第16話

文字数 1,529文字

病室の暖房が
起動する音 とともに
視線を 捕らえたのが
隣りの空きベッドに ぽつんと 置かれた
わたしの ショジヒンでした

色褪せた
福岡の老舗 お煎餅屋さんの
紙袋にいれられた わたしの ショジヒン

ひとつ ひとつ
サイズのちがう ジプロックに
密封されておりました

ゆっくりと
付属ジッパーを開くと

一瞬
S淵さんのにおいが
おでこのうらを かすめ 電流のような
恐怖が 背骨 頬骨を 走りましたが

ですが
紙袋に 染みついた
警察署内の天井のかび
そこで 働く人々
訪れる者の緊迫 困惑 気疲れ

出前の たぶん かつ丼や
煙草のにおいが あまりに鮮烈で

公開されたあとの
わたしたちの密室劇など
たわいないものだと感じました

中 ジプロックに 入った
ケータイは 冷凍庫で凍らせたみたいに
冷たくなっていました

お財布のカードも
コンビニのレシートも
ひんやりと あの日のまま
冷たいお札に はさまっていました

かばんについた
コーヒーの染みも

家とバイトさきの鍵も
お化粧道具も あの日のままでした

試しに 口紅を
ぬってみましたが やはり
氷のように 冷たく 固く やはり
あの日と おなじ味がしました

ターコイズ
ブルーのダウン
黒ニット帽 黒ワンピース

海老茶タートル
生成りの プルオーバー
厚手のタイツ そして
パンツ ブラジャーまで
おはずかしながら あの日のままでした

あの日は
寒かったけど 電車のなかは
汗ばむくらいだった ...

強力な密封力により
ジプロックのなかには
あの日の空気が そのまま 収められており

ほんとうに
懐かしいくらい そのままで
きっと S淵さんも
きょうも どこかで あの日のままで

なんだか
わたしだけが
歳をとったみたいでした

そうだ
あの日 投げつけられた
ヘッドフォン

こんなふうな
壊れかたをしていたのか

ふむ ふむ

ダウン
ポケットのガムの包み紙
インド料理屋の前で受けとった
斬新な 日本語のチラシ

靴のかかとの
減りぐあいも あの日 あのときの経路を
想起させるものがありました

おみそれしました
ジプロックさま

退院したら
新生活にむけて まず
この靴のかかとを 修理致します

そう 決めて
靴を ふたたび
ジプロックにしまおうとした
そのとき

なにかが
ふわりと ...

完璧な
ジプロックのなかの
完璧なショジヒン である
あの日 わたしが 履いていた
靴の中から

なにかが
ふわり ゆるりと
飛びだしました

そして それは
この病室の乾いた床のうえで

静電気を
全身に まといながら
ゆるり ふわり くるくると
浮遊しはじめています

その
なにかを
わたしは 追いかけて
手のひらにのせようとしました

ふわり ゆるり
くるくるくる

この手のひらのうえでも
なお 浮遊している その なにかは
一枚の綿毛のように見えました

すると わたしは

わたしは
なんだか あわててしまって

いつも 高いところの部屋で
斜めに開く 小窓から逃がしていた こころのほうは
じんわりと うれしそうでしたが

この わたしは
なんだか あわててしまって

ベッドに置いた
ジプロック特大から ふたたび
ダウンをひっぱりだし

いつの間にか
腕から抜けて 肩から ぶらさがっていた
鎮痛剤の点滴の針を 右手で
ぎゅうと 握りしめ

興奮して
おなかの底から ふるふると
震えだした からだを

震えた肩を みずから
おさえこむように ダウンの
右肩から背中にかけて
ちからいっぱい

ちからいっぱい
引き裂きました

すると
ダウンのなかからは

ダウンですから
やはり
柔らかな羽毛の かたまりが どさっと
あふれだす わけでして

それら
一枚一枚が まるで
生命を得た 白鳥のように

うすい桃色の
カーテンで しきられた
わたしのベッドから 次々と 天空へ
舞いあがるのでした

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