閉じた時間

文字数 3,350文字



大我は清彦の弁明を聞いたが、腑に落ちるなどの感情はまるで湧かなかったし、同情などの寄り添う気持ちも浮かばなかった。あるのは、強烈な閉塞感、無駄な時間、なにより、関わり合いを持ちたくないという思いだけだった。
「そうですか。」
理解があるような答えを吐いたが、理解なんてこれっぽっちもなかった。清彦はそれをすぐに理解したし、その弁明をさらにするような真似をしなかった。成り立たない会話は雑音として消えるべきなのだ。
二人で静かな時間に身を置くのも嫌だったので、大我はその場から離れようとしたが、清彦は、まだ、何か言いたそうにしている。八十歳の困り顔には、深いシワが刻まれ、その悩みは死んでも解決できないようなものに違いなかった。大我は警戒した。年老いた清彦が、明美の世話を大我に託そうとしているのは何となく気がついていた。大我は音を立てないで狭い家の中を逃げるように階段を降りた。
リビングの隣、壁に首の根元を押し付けて首だけあげて、スマホをじっと見ている明美がいた。あんな小さな画面の向こうに何もないのに、それをしている時間は、意味があるように振舞っている。社会から外れているのに、社会で何が起こっているのか見たり、それに対する感想を読んだり、ゲームしたり、交通事故の動画を見たりしている。明美は何のために生きているんだろう?五十歳を超えて、八十歳の父親に全ての世話をしてもらい、ずっとスマホを見ている。どうして、自分で生きようとしようと思わないのだろう?大我は明美に対して親愛の情が浮かぶはずもなく、ただ、無能、無駄な存在としてしか見れない。軽蔑の念しかない。なんで、こんなところで、クソのような終わった親子と一緒にいないといけない?さっさと殺してしまおうか?いや、殺す価値もない。なぜ、ここが候補なんだろう?だいたい、引きこもりのババアが子供なんて産むことはない。誰があんなのに突っ込むんだ?敵意と怒りとイラつきが、大我の中身を荒れさせる。思わず足を大きく踏み鳴らす。ドンという響で、明美は一瞬、視線をスマホから移し、大我の方を向く。怯えてすすり泣き始めた。そこに清彦がやってきて、さすろうとするが、それを明美が必死に拒んでいた。社会から外れた親子が支えあうことも出来ていない。まるで泥に廃油を流したような、救われない様子だった。大我は、感情さえ抑える必要があるとストレスを感じた。

「・・・橘、柊・・共通点が見つかった・・・」
「ボス、突然なんですか?それより、そろそろ水風呂に移りませんか?ちょっと心臓がキューっとしてきたんで。私、息子がまだ中学生だから、倒れるわけにはいきません。」
ボスと山岸はサウナに入っていた。三十分は超えていた。その間ボスは黙っていて、山岸は弱音を連発していた。
「・・・棘だ・・」
「トゥゲザー?何が一緒なんですか?それより、出ましょうよ。」
「・・・ちがう、棘だ・・」
「トゥゲザーしましょう。一緒に外に出ましょう!」
「・・・と・げ・・」
「棘?尖ったアレですか?」
「・・・そうだ。橘の木には棘がある。柊の葉にも棘がある・・」
「だったら、バラにもありますが。」
「・・・この事件にバラという名字はない。橘と柊、加害者と被害者。その線で追う・・」
山岸はサウナの熱でボーっとしていた。橘?ああ、橘大我くんのことか、柊?柊めぐみさんのことか。ボスは変な事に気がつくが、それが事件を解決させたことがある。不可解な事件の解決の糸口は、いつだって意外なところにある。
「・・・山岸、稔君に調べるように言ってくれ・・」
「承知しました。でも、ボス、稔に期待してもダメですよ。なんせあいつは中学生で、何も出来ないんですから!まあ、植物に関しては、今勉強しているから、私より詳しいでしょうけど。」
「・・・山岸、稔君の方が、刑事に合っている。俺は、そう思う・・・。」

「柊、大我のこと、見た?」
「見た。なんか、太ったおばさんといた。で、お母さんって言ってた。」
稔と柊あおいは一緒に学校から帰っていた。稔は以前よりあおいに対して親密なのか馴れ馴れしいのか、強い口調で話しようになっていたし、質問に対する答えをじっと観察するようになっていた。柊あおいは、変な圧力を感じていたが、それがなぜなのかは理解できなかった。
「っていうか、なんで私につきまとうの?私は大我君とは仲良しのつもりだけど、稔君とはそんなに接点なかったし。一緒に帰るところ見られたくないんだけど。」
「大我のことが心配じゃないのか?大我って、孤立しているわけじゃないけど、誰とも仲良くしていたわけでもない。特に深い会話があったのは、幼馴染の僕ぐらいだった。体操教室が一緒だったからね。柊さんって大我と接点無かったでしょ?なのに、ここ最近、事件が増えてから、大我と接点を持とうとしていたし、っていうか、入学当時から、大我のことを目で追っていたでしょ?」
柊あおいは黙り込んだ。知らない間に誰かに見られている。世界は開いているようで、実は閉じたままだ。稔に説明しようとしたが、説明することは出来ない。でも、感情という事実だけは伝えておこう。それは嘘でないし、嘘でないなら、バレる心配もない。
「私、大我君のことが好きなの。だからずっと見てた。」
「やっぱり、そうなんだね。でも、それだけかい?」
「それだけよ。」
「橘と柊、共通点があるの知っていた?ボスから聞いて、ああそうかと思ったんだ。」
「棘でしょ?棘はなんのためにあるか知っている?」
「むやみに敵を近づかせないため。」
「知っているのなら、棘には近づかない方がいいよ。」
柊あおいは振り返り、稔の目をじっと見た。稔はその視線に凍りついた、まるで、熱を感じない視線だった。真っ黒な闇が二つの穴となり、そこが全てを吸い込みそうな迫力を持っていた。だが、稔はそれを魅力として捉えていた。稔は柊あおいが好きだった。

大我は皿を洗ったり、洗濯物をしていた。家にいて何もしてなかったら、明美と一緒になると思うと、まだ、清彦の手伝いでもしていた方が、何かしていた方がマシだと思うようになっていた。

少しは誰かの役に立っている。それが生きている理由になる。

殺道の継承者が考える必要のないことかもしれないが、人が生きている理由ってのがあるのではないかと考えるようになっていたし、そこにはめ込まれなかったら、明美のように誰の役にも立たないクズになってしまったら取り返しがつかないと思うようになっていた。明美は相変わらず横になってスマホを見て、ご飯の時間になったら食卓につき、食い散らかし、食べ残し、後片付けもしない。すぐに横になってスマホをじっと見て、せわしなくスワイプする。まったく何も価値を生み出さない消費者。自分のことさえしようとしないババア。言葉を忘れたかのように何も喋らず、人に気を使うこともなく、中学生の大我に脱ぎ散らかした下着を洗濯してもらうことを恥じることもない。布団さえ、上げてもらっている。生きているだけだ。それも自分の力ではなく、他人の労力、時間を奪って生きている。そして、してもらったことを誰かにすることもなく、人の労力さえ無駄に消費している。清彦は、ひどい五十年を過ごしたに違いない。だが、清彦は、冷たい目で明美のことを見ない。率先して世話をしようとするし、世話をする大我に対して優しい視線を送る。
もう、うんざりだ!大我はこの地獄のような閉じた時間を誰かに見せて、批判されるのを期待したが、こんな閉じた時間に、地獄に興味がある人は、世の中にいないし、それを見た人の時間を、こんな何もしないクズが奪う事になる。それはあってはならない。大我は歪んだ正義感を自分の中に育てていく。ただ、明美の世話で自分の時間を奪われているだけなのに、それを社会的な損失として考えようとしている。「見てください、この地獄を!こんな地獄、どうしますか!これは、社会が生んだんです!あなたの責任です!」そんなはずはないのに、誰それ構いなく、全員を巻き込もうとする。自分でこの問題を抱えたくないから、誰かに分散して擦りつけようとしたい。大我は地獄の番人になっていた。でも、その地獄はとても静かで、争いはなく、怒りや妬みもなく、ただ、何もなかった。
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