餓鬼界のブタ

文字数 3,503文字


 ゴミが充満して、薄暗く、すえた匂いがする。大我は息を止めていたが、そんなのはずっとは無理で仕方がないように息をする。息をしないと死ぬからだ。でも、こんなところに押し込まれて、息をしているのは辛い。
 「タイガー、ファミチキ買ってこい。」
 さっき盗んだ弁当を良美はクチャクチャ食いながら、欲しいものを思い出したかのように、大きな声で大我に命令する。大我はゴミだめに座り込んだデブが食いながら再オーダーする様に情けなさのようなものを痛切に感じた。あれはなんなんだ?ただ、貪り尽くしているだけの豚。そんなのが大きな顔して食いながら、食い物を持ってこいという。なんで買ってこなきゃならない。それが顔に出た途端、大きな体の良美が立ち上がった。大我は身をかわそうとしたが、ゴミに埋まりレジ袋で足を滑らせた。気がつくと割り箸が頭に振り下ろされていた。折れた割り箸が頭の皮膚を破り、ヒリヒリした痛みと、生ぬるい血を感じた。
 「役立たずか!ボケ!お母さんって呼ばしてやってんだから、早く買ってこい!」
 一方的な支配を勝手に始められた。こんなところで無能な欲張りデブに支配される意味はない。それに、こんなブタ、殺してやりたい。そうしないと、いままで殺した母に悪い。しかし、殺せば自分の母の可能があることを認めてしまうことになる。
 「お母さん、僕はお金を持っていない。買うんならお金をください。」
 大我はそう言った後、頼み事が、借りを作ることが、こんなに嫌なことだとは思いもしなかった。豚が食う分の金を豚が払うだけのことだから、別に借りを作ったわけではないのは理解できるが、お母さん、ください、の言葉を口にしたことで、自分が大事な人に対して、へりくだってお願いしているように思えたのだった。父である圭には、こんなお願いをしたことはない。圭は何でも準備する男だったし、大我に無理な指令をすることはあっても、召使いのように扱うことはなかった。根拠のない主従関係、一方的な命令、機嫌悪い凶暴な餓えたブタ。それが、もしかしたら、お母さん。そこから生まれた、そこから始まった。クチャクチャとゴミの中で、着飾って弁当を貪り尽くしている、追加でファミチキを要求するブタ女。
 修羅である原井知世はファミチキを大我から取り上げて、車が走る道路へ投げ捨てた。餓鬼である富山良美は、それを拾ってこいという。なんで、原井知世を殺してしまった?大我の頭の中は混乱し始めた。これは一体何なのだ?なんでオバさんを殺していかないといけない?この豚はなんだ?なんで、マナをビルから地上へ落とした?マナは最後に「あったかいね」と言った。何が暖かかったんだろう?
 「しかたねーな!」
 良美はイラつきながら、財布からお金を取り出して大我に渡した。こうなるとファミチキを買いに行かないといけない。しかし、ここから飛び出るきっかけを得た。五百円玉だけもって、逃げれるだけ逃げればいい。餓鬼に付き合う必要はない。
 「おい、帰ってこいよ。じゃないと、お前を探すからな。お前を見たことがある。そこの中学に行っているだろう?私は全部見ているんだ。お前が逃げたら、学校に行って、お前を呼び出すからな。まあ、学校にタイガーは戻らないかもしれないが、あることないこと言ってやる。母である私と寝たとか、盗みとか、人殺ししたとか、お前の立場をぶっ潰すことを言いふらしてやる。お前は、学校にも行かないダメなやつだが、それ以上にクズだってことを言いふらすんだ。それが嫌なら、ファミチキ三つ買ってこい!」
 ゴミ屋敷に閉じ込められて支配的なデブ女と一緒にいるのは耐えられないので、街に出たが「すぐ帰ってこい!」とも言われていた。それにファミチキ三つは五百円では買えない。お金も尽きていた。しかし、三つと言われた。それを果たさないと、良美が学校にやってくる。小ぎれいな格好をして、豚小屋から出てきて、恥も外聞もなく、人の足を引っ張るようなことを嬉々としてやってのけるのだ。それに対して「お母さん、止めて!」と言わなくてはならない。関わったばっかりに重い十字架を背負い込むことになってしまった。
 コンビニの前に来た。手のひらには暖かくなって、金属の匂いを放つ五百円玉。足りないのだ。それなのに、ガラスケースに並んだファミチキを見ないといけない。もし、二枚しかなかったら、言い訳も立つだろうが、夕方のこの時間、品切れはない。
 「もしかして、大我?」
 不意に知った声に呼びかけられ、心臓が飛び出るほど驚いた。振り向くと学生服を着た稔がいた。
 「稔、ひさしぶりだね。」
 「原井さん死んだみたいだけど、何があったの?大我、それから学校に来なくなったし。」
 「出て行ったんだ。そしたら死んだってニュースで知って、怖くなったんだ。」
 「ふうん。そうなんだ。でも、原井さんの最後の目撃情報が、コンビニで息子っぽい中学生と言い争いしていたって聞いてるけど、あれ、大我のこと?」
 「そうだよ。それで、出て行ったんだ。なんで、そんなに詳しいの?」
 「テレビでやっていたよ。」
 大我はテレビを当分見ていないことを思い出した。これまでの殺人が、世間に情報としてバラまかれていることを聞かされ、知らぬ間に追い詰められていくような気がした。
 「大我、何してるの?」
 「ファミチキ買いに来たんだ。稔、二百円貸してくれないか?」
 稔は財布から二百円取り出して大我に渡した。大我の持っていた五百円玉と違って、その百円玉二枚は、冷たかった。
 「返さなくてもいいけど、その代わり、メッセージとか返信してほしい。大我のこと、心配なんだ。お父さんも探していたよ。この前、柊さんと大我の家に行ったんだ。」
柊あおい、父、ファミチキ。その一つづつは関係ないが、大我にとっての樹形図の幹になるところにあった。稔に順番立てて質問したかったが、先にファミチキを三つ注文した。稔は二百円の行方が、買いすぎのファミチキになるのを目の当たりにした。過剰な欲のためにお金をあげたことに対して、何か大きな損失を出したような気がした。「そんなに食うの?」って稔は言いたくなったが、それは口には出せないでいた。だが気になる。
 「大我、今、どうしているんだ?腹減ったからそんなにファミチキ食うのか?」
 「うん、今は、一人で暮らしている。お腹が空いていて、でも、何度も買い物に行けないからまとめてファミチキ買ったんだ。」
 もっと他のものをたべればいいのに。と稔は言いたかったが、大我が暗い顔をしていたので止めた。おそらく隠し事があるのだろうと察した。
 「なんか事情がるんだろうけど、教えてくれないか?」
 「これは僕の問題なんだ。だから、言うわけにはいかない。」
 「大我、僕たちは友達じゃないか。大我は僕を池原から助けてくれたじゃないか。」
 「うん、でも、あれは間違いだった。」
 「なんで、間違いじゃないよ。僕は嬉しかったんだ。」
 「じゃあ、それでいいよ・・急いでいかないといけないから、じゃあね。」
 大我は暖かいファミチキを抱えて、恥にまみれたように飛び出して行った。

 「タイガー!遅い!クソボケ!謝れ!」
 「ごめんなさい、お母さん。」
 謂れのない謝罪の言葉を吐くと、心が削られていく。誇りや自信が減って、心許無くなる。大きな声は出ないし、何か、自分が世の中にある醜いシミのように感じられてくる。
 こんなブタ、さっさと殺してしまえばいい。
 それは理解しているが、髪を振り乱して、睨みつけ、そしてファミチキを取り上げ、クチャクチャと頬張る汚物の住処の主を見ていると、何か、底知れぬ恐怖を感じる。あれは、同じ人間なのか?この文明社会に落とされて、同じ空気を吸うものなのか?あいつも俺と同じようにファミチキをうまいと思っているのか?大我は汚物やクソの塊のような存在を目の前にして、人間としての自信が揺らいでいた。それに、それが母親の可能性がある。あんなのが母親、あんなやつの血が流れている疑いがある。なぜ、絶対違うと思えないのだろう。絶対違うはずなのだ。しかし、たくさん殺してしまった。だから、自分はクズだ。だから、あんなクズの子供である可能性は十分にある。

 ドンドンドンドン!
「おい、いるんだろ!開けろ!金返せ!」
外から扉を叩く音、大きな声が聞こえてきた。一人ではない、数人はいる。
「富山良美、三百万返せ!」
今更の闇金からの借金。ドラマでしか見たことがないけど、本当にチンピラの借金取りがいるんだと言うことに大我は驚いた。良美へ大我は目を向けた。
「おい、タイガー、鎮めてこい。」
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