追跡者

文字数 3,962文字

 「・・・橘圭が見つかった?どこにいたんだ?」
 「鹿児島にいました。」
 「・・・ちぇすとー。」
 「ボス、示現流ですな。仕事をしていましたよ。息子さんのことで話を聞きたいと連絡は取れました。月末に帰るとのことでしたが、コンサルタントの仕事が早く済んだので、明日には帰ってくるそうです。姉である稲尾泉が死んだことは知らなかったようです。」
 「・・・大我は叔母って言っていたが、それは嘘じゃなかったんだな。叔母を殺すなんてことはないだろうな。」
 「そうですよ、大我くんは被害者の親戚で、たまたま、他の事件の近くにいただけですよ。まだ中学生なのに、嫌な思いをさせてしまいましたね。」
 「・・・火のないところに煙は立たない。それは真実だ。普通に生活していたら、トラブルが近くで連続的に起きることはない・・」

 ホテルのロビーでボスと山岸がコーヒーをすすりながら大きな声で話をしている。マナを追ってホテルに入った大我は、その都合の悪い偶然に少し驚き、父、圭が明日、帰ってくるという情報にひどく驚いた。大我に黙って帰ってくるということは、母探し、母殺しの失敗がバレてしまったことを意味すると大我は理解した。このままでは殺される。父から、圭から、運命から逃げないといけない。
 殺道の運命、殺人機械になれないとしたら、どうすればいい?今は、マナとくっついて暮らすことしか思い浮かばない。そのためにするべきことは、マナに近付く男を排除する必要がある。マナを自分のものにしなくてはならない。今すべきことは、あのジジイを殺すことだ。あいつからマナを解放して、いや、他にも男がいるのかもしれない。だったらその男たちも次々と殺していけばいい。
 大我は談笑するボスと山岸に見つからぬように客室がある三階を目指す。エレベーターは使わず、避難灯に誘導され、外の階段を上がる。音が吸収されるホテル内から出ると、空調の唸る音や、道路に行き交う車の走る音などがザラザラと聞こえてきた。外に出ると、少し冷静になれた。今、マナの相手を殺したら事件になるに違いなく、一階のロビーにいるボスと山岸が飛んでくるに違いない。もし、姿を見られたら、疑惑にとどめを刺すことになるし、父、圭にも自分の間抜けが筒抜けになる。殺されるに違いない。だが、マナとジジイがやる前に止めないと、ジジイを殺さないと、嫉妬の熱に身が焦がされる。
 三階フロアに忍び込む。あちこちドアが開いて、アジア人の労働者がシーツを引っ張り出したり、客室の清掃をしている。この状態で部屋を取れるのだろうか?と思いながらも、開いた部屋には用がないので、閉じたドアの部屋があるかどうか見る。
 「オハヨごぜマス、イっテラッシャイマセ。」
 目がぱっちりとした東インド出身の女性従業員から挨拶される。大我は、この場に日本人がいないことで、行動の自由が約束された気がした。彼らは必要以上のことを施設管理者に説明しようとしないだろう。部屋の掃除の仕事をしに海外から来ているのであって、日本の事件に関わるために日本に来ているわけではない。
 「さっき、ホテルに入ったお母さんを探しているんだが、見なかった?」
 「ユア、マザー?アイデドノッシー。ノットンディスフロア。」
 恐る恐るの笑顔で外人従業員が返答する。関わりたくないという雰囲気に満ちていた。しかたなく、四階へ上がる。同じようにドアが開き、部屋の清掃、同じような質問をインドネシア出身の女性従業員にすると無視された。早くしないとマナとジジイがやり始めてしまう。そんなのは許せない。そもそも昼にホテルの部屋を借りることはできるのだろうか?そういった部屋は特別に違いない。金のある連中が使う部屋だ。こんな下階の部屋であるわけがない。だとすると最上階だ。バカと煙は高いところに向かう。
 外階段を急いで登る。このホテルは周囲より高く、三十階建て、高さ百メートル、一般的なタワーマンションほどの高さがある。最上階ともなれば、部屋も広く、探すのもすぐだろう。大我は音もなく階段を駆け上る。一段飛ばしで、右足、右手同時出しの、倍速で登っていく。体は右左と翻り、機械のように正確に素早く登っていく。
十五階を過ぎた頃から、周りのビルが途切れ、眼下に灰色の街が迷路のように広がっていった。細い管のような道路に小さな車が虫のように行き交い、通りには粒のような人の頭がゆっくりと動いている。ビルの中にネクタイをした会社員が机にしがみついて社会に貢献するふりをしている。太陽は真上、冬の風は切れるように冷たく、大我は罪を背負って苦役である無意味な塔登りに課せられたように、ひたすらに最上階を目指す。女に会いにいくんだ、相手のジジイを挿入寸前でブチ殺し、抱きたい女を連れて帰るんだ。欲しいものは力で奪う。相手を殺して奪うんだ。沸き立つ嫉妬と、沸き立つ本能。交尾のために敵をやっつける。シンプルだ。単純だ。空があって、風が吹いているぐらい、わかりやすい。大我は足の速度を緩めることなく、塔に巻きつく階段を掛けていく。それは決して空に近づくための歩みではない、地面にへばりつく、地獄に落ちる道筋に違いない。
 最上階についた、扉に手を掛けたが、ノブが回らない。鍵がしてある。深く息を吐き、誰もいない空に向かって振り返る。最上階の部屋にはベランダがあった。それは数メートルの壁を通り過ぎれば到着できる。どちらにしろ、階段ドアからフロアに入ったところで、部屋のドアを開けられることはないし、フロアには監視カメラさえあるだろう。階段の欄干に足をかけ、1メートル先の窓に続く五センチの庇を見つめる。横っ飛び、手を掛ける。指の力で5メートルほど横移動し、ベランダに飛び移る。ルートが決まると度胸が座る。躊躇することなく、欄干に足をかけて下を見ることなく飛び出した。体は上昇すると同時に、地面から引力で引っ張られる。自由落下より跳躍力が大きければ、それだけ上に上がることができる。思った通りの高さに体が上がり、指は日差しで緩くなったコンクリートの庇を掴んだ。が、庇は強固ではなく、一瞬、歪んだ。その微妙な歪みは、大我に命の危険を知らせる。急いで渡らないと、コンクリートの庇は持たない。数センチ幅しかない庇が五センチほど出っ張っている。根元の壁まで指が届けばいいが、ギリギリで届かない。荷重が超過すれば崩壊する。両手をなるべく開いて荷重を分散する。しかしそうすると、手の移動が少しずつになり、同じ場所付近への荷重がかかる時間が長くなってしまう。大我の体が崖の危機を思い出す。考えることなく、体が動く。始めに出た右手に一気に左手を寄せる。両手は一箇所に瞬間寄せられる。思った以上にコンクリートの庇が撓む。指先に危機が伝わる。足は地上100メートルの高さに晒されてブラブラとしている。コンクリートが破壊されれば、一気に地上へ落ちていくだろう。足を広げ、体を振る。元来た方に振って、反動で、ベランダ側に足が向かう瞬間に右手を思い切り伸ばす。四十センチ右手が進み、それに左手がついていく。また同じ状況になったが、確実にベランダが近づいてきた。あと7回繰り返せば、あのベランダ、足のつく場所に飛び込むことができる。
 2回目、3回目の横っ飛びが続き、ベランダが見えてきた。指先の筋肉は引きつっていたが、あと数メートルの移動ぐらいは出来た。もう少しで中が見える。さっき昼飯を食ったばっかりだから、まだ、ソファーにくつろいでいちゃついているか、もしかしたらシャワーを浴びているかもしれない。まだ間に合う。大我のマナへの執着が、地上100メートルの恐怖を忘れさせていた。ひとつ間違えれば、真っ逆さまに地上に落ちるだろうが、大我はまったくそんなことを考えなかった。あるのはマナへの、メスへの執着だけだった。
 慎重にベランダ近くまで行き、崖でやったように体を振り、自分の体を安全な場所へ投げつける。音のない着地、そっと見上げると、ベットの上に、足を開いて横になるマナと、それに被さる老人の緩んだ体、激しく動く尻が見えた。もう交尾は始まっていた。もう挿れていた。マナは緩んだ肌の老人の背中にしがみついていた。白い指、赤い爪が背中に刺さっている。大我の嫉妬、怒りはすぐに沸点に達した。ポケットに隠し持ったガラス切りで窓のガラスを丸く開け、内鍵を開けて、窓を開いた。地上100メートルの風が部屋に吹き込む。空気の変化に気が付いたマナが窓の方を見て目を大きく見開いた。声を上げることなく、真っ赤な口を大きく開けた。必死になって腰を振っている老人は空気が変わったことを読めなかった。大我は老人を掴むとマナから引き離す。驚いた老人はペニスを大きくしたまま、狼狽えた。大我は縮む前のペニスに回し蹴りを打ち付ける。その衝撃で血で凝固したペニスの組織は引きちぎれ、激痛が老人を襲う。痛みに耐えきれずしゃがみこんだところへ、大我は膝を思い切り上げる。老人の歯は砕かれ、二発目の膝蹴りで鼻の骨が砕かれた。鼻血が吹き出し、鼻の穴、口から溢れて、のたうちまわる老人は必死で血を止めようと手で塞いだが、そのせいで、気管に血が入り込み呼吸困難に陥った。裸の貧相な老人が血まみれてのたうちまわる。ペニスは内部破壊され、鼻は砕かれ、歯も折れた。体の真ん中にあるものは、命に関わるものなのだ、痛みに対して敏感だということを理解しての大我の攻撃だった。大我はのたうちまわる老人の腹に蹴りを打ち込み、エビのように曲がったところで、今度は老人の背後に回り、つま先をててて、一点めがけて蹴り上げ背骨を砕いた。神経を潰されたので、重い痺れが下半身に伝わり、下半身が徐々に死ぬ絶望を老人に与えた。
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