事にどこかに立てるようになった後で、今もそこにあるかどうかわからない穴を見ながら彼に聞く。
「何ですか、今の」
 てっきり答えは返ってこないかなとも思っていたのだけれど、彼はこちらの質問に答えてくれた。
『お前が見ていたのはお前に合わせた触覚だ。今消えた一部も王の体だった』
 どうやらあの王様はこちらと会話をするためにダミーを用意していただけで、その本質は彼に近い何かのようだ。少なくとも人型ではないのは確定だけど、具体的な想像は想像力が貧困なので出来ないし、したいとも思わないのでやめておいた。
 確かなことがあるとすれば、それは、
「……助けてくれてありがとうございました」
 彼がどうなるのかわからなかった状況から助けてくれたという事実だけだ。
『私は会談前後中のお前の命の保障をするという条件を飲んだからな』
 彼はそう言って、こちらから視線を外して動き出す。
「それでも、助けてくれたことには変わりありませんから」
『……では戻るぞ。貴様の世界に」
「はい、案内よろしくおねがいします」
 そして、進む彼に遅れないように、私も歩き出した。


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登場人物紹介

名前:佐藤茜

特徴/特技:記憶力がいい、割り切りが早い、意思が強い


このお話のネタ元さん、もとい中心人物。

彼女の育ってきた環境に特筆すべき点はひとつもないけれど。

彼女自身が体験した出来事は、"普通"とはちょっとかけ離れているようです。

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