第5話

文字数 1,633文字

質のよい椿油をなじませたような
つややかな翼は
近くで見ると 全然 黒くなく
緑とか 青とか 紫とか さまざまな色が
かわりばんこに ひかっていました

うす目で見ると
たくさんの光線がまじりあって
宝石みたいに きれいです

そして その翼のおくに
密集している羽毛は やわらかく
すこし 湿っているように感じました

こどものころから
わたしが描いてきた あっけらかんとした
カラスの印象が 目のまえのカラスの
美しさ 繊細さ しなやかさ 高潔さばかりを きわだてました

これまでの わたしは
なにを見聞きして 生きてきたのでしょう

せっかく
きれいなものを 目の前にしているのに
わたしの 心は うれしいというより ずどんと
おもく かたまりはじめるのでした

美しさを 素直に 感じるにも
それ相当の資格が 必要だとゆうこと

そして その美しい羽毛は
持ち主である カラスより 雄弁でした

ここに来たるまでの
上空からみた 街なかの風景

風の温度
雲の湿度

土に混じった
朽ちかけた 落ち葉のにおい

焚き火のケムリ
夕焼けのあとの静かな宵
川沿いの道
廃墟

数々の
生命の危機を超え
なお カラスが 備え持つ
まっすぐな 命への渇望

そして
わたしが とある周期で 訪れる
たかいところ

空気がうすく
人間であった記憶がよみがえる
たかいところ

男のひとたちに つれてゆかされた
たかいところのにおいも

大きなカラスの羽毛に しっかりと
貯蔵されているのでした

ここまできた 道のり
これまでの すべてのいとなみ

きっと この わたしも
これまでの経験すべてを 身に
まとっていることでしょう

人間には 多少の誤魔化しはききますが
このカラスには ぜんぶ ばれてしまうはずです

わたしは 自身の正当性や 魅力を
証明するには 貧弱すぎる数々の出来事を
数えあげて ひどく 落ち込みました

しかし
それ以上の直感のようなものが
わたしを カラスの隣に
このガードレールに とどまらせていました

" 思考の障害 "

たまに聴こえる
囁き声が 誰かといるときに
聴こえたのは はじめてでした

" 思考の障害 "

この件は
小学生のとき 母親に相談しましたが
病院代がないため 却下され 未解決のままでした

" 思考の障害 "

病院に行けば
幻聴自体が 障害であろうに

その幻聴が 名医のように
病名を解説していますのです

うひゃ
うひゃ ひゃ

てゆうか
これまでの 流れからすると
声を かけてきたのは
カラスのほうです

わたしは 気づかれないように
カラスの表情を確認しようとしました

すると カラスの瞳の色素がうすくなり
くちばしと かぎ爪が 一瞬 ひと回り 大きくなりました

カラスの鋭い視線のさきを 見やると
一五〇メートルほど先に 飼い主と歩く 黒柴がいました

この カラスの魂を 邪鬼から守る
門番のような 機能が
繊細で美しい肉体に搭載されていることを目の当たりにして
わたしは ぽわんとした 気分に なりました

羽毛のしたからのぞく
ふたつの足は 爬虫類のように
温度のない 鎧で覆われ 先端のかぎ爪は
樹木の皮や 繁華街のコンクリート
公共施設の鉄柵らによって
豊かに みがかれていました

ガードレールの
青白い塗料が 彼のかぎ爪から
ヒラリと剥がれ 地上に堕ちた そのとき

「 ねぇ どうして ?
たくさんの人間がいるのに
どうして わたしを見つけた ? 」

思考の障害を持つ わたしは
考えるよりさきに この言葉を口走っていました

もう
撤回できません

その言葉を受けた カラスは
ゆっくり首をかたむけ 眉間にシワを寄せて
考えをまとめるポーズを 翼で とりはじめました

わたしは ガードレールを
叩いて 空洞を確かめたり
遠くの空を眺めながら あくびをして
この質問に意味はないことを 演出しました

しかし カラスは
さらなる 難しい表情となり
うつむき しばらく 考えぬいたあと
答えました

「 可哀想だったからです。」

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